人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

千葉雅也著「現代思想入門」を読む ~ イエスかノーかの単純な「二項対立」から脱却しグレーゾーンを模索することの大切さを説く

2022年05月01日 07時05分15秒 | 日記

5月1日(日)。息子が単身赴任先の鶴岡の社宅で飲んでいるコーヒーの豆を持ってきてくれたので、10年ぶりくらいにコーヒーミルを探し出して豆を挽きました やっぱりコーヒーは豆から挽くと一味違いますね

 

     

     

 

ということで、わが家に来てから今日で2667日目を迎え、北朝鮮の朝鮮中央通信は30日、金正恩総書記が、敵対勢力に対抗するため核兵器の「先制」使用の可能性があると改めて警告し、「世界のどの国の勢力も挑発できない圧倒的な軍事力を持つために軍事増強を継続すべきであり、軍備増強こそがわが国の安全を保証する生命線だ」と主張した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     プーチンの真似をして核を背景に「先制攻撃」理論を振り回す危ない男ここにあり

 

         

 

土・日は夕食作りはお休みです。昨日は息子が鶴岡の銘酒「十水(とみず)」をお土産に持ってきてくれたので、寿司を食べながらいただきました 十水はインターナショナルサケチャレンジ2021「純米酒の部」でゴールド賞の中から選ばれる最優秀賞トロフィー賞を受賞したそうです とても口当たりがよく美味しかったです

 

     

 

         

 

千葉雅也著「現代思想入門」(講談社現代新書)を読み終わりました 千葉雅也氏は1978年栃木県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士。専門は哲学・表象文化論。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。著書多数

 

     

 

本書は次の各章から構成されています

はじめに「今なぜ現代思想家か」

第1章「デリダ・・・概念の脱構築」

第2章「ドゥルーズ・・・存在の脱構築」

第3章「フーコー・・・社会の脱構築」

第4章「現代思想の源流・・・ニーチェ、フロイト、マルクス」

第5章「精神分析と現代思想・・・ラカン、ルジャンドル」

第6章「現代思想のつくり方」

第7章「ポスト・ポスト構造主義」

付録「現代思想の読み方」

おわりに「秩序と逸脱」

著者は「はじめに」の中で、「現代思想とは何か?」について「1960年代から90年代を中心に、主にフランスで展開された『ポスト構造主義』の哲学を指している フランスを中心としたものなのだが、日本ではしばしば、それが『現代思想』と呼ばれてきた」と書きます そして、「現代思想を学ぶとどんなメリットがあるのか?」という問いに対し、「複雑なことを単純化しないで考えられるようになる 単純化できない現実の難しさを、以前より『高い解像度』で捉えられるようになるだろう」と解説します

さらに、「現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち『差異』に注目する それが今、人生の多様性を守るために必要だと思うからだ 人間は歴史的に、社会および自分自身を秩序化し、ノイズを排除して、純粋で正しいものを目指していくという道を歩んできた そのなかで、20世紀の思想の特徴は、排除される余計なものをクリエイティブなものとして肯定したことだ」とし、「逸脱にクリエイティブなものが宿るという考え方は、20世紀を通してポピュラーになった。芸術家にはハチャメチャなところがある、みたいなイメージだ」と解説します

そのうえで、著者は各章に入っていきますが、著者によると、「ポスト構造主義」の「ポスト」とは「後」という意味で、「構造主義の後に続く思想」という意味であり、「ポストモダニズム」と言い方をされることもある 「ポストモダン」とは「近代の後」で、17~19世紀あたりを指す。近代は、民主主義が進み、機械化が進み、古い習慣が捨てられてより自由に生きられるようになり、『人間は進歩していく』と皆が信じている時代だった。その後、資本主義が発展していくなかで、価値観が多様化し、共通の思想が失われたのではないか、というのがポストモダンの段階である そうした状況は、90年代後半からのインターネットの普及によってさらにはっきりした。今、SNSを眺めてみれば、細かに異なる無数の主義主張が言われているけれど、そういう多様性によって世界がより幸福なものになっていったかというと、むしろ、いざこざの可能性が増えて世界はよりストレスフルになってしまった・・・と述べています

著者は現代思想の代表的3人(デリダ、ドゥルーズ、フーコー)に共通しているのは「二項対立の脱構築である」と解説します 物事を「二項対立」つまり「2つの概念の対立」によって捉えて善し悪しを言おうとするのをいったん留保する、ということです われわれは物事を「善と悪」「安心と不安」「健康と不健康」というように対立で捉え、何かを決める時には、「二項対立」に当てはめ、その「良い」方を選ぼうとするものだ しかし、「自然と文化」「身体と精神」のような「二項対立」は、どちらがプラスになるとも決められない 二項対立のプラス/マイナスは、あらかじめ絶対的なものとして決まっているわけではなく、非常にやっかいな線引きの問題を伴うものだ その線引きの揺らぎに注目していくのが「脱構築の思想」である・・・と説明します そして「能動性と受動性がお互いを押し合いへし合いしながら、絡み合いながら展開されるグレーゾーンがあって、そこにこそ人生のリアリティがある」と主張します

本書の表紙には「人生が変わる哲学」という文字が躍っていますが、残念ながら私の場合はそこまでは行きませんでした しかし、物事を判断するとき、AかBかのどちらかを無理に決めつけるのではなく、その中間(グレーゾーン)もあるかもしれないと模索することが大切だということは理解できました たまにはこういう固い本を読んで、普段使っていない頭を使うのも良いものです。お薦めします

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