25日(火)。2,3日前のお天気番組で「天高く馬肥ゆる秋」という言葉を紹介していました 今さら解説するまでもなく「秋は空気も澄んでいて、空も高く感じられ、馬も肥えるような収穫の季節でもある」という意味で使われています 私は小学生の頃、これを「天高く馬越える秋」と思い込んで「秋になると馬が空高く飛んでいく」と解釈していました 馬が空を飛ぶわけないじゃんと思いながらも長い間、そう勘違いしていました 馬繋がりで思い出したのは、50年以上も前に星飛雄馬が主人公となって活躍したテレビアニメ「巨人の星」の主題歌です アニメ主題歌「行け行け!飛雄馬」は「思い込んだら 試練の道を 行くが男の ド根性~」で始まります 数年前に読んだ ある人のエッセイに次のようなことが書かれていました
「主人公の星飛雄馬が、円筒型のコンクリートの塊のような物体を引いてグランドを均している映像をバックに、『おもいこんだら しれんのみちを~』と流れてきたので、てっきりあの物体(実は土を固めるローラー)が『コンダラ』で、『重いコンダラ 試練の道を~』だと思っていた」
これを読んで、映像からすればそういう解釈もアリかな、と笑いながら納得しました 「巨人の星」と言えば、厳しい父親・星一徹を思い出します 姉の明子があまりの練習の厳しさに弟の飛雄馬を庇ったりすると、すぐに怒り出して「ちゃぶ台返し」をします 「ちゃぶ台返し」を広辞苑で引くと「星一徹の得意技」と出てきます。嘘です
ということで、わが家に来てから今日で2844日目を迎え、ロシアのショイグ国防相は23日、フランス、トルコ、英国の国防相と相次いで電話協議し、「ウクライナ政府が『汚い爆弾』を使用する可能性」について懸念を伝えた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
自国に”汚い爆弾”を使用するバカがどこにいるか! 見え透いた嘘ばかりがロシアだ
昨日の夕食は、風邪が治り切っていない私に代わり、娘が「煮込みうどん」を作ってくれました 身体が温まりました
土井義晴著「一汁一菜でよいという提案」(新潮文庫)を読み終わりました 土井義晴氏は1957年 大阪生まれ。芦屋大学教育学部卒。スイス、フランス、大阪で料理を修行し、土井勝料理学校講師を経て、1992年「おいしいもの研究所」を設立。十文字学園女子大学特別招聘教授、甲子園大学客員教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員などを務め、NHK「きょうの料理」などに出演する。著書に「くらしのための料理学」など多数
私は月曜から金曜まで週5回夕食作りをしていますが、日ごろから思っているのは「毎日の献立を考えるのがめんどくさい」ということです 私だけでなく、料理を作る多くの人が同じように考えているのではないかと思います 一旦メニューが決まってしまえば あとは作るだけなので、必要な食材を買ってきて、娘の帰宅時間に合わせて料理が出来上がるように作ればよいのです
そんな時、書店で本書に出会いました 本の帯に「ご飯と具だくさんの味噌汁。それでいい」とあります しかし、それだけの結論のはずが、200ページ以上もあります これは一筋縄ではいかないな、と思いながら読み始めました
本書は2016年6月にグラフィック社から刊行された単行本を文庫化したものです
土井先生はまず「一汁一菜」を次のように定義します
「『一汁一菜』とはご飯を中心とした汁と菜(おかず)。その原点を『ご飯、味噌汁、漬物』とする食事の形です」
そして、次のように提案します
「毎日3食、ずっと食べ続けたとしても、元気で健康でいられる伝統的な和食の型が一汁一菜です 毎日、毎食、一汁一菜でやろうと決めてください 考えることはいらないのです。これは、献立以前のことです。準備に十分も掛かりません。5分も掛けなくとも作れる汁もあります 歯を磨いたり、お風呂に入ったり、洗濯をしたり、部屋を掃除するのと同じ、食事を毎日繰り返す日常の仕事の一つにするのです 『それでいいの?』とおそらく皆さんは疑われるでしょうが、それでいいのです 私たちは、ずっとこうした食事をしてきたのです」
そして「ご飯と味噌汁のすごいところは、毎日食べても食べ飽きないことです」と続けます。たしかに、あらためてそう言われてみると全く飽きません
さらに、「買い物をする ⇒ 下ごしらえをする ⇒ 調理する ⇒ 料理を並べる ⇒ 食べる ⇒ 片付けする」という一連の行動を「食事」というと説明します これは「片付け」してはじめて食事が完結するということを意味しています 土井先生は本書の巻頭言に「いちばん大切なのは、一生懸命、生活すること。一生懸命したことは、いちばん純粋なことであり、純粋であることは、もっとも美しく、尊いことです」と書かれていますが、食事の一連の行為は「一生懸命、生活すること」の一環であるのだということでしょう
また「贅と慎ましさのバランス」として、「ハレ」と「ケ」の概念について解説します
「日本には『ハレ』と『ケ』という概念があります ハレは特別な状態、祭り事。ケは日常です。日常の家庭料理は、いわばケの食事なのです。手間を掛けないでよいそのケの料理に対して、ハレにはハレの料理があります そもそも両者の違いは『人間のために作る料理』と『神様のために作る料理』という区別です。それは考え方も作り方も正反対になるものです」
そして、「神様のために作る料理(ハレ)は時間や手間暇を惜しまず彩り良く美しく作る」のに対し、「日常の家庭料理(ケ)は手を掛けないで作る」ものであると説明します
土井先生は、
「和食の一汁一菜を食事のスタイルとして、家庭料理を作ってください。汁飯香なら作れます きれいに整えて慎ましく暮らせば、心身は敏感になって、かつ、穏やかになります 余裕のある日には、季節のおかずを作ってください。料理する幸せがわかるでしょう。食べる人の笑顔が見られます」
とも書いています この文章のポイントは「余裕のある日には、季節のおかずを作ってください」です つまり、先生は「普段忙しくて料理を作る余裕がない」という人たちを中心に据えて、「一汁一菜でよいという提案」をしているのです ここを勘違いすると先生の本来の趣旨は伝わらないと思います
単身世帯だったら良いでしょう。あるいは年寄り夫婦だけの家庭だったら良いかもしれません しかし、育ち盛りの子供を抱える親が、毎日「一汁一菜」の食事しか作らなかったら、子供は満足できるでしょうか? きっと「肉が食べたい」と言うでしょう 「肉も味噌汁に入れてしまえばよい」という解決策もあるかもしれませんが、量的な面でどうでしょうか? その意味では、「一汁一菜」は最低限の献立だと考えるべきで、時間的に余裕のある人はプラス1品を考えるべきだと思います
本書では「一汁一菜の実践」として「具だくさん味噌汁」を紹介しています。土井先生の作った味噌汁がカラー写真入りで紹介されています ブロッコリーとベーコンと人参などが一緒に入っている味噌汁があるかと思えば、トマトが中心の味噌汁、ピーマンを丸ごと入れた味噌汁、ごぼうとメザシを中心とした味噌汁、カボチャとキュウリ中心の味噌汁など、バラエティに富んでいます それらを見ていると、具は何も入れても良いのだというメッセージが伝わってきます さらに、「自分だけのものなら 見た目は悪くても美味しく食べられる」としています
本書を通じて伝わってくるのは一生懸命 和食の「一汁一菜」の良さを解ってもらおうとする土井先生の熱意と、忙しく働きながら料理をしている人たちに対する優しさです 普段から料理を作っている人たち、これから料理を始めてみようかと考えている人たちにお薦めします