人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「ブラームス「ピアノ四重奏曲第1番」他を聴く~「音楽で夢みる午後~アンサンブル・アフタヌーンVol.2」

2016年05月21日 07時26分26秒 | 日記

21日(土)。わが家に来てから601日目を迎え、季節外れのヒーターにキックボクシングの試合を挑むモコタロです

 

          

            もういい加減に引っ込んだらどうだい ヒーターなんていらないだろ

 

  閑話休題  

 

昨日、夕食に「ハンバーグステーキ」と「生野菜サラダ」を作りました ジャガイモとニンジンはいつも通り皮付きです

 

          

 

池袋西武地下のいつものコーヒーショップで新しいコーヒーを挽いてもらいました 今度は「エルサルバドルCS」です

 

          

 

  も一度、閑話休題  

          

昨日、新宿ピカデリーで、METライブビューイング ドニゼッティ「ロベルト・デヴェリュー」の座席指定を取ってきました 来週水曜日午前10時開演の部です。いつも通り左ブロック後方の右通路側席を押さえました 今年度のMETライブビューイングもこの作品と、リヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」の2作品を残すのみとなりました

 

          

 

  最後の、閑話休題  

 

昨日、初台の東京オペラシティコンサートホールで「アンサンブル・アフタヌーンVol.2~音楽で夢みる午後」公演を聴きました プログラムは①バッハ「ゴルトベルク変奏曲」より「アリア」、②ドビュッシー「月の光」、③ショパン「幻想曲」、④モーツアルト「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲K.423」、⑤サン=サーンス「白鳥」、⑥ラフマニノフ「ヴォカリーズ」、⑦フォーレ「夢の後に」、⑧ブラームス「ピアノ四重奏曲第1番」です 演奏は、ヴァイオリン=成田達輝、ヴィオラ=川本嘉子、チェロ=長谷川陽子、ピアノ=練木繁夫です

 

          

 

当初、チェロは趙静の予定でしたが、体調不良につき長谷川陽子が代演することになりました。それに伴って演奏曲目が一部変更になりました

 

          

 

自席は1階16列23番、右ブロック左通路側席です。会場は後方がかなり空いていますが、ウィークデーの真昼間ですから、これが普通なのでしょう

最初にピア二ストの練木繁夫がマイクを持って登場し挨拶します

「私はピアノが本職で、しゃべるのは苦手なのですが、お前しゃべれと言われたのでお話しいたします 本日のコンサートは”夢”がキーワードになっています。最初に私の演奏で3曲続けて演奏します

そして、最初にバッハ「ゴルトベルク変奏曲」から「アリア」を演奏します この曲は不眠症に悩んでいたカイザーリンク伯爵に仕えていたチェンバロ奏者のゴルトベルクが、伯爵の眠れない夜を慰めるための曲を書いてほしいとバッハに依頼したことから作曲されたものです 「アリア」は曲の冒頭と最後に演奏される”主題”です。練木のピアノで「アリア」を聴いていたら、「これなら落ち着いて安眠できるかもしれない」と思いました。また、「バッハの時代、ピアノはまだ存在していなかったのでチェンバロで演奏した。眠気を誘うにはチェンバロの方がベターかも知れないな」「同じピアノでもグレン・グールドの演奏で聴いたら全然眠れず恒常的な不眠症に陥るだろうな」などと勝手に想像していました

次いで演奏されたドビュッシー「月の光」は湖面に映る月が波に揺られているようなイメージが広がります 次いで演奏されたショパン「幻想曲」は、「雪の降る街を~」と歌い出したくなるほど、冒頭のメロディーが中田喜直作曲の「雪の降る街を」にそっくりです 全体的には幻想的な曲想です

次に成田達輝のヴァイオリン、練木繁夫のピアノでサラサーテ「カルメン幻想曲」が演奏されました この曲は、あの有名な「ツィゴイネルワイゼン」と並ぶサラサーテの代表曲で、ビゼーのオペラ「カルメン」から「ハバネラ」「トゥ・ラララ」「セギディーリャ」「ジプシーの歌」などのメロディーを超絶技巧ヴァイオリンによって演奏するものです 成田はストラディヴァリウスとガルネリ・デル・ジェスを貸与されているので、どちらかのヴァイオリンで演奏したはずですが、確かな実力に裏付けられた演奏と相まって、美しくも逞しい音楽が会場の隅々まで届けられました

前半の最後は成田達輝のヴァイオリン、川本嘉子のヴィオラによりモーツアルト「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲K.423」が演奏されます この曲はモーツアルトが27歳の時の作品ですが、同系列の弦楽器2本の組み合わせとは思えないほど、ニュアンスに富んだ技巧的な曲です 若い成田は大先輩の川本と互角の演奏を繰り広げ、あまり知られていないこの曲の魅力を引き出しました

 

          

 

休憩を終え、代演の長谷川陽子と練木繁夫がマイクを持って登場、長谷川が挨拶します

「ロビーで販売しているフランス菓子をいただきましたが、甘い物が大好きなので、美味しくいただきました 皆さん、休憩時間に召し上がられましたか?よろしかったらお帰りの際にお買い求めください

と、この「アフタヌーン・コンサート」で恒例になっているらしい”今日のおやつ”をPRしたうえで、これから演奏する3曲について簡単に解説しました プロですからコンサートの協賛企業の商品のPRについての要望には応えざるを得ないのでしょう。それに、本当に甘い物が好きそうだし それにしても、この人はトークがとても上手で、場慣れしている様子です その間、練木はマイクを持って立ちすくんでいました

長谷川は練木のしっかりしたサポートのもと、サン=サーンス「白鳥」、ラフマニノフ「ヴォカリーズ」、フォーレ「夢の後に」を続けて演奏しました 3曲ともチェロの音色を生かした特有の響きを堪能するのに相応しい曲です 会場いっぱに響き渡るチェロの音色にうっとりします

最後の曲の演奏に備えて、プロによってピアノの位置が変更されます。練木が語ります

「今度の演奏曲目に合わせて、いまピアノの位置を変えてもらっています。ピアノの車輪が5ミリ違っただけで会場で聴く音が変わってしまいます。いま変更した位置は、リハーサルの時に ピアノが一番響きやすい位置として”位置決め”しておいた場所になっています

そして、ブラームス「ピアノ四重奏曲第1番」の演奏に入ります ピアノを奧にして、左から成田、長谷川、川本という並びです。

この曲は3曲のピアノ四重奏曲の最初の曲で、1861年(ブラームス28歳の時)に完成しました 4つの楽章から成ります。第1楽章冒頭は、”いかにもブラームス”といった曲想です。4人の演奏を見ていて気が付いたのは、センターに位置する長谷川が演奏するたびに身体を左右に大きく揺らしているのに対し、右サイドの川本はほとんど姿勢を崩さずに演奏していることです

あんなに身体を左右させて、楽譜が読めるのかな・・・・などと要らぬ心配をしている時、会場の中央後方で「ピカッ」と光りました。誰かがフラッシュを焚いて写メしたのではないかと思われます あるいは誤ってシャッターを押してしまったのかも知れません。こういうのをシャッター・アウトと言います どちらにしても、これは文化国家では考えられないことです 本番の演奏の最中にフラッシュを焚くなど、非常識以前に大バカモノもいいとこです こういうヤカラは足をコンクリート詰めにして東京湾に沈め、もとい、国立科学博物館に展示しておくべきです。標題は言うまでもなくは「日本の恥」です

気を取り直して 成田のヴァイオリンはもちろんのこと、長谷川のチェロ、川本のヴィオラは素晴らしく、それを支える練木のピアノも冴えていました とくに第4楽章「ジプシー風ロンド」は文字通り”プレスト”の白熱の演奏で、”協演”ではなく”競演”と呼ぶのが相応しい”バトル”が展開しました 久しぶりにこの曲を聴きましたが、あらためてブラームスの魅力が詰まった名曲だと思いました

 

          

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊嶋泰嗣トリオでモーツアルト&チャイコフスキー「ピアノ三重奏曲」を聴く~浜離宮朝日ホール

2016年05月20日 07時52分01秒 | 日記

20日(金)。わが家に来てから記念すべき600日目を迎え、かしこまって挨拶をするモコタロです

 

          

              tora家に来てからもう600日も過ぎたんだって これからもよろピク!

 

  閑話休題  

 

昨日、築地の浜離宮朝日ホールで「浜離宮ランチタイムコンサート ピアノ・トリオ~珠玉の室内楽」を聴きました プログラムは①モーツアルト「ピアノ三重奏曲第7番ト長調K.564」、②チャイコフスキー「ピアノ三重奏曲イ短調”偉大な芸術家の思い出に”」です 演奏はヴァイオリン=豊嶋泰嗣、チェロ=富岡廉太郎、ピアノ=菊池洋子です

 

          

 

自席は1階最後列の一番端っこです 会場は文字通り満席 開演に当たり新日本フィルのソロ・コンマス豊嶋泰嗣氏がマイクを持って登場、挨拶します

「以前このホールで演奏した時も思ったのですが、このホールは音響が素晴らしい 今回はピアノ三重奏曲を2曲演奏しますが、ピアニストの菊池洋子さんとチェロの富岡廉太郎さんには 是非共演したいということで私が声を掛けました 共演は今回が初めてですが、今後このメンバーで演奏できたらと思っています 1曲目のモーツアルトの作品はモーツアルトが作曲した7つのピアノ三重奏曲の最後の曲です 素晴らしい音楽で、もっと演奏されても良いのではないかと思っています 一方、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲の方は、『昼間からビーフステーキ』という感じのベビーな曲です それでは最後までお楽しみいただきたい

豊嶋泰嗣氏といえば十数年前に すみだトリフォニーホールで、故・園田高弘氏と組んで演奏したベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会が忘れられません。とくに初期のソナタの軽妙洒脱な演奏は円熟の極みでした

豊嶋氏が一旦舞台袖に引き上げ、三人の演奏家が登場します。菊池洋子は鮮やかなローズ・レッドのドレスです この人は背丈がありスマートなので何を着ても映えます

この曲はここ数日、ウィリー・ボスコフスキーのヴァイオリン、ニコラウス・ヒューブナーのチェロ、リリー・クラウスのピアノによる演奏で予習しておきました

 

          

 

この曲は、豊嶋氏の解説にもあった通り、モーツアルトのピアノ三重奏曲の中では最後の曲です 1788年10月27日にウィーンで完成したということですから、モーツアルトの死の3年前の年に当たります。この年は経済的には借金生活のどん底にあった反面、6月から8月までの約1か月半の間に三大交響曲(第39番K.543、第40番K.550、第41番K.551)が作曲された”豊潤な年”でした 上記のCDの解説によると、このK.564のピアノ三重奏曲はもともとピアノ・ソナタとして構想したものにヴァイオリンとチェロのパートを付け足したらしいということです しかし、実際に聴いてみると、「ピアノ・ソナタ」から構想した曲というよりも、「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」にチェロを加えて作曲したのではないか、と思いました いずれにしても、とても三大交響曲を作曲した同じ年に作られたとは思えないほど、曲自体に複雑さがなく単純で明るい表情に溢れています 

”単純で明るい”ということでは、もともとモーツアルトの曲は、10代で作ったのか、20代で作ったのか、30代で作ったのか分からないところがあります それは、いかにモーツアルトが少年時代から円熟していたかという証左に他なりません

モーツアルト国際コンクール優勝者の菊池洋子のピアノが軽やかに歌い、豊嶋泰嗣のストラディヴァリウスが優しく奏で、東京シティ・フィル客員首席奏者・富岡廉太郎のチェロがそっと寄り添います 

豊嶋氏の言われた通り、この曲はもっと取り上げられても良い名曲だと思います

 

          

 

休憩後は、チャイコフスキー「ピアノ三重奏曲イ短調」です この曲は「偉大な芸術家の思い出に」というサブ・タイトルが付いていますが、ロシアの偉大なピアニストであるアントン・ルービンシテインの弟ニコライ・ルービンステインが45歳の若さで他界したのを偲んで作曲したものです 

ニコライはチャイコフスキーの身の回りの世話するなど何かとチャイコフスキーの力になった人ですが、チャイコフスキーが 彼に助言を求めることなくピアノ協奏曲第1番を作曲した時には、曲を酷評し、初演も拒否しています 本人に言わせれば「あれほど普段から面倒をみてやったのに、何の相談もなく作曲して、それを初演してくれと言うなどもってのほかだ」ということだったのでしょう。現代に置き換えれば、「あれほど経済援助をしてきたのに、最近はまったく言うことを聞かず、ミサイル開発に勤しんでいる北朝鮮はけしからん」という金正恩に対する中国の習近平首相の言い分と同じだったのでしょう しかし、そこはニコライは”大人の対応”で、自分の器量の狭さを認め チャイコフスキーに謝罪、この曲を積極的に演奏するようになったとのことです そんな彼が他界したのですから、チャイコフスキーの悲しみも大きかったことでしょう

この曲はピアノ三重奏曲としては珍しい2楽章形式で作曲されています 第1楽章はペッツォ・エレジアーコ(悲歌的楽曲)です。ピアノ伴奏に乗ってチェロが哀しみのテーマを奏でます。それをヴァイオリンが受け継ぎます。次に、昔ニコライとピクニックに出掛けた時に耳にした旋律と言われるテーマが演奏され、そのテーマが12種類の変奏曲として展開します ある時は楽しい思い出が、ある時は悲しい思い出が語られ、ある時は喜びの曲として、ある時は踊る様なワルツとして、最後には、慟哭の曲として演奏されます 最後は葬送行進曲が奏でられ、ピアノ独奏が静かに和音を奏で、静かに静かに曲を閉じます

三人のアンサンブルが見事で、感動的な演奏でした とくに第1楽章と第2楽章の第12変奏以降は白熱の演奏で、チャイコフスキーの慟哭が聴こえてくるようでした

再び、このトリオで別の曲を聴いてみたいと思います

 

          

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯野ビル ランチタイムコンサートで今村洋子のピアノを聴く/中川右介著「怖いクラシック」を読む

2016年05月19日 07時32分51秒 | 日記

19日(木)。わが家に来てから599日目を迎え、テーブルの下で明日のわが身を考えるモコタロです

 

          

              来週の伊勢志摩サミットが気がかりだ・・・嘘だピョーン 

 

  閑話休題  

 

昨日、内幸町の飯野ビル1階エントランスロビーで第50回ランチタイムコンサートを聴きました 出演は武蔵野音大院卒の今村洋子さんです。演奏曲目は①ショパン「エチュード変イ長調”エオリアン・ハープ”」、②同「スケルツォ第2番変ロ短調」、③同ワルツ変ニ長調”子犬のワルツ”」、④ラフマニノフ「楽興の時」より第1番変ロ短調、⑤同「同」第3番ロ短調、⑥同「同」第4番ホ短調です

 

          

 

12時5分開演なので15分前にロビーに行ってみたのですが、すでに何人もの人が椅子に腰かけていました それでも前から2列目中央の席を確保しました

時間になると主催者側の挨拶があり、「今回のランチタイム・コンサートはお陰様で50回目を迎えた もともとは旧・飯野ホールに備え付けてあった『ベーゼンドルファー』を無駄にしないようにと、新しいビルが出来た際にロビー・コンサートをやろうということで始まったものである」との説明がありました 以前 飯野ホールの支配人K氏に聞いたところ、「旧・イイノホールのベーゼンドルファーを採用した時はピアニストの深沢亮子さんにアドヴァイスをもらったが、新しいホールに新しいピアノを採用する時も深沢さんに相談し、結局新しいベーゼンドルファーを採用した」とのことでした

今回のピアニスト今村洋子さんはマリン・ブルーの鮮やかなドレスです 演奏に先立つ挨拶の中で、「ベーゼンドルファーはオーストリアのメーカーのピアノですが、ここにあるピアノは『ベーゼンドルファー・インペリアル』と言って、低音部が普通のグランドピアノよりもオクタープ広く取ってある独特のピアノです。こういう素晴らしいピアノを弾く機会を与えていただき感謝しています」と語っていました 後で実際にピアノの鍵盤を見てみましたが、最低音部の7鍵がすべて黒色になっていました

前半はショパンの曲が3曲演奏されます。最初に「エチュード変イ長調”エオリアン・ハープ”」を演奏しました この曲については今村さんから「風が吹くと自然に鳴り出すと言われるエオリアン・ハープに因んで、シューマンが名付けた曲名です」という説明がありました 音と音の繋がりがまるでハープのようです。ロビーの雑踏の中を美しい調べが響きわたります

次に「スケルツォ第2番変ロ短調」を演奏します。この曲については「ベートーヴェンは4つの楽章から成る交響曲の第3楽章に『スケルツォ』を置きましたが、ショパンはそれだけを抜き出して単独の曲として作曲しました」という解説がありました 冒頭の叩きつけるような和音は、ベートーヴェン時代の「おどけた」とか「諧謔的な」といった意味の『スケルツォ』とはまったく性格が異なります 今村さんのメリハリの効いた演奏はロビーを行きかう人々の足を止めていました

次に「ワルツ変ニ長調”子犬のワルツ”」を演奏します 「子犬が自分のしっぽをくるくると追いかけ回す様子をみて、後の人が名付けたものです」という解説がありました

後半はラフマニノフの「楽興の時」から3曲が演奏されます。最初は「第1番変ロ短調」です 「『楽興の時』はシューベルトが作っていますが、彼の曲は楽しい曲想なのに対して、ラフマニノフのそれは ほの暗い感じの曲です。彼がこの曲を作曲した時は経済的に苦しい時代でした」という解説がありました。ゆったりしたメロディーが奏でられます。次の「第3番ロ短調」もゆったりした曲想で低音部に乗って高音部が静かに歌います 一転「第4番ホ短調」では速いパッセージで駆け抜けます

今村さんはピアノの演奏も良かったのですが、曲目の解説も非常に分かり易く好感が持てました 人前で弾く機会も多いのでしょう。ある程度”場慣れ”しているようにお見受けしました

こうした無料のコンサートは企業メセナ(社会的貢献)として高く評価すべきものです 飯野海運とイイノホールには これからもずっと続けてほしいと思います

 

   も一度、閑話休題  

 

中川右介著「怖いクラシック」(NHK出版新書)を読み終わりました 著者の中川右介氏は1960年生まれ、早稲田大学第二文学部卒。出版社アルファベータ代表取締役編集長として音楽家や文学者の評伝などを編集・発行してきました

 

          

 

この本の主眼は、「クラシック音楽は今や『癒しの音楽』と喧伝されるようになっているが、その王道は『怖い音楽』なのだ 父、死、孤独、戦争、国家権力・・・名だたる大音楽家たちは、これらの『恐怖』と格闘し、稀代の名曲を作り上げて来た。そこで、モーツアルトからショスタコーヴィチに至るまで『恐怖』をキーワードに西洋音楽の歴史を辿ることとする」というものです

著者は「はじめに」の中で、この本のタイトルについて、

「本書の署名を見て、中野京子氏のベストセラーシリーズ『怖い絵』を思い出す方も多いだろう。もちろん、この本は、中野氏の一連の本からヒントを得ての企画である」

と、正直に告白しています さらに、

「『音を楽しむ』と書いて『音楽』という。もっともこれは日本語(もとは中国語)だからこそで、英語やドイツ語の「music」や「Musik」に、『音』とか『楽しむ』という意味はない 一語で『音楽』という意味の言葉になる」としてわれわれ一般人の先入観を排除しています

著者は8つの恐怖を取り上げ、それぞれに該当する作曲家と作品を紹介しています。すべてをご紹介するわけにもいかないのでいくつか選んでみます

第1の恐怖「父」 モーツアルトによる『心地よくない音楽』の誕生

著者はここで、ピーター・シェーファーの映画「アマデウス」におけるオペラ「ドン・ジョバンニ」第2幕のクライマックスで宴会に騎士長の亡霊が出てくるシーンを例に解説します

「モーツアルトは指揮しながら、恐怖に慄いている。それを見たサリエリは、騎士長の亡霊は、モーツアルトが怖がっていた父親のメタファーだと気付く ドン・ジョバンニは『地震、雷、火事、親父』のひとつ、『父親は怖い』という音楽なのだろうか」

モーツアルトが一晩で書いたという「ドン・ジョバンニ」の序曲の冒頭の和音を聴くと、確かに「怖い」と感じます 何かとんでもない悲劇が起こる前兆のような恐怖の音楽です しかし、このオペラは悲劇ではなく喜劇(ドラマ・ジョコーソ)です。そこが一筋縄ではいかないモーツアルトのモーツアルトたる所以でしょう

第2の恐怖「自然」 ベートーヴェンによる「風景の発見」

ここでは、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の第4楽章「雷雨、嵐」を取り上げています。著者は次のように語っています

「やがて市民階級のための演奏会が登場する。その最初期も心地よい音楽が演奏されていたが、ベートーヴェンの登場により、『重苦しいもの、激しいものが、至高の芸術である』ということになる その過渡期に生まれたのが、『田園交響曲』と『第5番』だった

この本は、単にどんな作品が「怖い音楽」なのかを解説するにとどまらず、上記のように、その作品の歴史的な位置づけなども併せて解説しているので、興味が拡大し勉強になります

第3の恐怖「狂気」 ベルリオーズが挑んだ「内面の音楽化」

著者はここでベルリオーズの「幻想交響曲」の第4楽章「断頭台への行進」について語ります。最初にベルリオーズ自身の書いた曲の解説を引用します

「彼は夢の中で恋人を殺してしまう。死刑を宣告され、刑場にひかれていく。その行進は、時に憂鬱で荒々しく、時にきらびやかに、とくには厳粛に、そして間断なく重い足音を伴って進んでいく 最後に一瞬、固定楽想が閃く。それは最後の愛の思いのように斧の落下によって遮られる

そして次のように解説します

「1789年に始まったフランス革命では国王ルイ16世とその王妃マリー・アントワネットをはじめ、多くの者が断頭台で処刑された その大革命から40年近くが過ぎた1830年、『断頭台』は芸術あるいは娯楽としての音楽になった

著者は、「断頭台への行進」の後に来る第5楽章「サバトの夜の夢」も相当”怖い音楽”だとしていますが、聴く限り、グロテスクな音楽で本当に怖いと思います

この本では以下、第4の恐怖「死」としてショパンの葬送行進曲を、第5の恐怖「神」としてヴェルディのレクイエムを、第6の恐怖「孤独」としてラフマニノフとマーラーの音楽を、第7の恐怖「戦争」としてヴォーン・ウィリアムズの音楽を、第8の恐怖「国家権力」としてショスタコーヴィチの音楽をそれぞれ取り上げています

音楽の歴史を「恐怖」という独特の視点から語った非常に興味深い本です クラシック音楽にかなり詳しい人にも、入門者にも自信を持ってお薦めします

【追伸】

この本にミスプリを見つけました。123ページの後ろから6行目です

「ショパンがパリで暮らし始めたのは1830年の七月革命の1年後だったが、亡くなったのは1948年の2月革命の1年後だ」

言うまでもなく、亡くなったのは”1848年”の2月革命の1年後の1849年です ”いや~よく”見つけたね、と言われるか、な

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベルリンフィル・スペシャル・アンサンブルでベートーヴェン「七重奏曲」他を聴く~ヤマハホール

2016年05月18日 07時27分20秒 | 日記

18日(水)。わが家に来てから598日目を迎え、ゴジラと対戦しようとしているモコタロです

 

          

            ぼく対ゴジラだって? 紙には負けないよ! 神には負けるけど

 

  閑話休題  

 

昨夕、銀座のヤマハホールで「ベルリン・フィル  スペシャル・アンサンブル~ベルリン・フィルのトップ奏者たちが贈る至高の室内楽」公演を聴きました プログラムは①モーツアルト「ピアノ四重奏曲第2番変ホ長調K。493」、②ブラームス「クラリネット三重奏曲イ短調」、③ベートーヴェン「七重奏曲変ホ長調」です 出演は、ヴァイオリン=ルイス・フィリペ・コエーリョ、ヴィオラ=清水直子、チェロ=ルートヴィヒ・クヴァント、コントラバス=マシュー・マクドナルド、クラリネット=ヴェンツェル・フックス、ファゴット=シュテファン・シュヴァイゲルト、ホルン=シュテファン・ドール、ピアノ=オズガ-・アイディンです

 

          

 

ヤマハホールは2月21日の三浦友理枝ピアノ・リサイタル以来です。自席は1階J列6番、センターブロック左通路側。333席の会場はほぼ満席です ステージ中央にはヤマハのグランドピアノがデンと構えています。ここはヤマハの本拠地。スタインウェイやベーゼンドルファーを置く訳にはいかないでしょう

ヴァイオリンのコエーリョ(ブラジル出身のイケメン)、ヴィオラの清水直子(首席。日本人形のような端正な顔立ち)、チェロのクヴァント(第1ソロ。ウルム生まれのナイス・ミドル)、ピアノのアイディン(アファナシエフに似た頭の持ち主)が登場し配置に着きます

さっそく1曲目のモーツアルト「ピアノ四重奏曲第2番変ホ長調K.493」の演奏に入ります モーツアルトはそれまでのピアノ三重奏曲にヴィオラを追加してピアノ四重奏曲というジャンルを開拓しました ただし、2曲しか作曲していません。これは需要と供給の関係と、モーツアルトが時代を先取りし過ぎたせいかも知れません

第1楽章冒頭の音楽が奏でられた瞬間からモーツアルトの世界一色です 「これが天下のベルリン・フィルを支えている弦楽セクションの音か」と感動を覚えます。とくに第1ヴァイオリンのコエーリョの演奏が素晴らしい もちろん、ピアノを交えた4人のアンサンブルが完璧で、最高レベルの演奏でモーツアルトが聴ける幸せを感じます 

2曲目はブラームスの「クラリネット三重奏曲イ短調」です 晩年のブラームスは作曲意欲があまりなかったのですが、クラリネットの名手リヒャルト・ミュールフェルトと出逢い、彼の演奏能力に触発されて4つのクラリネットの曲を作曲しました。この三重奏曲と2つのクラリネット・ソナタとクラリネット五重奏曲です

クラリネットのフックス(首席)、チェロのクヴァント、ピアノのアイディンが登場します フックスは東京藝大のコンサートで何度か聴いたことがあります

第1楽章が始まります。冒頭からブラームスの”ほの暗い情熱”とでもいうべき曲想が展開します はっきり言って”渋い”です フックスのクラリネットが素晴らしいのはもちろんですが、この曲ではチェロのクヴァントの力演が光ります ピアノのアイディンを含めて、ブラームスの室内楽は ある程度年齢を重ねないと その真髄が表現できないのではないかということを教えてくれます

 

          

 

休憩後は、ベートーヴェンの「七重奏曲変ホ長調」です 7人の奏者が登場し 配置に着きます。向かって左からヴァイオリンのコエーリョ、ヴォラの清水直子、チェロのクヴァント、コントラバスのマクドナルド(首席)、ホルンのシュテファン・ドール(首席)、ファゴットのシュテファン・シュヴァイゲルト(首席)、クラリネットのフックスという並びです

私はこの曲が大好きです 第1楽章では、アダージョからアレグロに急展開するところ。あれは快感です 第2楽章アダージョ・カンタービレでは弦楽器群と管楽器群との対話が素晴らしい 楽器配置からいうと、コントラバスが弦楽器3人と管楽器3人のちょうど中間にいて、まるで相撲の行司のようです コントラバスの形が大きな軍配に見え、弦楽器群と管楽器群のやり取りを行司しているように見えます

第3楽章のテンポ・デ・メヌエットは有名なメロディーですね 第4楽章は変奏曲です。清水直子さんの活躍が際立ちます 第5楽章のスケルツォではシュテファン・ドールのホルンが大活躍します 第6楽章はフィナーレです。第1楽章と同じように最初ゆったりした憂鬱そうな音楽が流れ、途中から楽しいプレストに急転換します。これもたまらないですね ベートーヴェンは、小学校の音楽教室に掲げられた肖像画に象徴されるように、かなり気難しい顔付きをしているので、小難しい曲ばかり作っていたように誤解されていますが、実はこの「七重奏曲」のような明るく楽しい曲も作っているのです。私はむしろ、こういう”軽い”曲の方が好きです

聴き終わって思うのは、「超一流の演奏というのはこういう演奏のことを言うんだろうな」ということ。個々人の演奏能力がハイレベルで アンサンブルにも長けている人たちの集まりによる演奏です

カーテンコールでは、ドールやフックスが清水直子に「ここは君のホームグラウンドなんだから、端っこにいないで真ん中に行きなさい」とばかりに彼女を舞台中央に押し出します 鳴りやまない拍手に7人は、「七重奏曲」の第5楽章「スケルツォ」を全部演奏するかと思いきや、冒頭の数小節だけ演奏して切り上げ、拍手と笑いを同時に受けていました 省エネも超一流です

モーツアルト、ブラームス、ベートーヴェンという大好きな作曲家の大好きな曲を聴けて最高に幸せな気分です 

気分を良くして家に帰ってきたら、ショルダーバッグのポケットに差し込んでおいた「コンサート・プログラム」が見当たりません どこかで落としてきたようです あのプログラムには沢山の書き込みがあり、それを基にこのブログを書くつもりでいたのです。したがって、記憶を頼りにブログを書かざるを得なくなりました。情報不足が否めません。お代官様、お許し下せえ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ゴジラ VS モスラ」を観る~神保町シアター/近藤憲一著「指揮者の世界」を読む

2016年05月17日 07時27分49秒 | 日記

17日(火)。昨夜9時半過ぎに茨城県を震源とする地震(最大震度5)が起きたとき、ソファーの上でオヤツを食べていたモコタロが慌ててソファーから飛び降りてどこかに隠れてしまいました 逃げること脱兎の如し ということで、わが家に来てから597日目を迎え、2匹の閣僚を控えて来週の伊勢志摩サミットにどう挑むか決意を表明するモコタロです

 

          

            世界を取り巻く諸問題を 伊勢ーよく 志摩つするぜ!

 

  閑話休題  

 

昨日の夕食は「豚しゃぶ」と「生野菜サラダ」です 超簡単手抜き料理です

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、神保町シアターで「ゴジラ VS モスラ」を観ました 神保町シアターでは5月7日から6月17日までゴジラの映画29作品を一挙上映中です 1日4本の上映で各回完全入替制です。シアターの壁一面には全上映作品のポスター縮刷版が掲示されています。これだけまとまっていると壮観です

 

          

 

昨日観たのは1992年制作、大河原孝夫監督による102分カラー「ゴジラ vs モスラ」です 出演者は、別所哲也、小林聡美、村田雄浩、田中好子、宝田明ほかです。怪獣の出演はゴジラ、モスラのほかにバトラがいます

 

          

 

何故私がこの映画を観ようと思ったかというと、モスラとバトラが協力してゴジラをやっつけるというストーリーはどうでも良く、音楽を聴きたかったからです 「ゴジラ」と言えば伊福部昭です。伊福部昭といえば、日本作曲界の大御所で、芥川也寸志らを育てたことでも知られています 第1作目のゴジラから音楽監督を担っていますが、初めて映画館で観たゴジラの音楽は幼少だった私にはとても怖かったのを覚えています 一番印象に残っているのは中学生の時に観た1964年制作の「モスラ対ゴジラ」です ザ・ピーナッツが「モスラ~や、モスラ~」の歌を歌っていました。学校でこの歌が流行りました ばかな悪ガキは「漏らす~や、漏らす~」と替え歌を歌って顰蹙をかっていました この映画は今回6月4日から1週間上映されます。是非観たいと思います

 

          

 

入場料は1,200円で、整理番号制です。当日早めに行ってチケットを買っておくことをお薦めします

 

          

 

  最後の、閑話休題  

 

近藤憲一著「指揮者の世界」(ヤマハミュージックメディア)を読み終わりました 著者の近藤憲一氏は1946年東京生まれ。中央大学法学部中退。1971年から84年まで音楽之友社で「レコード芸術」と「音楽の友」の編集記者を務めた後、フリーの編集者・執筆者になったとのことです

この本は まさに指揮者についての入門書です。第1章では「指揮って何?」「指揮者って何者?」という基礎知識を解説しています 付録として名指揮者20のエピソードが付いています。第2章では指揮者の井上道義氏が「僕が指揮者になって、今も続けている理由」を述べ、第3章では若手指揮者の下野竜也氏が「大指揮者になるまでの長い道のり」を語っています 第4章では東京都交響楽団のコンマス矢部達哉氏が「指揮者は、オーケストラを超えていたら勝ち」という結論の理由を述べています 第5章ではオーケストラ・マネジャーという舞台裏の仕事人について紹介し、ある音楽記者から見た小澤征爾のサクセスストーリーを紹介しています 最後に「世界の名指揮者50」として著者が独断と偏見で勝手に選んだ指揮者50人について、お薦めCD付きで解説しています

 

          

 

この本で面白いと思ったのは、やはり現役の演奏家の生の声です 例えば、下野竜也氏は指揮に関するインタビューで次のように語っています

「音楽雑誌の評に『自分はそういう風に思ってないけどな』みたいなことを書かれるわけです 『いいかな』と思った演奏がボロクソに書かれて、『ウーン、ちょっとね』と思うのが良く書かれたりもするんです 音を出している人たち、演奏家が『ウォーッ!』ってなるのはいいと思うんですが、リヒャルト・シュトラウスが言ったように、指揮者は『お前が汗かくな』って感じですね」

これは分かるような気がします。指揮者が指揮台で踊っていてもオケが乗らない、「笛吹けども踊らず」っていうヤツです でもオケはプロですから給料分の音は出ている訳です

都響の矢部達哉氏は指揮者とオケの関係について、

「指揮者とオーケストラが仲良しな友だちみたいだと、やはり奇跡的な名演は生まれにくい?」

と訊かれ、

「生まれにくいと思います。結果的には、練習の時に僕が指揮者に怒鳴られて、嫌な気持ちはしたけど、その演奏会を思い出すと幸せなんです その指揮者をものすごく尊敬するし、尊敬の気持ちって一生消えない。仲良く和気あいあいとやった場合に、芸術的な深みのある演奏をした記憶がないんです。残念ながら

と答えています。また、「理想的な指揮者とはどのようなタイプの人ですか?」という質問に対し、

「優秀なオーケストラになればなるほど、どのパートも表現したいことがあって、こういう風に弾きたい、吹きたい、叩きたいという人の集まりです それをオーケストラとしての規律の中で、我々はこういう風にやるよねっていう暗黙の了解があって、それを踏まえて新しい指揮者に臨むわけです なのに、そういうこととまったく関係なく、自分で全部決めて、あなたたちはこうだ、ここを見てやってくれとか言って、自分のエゴだけを通す人がいます。そういう人は絶対に嫌です エゴが強いというのは悪いことじゃないんだけど、それでもオーケストラから触発されるものがないと絶対だめだと思うし、そのオーケストラの潜在能力を引き出すということをするためには、指揮者はまずどういうオーケストラなのかを、見抜かなければいけない。それもすごく短い時間で それを全然見抜かないで、自分はこういうふうに勉強してきた、いつもこういうふうにやっているってことだけを押し付けるんだったら、『さよなら、我々にはもう用はありませんから』って感じ。理想的なのは、みんなが自分のやりたいことを思う存分できる、でも終わってみたら、完全にこの人の音楽になっていたなっていう懐の深さ、あるいは指揮者としての包容力 オーケストラ全員のやりたいことを受け止めた上でひとつにまとめて、最終的には、あの指揮者のいつもの音楽になっていたよねって・・・。何人かの指揮者で経験したことがあります

と答えています 私はオケで演奏したことがないので、よくは分かりませんが、多分そういうことなんでしょうね

矢部達哉氏の話でもう一つ印象に残っているエピソードがあります。それはオペラの演奏に不慣れな矢部氏がコンマスとしてブリテンの歌劇「ピーターグライムス」を演奏した時に、途中でスコアを見ても分からなくなってしまった。その時、後ろ姿の小澤征爾氏に、口には出さずに「助けてください」って神頼みをやったら、「ピッと手が来た」そうです。矢部氏は書きます

「小澤さんは、楽員が助けてっていうのに全部気づく指揮者。そういう能力があったからあそこまで行ったんだって思っています

今でこそ、全盛期は過ぎたとはいえ、世界のトップ、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の音楽監督にまで上り詰めたのですから、並みの能力ではないでしょう

この本は、「音楽監督」「常任指揮者」「名誉指揮者」「客員指揮者」「正指揮者」など、指揮者の称号の違いについて解説するなど、分かっているつもりで実は分かっていない事柄についても分かり易く解説しています。クラシック音楽”指揮者”入門書としてお薦めします

 

本日、toraブログの登録読者数が850人を突破しました。いつもご購読ありがとうございます

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京藝大「今日は一日、サティの日」を堪能する~エリック・サティ生誕150年を迎えて

2016年05月16日 07時22分24秒 | 日記

16日(月)。わが家に来てから596日目を迎え、ミニ・ウサちゃんの毛づくろいをしてあげているモコタロです

 

          

             毛づくろいはいいけど 君 顔以外はどこのにあるの?

 

  閑話休題  

 

9月13日(火)午後7時からサントリーホールで開かれる「ストラディヴァリウス コンサート2016」のチケットを サントリーホール・メンバーズ・クラブの先行予約で買いました このコンサートは「車椅子利用者の音楽鑑賞を支援するためのチャリティ・コンサート」という位置づけにあり、ストラディヴァリウス13挺により演奏されます

プログラムはテレマン、ポッパー、ドヴォルザーク、ショスタコーヴィチ、ピアソラ、ヘンデルなどの小品と、ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第13番」から「カヴァティーナ」、メンデルスゾーン「弦楽八重奏曲」です 個人的にはメンデルスゾーンの「弦楽八重奏曲」を8本のストラディヴァリウスで聴くことが最大の目的です 

出演は、ヴァイオリン=諏訪内晶子、アラベラ・美歩・シュタインバッハー、セルゲイ・ハチャトゥリアン、スヴェトリン・ルセフ、有希・マヌエラ・ヤンケ、レイ・チェン、ライナー・シュミット、ヴェルニカ・エーベルレ、ヴィオラ=ヴェロニカ・ハーゲン、チェロ=石坂団十郎、パブロ・フェランデス、クレメンス・ハーゲン、ピアノ=江口玲です

 

          

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、上野の東京藝大で「サティとその時代~世紀末からベル・エポックへ」の第1回「今日は一日、サティの日」を堪能しました これは東京藝大が、エリック・サティ150回目の誕生日の2日前の5月15日に企画したレクチャー&コンサートシリーズの第1回目です

 

          

 

この日のスケジュールは下のプログラムのようになっています

 

          

 

まず最初に第1ホールに行き、12時半から上映される「映像で見るサティ」を観ました まず最初に無名時代のルネ・クレール監督、エリック・サティ音楽による映画「幕間」(モノクロ・20分)を観ました これはサティの最後の作品、バレエ「本日休演」の第1幕と第2幕の幕間に上映された映画です。画面の背景にはサティがこの映画のために作曲した「シネマ」という音楽が流れますが、この映画には終始一貫したストーリーがないので、音楽は今で言うBGM(サティでいう”家具の音楽”)です この映画の歴史的価値ということでは、サティ自身が出演していることです 冒頭、ビルの屋上で大砲を撃つシーンに出てきます。まさにメガネに顎鬚のあの顔です

2本目の「スポーツと気晴らし」(19分)は、当時人気のあったイラストレーター、シャルル・マルタンが描いた20枚の風俗画に、サティが短いスケッチ風の曲を作曲、それに序として「食欲をそそらないコラール」を加えた全21曲の曲集を絵と映像で表したものです 最初に挿絵が現れ、次に楽譜が写され、ピアノ音楽(高橋アキによる録音)が流れると同時に洒脱なナレーションが入ります 会場の片隅に、挿絵と楽譜のコピーが展示されていましたが、とくに楽譜は目で見て美しいと思いました

 

          

          

 

次に第6ホールに移動して、2時50分から始まるサティの朗読劇「メドゥーサの罠」を観ました 限定200人ということでしたが、それ以上の聴衆が押し寄せたのでしょう。臨時の椅子が出され、立見席までありました。主催者には想定外だったようです

 

           

          

 

「メデューサの罠」は1913年、サティが台本を書き 作曲した1幕9場の音楽劇です。ストーリーは、メデューズ男爵の娘フリゼットに結婚を申し込む青年アストルフォに男爵が罠を仕掛けるのと、男爵の召使いと男爵の主従がいつの間にか逆転してしまうようなおかしな関係が絡んで展開します

能役者の清水寛二氏がメデューズ男爵に扮し、彼を中心に青年、娘、召使いとのやり取りが展開するわけですが、セリフを覚えるのが大変と見えて、すべてが板に書かれたセリフを読む形で進みます こういうのを「板書きを読む」というのでしょうか 見慣れてくると、演技が「板についている」ように思えてきます 登場人物同士のやり取りの間に、サティの作曲したごく短い音楽が奏でられますが、演奏は矢崎彦太郎指揮東京藝大の学生有志です 面白いことは面白かったのですが、ストーリー展開が少し分かりずらかったと思います

次に奏楽堂に移動してサティの交響的ドラマ「ソクラテス」を観ました

 

          

 

最初に矢崎彦太郎指揮東京藝大学生有志オケによって、サティの「3つの小さなピエスモンテ」が演奏されます 次に藝大3年生の梨本卓幹のピアノ独奏でジョン・ケージの「チープ・イミテーション1」が演奏されました 意外にもケージはサティを高く評価していたそうで、サティの「ソクラテス」の第1部を2台ピアノのために編曲したとのことです 演奏を聴く限り、これが果たしてジョン・ケージによる作品なのかと疑問を抱くほど、単純で簡単そうな曲想でした

 

          

 

ピアニストが舞台袖に引き上げると同時に、反対側から女性6名のバレエ・メンバーが登場し、交響的ドラマ「ソクラテス」の幕開けを告げました この曲は、ギリシャの哲学者 プラトンの「対話篇」のフランス語訳をテキストに、声楽を伴う3部から成る交響的ドラマとして作曲されました 登場人物はソクラテスと、アルキビアデス、パイドロス、パイドンの3人の弟子たちで、すべて男性です。しかし、そこは皮肉屋サティです あえて女声4人で固めます

第1部「ソクラテスの肖像」は、アルキビアデスがソクラテスを称えるという内容です 歌うのは藝大卒で、パリ国立高等音楽院にも籍を置いたメゾソプラノの小林真理です。第2部「イリソスの岸辺にて」では、ソクラテスとパイドロスがイリソス河のほとりを散策しながら交わす会話を、工藤あかね(ソクラテス)と薬師寺典子(パイドロス)が歌います 第3部「ソクラテスの死」はソクラテスが処刑される最後の一日をパイドンが語るというものですが、野々下由香里が長大な歌を歌います

野々下由香里は10年ほど前にバッハ・コレギウム・ジャパンで看板歌手として活躍していたソプラノです 本当に久しぶりに彼女の声を聴きましたが、透明で美しい声は少しも失われていませんでした 最近あまり見かけないと思ってプロフィールを見たら、東京藝大の古楽科教授を務めていらっしゃいました

音楽に合わせて、バックで舞踏を務めていたのは洗足学園音楽大学のバレエコースの学生の皆さんとのことです。振付を担当した市瀬陽子さんが藝大出身で、現在洗足学園で講師を務めている関係で招いたのでしょう

昨日は、正午から午後5時まで5時間、東京藝大で「サティ三昧」の楽しい午後を過ごしたことになります。すべて無料なのが有難かったです

 

          

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バッティストー二+東京フィルでレスピーギ「ローマの松」他を聴く/フォーレ四重奏団のチケットを買う

2016年05月15日 07時53分46秒 | 日記

15日(日)。わが家に来てから595日目を迎え、男子体操日本代表並みの1本足倒立に挑む果敢なモコタロです

 

          

            前足一本だけで立つって・・・出来るわけないじゃん!

 

  閑話休題  

 

昨日、フォーレ四重奏団のチケットをトッパンホールの会員先行発売で発注しました。10月1日(土)午後6時から同ホールで開かれるコンサートです プログラムは①モーツアルト「ピアノ四重奏曲第2番変ホ長調K.493」、②細川俊夫「レテ(忘却)の水~ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ピアノのための~フォーレ四重奏団に捧げる」(日本初演)、③ブラームス「ピアノ四重奏曲第2番イ長調」です

フォーレ四重奏団は弦楽3人とピアノによる四重奏団です。数年前に初めてこの四重奏団の演奏を聴いた時に、アンコールで演奏したのがメンデルスゾーンの「ピアノ四重奏曲第2番」の第4楽章「アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ」でした これにヤラレました あの時の演奏がキッカケになってメンデルスゾーンが好きになったと言っても過言ではありません

その後、2014年12月にも来日コンサートがあったのですが、残念ながら「HJリム ピアノ・リサイタル」と重なり 聴き逃してしまい、次の機会を待っていたのです 待望の来日公演です

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、文京シビックホールで、「響きの森 クラシック・シリーズ」公演を聴きました 2016年度第1回目のプログラムは①ロッシーニ「歌劇”セミラーミデ”序曲」、②メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」、③プッチーニ「交響的奇想曲」、④レスピーギ「交響詩”ローマの松”」です 演奏は、②のヴァイオリン独奏=成田達輝、指揮はこのシリーズ初登場のアンドレア・バッティストー二、管弦楽は東京フィルです

 

          

 

バッチストー二は1987年、イタリアのヴェローナ生まれといいますから現在弱冠29歳です 2013年1月からジェノヴァ・カルロ・フェリーチェ歌劇場の首席客員指揮者を務め、また2015年からは東京フィルの首席客員指揮者も務めています 

東京フィルのメンバーが入場し配置に着きます。コンマスは若き依田真宣です。舞台左袖から指揮者バッチストー二が登場します。一瞬「あれっ?」と思いました 「太ったんじゃないか」と。バッチストー二の指揮姿は、数年前に二期会が上演したヴェルディ「ナブッコ」で観たことがありますが、精悍な顔つきでスリムなスタイルというイメージがありました それに比べて、ステージに現れた彼は極めてガッチリした身体つきに変貌しているように見えました しかし、冷静に考えると、数年前に彼の指揮姿を見たときは、オペラの指揮だったので、彼はオーケストラ・ピットに入っており、かろうじて彼の頭と両手が見えていたにすぎません。私が勝手なイメージを作って記憶していたのだと思い直しました

1曲目は、ロッシーニの歌劇「セミラーミデ」序曲です これはヴォルテール原作による古代バビロニアの女王セミラーミデの野望と滅亡を描いたオペラ・セリアですが、現在では序曲のみが演奏されているのが実態です

喜劇ではないので、序曲でもドラマティックです 15分もかからない短い曲ですが、ロッシーニの音楽の特徴”ロッシーニ・クレッシェンド”の魅力に溢れた曲想で、まるでオペラそのものを聴いているような印象があります

2曲目はソリストに成田達輝を迎えて、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」です 屈指の名曲ですが、大きな特徴は全3楽章が切れ目なく演奏されることと、通常は第1楽章の最後に置かれ、内容も演奏者に任されていたカデンツァが、中間部に前倒しされ、すべて楽譜に書かれた点です

ステージ上にはソリストの周囲を中心に何本ものマイクが立てられています。収録して何かの番組で放送するのでしょうか

成田のヴァイオリンは美しく遠くまで響きます。プログラムのプロフィールによると、彼はロン=ティボー国際コンクールとエリザベート国際コンクールでそれぞれ第2位に入賞していますが、ストラディヴァリウス1711年製とガルネリ・デル・ジュス1738年製を貸与されているとのことです 1人の演奏者に別のスポンサーから2挺の名器を貸与されているということは、相当期待されているということでしょうか

成田の演奏は、とくに第1楽章のカデンツァが見事でした ところで、バッティストー二の指揮姿を見ていて思ったのは、まるで馬に乗って手綱を操っているようだ、ということです その意味では、普通、指揮ぶりが素晴らしいことを「タクトさばきが見事」という言い方をしますが、彼の場合は「手綱さばきが見事」という言い方の方がピッタリするように思いました もちろん、バッティストー二は馬ッティストー似ではなく、東京フィルは馬力はありますが、馬ではありません それでも、思わず「手綱さばき」という言葉が出てきてしまいます

さて、何度かのカーテンコールの後、譜面台がステージ中央に運ばれたので、「おやっ?」と思ったのですが、成田は口頭でアンコール曲目を聴衆に伝え(例によって、早口で聞き取れなかった)、無伴奏の曲を演奏しました 後でロビーの掲示で確かめたところ ジョリヴェ作曲「ヴァイオリンのための呪文」という曲であることが分かりました ヴィオラやチェロの高音部のような音で、まさに「呪文」を唱えるような不思議な曲でした

 

          

 

休憩後の最初はプッチーニの「交響的奇想曲」です この曲は1883年にミラノ音楽院の卒業制作として書かれたものですが、演奏を聴いていると、13年後に初演された歌劇「ラ・ボエーム」の冒頭のテーマが突然現れ、ビックリします タイトルは「交響的~」となっていますが、むしろ「歌劇的~」と名付けた方が相応しいのではないかと思うくらい終始オペラティックです

さて、最後はバッチストー二が得意とするレスピーギの交響詩「ローマの松」です この曲は先日、ラ・フォル・ジュルネ音楽祭で桐朋学園オケでプロ顔負けの演奏を聴いたばかりですが、プロの演奏はどこが違うのか、というのが興味の的です 

管楽器が増員され、第1部「ボルゲーゼ荘の松」の演奏に入ります。この冒頭は 色彩感が豊かで、まさに太陽の光輝くイタリアの空を感じさせます 管弦楽がキラキラ輝いています 第2部「カタコンブ付近の松」は一転、厳かな雰囲気の曲想です。第3部「ジャ二コロの松」では、ピアノ・ソロに続いて、クラリネットが弱音で感傷的なフレーズを奏でますが、抑制の効いたクラリネットの演奏が実に見事でした そして、最後の第4部「アッピア街道の松」に入ります。ステージ左右のせり出し部分の左サイドにトランペット2本、右サイドにトランペット2本とトロンボーン2本がスタンバイします

いつ聴いても、この「アッピア街道の松」は圧巻ですね オーケストラの管楽器、弦楽器、打楽器が総動員でオーケストラの表現力を最大限に発揮して壮大なフィナーレを築き上げます

カーテンコールが5回あったでしょうか。バッティストー二は会場いっぱいの拍手とブラボーに応えていました スカッとする良い演奏でした

 

          

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萩谷由喜子著「クラシックの作曲家たち」を読む~名曲の裏に女性あり!

2016年05月14日 08時15分43秒 | 日記

14日(土)。昨日は珍しくコンサートや映画の予定がなかったので、家で音楽を聴きながら新聞を読んだり本を読んだりしてゆっくり過ごしました たまには身体を休めないと持ちません 

ということで、わが家に来てから594日目を迎え、怖いものなしの大物を演じているモコタロです

 

          

           モコタロ 怖いおじさんの顔を踏んづけているぞ!

 

          

            えっ うっそー どこどこ? ぼく信じらんない!

 

          

           怖いおじさんって どこよ? ボクさー 分かんないよ

 

  閑話休題  

 

昨日、夕食に「鶏肉のソテー」と「生野菜と海藻のサラダ」を作りました 「鶏肉のソテー」は、もも肉ですが、皮パリパリ、中ジューシーに仕上がりました

 

          

 

    も一度、閑話休題  

 

萩谷由喜子著「クラシックの作曲家たち」(ヤマハミュージックメディア。950円)を読み終わりました 萩谷さんは音楽評論家で、月刊誌『音楽の友』や『モーストリー・クラシック』の演奏会評レギュラー執筆者とのことです 私はそれらの雑誌の読者ではありませんが、コンサートのプログラムの解説者としてよく見かける名前です 

この本は、帯にある通り「モーツアルトやベートーヴェンら超有名人から、伝記の入手しにくいビゼー、フランク、スクリャービンまで、作曲家50人の評伝が1冊で読める」という、クラシック音楽入門書です 1人の作曲家に対して5~6ページを割いてコンパクトにまとめています

 

          

 

この本が、他の「作曲家に関する解説書」と大きく異なる特徴について、著者は「あとがき」で次のように書いています

「もっとも心がけたのは、彼らの人生に影響をもたらした女性に言及することです。恋愛のみが創作の原動力でないことはいうまでもありませんが、異性との愛情の交歓あるいは葛藤の反映された音楽作品が古来数多く生まれているのもまた事実だからです

著者の言われる通り、バッハにおけるアンナとマリア、モーツアルトにおけるコンスタンツェ、ベートーヴェンにおけるテレーゼ、ブラームスにおけるクララのように多くの人が知っている作曲家のケースに限らず、歴史上の作曲家がいかに女性に振り回され、あるいは救われながら作曲活動に取り組んでいたかが書かれています 「名曲の裏には女性あり」と言うことでしょうか

この本を読んで初めて知ったことの一つにフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの苦難の生涯があります 言うまでもなく、彼は「交響曲の父」と呼ばれるように古典音楽の基礎を築いた偉大な作曲家ですが、悪妻に悩まされていたようです 萩谷さんは書きます

「彼は、わき目もふらず仕事一筋に歩んできた。というのも、彼には安らぎを与えてくれる家庭というものがなかったからだ 彼にも人並みに妻はいた。ところが3歳年上の妻マリアたるや、彼が苦心して書き上げた譜面をケーキの焼き型の敷き紙に使うかと思えば、女性歌手にレッスンしていると突然顔を出して厭味を投げつけ、彼の収入も考えずに高価な宝石を買いまくるといった具合の、とんでもない悪妻だったのである

幸か不幸か、悪妻マリアはハイドンよりも早く他界したそうですが、ハイドンには誰とも再婚する意志がなかったそうです。懲りたのでしょうね、一度で

また、例えばカルル・マリア・フォン・ウェーバーの項を読むと、

「彼の父フランツはもともと山っ気のある人物で、兄の娘のコンスタンツェが かのモーツアルトの妻になったことに刺激され、わが子も何とか神童に育て上げようと、年の離れたカルルの兄たちには幼いときからみっちりと音楽を仕込んだ

と書かれており、モーツアルト家とウェーバー家が親戚関係にあったことがクラシック入門者に分かるようになっています

1人の作曲家が5~6ページにまとめられているので、最初から通して読んでも良いし、事典を引くように利用することもできます お薦めの読み方は、一度全体を通して読んで、あとで必要に応じて事典的に利用する方法です

     

本日、当toraブログのトータル I P (総訪問者数)が延べ60万人を突破いたしました これもひとえに日ごろからご覧いただいている読者の皆さまのお陰と感謝いたします これからも休むことなく毎日書き続けて参りますので、今後ともよろしくお願い申し上げます コメントも気軽にお寄せくださいね

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現田茂夫+谷口若菜でプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第2番」を聴く~藝大モーニング・コンサート

2016年05月13日 07時23分18秒 | 日記

13日(金)。昨日、後述するように、上野の東京藝大奏楽堂にコンサートを聴きに行ったのですが、午前10時半ごろ上野公演の噴水広場を横切って藝大方面に向かう途中、もの凄い数の人たちが行列を作っていました 東京都美術館で開かれている「生誕300年記念 若冲展」の列でした。美術館の入口から始まり、旧奏楽堂の手前で折り返していますが、4列に並んでいながら数百メートル続いています ウィークデーの真昼間でこの状況ですから、いかに伊藤若冲(1716-1800)の人気が凄いかが分かります 展覧会は5月24日までですが、土・日なんて早朝から並ばないと入れないのではないかと思ってしまいます

ということで、わが家に来てから593日目を迎え、昨日の不審な赤い物体が爆発物でないことが判明し、仲間たちと喜びを分かち合っているモコタロです

 

          

           ただの風船でえがった~  一時は風船の灯になるかと・・・

 

  閑話休題  

 

ということで昨日、上野の東京藝大奏楽堂で「モーニング・コンサート2」を聴きました プログラムは①中島夏樹「PIXEL for orchestra」、②プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第2番ト短調」です 演奏は②のピアノ独奏=谷口若菜、指揮は現田茂夫、オケは藝大フィルハーモニアです

 

          

 

この「モーニング・コンサート」はチケットを買った際に通し番号が付されており、その順番で入場するシステムになっています。今回 私の番号は207番。幸いかなり前方の左ブロック右通路側席が取れました 会場は6割方埋まっている感じでしょうか

1曲目は4年の中島夏樹さん(1994年、埼玉県生まれ)の作曲による「PIXEL for  orchestra」です 演奏に当たり、本人が舞台に登場し、曲の解説をしました それによると、PIXELとは画素のことで、コンピュータ上で画像を扱う際の色情報の最小単位です。「グラフィックデザインをデジタル数値によってサウンドに置き換えて色彩を表現したいという趣旨で作曲した」とのことです

1.ドット、2.ストライプ、3.チェックの3つのセクションからなる12分強の作品ですが、現田茂夫指揮藝大フィルハーモニアの演奏で聴くセクション1は、寄せては引く波のような音楽、セクション2はリズムがさく裂する音楽、セクション3はいろいろな要素が混じって混沌とした音楽、といった印象を受けました どうでもいいことですが、夏樹さん、ちょっと猫背気味なので治した方が良いと思います そうしないと、作る音楽が前のめりになってしまいます

弦楽セクションが一旦引き上げて、ピアノがセンターに移動します。2曲目はプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第2番ト短調」です ソリストを務める4年の谷口若菜さん(1995年、岐阜県生まれ)が紫色のエレガントなドレスで登場します

この曲は4つの楽章から成りますが、第1楽章は主題が奏でられると、堂々たる長大なカデンツァに発展していきます これほど長大かつロマンに満ちたカデンツァは初めて聴きました 谷口の演奏は力強く かつ感動的で、プロコフィエフの音楽に圧倒されます

第2楽章は、テンポの速いスケルツォで、全4楽章の中で一番短いこともあって、あっという間に駆け抜けてしまいます

第3楽章は、一言で言えば”ドラマのような”世界です。きっとストーリーがあるに違いありません 例えば、メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」のような

第4楽章は様々な要素が入り混じった音楽ですが、どこか奇抜さを感じさせます

素晴らしい演奏に会場から惜しみない拍手が送られました 将来が楽しみなピアニストです

この曲については、ミシェル・ベロフのピアノ、クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のCDで予習しておきました

 

          

 

ところで、この曲について演奏者の谷口若菜さんがプログラムの中で次のように書いています

「彼の音楽は、主観的なものではない。喜びを噛みしめるように吐露したり、悲しみに打ちひしがれたりはしない どんなに荒れ狂うように進んでいても、作曲者はその外側から、冷静にそれを眺めているのである。斬新な和声は、古典的な形式で支えられ、主題はまるでパズルのように組み合わされる そういった面でこの曲は、幾何学的な、あるいは数学的な要素を持っているとも言える

「喜びを噛みしめ~」以下の文章は、確かにその通りだと思いますが、個人的には最初の「彼の音楽は、主観的なものではない」というのはどうでしょうか?どんな作曲家の作品でも、主観的でない音楽などあり得ないのではないかと思います 客観的な音楽など、誰が聴くでしょうか おそらく、若菜さんが言いたいのは「プロコフィエフは、どんなに激しい音楽を書いていても、そこには冷静に作品を見つめる彼自身の厳しい目がある。斬新と思われるパッセージでも根本には古典の基礎があり、すべてが緻密な計算に基づいて作られている」ということではないか、と思います

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

コンサート帰りに、これからの「モーニング・コンサート」のチケットを買いました 最初、上野アブアブ7階の「チケットぴあ」に行ったのですが、申込書を書いている時、同じ買うなら東京文化会館チケットサービスの方が発券手数料(@108円)がかからないな、と思い直し、上野の山を登って東京文化会館に向かいました。全部で6公演買ったので648円分の節約になりました

「モーニング・コンサート」はすでに6月16日の第5回のチケットは買ってあるので、それを除いて次の6公演を買いました ※いずれも木曜日・午前11時開演。入場料@1,000円

①第6回(6月23日)①フンメル「ファゴット協奏曲」、②バルトーク「ヴィオラ協奏曲」

②第7回(6月30日)①浦部雪「Expantraction」、②ハチャトゥリアン「ヴァイオリン協奏曲」

③第8回(7月14日)①イベール「フルート協奏曲」、②エルガー「ヴァイオリン協奏曲ロ短調」

④第10回(9月8日)①メンデルスゾーン「エリア」より、②ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番ニ短調」

⑤第12回(11月17日)①V.ウィリアムズ「オーボエ協奏曲イ短調」、②ショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調」

⑥第13回(2月16日)①ウォルトン「チェロ協奏曲」、②プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第2番ト短調」

以上のうち、第6回、第8回、第10回、第12回の4公演は同じ日に別のコンサートが入っているので、ハシゴすることになります

 

          

 

私がこの「モーニング・コンサート」が素晴らしいと思うのは、商業ベースのコンサートでは積極的に取り上げられない演目を取り上げてくれることです 今回のプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第2番」もそうですし、ハチャトゥリアンやエルガーの「ヴァイオリン協奏曲」などもそうです。4年生の演奏発表会的な位置づけがあるのかも知れませんが、これからもこの方向でプログラミングを組んでほしいと熱望します 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「クリード チャンプを継ぐ男」「ジェラシック・ワールド」を観る~新文芸坐

2016年05月12日 07時27分32秒 | 日記

12日(木)。わが家に来てから592日目を迎え、怪しい赤い物体を前にして、ミニ・ウサちゃんに”機動隊・爆弾処理班”の役割を押し付けているモコタロです

 

          

             ほら あの赤い物体が何か調べてくるのだよ

 

  閑話休題  

 

昨日の夕食は「豚肉のソテー」「生野菜サラダ」「男前豆腐」「まぐろとアボガドとキュウリのコチジャン和え」(これだけ娘が作成)でした

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、池袋の新文芸坐で「クリード チャンプを継ぐ男」と「ジェラシック・ワールド」の2本立て映画を観ました 

「クリード」はライアン・クーグラー監督による2015年 アメリカ映画です

 

          

 

シルベスター・スタローンを一躍ヒーローに押し上げた「ロッキー」シリーズを継ぐ新たな物語です 主人公は、ロッキーのライバルであり盟友だったアポロ・クリードの息子アドニス・ジョンソンです。アドニスは自分が生まれる前に父アポロが死んでしまったため父を良く知らないまま育ったが、彼には父親から受け継いだボクシングの才能があった アドニスは、かつて父親と死闘を繰り広げたロッキー・バルボアにトレーナーになってほしいと頼む。現役を引退し二度とボクシングと関わり合いを持たないと決意していたロッキーだったが、アドニスにアポロと同じ強さを見い出しトレーナー役を引き受ける それから過酷な練習が続き、世界チャンピオンの引退試合の戦いに挑む。アドニスはチャンピオンを破って世界の頂点に立つことができるのか

 

          

 

主人公のアドニス・ジョンソンを演じるのはマイケル・B・ジョーダン。そう、あの有名なバスケット・ボールで名を馳せたマイケル・ジョーダンです。っていうのは冗談です 何の関係もありません。もちろん、シルベスター・スタローンはロッキーとしてアドニスのトレーナー役を演じています

映画では、ボクシング・ジムでの厳しい練習風景や、本番の試合の模様が映し出されますが、マイケルは体つきからボクサーそのものです 動きも俊敏だし とても演技とは思えない迫力ある闘いを展開します

久しぶりにシルベスター・スタローンを見ましたが、彼もさすがに歳を取りましたね。顔に人生の年輪が刻まれています

2本目の「ジュラシック・ワールド」はコリン・トレボロウ監督、スティーブン・スピルバーグ製作総指揮による2015年 アメリカ映画です

 

          

 

「ジュラシック・パーク」に代わり 新たにオープンした「ジュラシック・ワールド」ではジャイロスフィアという球体の乗り物による恐竜見学や モササウルスの水中ショーなどで人気を博していた 責任者のクレアはもっと人気を集めたいという欲望から、遺伝子操作により狂暴で高い知性を持った新種のインドミナス・レックスを作り出す 飼育係のオーウェンはそれに反対するが止められない。人間に近い知能を持ったインドミナス・レックスは、人間を欺き周囲の人間を恐怖に貶める 狂暴な巨大恐竜の暴走を止めることができるのは誰か

 

          

 

スティーブン・スピルバーグ監督の「ジェラシック・パーク」を初めて観た時の衝撃は忘れません 「映画って、こんなことも出来るのか」と驚きました それはジョージ・ルーカス監督の「スター・ウォーズ」を初めて観た時の衝撃と同じくらいの大きさでした

最初の第1作から通算すると、今回の映画は前作「ジェラシック・パークⅢ」以来14年ぶりの第4作に当たるそうです 今作品では、人間が犬やイルカと同じように、恐竜を躾けるところまで話が進んでいます

それにしても、あの特撮技術は凄いと思います リアル感が半端ではありません

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする