人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

4/25, 26 , 5/10 都響公演中止 〜 緊急事態宣言を受け、5/8東響定期公演中止 〜 ノット来日出来ず / 森達也著「FAKEな日本」を読む ~ フェイクとトゥルースの現状

2021年04月24日 07時18分35秒 | 日記

24日(土)。東京都交響楽団のホームページによると、「23日に発出された緊急事態宣言及び都における緊急事態措置等により、コンサートを含むイベントに対して中止等の要請がされる見通しであるため、4月25日の都響スペシャル、同26日の第925回定期演奏会Bシリーズ、5月10日の第926回定期演奏会Aシリーズを中止する。チケット購入者には6月末までに現金書留で返金する」としています 25日に藤村実穂子でマーラー「大地の歌」が聴けると楽しみにしていたのに残念です

また、東京交響楽団のホームページによると、「5月8日(土)にサントリーホールで開催予定の第690回定期演奏会は、出演を予定していたジョナサン・ノットが、音楽・芸術監督を務めるスイス・ロマンド管弦楽団関係施設で複数の新型コロナウイルス感染者が発生したため隔離待機したことから、来日日程の再調整を行っているが、当該公演については日程的に出演が不可能となったため、中止することとした。チケット購入者には払い戻し案内を近日中に郵送で送付する」としています やっと、ノットのマーラー「第1番」が聴けると楽しみにしていただけにとても残念でなりません マーラーは呪われているのか

ということで、わが家に来てから今日で2296日目を迎え、新型コロナウイルス対応の緊急事態宣言(25日から5月11日まで)が東京、大阪など4都府県に出されたが、繁華街近くの公園や路上で飲食するグループが後を絶たず、ゴミの散乱も目立ち、自治体は頭を抱えている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     気持ちはわかるけど 外でも感染リスクはある  それにゴミは持ち帰るのが常識です

 

         

 

昨日の夕食は「牛タン塩焼き&ハラミ焼肉」「生野菜サラダ」「卵スープ」にしました コロナ禍で外食が出来ないので、家で焼肉です

 

     

 

         

 

森達也著「FAKEな日本」(角川文庫)を読み終わりました 森達也は1956年広島県呉市生まれ。1998年オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画「A」を公開、ベルリン映画祭に正式に招待され、海外でも高い評価を受ける 2016年にドキュメンタリー映画「FAKE」を、2019年には「 ー 新聞記者ドキュメント ー 」を公開し、話題を呼んだ 現在は映像・活字双方から独自の表現を展開している

 

     

 

日本は平成から令和に改元され、安倍政権から菅政権への政治体制も変わりました しかし、報道をはじめ、表現の自粛と委縮は”忖度”の言葉で凝縮されるように変わるところがありません ドキュメンタリー映画監督の森達也は、平成の30年間を振り返り、「天皇」や「放送禁止歌」をはじめ「タブー視」されているテーマは、どのような変遷を辿り、現在どうなっているのか等について鋭い考察を加え、トゥルースとフェイクについて独自の見解を述べています

本書は次の5幕から構成されています

第1幕「疑似的民主国家ニッポン」ー「放送禁止歌」 ~ ビートルズの「イマジン」も放送禁止扱いだった 他

第2幕「差別するぼくらニッポン人」ー「ミゼットプロレス伝説」 ~ 小人プロレスをやってる方と見てる方 他

第3幕「自粛と委縮に抗って」ー幻の「天皇ドキュメンタリー」 ~ 普通でないのは天皇ではなく僕らの方だ 他

第4幕「組織は圧倒的に間違える」ー「A」「A2」 ~ 共謀罪審議にオウム事件は利用された 他

第5幕「平穣、かつての東京との交信」ー未完の「北朝鮮ドキュメンタリー」 ~ よど号ハイジャック事件の当事者の生活と意識 他

第6幕「正しさこそが危機を生む」ー「FAKE」 ~ 大事なのは、異論を伝え続けること 他

本書の巻末に掲載された「解説」で、ライターの武田砂鉄氏は次のように書いています

「平成とはどんな時代だったかと問われた森が、『メディアが一人称単数の主語を急速に失い続けた30年です』と切り返している。森はずっとこのことばかり言ってきた

この言葉は、とくに 政府の発表する「報道用資料」を何の疑問も抱かず書き写している報道機関にとっては耳の痛い話だと思います

上記の言葉とともに、本書の中で森氏が繰り返し主張しているのは次の言葉です

「社会とメディアと政治のレベルは、常に一緒です。もしもこの国のメディアが三流であるならば、この国の国民も三流なんです そしてその国民が選ぶ政治家も三流です。ネットなどではよくマスゴミと書く人がいるけれど、もしこの国のマスコミがゴミならば、社会もゴミのレベルです。だって市場原理なのだから。メディアと政治は社会の合わせ鏡です

この言葉を突き詰めて考えれば、一人ひとりの国民のレベルを引き上げない限り、マスコミも政治も三流のままだ、ということになります

森氏は「第6幕」の中で、次のように語っています

「ほとんどの情報はトゥルースであり、フェイクでもある なぜなら情報を発信する人の主観が入るからです。これを完全に除去することなど不可能です。それをたった一つの真実などと思い込むことの方が危険です。フェイクの怖さと同様にトゥルースの怖さにも、特にメディアの人は、もう少し気づいた方がいい

これを読んで気が付くのは、ドキュメンタリーも同様だということです 同じ「事実」を撮るにしても、撮る人の立場によって出来上がった映像の「見え方」が異なってくるからです なぜなら、そこに撮影者の主観が入っているからです

個人的には、よど号ハイジャック事件を起こして現在 北朝鮮に住んでいる人たちの発言や生活(日本人村では衛星放送が受信できる)が興味深いので、森監督には、未完の「北朝鮮ドキュメンタリー」を仕上げて公開してほしいと思います

コメント (2)
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