9日(火)。わが家に来てから今日で1649日目を迎え、日産自動車元会長、カルロス・ゴーン容疑者の妻で、東京地検特捜部が検討していた任意聴取に応じずフランスに出国したキャロルさんが8日までに、仏政府に介入と支援を要請する考えを明らかにした というニュースを見て感想を述べるモコタロです
ベルサイユ宮殿で挙げたお二人の豪華結婚式の莫大な費用は 誰が負担したのかな
昨日、夕食に「ハッシュドビーフ」と「生野菜サラダ」を作りました 「ハッシュドビーフ」も「生野菜サラダ」も久しぶりですが、いつ食べても美味しいです。飲み物はもちろんワインです
新日本フィル2019/2020シーズンの定期会員継続申し込みをしました 私は現在ジェイド(サントリーホール・シリーズ)会員ですが、新シーズンのプログラム内容を他のシリーズと比較検討した結果、ルビー(アフタヌーンコンサート・シリーズ)に変更することにしました その大きな理由は、新シーズンではシューベルトの全交響曲を演奏しますが、ルビー・シリーズが一番多くシューベルトのプログラムを組んでいるからです また金曜と土曜と2回公演があるのでどちらか選べること、チケット代が他のコースと比べ格安であることも大きな理由です
5月31日(金)午後7時から東京藝大奏楽堂で開かれる藝大定期第392回公演のチケットを取りました プログラムはベートーヴェン①ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」、②交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」です ①のピアノ独奏は津田裕也、管弦楽は藝大フィルハーモニア管弦楽団、指揮は山下一史です
中山七里著「ドクター・デスの遺産 刑事犬養隼人」(角川文庫)を読み終わりました 中山七里氏の作品は文庫化されるたびに購入し、このブログでご紹介してきました。中山氏は1961年岐阜県生まれ。「さよならドビュッシー」で第8回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し2010年にデビュー 以降「おやすみラフマニノフ」「いつまでもショパン」「どこかでベートーヴェン」など作曲家名を冠したシリーズを発表する傍ら、「連続殺人鬼カエル男」「贖罪のソナタ」など多数のミステリーを世に送り出し、「どんでん返しの帝王」と呼ばれています
ある日、一人の少年から警視庁に電話があり、突然自宅にやって来た見知らぬ医師に父親が注射を打たれ、直後に息を引き取ったという 捜査一課の犬養刑事は少年の母親が「ドクター・デス」を名乗る人物が開設するサイトにアクセスしていたことを突き止める 苦痛のない死を20万円で請け負うという内容だった。捜査が難航する中、次々と同様の事件が発生する ”安楽死”の依頼人に訊くと、背の低い男の医師と看護婦のペアで現われ、”安楽死”の注射をし、現金で20万円を受け取り即時退却するということで、医師は何の特徴もない印象の薄い人物だという。果たして「ドクター・デス」を名乗る人物は何者なのか? 犬養は難病で入院中の自分の娘を囮に犯人をおびき寄せようと仕組むが、勘の良いドクター・デスは罠にかからない それに懲りない犬養は最後の賭けに出て、とうとうおびき寄せることに成功する 最後にドクター・デスから、なぜ日本では違法行為である”安楽死”の手助けをすることに手を染めるようになったのかが語られる
いつものように、中山流の唖然とするどんでん返しが待っています 「特に特徴もない印象の薄い人物」の理由が分かります
巻末の宮下洋一氏の「解説」によると、「日本において安楽死は殺人罪に当たる。医師が薬物を投与し、患者を死に至らす『積極的な安楽死』だけでなく、医師が処方した薬物で患者自らが自死する『自殺幇助』も認められていない 1991年に起きた東海大学附属病院事件を始め、2002年の川崎協同病院事件などは、医師が担当していた末期患者に筋弛緩剤を投入し、有罪判決を受けている 海外で安楽死が許されているのは、スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダや米国の一部の州に過ぎない。中でも、スイスは外国人が安楽死できる世界でたった一つの国で、海外からの患者たちが『理想的な死』を求めて渡航する。実際の費用は約100万円で、ドクター・デスが受け取る20万円では実現が難しい 安楽死が認められるには①回復の見込みがない、②耐え難い苦痛がある、③代替治療がない、④本人の明確な意思があるという4つの条件が満たされなければならない」とのことです
ドクター・デスは、犯行を認めた上で、犬養に次のように語ります
「犯罪 犯罪と言うけれど、それはまだこの国が安楽死の問題をタブー視しているから。安楽死の案件が多くなり、現状の規範では捌ききれないと知れた瞬間、安楽死は違法ではなくなる」
この本を読んで思ったのは、日本人独自の倫理観からすると、どうしても患者の延命を第一に考えがちで、個人の「個人の死ぬ権利」や終末期医療のあり方について十分な議論が進んでいないということです 本書はこうした議論を始め、あるいは深める上で手引書になると思います
いつものことながら中山氏の幅広いカバー範囲と読ませる文章力にはあらためて驚かされます。広くお薦めします