人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「ラ・フォル・ジュルネTOKYO」正式に中止 / ガルダー・ガステル=ウルティア監督「プラットフォーム」を観る 〜 強欲資本主義による差別社会への告発?:新文芸坐

2021年04月17日 07時24分20秒 | 日記

17日(土)。わが家に来てから今日で2289日目を迎え、厚労省は16日、新型コロナウイルス対策の接触確認アプリ「COCOA(ココア)」の不具合の要因や再発防止策に関する報告書をまとめたが、接触通知が長期に届かなかったのは、アプリの品質を管理する実施主体をめぐり、事業者と認識が共有できていなかったためと指摘した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     連想から COCOA よりも COFFEE を選んでしまう 厚労省に功労賞はあげられない

 

         

 

昨日、夕食に「鶏の唐揚げ」を作りました 栗原はるみ先生のレシピによる「うまみ醤油」(ニンニク、ショウガ、削り節入り)を2週間冷蔵庫で寝かせておいたものを使用したので、味が沁み込んでとても美味しく出来ました

 

     

 

         

 

突然ですが、下の写真を見て もっとも相応しいと思う四字熟語を選んでください

(1)傍若無人 (2)栄養満点  (3)大胆不敵 (4)駐車禁止 (5) 厚顔無恥 (6)交通安全

 

     

 

正解は、あなたが選んだ通りです 自信をもって生きましょう

 

         

 

「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO2021」の Facebook と Twitter によると、5月の3連休に東京国際フォーラムを中心に2005年から毎年実施してきた「ラ・フォル・ジュルネ 音楽祭」は、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の影響を受け、昨年に続き今年も中止することになりました 主催者は「ラ・プティット・フォル・ジュルネ2021」と題し、1日限りの特別なLFJ(全3公演)を開催するべく準備を進めてきたものの、4月2日に政府から「まん延防止等重点措置」が東京都に適用されたことに伴い、実施は困難と判断、今年の開催は見送ることにした、としています 残念ですが、どうすることも出来ません このため、私の手帳の5月のゴールデンウイークの日程は2日(日)から5日(水)まで空欄になっています 寂しい連休になりそうです

 

         

 

新文芸坐でガルダ―・ガステル=ウルティア監督による2019年製作スペイン映画「プラットフォーム」(94分)を観ました

ある日 ゴレン(イバン・マサゲ)は目が覚めると、部屋の真ん中に穴が開いた階層が下の方にまで伸びる塔のような建物の中にいた 上の階層からその穴に食物が巨大な台座に乗って運ばれてくるが、それは残飯同然の惨めなものだった 訳が分からないゴレンは、同じ階にいた老人トリマカシ(ソリオン・エギレオール)から、ここでの驚くべきルールを聞かされる。彼によると、この建物は縦に長いタワー型の刑務所で、ここに入所する者たちは入所時に1つだけ物を持ち込むことが出来る、現在は「48階層」にいるが1か月に1度 階層が変更される、各階層にいるのは2人ずつ、上の階層から順番に食料が運搬されるが、食事が摂れるのは”プラットフォーム”と呼ばれる巨大な台座が自分の階層にある間だけ、食料は最上階の階層から順番にどんどん食べられ、残された残飯がプラットフォームに乗せられて下の階層に運ばれるもので、下に行けば行くほど食料は減少していく、というシステムになっていた 1カ月後、ゴレンが目を覚ますと、そこは以前より遥か下の「171階層」で、しかも彼はベッドに縛り付けられ身動きが取れなくなっていた すぐそばに、トリマカシが入所時に持ち込んだナイフをかざしていた トリマカシはゴレンの肉を切って食べる。そこにプラットフォームが降りてきて、以前、助けようとした女性ミハルがトリマカシに襲い掛かり、ゴレンは九死に一生を得る ゴレンは、この不条理なシステムを壊そうと、「6階層」で出会った聖職者バハラットとともにプラットフォームに乗って各階層を回り食事を分配しようとするが、食うか食われるかの人々から反発を買う 最下層の「333階層」に着いた時、そこに幼児が生存しているのを発見する 2人は最下層に残り、代わりに幼時をプラットフォームに乗せ希望を託す

 

     

 

この映画の劇中、「ヨハネによる福音書」の引用が出てきます それは「私の肉を食べ、私の血を飲む人は、ずっと私と結びついており、私もその人と結びついています」というものです どうも、この作品はキリスト教的な教訓を含んでいるような気がします 主人公のゴレンはイエス・キリストと似ているし、リンゴを食べるシーンもありました その上で、この映画の言わんとするところは「行き過ぎた強欲資本主義による差別社会への告発」ではないかと思います

2人が自ら犠牲になってまで、希望を託した「幼児」は誰を象徴しているのか? 現代の経済的なヒエラルキーを崩し 再構築するのは誰なのか? それは今この世界に生きている私たち自身ではないのか? この映画はそんなことを問いかけているように思います

コメント
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