人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

沢木耕太郎著「作家との遭遇」を読む ~ 向田邦子、小林秀雄を中心に

2022年05月16日 07時03分52秒 | 日記

16日(月)。わが家に来てから今日で2682日目を迎え、ウクライナ国防省の諜報部門トップのブダノフ准将は14日放映の英スカイニュースのインタビューで、ロシアのプーチン大統領に対する「クーデター計画」が進行しているとの見方を示した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     これ以上の人殺しと破壊活動を阻止するには ロシア国内の良心の行動が欠かせない

 

         

 

沢木耕太郎著「作家との遭遇」(新潮文庫)を読み終わりました 沢木耕太郎は1947年 東京生まれ。横浜国立大学卒業。ルポライターとして出発し、1979年「テロルの決算」で大宅壮一ノンフィクション賞、85年「一瞬の夏」で新田次郎文学賞を受賞 86年から刊行が始まった「深夜特急」三部作では93年にJTB紀行文学賞を受賞した

 

     

 

本書はノンフィクション作家として知られる沢木耕太郎が、少年の頃からプロの作家に至るまでの間に心を奪われてきた作家たち19人について、それぞれの魅力を描いた作家論です 収録されている作家は、井上ひさし、山本周五郎、田辺聖子、向田邦子、塩野七生、山口瞳、色川武大、吉村昭、近藤紘一、柴田錬三郎、阿部昭、金子光晴、土門拳、高峰秀子、吉行淳之介、檀一雄、小林秀雄、瀬戸内寂聴、山田風太郎の19人です

このうちほとんどの作品を読んだことのあるのは向田邦子ただ一人です そして親しみを感じるのは小林秀雄です この2人について沢木氏がどう書いているかをご紹介することにします

沢木氏は向田邦子の文章に「記憶を読む人 向田邦子」とタイトルをつけています これには唸りました

彼は向田邦子の文章の特徴として3つ挙げています 一つは「文章が極めて視覚的であること」、2つめは「文章の結構(組み立て)がドラマティックであること」(挿話と挿話のつなぎ方の大胆な飛躍)、3つ目は「記憶が物語の核になるということ」です 個人的には、「『である調』によるリズム感のある男性的な文章」を付け加えたいと思います

エッセイ集「父の詫び状」は、表題作をはじめ子ども時代の思い出をもとに書かれていますが、読みながら「よくもこんなに細かいことまで覚えているものだな」と感心します。一方、短編小説集「思い出トランプ」について沢木氏は次のように書いています

「『思い出トランプ』には、『父の詫び状』の『私』のかわりに、それぞれ固有の名前をもった中年の男女が登場してくる 彼らのさりげない日常の中に、ある時、思い出という名のカードをめくらせるささやかな契機が訪れる 物語は、現在に不意に紛れ込んできたその過去の記憶が動かしていくことになる。もちろん、彼らの記憶は、『父の詫び状』の時のように、そのまま向田邦子の記憶とするわけにはいかない。その記憶は作られた記憶である。つまり彼女は、自身の記憶を、彼らの状況に応じて少しずつ変化させながら付与しているのだ しかしその時、もはやそれを記憶と呼ばず、『観察』と呼び換えてもさしつかえないように思える。そして、その観察の鋭さは、彼女が記憶を読む職人であった以上に、世間を視る職人であったことを物語っている

向田邦子に負けず劣らず鋭い観察眼だと思います 小説でもエッセイでも、最も感心させられるのは彼女の観察眼です 過去の記憶や現在の観察力をもとに、物語をドラマティックに組み立て、視覚的に文章化していく・・・それが向田邦子の文章です

最後まで読み終わって気が付いたのは、この文章は昭和56年9月12日に沢木耕太郎が書いた向田邦子「父の詫び状」(文春文庫)の「解説」文だったのです どうやら向田は、「解説」の執筆者として沢木を指名していたらしいのです 向田の飛行機事故による死亡(昭和56年8月22日)を受けて、沢木は次のように書いています

「私はようやく書き上げた原稿を前に、しばし茫然とした 向田さんがいなくなってしまった以上、私の原稿はほとんど意味のないものになってしまったような気がしたからだ。本来、『父の詫び状』の解説を書くにふさわしい方は他にいらいたはずなのに、それをあえて私などに書かせてみようと向田さんが考えたのは、年少の者の感想を聞いてみたかったからであるらしい 私もそれに応えて、せめて向田さんが面白がってくれるような感想を述べたいものだと思いつつ、原稿用紙に何日も向かっていたのだ

沢木氏は山本夏彦の「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」という名言を紹介していますが、沢木氏は「なるほど向田邦子が『父の詫び状』で不意に文筆家として登場してきた時、彼女はすでに完璧な自分のスタイルを持っていた」と肯定したうえで、「その独自のスタイルが一朝にしてできあがったものではないこともまた確かである」と指摘しています そして「彼女がテレビドラマを永く書き続けてきたという『経験』がことのほか大きな意味を持っていたらしい」と分析しています

本書を読んだ機会に、あらためて「思い出トランプ」に収録された「かわうそ」「だらだら坂」「マンハッタン」「犬小屋」を読んでみましたが、彼女の観察眼の鋭さと、巧みな文章力にあらためて感嘆せざるを得ませんでした

沢木氏は小林秀雄の文章に「虚空への投擲」というタイトルをつけています 投擲(とうてき)とは砲丸投げや円盤投げなどの陸上競技の総称です。沢木氏は冒頭次のように書いています

「小林秀雄の文章には、香具師(やし)の啖呵のようなところがあり、眼で読んだだけのはずなのに、いつまでも耳に残っているようなものが少なくない 『様々なる意匠』にも、『Xへの手紙』にも、『ドストエフスキイの生活』にも、『モオツァルト』にも、『ゴッホの手紙』にも、そうした文章はある しかし、私が小林秀雄という人物について考えるとき、まず思い浮かべるのは、『スポーツ』と題された短いエッセイの、冒頭部分である 『私は、学生のころから、スポーツが好きだった。身体の出来が貧弱だったから、スポーツ選手にはなれず、愚連隊の方に傾き、いつの間にか、文士なぞになってしまったが、好きなことは今でも変わらない』『30年前には、巨人の水原監督と一緒に、第1回都市対抗戦で、神奈川県代表の鎌倉軍に参加し、台湾代表の台北軍と、神宮球場で戦ったこともある』」

ここには、小難しい顔をした小林秀雄はいません 沢木氏の文章によると、小林秀雄は中学時代に登山で友人と3人で雲取山に行き、あやうく遭難しかけたことがあり、また、山スキーの帰途、行方不明者として捜索されたことがあるそうです またゴルフも楽しんだそうです 要するに小林秀雄にとってスポーツは「観る」のではなく、「する」方がメインだったらしいのです これは意外でした その一方、スポーツを観る方では、オリンピック・ロンドン大会と東京大会についての文章があるが、なぜか小林が取り上げているのは砲丸投げや槍投げなどの投擲競技だったと紹介しています これも意外でした

以上のほか、「必死の詐欺師 井上ひさし」「絶対の肯定性 土門拳」「天才との出会いと別れ 檀一雄」なども面白かったです 気になる作家がいたら、本書を手に取ってお読みになってはいかがでしょうか

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