人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

吉田秀和没後10年 ~ 朝日新聞・吉田純子編集委員の連載「ことばを奏でる」始まる / 清少納言「枕草子」は有能な公務員による広報誌だった? ~ 「天声人語」から

2022年05月31日 07時09分47秒 | 日記

31日(火)。月末を迎えたので、恒例により今月の3つの目標の達成状況をご報告します ①クラシックコンサート=9回、②映画鑑賞=7本、③読書=7冊でした なお、②については別にNetflixで「鳩の撃退法」、「国家の僕(しもべ)」(シーズン1:全24話)を観ました

さて、昨日の朝日新聞第1面のコラム「天声人語」を読んでビックリしました われわれは清少納言の「枕草子」を「随想」と習ってきましたが、どうやら近年は別の説が有力らしいのです 超訳すると次の通りです

「土方洋一(ひじかた よういち)青山学院大学教授によると、『枕草子』は一条天皇の中宮だった定子の栄華をアピールする公的記録だったと見られる 定子の聡明さや優雅さには言葉を尽くしながら、彼女を襲った苦難についてはほとんど言及していない 父の死、兄の左遷、自身の宮中での孤立、そして24歳の早すぎる死。どれも省かれている 定子は清少納言が仰ぎ見るファッションリーダー兼オピニオンリーダー その輝きを書き残す任務に没頭した。春(春はあけぼの)や冬(冬はつとめて)の章段も清少納言の私的な感懐ではなく、季節をお題に定子のサロンが開いた言葉遊びのベストアンサー集ではないか そう見ると全編が矛盾なく説明できると話す 現代ふうに言うなら、並外れて有能な公務員による広報誌だったということか

土方教授は近刊「枕草子つづれ織り」で、清少納言が何を書き、何を書かなかったかを分析したうえで、上のように結論づけたそうです これは重要な視点だと思います われわれは、文章を読むとき「何が書かれているか」を読み取ろうとしますが、そこに「何が書かれていないか」を考え・推論することによって、全体像が見えてくることもあるということを教えてくれます

土方教授の分析は 新選で いとをかし

ということで、わが家に来てから今日で2697日目を迎え、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は29日、ウラジーミル・プーチン大統領が病気であることを示す兆候は全くないとして、大統領の体調不良説を否定した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ウクライナへ侵略した時点で 排他的ロシアシンドロームに罹っているに違いない!

 

         

 

昨日、夕食に「サーロインステーキ」と「舞茸の味噌汁」を作りました ステーキはミディアム・レアに焼きましたが、柔らかくて美味しかったです

 

     

 

         

 

朝日新聞 文化面で同社編集委員・吉田純子さんによる「ことばを奏でる ~ 吉田秀和没後10年」の連載(全10回)が始まりました 吉田秀和氏(1913ー2012)と言えば朝日新聞「音楽展望」とNHK-FM「名曲のたのしみ」を思い起こします ともに40年も続いたクラシック音楽に関する評論・エッセイ、放送ですが、私も毎回楽しみにしていた一人です

連載第1回のタイトルは「文筆修行は相撲から ~ 形なき音楽  永遠の世界へと刻印」です 超訳すると次の通りです

「生まれたそばから消える音を、言葉によって永遠に刻印した 文章はまず、『聴く』ことではなく『見る』ことによって磨いた その対象となったのが、幼い頃から親しんでいた相撲である。目の前で起きていることを自分の言葉で語れなければ、形なき抽象の世界を語ることなど到底できない 2つの肉体がぶつかり合うその瞬間に、内側では何が起こっているのか。見る人々の心は、どんな風にざわめいているのか 即物的な描写と主観を交えた評論、その両方を書いてみて、様々なバランスの組み合わせを試す これで何冊ものノートを書き潰した 11年2月、世の中の関心が大相撲の八百長疑惑一色になったとき、吉田は『相撲は勝ち負けだけじゃないんだけどね』と語った 次の『音楽展望』で最初で最後の『相撲展望』を書いてもらった そこには照れも躊躇もない、研ぎ澄まされた純度の高い言葉が並んでいた。そこにはまぎれもなく肉体化した『音楽』があった 技術の指摘にとどまる表層的な音楽評論への批判に、どこか本質の部分で連なっているように思えた

文中にある「相撲展望」が朝日新聞デジタルにアップされていたので読んでみました。それで納得しました なぜ吉田純子さんが「そこにはまぎれもなく肉体化した『音楽』があった」と書いたのかを。吉田秀和氏の書いた相撲を巡る文章には独特のリズムがあるのです 歯切れの良さと言っても良いかもしれません 吉田純子さんはそのリズムに『音楽』を見出したのではないだろうか

うろ覚えですが、かつて 吉田秀和氏はカラヤンの指揮するモーツアルトのセレナード(かディベルティメント)のCDの演奏を評して「まるで血が滴るビフテキのような演奏」と書いていましたが、この表現には思わず唸りました 分厚くボリューム感のあるビフテキを連想させるレガートたっぷりの演奏で、ひと言で演奏の特徴を言い表していると思いました

ところで、冒頭にある「生まれたそばから消える音を、言葉によって永遠に刻印する」ことがいかに困難なことか、コンサートを聴いた感想や批評をブログやツイッターにアップして人なら良く理解できるはずです 正直に告白すると、私はいつも「なんでオレはこんなにボキャ貧なんだ」と反省しながら書いています

私にとって吉田秀和氏は小林秀雄氏に次いで影響を受けた評論家です 吉田純子さんの連載はこれから9回続くので楽しみにしたいと思います

 

     

     

     

 

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