人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

日経「日本人の教授誕生続く 気鋭ヴァイオリニスト躍動」の記事を読んで / ジェームズ・サドウィズ監督「ライ麦畑で出会ったら」、ベン・リューイン監督「500ページの夢の束」を観る

2019年02月19日 07時28分22秒 | 日記

19日(火)。わが家に来てから今日で1600日目を迎え、衆院予算委員会は18日、「統計問題」をテーマに集中審議を開いたが、賃金の動向を示す「毎月勤労統計」の調査手法変更について「恣意的な統計の捜査を官邸主導でやったのではないか」と野党に問われ、安倍晋三首相は「私から何ら指示をしていない」と述べ関与を改めて否定した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     殊勝な人たちが首相の立場を忖度して 勝手に官僚に指示したということなのか?

 

         

 

昨日、夕食に「ハッシュドビーフ」と「生野菜サラダ」を作りました ハッシュドビーフは久しぶりですが、いつ食べても美味しいです。ワインが良く合います

 

     

 

         

 

昨日の日経「夕刊文化欄」に「国内外で30代日本人の教授誕生続く  気鋭バイオリニスト躍動」という見出しの記事(岩崎貴行記者)が載っていました この記事では、30代で音楽教育の場で活躍する3人のヴァイオリニストを紹介しています

1人目はオランダのマーストリヒト音楽院教授の米元響子さん(34歳)。13歳でイタリア・パガニーニ国際ヴァイオリンコンクールに入賞し、10代で海外に渡った 日本ではあまり知られていないが、欧州では評価が高い

2人目は同じくオランダのアムステルダム音楽院教授の佐藤俊介さん(34歳)。古楽科で作曲家が曲を書いた当時の楽器(ピリオド楽器)で音楽を表現する古楽奏法を教える 昨年からオランダを代表する古楽オーケストラ「オランダ・バッハ協会」の芸術監督も務めている

3人目は桐朋学園大学院大学(富山校)教授の川久保賜紀さん(39歳)。米国で生まれ育ち、ドイツで学んだ チャイコフスキー国際コンクールで最高位入賞となるなど実力は日本でも指折り

音楽評論家の渡辺和彦氏の話によると「日本の音楽大学は今も徒弟制的な風土が残り、教授の直弟子が後任として教授に就くことが多い 海外で実績を残したバイオリニストでも、日本で教員になろうとすれば現教授の後押しが必要で、なかなか若手の教授は生まれなかった」とのことです 残念ながら、川久保さんのような例はまだまだ少数派だと思います   世界水準に対抗する意味でも、川久保さんの例をきっかけに、日本でも”脱徒弟制”の動きが進むことを期待したいと思います

 

         

 

昨日、神楽坂のギンレイホールで「ライ麦畑で出会ったら」と「500ページの夢の束」の2本立てを観ました

「ライ麦畑で出会ったら」はジェームズ・サドウィズ監督による2015年アメリカ映画(97分)です

舞台は1969年のアメリカのペンシルベニア州。冴えない高校生のジェイミーは、周囲とも馴染めない孤独な学校生活を送っていた そんなある日、若者のバイブル、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」に感銘を受け、演劇として脚色することを思いつく しかし、舞台化には作者であるJ.D.サリンジャーの許可が必要だと教えられる そこで、彼は本人と連絡を取ろうと試みるが、隠遁生活を送っている作家の居所がつかめないでいる その最中、学校の寮で爆竹によるイジメ事件が発生し、ジェイミーは寮を飛び出してしまう。そして、演劇サークルで出会った少女・ディーディーとともに、彼女の車でサリンジャー探しの旅に出ることになる。そして遂にサリンジャー本人に会うことになり、演劇化の許可を願い出るが、彼から拒否される 果たしてジェイミーはどうするのか


     


この映画は、誰もが不可能だとして最初から諦めてしまうことに果敢にチャレンジして、夢を成し遂げようとするアメリカの高校生の姿を描いています その意味では、いかにもアメリカ人が好むフロンティア・スピリット(チャレンジ精神)を具現したドラマと言えます しかし、それと同時に、愛する兄をベトナム戦争で失った主人公が、不可能を可能にすることを通して生きる自信を取り戻していく物語でもあります

ン十年前、大学のゼミの先輩に「サリンジャー教」の信者がいて、作文の文章がサリンジャー風だったのを思い出しました。とてもいい先輩でしたが、オリジナルで勝負すべきで 人真似は良くないと私は思っていました


         


「500ページの夢の束」はベン・リューイン監督による2017年アメリカ映画(93分)です

「スター・トレック」が大好きで、その知識では誰にも負けないウェンディの趣味は、自分なりの「スター・トレック」の脚本を書くことだった 自閉症を抱える彼女は訳あって唯一の肉親である姉 オードリーと離れて暮らし、ソーシャルワーカーのスコッティの協力を得てアルバイトを始める ある日、「スター・トレック脚本コンテスト」が開催されることを知った彼女は、渾身の力作を書き上げるが、もう郵送では間に合わないと気付き、愛犬ピートと一緒に、500ページの脚本と胸に秘めたある願いを携えて、ハリウッドまで数百キロの旅に出る決意をする 旅の途中で財布を盗まれたり、せっかく書いた脚本の原稿の一部を失ったり、自動車事故の巻き添えになったりと、様々な困難が彼女を待ち構えているが、何事にもめげずに前に進み、遂にハリウッドの映画会社にたどり着き、強引に脚本を応募ポストに入れる


     

 

この映画も「ライ麦畑で出会ったら」と同様、何とかして最後まで諦めずに自分の意志を貫徹しようとチャレンジする若者の姿を描いています 違うのは、主人公が自閉症の女の子だということです この映画も、ただコンテストへの応募原稿をハリウッドまで届けに行くだけでなく、本当に読んでほしいのは本来は身近にいるはずの姉オードリーだったという、もう一つの物語があります

人は誰でも身近にいる人に認めてほしいものです。とくに感受性の強い人ほどそう思っているはずです この映画は そんなことにあらためて気づかせてくれる作品です

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新国立オペラ:西村朗「紫苑物語」を観る ~ 巨大な鏡を使った大胆な舞台演出、充実した歌手陣の歌唱にブラボー! ~ 新国立劇場創作委嘱オペラ作品の世界初演

2019年02月18日 07時21分09秒 | 日記

18日(月)。わが家に来てから今日で1599日目を迎え、賃金の動向を示す「毎月勤労統計」の調査手法について、2015年11月の経済財政諮問会議で黒田日銀総裁や高市早苗総務相、麻生太郎財務相、甘利経済再生相など閣僚らが変更を促していたことが分かった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     賃金指数は日銀総裁や政治家の意見次第でどうにでもなるフェイクデータじゃね?

 

         

 

昨日、初台の新国立劇場「オペラパレス」で西村朗「紫苑物語」(全2幕)を観ました これは新国立劇場創作委嘱作品で世界初演です 出演は 宗頼=髙田智宏、平太=大沼徹、うつろ姫=清水華澄、千草=臼木あい、藤内=村上敏明、弓麻呂=河野克典、宗頼の父=小山陽二郎。演出=笈田ヨシ、美術=トム・シェンク、管弦楽=東京都交響楽団、合唱=新国立劇場合唱団、指揮=大野和士です

 

     

 

石川淳原作による「紫苑物語」のあらすじは以下の通りです

勅撰歌集の選者の家に生まれた国の守・宗頼は、歌の道を捨て弓の道に傾倒する 宗頼は父により、権勢の家の娘・うつろ姫と結婚させられるが、情欲で権勢欲が強い妻のことは忌み嫌う。国の目代である藤内は、うつろ姫を利用して国を支配する野望を燃やす。ある日、宗頼の前に千草という女が現われ、宗頼を虜にさせる 実は千草は宗頼が射た狐の化身だった。宗頼は「知の矢」「殺の矢」の弓術を習得し、千草の力によりさらに「魔の矢」を編み出す 宗頼は人を殺すたびに、紫苑(しおん・忘れな草)を植えさせる。国のはずれにある山で、宗頼は仏師の平太と出会う。宗頼は平太が崖に彫った仏の頭に3本の矢を射る。それと同時に世界は崩壊し、宗頼も千草も闇に落ちていく 山の麓のうつろ姫と藤内らの館も矢の飛び火で焼け落ちる

 

     

 

新国立劇場創作委嘱による日本人作曲家の作品の世界初演ということもあってか、会場はほぼ満席状態です

オーケストラ・ピットに指揮者・大野和士が入り、前奏曲の演奏に入ります このオペラの妖艶で哀しい物語を凝縮したような美しい弦楽合奏が会場を満たします

このオペラは日本語で歌われますが、同じ日本語でも貴族の時代から武士の時代に移り変わる頃の古い物語であること、日本から世界に向けて発信するオペラであることから、ステージの左右の壁には日本語と英語の字幕スーパーが表示されます

第1幕第1場「婚礼の儀」に入ると、女官や家来たちの合唱に続いて酒に酔いしれたような うつろ姫が登場、何やら大きな声を張り上げ自由奔放なカデンツァを歌います 清水華澄のパフォーマンスが凄い   豪快さをもったうつろ姫に成り切り ほとんど狂気のアリアを歌い上げます この人、いつから性格俳優、じゃなくて、性格歌手になったのでしょう。存在感抜群です

この後、宗頼を演じる髙田智弘が登場しますが、歌も演技も主人公の宗頼に相応しく、全2幕を通じてほぼ出ずっぱりの重責を見事に果たしました

藤内を演じた村上敏明は、男としては軟弱ながら、宗頼に代わって国の長を窺う狡猾な男を 身軽な動きで演じ 歌いました

千草を演じた臼木あいは、弓で射られた小狐の恨みを晴らそうと妖術を使い宗頼に接近するものの、逆に彼の虜になってしまう可憐な娘を演じ、妖艶な歌唱力を発揮しました

 

     

 

舞台・演出で目立ったのは、大きな鏡を舞台の上手、下手、天井に配置し、時に応じて舞台に出現させていることです   これに関し 笈田ヨシ氏は『演出家ノート』の中で、「自己を見つめる時、そこから離れて見ることがある。石川淳の作品にも2つの目があることから、舞台では実際に起こっていることと、それを客観的に見るという関係性を絶やさないように、鏡を用いることにした 舞台の様子がそこに映し出され、主観的なヴィジョンと客観的なヴィジョンが行き来する」と語っています

上手と下手からせり出してくる巨大な鏡には、登場人物たちの背中とともに 指揮者・大野和士氏と聴衆が写り込みます 笈田氏は、宗頼は実は平太である(平太は宗頼の鏡像)という関係性を鏡に映し出すとともに、舞台上で演じられているオペラと、それを観ている観衆という関係性を鏡を通して明らかにしようとしているのではないか、と思いました

もう一つ気が付いたのは「黒子」の存在です 普通のオペラ公演では舞台転換はコンピュータ制御による機械で動かしますが、この公演では黒装束で顔も黒い布で隠した「黒子」が何人も出てきて手動で舞台を動かし、宗頼の射た弓を陰で操ります 一方、第1幕第5場の終盤、妖気が漂う不穏な雰囲気のなか 強風と雷鳴が藤内を襲うシーンでは、黒子がハンディカメラを持って「カメラを止めるな」とばかりに藤内を追いかけ回し、恐れおののく顔の表情を激写し、その映像を天井の巨大な鏡に映し出して、まるで映画を観ているような感覚を生じさせます 伝統と革新をミックスしたような これら「黒子」の活用は、明らかに歌舞伎や人形浄瑠璃など日本の伝統芸能の様式を取り入れたもので、「日本から世界に発信するオペラ」を強く意識した演出です

作品自体について言うと、全体的にはシリアスな物語にも関わらず、どこかユーモアを感じさせるところがあり、これは何だろう?と思いました 休憩時間にプログラム冊子を読んでいたら、桐朋学園大学教授の沼野雄司氏が『一元的な多元性 作曲家・西村朗の世界』という論考を寄せていて、その中に西村朗氏の音楽に関して「ブッファ的あるいはディヴェルティメント的な表現の模索」という記述がありました この文章に接し、「ああ、これだな」と思いました。このオペラの登場人物はみな真面目なキャラクターです。ただ一人うつろ姫を除いては 「醜男は嫌いなのよ」とのたまう うつろ姫こそ、このオペラのブッファ的な側面を体現した人物なのです 私は、彼女の存在がこの作品に深みを与えていると思います

カーテンコールには、歌手陣、合唱団に加え、指揮の大野和士氏、演出の笈田ヨシ氏、台本の佐々木幹郎氏、美術のトム・シェンク氏、衣装のリチャード・ハドソン氏ら関係者、そして最後に作曲者・西村朗氏が登場し、会場いっぱいの拍手とブラボーを浴びていました

かくして日本人による創作オペラ「紫苑物語」は世界に向けて発信されました

 

     

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ジョー・イデ著「IQ」を読む ~ 2017年アンソニー賞、マカヴィティ賞、シェイマス賞の最優秀新人賞を次々に受賞したミステリーの傑作

2019年02月17日 07時21分09秒 | 日記

17日(日)。わが家に来てから今日で1598日目を迎え、トランプ米大統領は15日 ホワイトハウスでの記者会見で、安倍晋三首相から北朝鮮問題をめぐってノーベル平和賞候補として推薦されたことを明らかにした というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

        さすがは安倍首相! 受賞する訳がないと確信しながらトランプをヨイショしたな

 

         

 

ジョー・イデ著「IQ」(ハヤカワ文庫)を読み終わりました ジョー・イデは日系アメリカ人。ロサンゼルスのサウスセントラル地区出身。政治学者のフランシス・フクシマは従兄にあたる。様々な職業を経て、本作で小説家としてデビューし、2017年アンソニー賞、マカヴィティ賞、シェイマス賞の最優秀新人賞を次々に受賞している

ロサンゼルスに住む黒人青年アイゼイア・クィンターヴェイは、その頭文字から”IQ”と呼ばれる無免許私立探偵だ 名前ばかりでなくIQが並外れて高い謎解きの名人だ ある事情から世話をしている身体障碍者の少年フラーコのために大金が必要になった彼は、昔からの腐れ縁の実業家で元ギャングのドッドソンの口利きで仕事を紹介してもらう 依頼人はスランプに陥っている有名ラップ・ミュージシャンのカル(カルバン・ライト)だった。カルは数日前に自宅に侵入してきた巨大な犬に殺されかけたが、前妻が自分の命を狙って犬をけしかけたと考え、アイゼイアに犯人捜しを依頼してきたのだった 一方、カルの部下やプロデューサーは単なる怨恨がらみだろうと消極的な態度を取り、適当に事件を解決してカルが早く仕事に復帰することを望んでいた アイゼイアは限られた手がかりから、巨大な犬の襲撃がプロの殺し屋による計画的な犯行であることを見抜き、ドッドソンとともに捜査に乗り出していく

 

     

 

物語は、アイゼイアがドッドソンと出会い二人で「オーシャンズ11」並みの強盗を繰り返していた2005年当時を振り返りながら、2013年の現在、”無免許私立探偵”としてラッパーからの依頼を受け、ドッドソンと二人で犯人捜しをする模様を描いています 物語の中で、一昔前は強盗をやっていたアイゼイアが私立探偵になったいきさつが語られますが、私立探偵の仕事は必ずしも報酬の高低に左右されず、アイゼイアが納得した仕事だけを引き受けるところにIQの矜持があります また、アイゼイアの兄マーカスは過去に自動車の轢き逃げ事故で死亡しており、アイゼイアはずっと犯人捜しを続けているわけですが、「エピローグ」がその有力な手掛かりをつかむところで終わっているところは「ジョー・イデ、なかなかやるな」と思わせます

しかし、書かれていることが誰のこと(あるいは言葉)なのか不明な箇所が少なからずあり、戸惑うこともありました 翻訳の問題なのか オリジナルがそうなっているのか 良く分かりませんが、筆者にとってこの作品がデビュー作であることを考えると、オリジナルの文章がこなれていないところがあるのかも知れません

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木村拓哉、二宮和也 初共演「検察側の罪人」、長瀬智也主演「空飛ぶタイヤ」を観る

2019年02月16日 07時16分46秒 | 日記

16日(土)。わが家に来てから今日で1597日目を迎え、メキシコ国境での壁の建設費を巡り、米与野党は交渉の結果14日に合意案を賛成多数で可決したが、トランプ大統領は連邦議会の承認を経ずに予算を捻出するため、不法移民問題に関する国家非常事態宣言を出すことを明らかにした というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       壁の建設は国家の非常事態なのか? トランプが大統領であるのが異常事態じゃね?

 

         

 

昨日の夕食は「アンコウ+牡蠣鍋」にしました 味噌味ですが 美味しかったです

 

     

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐で「検察側の罪人」と「空飛ぶタイヤ」の2本立てを観ました

検察側の罪人」は原田眞人監督による2018年製作映画(123分)です

都内で発生した犯人不明の殺人事件を担当することになった東京地検刑事部のエリート検事・最上毅(木村拓哉)と、駆け出しの検事・沖野啓一郎(二宮和也)。ある日、老夫婦惨殺事件が起こり、過去に時効を迎えた未解決殺人事件の容疑者だった松倉という男の存在が浮上、最上は松倉を執拗に追い詰めていく 実は松倉こそ最上の中学時代の同級生を殺害した容疑者だった。最上を師と仰ぐ沖野も取り調べに力を入れるが、松倉は否認を続け手ごたえがない 沖野は次第に、最上が松倉を犯人に仕立て上げようとしているのではないかと、最上の方針に疑問を抱き始める ある日、別件で逮捕した男が、弓岡という男が老夫婦殺人の犯人は自分だと語ったのを聞いたと告白する。何としても松倉を裁判にかけ死刑にしたい最上は、弓岡が自白したら目的が達成できないと考え、ある行動に出る


     


この作品は雫井脩介の同名ミステリー小説を映画化したものです 何と言っても、人気者の木村拓哉と二宮和也の初共演作ということで大きな話題になりました 木村拓哉の苦み走った顔による演技も良かったし、取調室で沖野が松倉を追い詰める時の二宮和也の演技は迫力満点で、半端なく怖いものがありました

この映画には、過去の未解決殺人事件の犯人、老夫婦殺しの犯人、その犯人を殺した犯人が出てきますが、映画を観終わってタイトルの「検察側の罪人」という意味が分かるようになっています 限界を感じて検事を辞めざるを得なかった沖野のやるせない気持ちは、最上の別荘を去る時の「アーッ」という絶叫に凝縮されています


         


「空飛ぶタイヤ」は本木克英監督による2018年製作映画(120分)です

ある日、トラックの事故により1人の主婦が亡くなった。事故を起こした運送会社社長・赤松徳郎(長瀬智也)が警察から聞かされたのは、走行中のトラックからタイヤが突然外れたという耳を疑う事実だった 整備不良を疑われ、世間からもバッシングを受ける中、トラックの構造自体の欠陥に気づいた赤松は、製造元であるホープ自動車に再調査を要求する しかし、なかなか調査が進展しないことに苛立った赤松は、取材で知り合った女性記者から過去の同様の事件のデータを入手し、自ら事故の当事者となった全国の自動車整備会社を回り調査を開始する そこで赤松は大企業によるリコール隠しの現実を知ることとなる 一方、ホープ自動車の社内でも内部告発があり、事故の真相が世間に明らかにされる


     


この映画は池井戸潤の同名ベストセラー小説を映画化したものですが、モデルになったのは2002年の三菱自動車製大型トラックの脱輪による死傷事故や三菱自動車のリコール隠しです 当時は、一度ならず二度もリコール隠し問題を引き起こした会社の体質に驚き呆れたものです その後、世の中的には「コンプライアンス」が厳しく言われるようになり、内部告発制度も整備されるようになっていきます

ところで、赤松は女性記者の取材に協力してすべてを話したのにも関わらず、週刊誌の記事が没になってしまいます 何故だ、と問い詰める赤松に対し記者は「上の判断です」としか答えません つまり、ホープ自動車もしくはホープ・グループ、分かり易く言えば、三菱自動車もしくは三菱グループ(自動車、銀行ほか)がその週刊誌を発行する出版社に支払う年間広告料金を考えれば、大きなスポンサーが不利になる情報は 大幅減収の原因になるので 載せられないということです  出版社も商売ですから広告収入が減れば経営が困難になることは分かります。しかし、芸能人や政治家のスキャンダルを暴くことで読者の関心を引き付け”売れれば良い”という考えはどんなものでしょうか? 赤松社長のように 不正を許さず社会正義の実現のために戦うのが出版社のあるべき姿ではないか、と思います

ホープ自動車の本社に乗り込んで、広報責任者に向かって赤松が吐く言葉が印象に残っています。「中小企業を舐めんなよ」 胸のすく言葉でした

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ラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」(千葉遥一郎)、コッコネン「チェロ協奏曲」(山根風仁)を聴く~東京藝大モーニング・コンサート / 髙木凛々子ヴァイオリン・リサイタルのチケットを取る

2019年02月15日 07時29分32秒 | 日記

15日(金)。昨日、上野公園を横切って東京藝大奏楽堂に行きましたが、桜が満開でした

 

     

 

言うまでもなく、寒桜です 上に出た2本の枝がリボンみたいでいいですネ

話は180度変わりますが、昨日はバレンタインデーでした 生チョコとシャンパンのセットをいただきました あとでゆっくりいただきます

 

     

 

ということで、わが家に来てから1596日目を迎え、飲食店やコンビニなどの従業員が食品を不衛生に扱う動画の投稿が後を絶たない というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     「賃金水準が低いから」と言う人がいるが 低賃金だからと何をやっても良いのか

 

         

 

昨日、夕食に「鶏モモ肉ソテー」「インゲンの胡麻和え」「シメジと水菜と白菜のプチ鍋」を作りました 「鶏モモ肉~」は弱火でじっくり焼いたので 皮パリパリ 肉ジューシーです

 

     

 

         

 

昨日、上野の東京藝大奏楽堂で第12回モーニング・コンサートを聴きました プログラムは①コッコネン「チェロ協奏曲」(Vc:山根風仁)、②ラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」(Pf:千葉遥一郎)で、管弦楽は藝大フィルハーモニア管弦楽団、指揮は山下一史です

 

     

 

全自由席です。1階11列13番、センターブロック左通路側を押さえました

オケはいつもの通り左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという並び。コンマスは植村太郎です

1曲目はコッコネン「チェロ協奏曲」です この曲はフィンランドの作曲家ヨーナス・コッコネン(1921-1996)が1969年に作曲した作品です コッコネンはシベリウス・アカデミーでピアノを学びましたが、作曲は独学だったとのことです それでも1959年にはシベリウス・アカデミーの教授(作曲)に就任したと言いますから大した人です

第1楽章「モデラート・モッソ」、第2楽章「アレグレット」、第3楽章「アダージョ」、第4楽章「カデンツァ」、第5楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の5楽章から成ります

チェロを独奏する山根風仁(やまね ふうと)君は1996年高知県生まれで、現在藝大4年生。指揮の山下氏とともにステージに登場し中央でスタンバイします。山下氏のタクトで第1楽章が開始されます 全体を聴いた印象は、いかにも北欧の白夜を思い浮かべるような静謐で厳しい曲想です 山根君はその辺の空気感を良く出していました 滅多に演奏される機会のない作品を取り上げ、素晴らしい演奏を聴かせてくれたことに感謝します


     


2曲目はラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」です。この曲はモーリス・ラヴェル(1875‐1937)が1929年から翌30年にかけて作曲した単一楽章の作品です 第1次世界大戦で右腕を失ったオーストリアのピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインの依頼により作曲され、1931年11月27日に本人のピアノ演奏によりウィーンで初演されました ただし、ピアノ・パートが難しすぎてヴィトゲンシュタインが楽譜通りに弾かず勝手に演奏したため、ラヴェルとの関係が険悪になったということです それほどピアノ・パートが高度の技巧を要する作品だということです

ピアノのソロを弾く千葉遥一郎(ちば よういちろう)君は第85回日本音楽コンクール第2位受賞者で、現在藝大3年生です

山下氏の指揮で第1楽章が、オーケストラによる重量感のある長い序奏で開始されます そこへ千葉君の力強いピアノが入ってきます。ピアノとオケとの迫力ある丁々発止のやり取りが続き、カデンツァに入ります 千葉君の演奏は堂々たるもので、目をつぶって聴いていると、とても左手だけで演奏しているとは思えず、まるで両手で演奏しているように聴こえます これぞ「ラヴェル・マジック」でしょう ジャズのイディオムを取り入れた第2部では、エネルギッシュで力強い演奏が展開しました

厳しい選考試験を経てモーニング・コンサートに出演する学生のほとんどは学部4年生と大学院生で、学部3年生で選抜されて出演する学生は今年度は3人しかいません 千葉君はその中の一人です。将来が楽しみな逸材です

 

         

 

昨年6月14日の「藝大モーニング・コンサート」でメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」を個性豊かに演奏した髙木凛々子さんの「ヴァイオリン・リサイタル」のチケットを取りました 5月20日(月)午後7時から東京文化会館小ホールで開かれます。プログラムは①モーツアルト「ヴァイオリン・ソナタト長調K.301」、②ブラームス「ヴァイオリン・ソナタ第3番」、③フォーレ「ヴァイオリン・ソナタ第1番」です ピアノ伴奏は三又瑛子さんです

髙木凛々子さんは、私がここ数年聴いてきた「藝大モーニング・コンサート」出演者の中でダントツ1位の演奏者です その時の感想は6月15日の当ブログに書きましたので 興味のある方はご覧ください

 

     

 

 

2011年2月15日にtoraブログを始めてから今日で丸8年が経過しました この間、ブログ・アップを休止したのは身内の不幸があった3日間程度で、ほとんど毎日書き続けて参りました。8年間の集大成である本日現在のアクセス状況は以下の通りです(スマホでご覧の方は見にくいかも知れません。ごめんなさい)

①トータル閲覧数  4,481,511 PV

②トータル訪問者数 1,125,155 I P

③gooブログ全体のランキング(直近1週間)2,855,025 サイト 中 第737位

④にほんブログ村「クラシックコンサート・演奏会感想」 51サイト中 第1位

⑤  同    「映画評論・レビュー」    3,553サイト中 第34位

⑥  同    「お薦め本」         2,159サイト中 第16位

⑦登録読者数 2007人

これからも1日も休むことなく書き続けて参りますので、モコタロともどもよろしくお願いいたします

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岡本侑也 ✕ 阪田知樹でメンデルスゾーン「チェロ・ソナタ第2番」、シューマン「幻想小曲集」他を聴く~都民芸術フェスティバル参加公演「デュオの煌めき」

2019年02月14日 07時21分26秒 | 日記

14日(木)その2.よい子は「その1」から見てね モコタロはそちらに出演しています

昨夕、上野の東京文化会館小ホールで都民芸術フェスティバル参加公演「デュオの煌めき」を聴きました プログラムは①シューマン「幻想小曲集 作品73」、②メンデルスゾーン「チェロ・ソナタ第2番ニ長調 作品58」、③黛敏郎「BUNRAKU~無伴奏チェロのための」、④プーランク「チェロ・ソナタ FP143」です 演奏はチェロ=岡本侑也、ピアノ=阪田知樹です

岡本侑也は2017年エリザベート王妃国際音楽コンクールのチェロ部門第2位・イザイ賞を受賞 阪田知樹は2016年フランツ・リスト国際ピアノコンクール第1位・6つの特別賞を受賞しています

 

     

 

自席はJ列29番、右ブロック左から2つ目です 実は昨年あたりから この東京文化会館小ホールで聴くたびに不思議なことが続いています 私はほとんどの場合、右ブロックの左サイド(通路側か通路に近い席)を取るのですが、席番号はそのつど違うのに、すぐ前の席がいつも空いているのです お陰でステージの演奏者が良く見えるのでラッキーだと思っているのですが、売れ残りにしては良い席なので急に来られなくなったとしか考えられません しかし、そんなことが頻繁に起こるでしょうか 私は無宗教ですが「神の思し召し」でしょうか いつも嬉しいような怖いような複雑な気持ちでいます

さて、この日のプログラムはすべて初めて聴く曲ばかりです CDを持っていないので予習が出来ず すべてぶっつけ本番で聴くことになります

1曲目はシューマン「幻想小曲集 作品73」です この曲はロベルト・シュ―マン(1810‐1856)が1849年2月に たったの3日間で作曲したクラリネットとピアノのための作品ですが、クラリネットに代えてチェロやヴァイオリンで演奏しても良いとされています   第1曲「繊細に、表情豊かに」、第2曲「生き生きと」、第3曲「情熱をもって」の3つの曲から成ります

二人の演奏者が登場して第1曲から入りますが、岡本侑也のチェロが良く歌います。ヨーヨーマのチェロってこういう感じじゃなかったかな、と思うような明るく伸び伸びとした演奏です 阪田知樹のピアノがピタリとついていきます

2曲目はメンデルスゾーン「チェロ・ソナタ第2番ニ長調 作品58」です この曲はフェリックス・メンデルスゾーン(1809‐1847)が1843年に作曲した作品です 第1楽章「アレグロ・アッサイ・ヴィヴァーチェ」、第2楽章「アレグレット・スケルツァンド」、第3楽章「アダージョ」、第4楽章「モルト・アレグロ・エ・ヴィヴァーチェ」の4楽章から成ります

二人の演奏で第1楽章に入りますが、この楽章ではメンデルスゾーン特有の”前へ前へ”という推進力を感じます 第2楽章のスケルツォを経て、第3楽章アダージョは、冒頭ピアノのアルペジオが繰り返され、チェロがなかなか現れません おもむろに登場するチェロは女王の貫録です 間断なく続けて演奏される第4楽章はチェロもピアノも良く歌います 聴き終わって、この曲もCDを買わねば、と思いました


     


プログラム後半の最初の曲は黛敏郎「BUNRAKU~無伴奏チェロのための」です この曲は黛敏郎(1929-1997)が1960年に作曲したチェロ独奏のための作品です 人形浄瑠璃の「文楽」をモティーフに、近代のテクニックを駆使しつつ 鈴の音、拍子木、三味線、鼓、語りなどをチェロ1挺で表現します 岡本侑也の技巧を凝らした演奏を聴いて、これは琴を弓で弾くのと同じような音楽かな、と思ったりしました 正直に告白すると、この日のプログラムの中で一番面白く聴いたのはこの作品でした この曲を海外で演奏したらバカ受けすること間違いなしだな、と思います。日本の世界そのものです

最後の曲はプーランク「チェロ・ソナタ FP143」です この曲はプーランク(1899‐1963)が名チェリスト、ピエール・フルニエの委嘱により1940年から1948年にかけて作曲し、1949年にフルニエによりパリで初演された作品です 第1楽章「アレグロ:マーチのテンポで」、第2楽章「カヴァティーヌ」、第3楽章「バッラービレ(舞踏曲)」、第4楽章「フィナーレ」の4楽章から成ります

第1楽章は軽妙洒脱な音楽のオンパレードです チェロとピアノによる演奏は目先がクルクル変わります。第2楽章は一転、静けさを湛えた美しい音楽です 第3楽章は まさにフランス音楽特有のエスプリを感じさせる曲想です   第4楽章は重厚かつダイナミックな曲想です    二人は色彩感豊かな演奏を繰り広げました。岡本侑也は楽々と弾いているように見えましたが、実際はすごく難しい曲だと思います

会場いっぱいの拍手に、二人はアンコールにポッパーの「ハンガリー狂詩曲」を超絶技巧でダイナミックに演奏し再度大きな拍手を浴びました 二人とも有望な演奏家だと思います

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伊藤圭(Cl)✕ 伊東裕(Vc)✕ 清水和音(P)でブラームス「クラリネット三重奏曲」、ドビュッシー「美しき夕暮れ」、フォーレ「夢のあとに」他を聴く~第17回芸劇ブランチコンサート

2019年02月14日 00時08分35秒 | 日記

14日(木)その1。わが家に来てから今日で1595日目を迎え、ポンぺオ米国務長官は12日、ドイツがロシアから天然ガスを輸入するために計画するパイプラインについて「安全保障上の大きなリスクがある」と語り、建設に反対する考えを強調した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     アメリカもロシアもドイツもお互いに信頼できるパイプラインが必要なようだな

     

         

 

昨日、夕食に「麻婆茄子」と「トマトとレタスのスープ」を作りました 何を作っていいか迷う時は時々こういう組み合わせの料理を作ります

 

     

 

         

 

昨日、午前11時から池袋の東京芸術劇場コンサートホールで「第17回芸劇ブランチコンサート」を、午後7時から上野の東京文化会館小ホールで都民芸術フェスティバル参加公演「デュオの煌めき」を聴きました ここでは「芸劇ブランチコンサート『第17回 クラリネットの神髄を聴く』」について書きます

プログラムは①ドビュッシー「美しき夕暮れ」、②同「チェロ・ソナタ」、③ブラームス「クラリネット三重奏曲」、④フォーレ「夢のあとに」、⑤アーン「私の詩に翼があったなら」、⑥プーランク「愛の小径」です 演奏はクラリネット=伊藤圭、チェロ=伊東裕、ピアノ=清水和音です


     


いつものように1階席はほぼ満席、2階席もかなり入っています チケット代が@2200円と格安なのが受けている要因でしょう ただし、次回からは@2400円に値上がりします

N響首席クラリネット奏者・伊藤圭氏とピアニスト清水和音氏が登場し配置に着きます 1曲目はドビュッシー「美しき夕暮れ」です この曲は元々クロード・ドビュッシー(1862‐1918)が1880年頃(18歳頃)に書いた歌曲です。静けさを湛えた名曲ですが、クラリネットの優しい音色が会場に沁みわたります 私はバーブラ・ストライザンドが歌ったCDアルバム「クラシカル・バーブラ」(1976年)の第1曲に収録されたこの曲が大好きで何度も聴いたものです。まさに名曲名唱です


     

     


ここで進行役を兼ねる清水氏が「実は、この日のプログラムは、全部演奏しても時間が余ってしまうことが分かったので、チェロの伊東君に何か弾けないかと尋ねたらドビュッシーの『チェロ・ソナタ』はどうですか、という答えだったので、プログラムには載っていませんが、ここで演奏します まったく人気のない曲ですが、とても良い曲です」と説明し、ドビュッシーが1915年に作曲した「チェロ・ソナタ  ニ短調」(1.プロローグ、2.セレナード、3.終曲)を演奏しました 伊東君、素晴らしい演奏でした

曲目はブラームス「クラリネット三重奏曲イ短調作品114」です この曲はヨハネス・ブラームス(1833‐1897)が晩年近い1891年に作曲した作品です ブラームスはこの年に、マイニンゲン宮廷楽団のクラリネット奏者ミュールフェルトの演奏を聴いて創作意欲を刺激され、クラリネットのために「三重奏曲」「五重奏曲」「ソナタ」(2曲)の4曲を作曲しました 清水氏の解説を待つまでもなく、これらの曲はクラリネット奏者の貴重かつ重要なレパートリーになっています 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「アンダンティーノ・グラツィオーソ」、第4楽章「アレグロ」の4楽章から成ります

第1楽章は、まず伊東君のチェロから入ってきますが、このチェロが素晴らしい 次いで清水氏のピアノに伴われて伊藤氏のクラリネットが入ってきますが、これがまた素晴らしい 全楽章を通して3人の演奏を聴いていて「枯淡の境地」「内に秘めた情熱」という言葉を思い浮かべました 3人のアンサンブルは見事でした

4曲目はフォーレの「夢のあとに」です この曲はガブリエル・フォーレ(1845‐1924)が1878年頃に書いた歌曲がオリジナルですが、今回はチェロとピアノで演奏されます 過去の思い出を懐かしむようなメランコリックなメロディーを伊東君のチェロが美しく奏でます

5曲目はレイナルド・アーン(1875‐1947)の「私の詩に翼があったなら」です この曲は1888年に作曲された作品です。伊藤氏のロマンティックな演奏が会場に響き渡ります プログラム・ノートに「この曲は13歳の時の作品」である旨が書かれていましたが、とても信じられません 曲想を聴く限り、喜びも悲しみも十分に味わい尽くした往年の作曲家が作った作品としか思えませんでした

最後の曲はフランシス・プーランク(1899‐1963)の「愛の小径」です この曲は1940年に「レオカディア」という劇の付随音楽として書かれたそうです。どこかで聴いたようなメロディーは、シャンソン歌手が歌った曲とのことです この曲を聴いて、ジャズにクラリネットも良いけれど、シャンソンにクラリネットも良いものだ、と思いました

この日のゲストは二人の「イトウさん」だったので、進行役の清水氏はクラリネットの伊藤圭氏を「ケイ君」、チェロの伊東裕君を「ユウ君」と呼んでいました。それでいくと、清水和音氏は「カズ君」になるのでしょうか

次回以降の芸劇ブランチコンサートは下のチラシの通りですが、前述の通り、チケット代が2400円に値上がりしています それでもプログラムと出演者を見る限り どの回も充実しており、コストパフォーマンスは極めて高いと思います


     


また、芸劇ブランチコンサートに5月から新たに「名曲リサイタル・サロン」が加わります 従来のブランチコンサート「清水和音の名曲ラウンジ」が偶数月開催(2、4,6,8,10,12月)なのに対し、「名曲リサイタル~」は奇数月開催(5,7,9月~)となるので、毎月1度はブランチコンサートが聴けることになります 「名曲リサイタル~」は出演者が一人なので、初年度のブランチコンサートでナビゲーターを務めた「アド街ック天国」でお馴染みの八塩圭子さんがカムバックします

昨日のコンサート終了後、ロビー入口の前売券売り場で「名曲リサイタル~」の先行発売があったので5~9月の3枚セットを購入しました 現在と同じ2階センターブロック最前列の席を押さえました なお、一般のチケット発売は2月15日(金)から、東京芸術劇場ボックスオフィス、チケットぴあほかで購入できます


     

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METライブビューイングでヴェルディ「椿姫」を新演出で観る~ディアナ・ダムラウ(Sp)、フアン・ディエゴ・フローレス(Tr)、クイン・ケルシー(Br)、指揮のヤニック・ネゼ=セガンにブラボー!

2019年02月13日 07時22分11秒 | 日記

13日(水)。わが家に来てから今日で1594日目を迎え、安倍晋三首相は12日午前の衆院予算委員会で、1956年の日ソ共同宣言を基礎としたロシアとの平和条約について「平和条約の対象は4島の帰属の問題だと一貫した日本の立場に変わりはない。これから後退していることは全くない」と理解を求めた というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      建前と本音を使い分けるのは難しい 建前は大工さんに任せておいた方が良くね?

 

         

 

昨日、夕食に「ポーク・カレー」と「生野菜サラダ」を作りました カレーは時々食べたくなりますね

 

     

 

         

 

昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、ヴェルディ「椿姫」を観ました これは昨年12月15日に米ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ録画映像です 出演は、ヴィオレッタ=ディアナ・ダムラウ、アルフレート=フアン・ディエゴ・フローレス、ジェルモン=クイン・ケイシー、演出=マイケル・メイヤー、指揮=MET新音楽監督 ヤニック・ネゼ=セガンです

 

     

 

オペラ「椿姫」はジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)が1853年に作曲、同年ヴェネツィアで初演されました。原作はアレクサンドル・デュマ・フィスの戯曲「椿を持つ女」ですが、ヴェルディはタイトルを「ラ・トラヴィアータ」(道を踏み外した女)と変えました 物語のあらすじは以下の通りです

パリの高級娼婦ヴィオレッタは、ある夜自邸で催した夜会で青年アルフレートと出会う。青年は彼女に熱烈な愛を告白する 胸の病を抱えているヴィオレッタは戸惑うが、本当の愛情に目覚める(以上 第1幕)

二人は2人で田舎暮らしを始める。ある日、アルフレートの父ジェルモンがやってきて、娘の結婚に支障があるので息子と別れて欲しいと懇願する。愛するアルフレートのために身を引く決意をしたヴィオレッタは置手紙をして姿を消す それをアルフレートは、彼女が裏切ったと誤解し、父の説得も聞かずパリまで追いかけていく 夜会に現れた彼は逆上し、人々の前でヴィオレッタを罵倒する。ヴィオレッタはその場に崩れ落ちる(以上 第2幕)

時が流れ2月。ヴィオレッタは絶望の病の床にある ジェルモンからは息子と共に許しを請いに伺うという手紙が届くが、彼女は「遅すぎる」と嘆く その直後、父から真実を知らされたアルフレートが駆け付け、再会を喜ぶが、もはや彼女に生きる力は残されていなかった(以上 第3幕)

今回の演出は、2007年「春のめざめ」でトニー賞を受賞したマイケル・メイヤーによる新制作です 私が知っている演出の多くは、悲しい旋律の「前奏曲」が流れる間は幕が降りたままなのですが、今回の演出では、ステージにすべての登場人物が現われています 舞台中央にベッドが置かれ、ヴィオレッタが横たわっており、周りにアルフレート、ジェルモン、アンニーナ(ヴィオレッタの女中)、医師ブランヴィルらが立ち尽くしています。つまり、これから始まる物語はヴィオレッタの回想であることを暗示しているのです。さらに、舞台中央のベッドは全3幕を通して同じ位置に置かれています。これはヴィオレッタには常に死の床が付きまとっているということを暗示しています

「前奏曲」が終わると、照明がパッと明るくなり、ヴィオレッタ邸の賑やかな夜会のシーンが繰り広げられ、「乾杯の歌」が歌われます 「暗から明へ」というヤニック・ネゼ=セガンの指揮は鮮やかです

演出で従来のものと異なる2つ目の点は、第2幕で父ジェルモンが田舎で暮らすヴィオレッタを訪ね、アルフレートの妹が結婚を控えているが、(兄が高級娼婦と一緒に暮らしているのは都合が悪いので)別れて欲しいと訴える歌を歌う時に、その「妹」が姿を現すところです 通常の演出では出てきません

演出上で気が付いた3つ目の点は、第2幕でアルフレートがフローラ(ヴィオレッタの友人)の夜会に現れ、ヴィオレッタを罵倒するシーンで、普通の演出ではヴィオレッタは嘆き悲しむばかりですが、ダムラウは笑ってさえいました。「愛する人からこれほどまでに罵倒されたら、もう笑うしかない」といった心境だと思いますが、思い切った演出だと思います

ヒロインのヴィオレッタ・ヴァレリーを歌ったディアナ・ダムラウはドイツ生まれのソプラノですが、幕間の解説でMETライブ「アイーダ」でアムネリスを歌ったアニータ・ラチヴェリシュヴィリが彼女のことを「歌う女優」と表現したように、演技力が抜群の歌手です ダムラウはインタビューで「12歳の時にフランコ・ゼフィレッリ演出、テレサ・ストラータスのヴィオレッタによる映画版「椿姫」を観てオペラ歌手になる決心をしました」と語っていました。個人的には2011年のMET来日公演が東日本大震災と原発事故の影響でスター歌手のキャンセルが相次いだ中、ダムラウは予定通り来日しドニゼッティ「ランメルモールのルチア」のタイトルロールを歌ってくれたことを決して忘れません 

第1幕終了後に上映された「特典映像」の中で、ヤニック・ネゼ=セガンがダムラウに第1幕のアリア「花から花へ」の歌の指導をするシーンが映し出されます ダムラウの歌唱力の高さは言うまでもありませんが、ヤニック・ネゼ=セガンは、それぞれのフレーズに意味を持たせ 「そこは強く、そこは弱く」と表情付けをして歌うことを求めます。ダムラウはそれを納得したうえで振付を加えながらアリアを完成させていきます 私はこれを観て、ダムラウの凄さは分かっているけれど、ヤニック・ネゼ=セガンという指揮者も凄いな、と思いました

アルフレートを歌ったフアン・ディエゴ・フローレスは1973年ペルーのリマ生まれのテノールですが、これまでは主にロッシーニの「セヴィリアの理髪師」「オリ―伯爵」といった喜劇的なオペラを中心に活躍してきました その意味では「椿姫」のアルフレートはこれまでとは毛色の違う役柄です。しかし、そこはフローレスです。同じテノールでも軽やかで高音域で活躍する「レッジェーロ」健在です これについて彼は幕間のインタビューで「高音よりも、いかに美しく歌うかが大事です」と語っていましたが、彼の声の魅力は美しく輝く高音です

 

     

 

ジェルモンを歌ったクイン・ケルシーはハワイ出身のバリトンですが、今期METライブ「アイーダ」のアモナズロ役で出演しました どちらかというと明るいバリトンです。第2幕で アルフレードを慰め、美しい故郷に戻ろうと朗々と歌うアリア「プロヴァンスの海と土地」は聴きごたえがありました

指揮をとるヤニック・ネゼ=セガンは1975年カナダ・モントリオール生まれ(44歳)で、現在フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督も務めています 幕間のインタビューで「20年前に噴水広場からメトロポリタン歌劇場の建物を見上げて『いつかMETを制する』と言ったのは本当です。今その願いが叶って最高に幸せです」と語っていました。今回の「椿姫」は彼がMETの音楽監督に就任して初めてのオペラ公演ということで力が入ると思いますが、第2幕に入る時にアクシデントがありました 彼が指揮をしようとタクトを振り上げると、何とタクトがヴァイオリン奏者の方に飛んでいってしまったのです これには聴衆もオケの連中も驚きましたが、本人が一番驚いたようです ヴァイオリン奏者からタクトを受け取ると聴衆の方を振り返り、笑顔で「タクトは戻りました。さあ、第2幕を始めますよ」とでも言いたげにタクトを上げました。飛んだハプニングでしたが、聴衆は拍手喝さいです この後、幕間にインタビューがあり、MET総裁ピーター・ゲルブ氏から「次は飛ばない指揮棒を用意しますから」とジョークを言われると、彼は「演奏が始まってからタクトを飛ばすと大変なことになるので、演奏に入る前に飛ばしました」とジョークで返していました。この辺はさすがです

カーテンコールが繰り返されますが、オーケストラ・ピットの中の楽員が三々五々引き上げていくので、何か変だな と思っていたら、舞台袖からオケのメンバー全員が出てきてステージに勢ぞろいし、聴衆の拍手を受けました 新任音楽監督の心憎い配慮でしょう これを観て「METの新しい時代が始まったんだな」と思いました

 

     

 

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熱狂の公演!=テオドール・クルレンツィス ✕ パトリツィア・コパチンスカヤ ✕ ムジカエテルナでチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」「交響曲第4番」を聴く~すみだトリフォニーホール

2019年02月12日 07時23分33秒 | 日記

12日(火)。わが家に来てから今日で1593日目を迎え、戦後生まれを描き、流行語にもなった代表作「団塊の世代」で知られる作家で経済評論家の堺屋太一さんが8日、多臓器不全のため死去した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      1970年の大阪万博の提案・企画者だったね 未来を予言できる貴重な人財だった

 

         

 

昨日、夕食に「豚バラ肉のエリンギ炒め」と「もやし豚汁」を作りました どちらも娘の大好物です

 

     

 

         

 

昨日、すみだトリフォニーホールで テオドール・クルレンツィス指揮ムジカエテルナの初来日公演を聴きました プログラムは①チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35」、②同「交響曲第4番ヘ短調作品36」で、ほぼ同じ時期に作曲された作品です ①のヴァイオリン独奏はパトリツィア・コパチンスカ、指揮はテオドール・クルレンツィスです

当日券売り場には長蛇の列が出来ています 午後2時半開場ですが、取りあえずロビーまでの開場ということで早めに入場できたのは良いのですが、2時半になってもホールのドアが開けられず、クロークにコートを預ける人、預けない人で狭いロビーがごった返しています 結局10分遅れでドアがオープンしました リハーサルに厳しいクルレンツィスのこと、ギリギリまでゲネプロをやっていたのだろうか、と勘繰ってしまいました

テオドール・クルレンツィスはギリシャのアテネ生まれ。ギリシャ国立音楽院で学んだ後、サンクトぺテルベルク国立音楽院でイリヤ・ムーシンに師事。自ら組織した精鋭の管弦楽団ムジカエテルナとムジカエテルナ合唱団を率い、ロシアのペルミ(「バレエ・リュス」を率いたディアギレフの生地)を拠点に、ザルツブルク音楽祭、ウィーン・ムジ―クフェライン、ベルリン・フィルハーモニー、ミラノ・スカラ座などで演奏し大きな反響を巻き起こしている

ムジカエテルナはクルレンツィスにより、ロシアを中心に世界各地から集められた精鋭たちによる楽団で、レパートリーによってピリオド(古)楽器やモダン楽器を使い分け、その作品に相応しい響きを追求している 日本からも第2ヴァイオリンとチェロに各1名女性奏者が参加している

パトリツィア・コパチンスカヤは1977年、音楽家の両親のもとモルドヴァに生まれる ウィーン国立音楽演劇大学とベルン音楽院でヴァイオリンと作曲を学ぶ。2001年に「クレディ・スイス・グループ・ヤング・アーティスト賞」を受賞し、翌年9月にルツェルン・フェスティバルでマリス・ヤンソンス指揮ウィーン・フィルとの共演を果たした

 

     

 

自席は1階25列11番、左ブロック右から2つ目。会場は文字通り満席です 自分が演奏するわけでもないのに、待望のコンサートということで緊張します

大きな拍手の中、オケのメンバーが入場し配置に着きます 弦は左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります 管楽器は中央後方ですが、ホルンだけは右手後方にスタンバイしています。配布されたこの日の出場楽員名簿によると、コンマスは AFANASII  CHUPINさんです

黒の衣装のコパチンスカヤがクルレンツィスとともに颯爽と登場、ステージ中央にスタンバイします 指揮台はありません。クルレンツィスはソリストと同じ地平で指揮をすることを選ぶようです 二人とも楽譜を見て演奏しますが、クルレンツィスはタクトを持ちません

1曲目の「ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35」はピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840‐1893)が1878年に作曲した作品です チャイコフスキーはホモセクシャルだったことは良く知られていますが、この年の3月、スイスのクラランで同性の恋人だったヴァイオリニストのヨーシフ・コーテクと落ち合い、彼からヴァイオリンの奏法に関する助言を受けながらこの協奏曲を書き上げました 彼はロシアの巨匠レオポルト・アウアーに初演してもらうつもりでしたが、拒絶されてしまいます 「ピアノ協奏曲第1番」にしても、この協奏曲にしても、チャイコフスキーはどういうわけか初演を拒否されています 両曲とも当時としては あまりにも先進的だったからでしょう

この曲は、第1楽章「アレグロ・モデラート~モデラート・アッサイ」、第2楽章「カンツォネッタ:アンダンテ」、第3楽章「フィナーレ:アレグロ・ヴィヴァチッシモ」の3楽章から成ります

クルレンツィスの指揮で第1楽章が開始されます コパチンスカヤの演奏は極めて起伏が大きく、最弱音と最強音の落差が半端なく大きい演奏です。またテンポもフレーズごとに速まったり遅くなったりとかなり揺れ動きます 終盤のカデンツァも同様で、かなり起伏の大きい揺れの激しい演奏ですが、説得力を持ちます 第2楽章は最弱音による美しさの極みと言うべき繊細で優しさを感じる演奏でした 第3楽章は一転、再び第1楽章と同様ダイナミックレンジが大きく、テンポが自由自在に揺れる演奏を展開します 彼女の動きはまるで獲物を狙う雌豹のようです。狙った相手は絶対逃がさないという瞬発力を感じます 私はこの曲でこれほど激しい演奏を聴いたことがありません

ここで初めて気が付いたのですが、コパチンスカヤは演奏する時は素足だったようです 演奏し終わってからスリッパのような履物を履いたので気が付きました。ピアニストではアリス・紗良・オットが素足で演奏するので有名ですが、コパチンスカヤもそうだったのか、と初めて知りました

会場いっぱいの拍手とブラボーの嵐に、コパチンスカヤはクラリネット奏者を迎えに行き、アンコールにヴァイオリンとクラリネットによりダリウス・ミヨーの「組曲」の一部をノリノリで演奏 鳴りやまない拍手に、今度はコンマスを迎えて、リゲティ「バラードとダンス」(2つのヴァイオリン編)より「アンダンテ」を鮮やかに演奏 それでも鳴りやまない拍手に、ホルヘ・サンチェス・キョン「クリン1996~コパチンスカヤに捧げる」を、口で猫の鳴き真似などを交えながらヴァイオリン独奏でハチャメチャに楽しく演奏し、やんやの喝采を浴びました

 

     

 

休憩後は「交響曲第4番ヘ短調 作品36」です この曲は「ヴァイオリン協奏曲」に先立ち1877年から78年にかけて作曲されました 彼は文通相手でパトロンだったナデージダ・フォン・メック夫人に献呈する目的でこの交響曲を書き始めたのですが、その最中の1877年春に若い女性から結婚を申し込まれ、彼女に押し切られる形で結婚しましたが、望まない結婚はすぐに破たんし、精神的に落ち込んだ彼はロシアを離れスイス、イタリア、フランスに赴いて保養に努め、イタリアのサン・レモでこの曲を完成させました その後、彼はメック夫人あての手紙で、この作品が彼自身の人生の危機を表現したものであることを明らかにしています

この曲は第1楽章「アンダンテ・ソステヌート~モデラート・コン・アニマ」、第2楽章「アンダンティーノ・イン・モード・ディ・カンツォーナ」、第3楽章「スケルツォ:ピツィカート・オスティナート:アレグロ」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ・コン・フォーコ」の4楽章から成ります

オケのメンバーが再登場しますが、ヴァイオリン、ヴィオラ、そして管楽器群の奏者には椅子がありません 早い話が、チェロ、コントラバス以外の奏者は立ったまま演奏するのです なぜ、クルレンツィスはそういう演奏スタイルを取るのか? 演奏を聴きながら考えることにしました

クルレンツィスが再登場し指揮台に向かいますが、指揮台の高さは極めて低いです

クルレンツィスの指揮で第1楽章が金管のファンファーレ〈序奏〉で開始されます もっと派手に鳴ると思っていましたが、極めて落ち着いた音で、予想外でした この序奏のテーマは「交響曲第4番全体を支配する宿命」です この第1楽章を演奏するヴァイオリン、ヴィオラ、あるいはオーボエ、フルート、クラリネットなどの奏者を見ながら、なぜクルレンツィスは彼らを立ったまま演奏させるのか、と考えました 私の考えは「『一人ひとりがソリストのつもりで演奏しなさい』というクルレンツィスのメッセージではないか」ということです 本当のところは本人に聞いてみなければ分かりませんが

第2楽章はオーボエ、フルート、ファゴット、クラリネットといった木管群が特に美しい演奏を展開し、オーケストラ全体が呼吸しているように感じました 第3楽章のスケルツォは超高速で演奏されましたが、楽しい演奏でした 弦楽セクションは弓を譜面台に置いてピツィカートを奏でていました 第4楽章は高速演奏で開始され、ほとんどお祭り騒ぎです フィナーレはさらに輪をかけた超高速の弦・管・打楽器総力によるダイナミックな演奏で、「宿命」を吹き飛ばすが如きでした

すごい演奏でした 会場は割れんばかりの拍手とブラボーの嵐で、会場の温度が一気に2度上昇しました 何度も何度もカーテンコールが繰り返されます クルレンツィスは弦の最前列奏者と握手、管楽器の方に出向き、セクションごとに楽員と肩を組んで一礼し、隣のセクションに移ります これは「われらは家族だ」という彼一流のメッセージなのでしょう

やっとアンコール曲の演奏が始まります 曲の冒頭、クラリネットとファゴットによる幻想的で荘重な和音が鳴り出した時、私は「まさか」と思いました。その「まさか」は当たり、チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」の演奏が始まりました この曲はごく普通のテンポで演奏して25分くらいかかります それほど長い曲をアンコールに演奏するのか という驚きです。さらに、「交響曲第4番」で金管楽器は精力を使い果たしているだろうに、アンコールでも吹かせるのか、というです。

クルレンツィスはしなやかな指揮で、ムジカエテルナからスケールの大きなドラマティックな演奏を引き出し、スタンディング・オベーションを呼び起こしました これほどの熱狂は本当に久しぶりです

少し冷静に考えてみると、幻想序曲「ロメオとジュリエット」は2日後の13日(水)にサントリーホールで開かれるコンサートの演奏曲目の一つです 当日券がまだ残っているとすれば、強力なアピールになったはず それと同時に、今回のアンコールが次回の絶好のゲネプロになったはずです この辺にクルレンツィスのしたたかさを感じます

午後3時に始まったコンサートが終了したのは5時40分でした ここ数年では経験したことのない熱狂的なコンサートでした 早くも「今年のマイベスト3」に入りそうな予感がします

 

     

     

     

     

     

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イングマール・ベルイマン監督の5時間11分の超大作「ファニーとアレクサンデル」を観る ~ シューマン「ピアノ五重奏曲」の第2楽章、シューベルト「ロザムンデ」の間奏曲第3番も流れる

2019年02月11日 07時21分51秒 | 日記

11日(月)。わが家に来てから今日で1592日目を迎え、安倍晋三首相は9日 党本部で開いた会合で、昨年12月に購入した自身の眼鏡の話題に触れ「地元の人たちからお父さんを思い出したと言われた」とエピソードを披露し、党員らの笑いを誘った というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ハズキルーペなら尻で踏んづけても壊れませんよ その前に尻に敷かれないように

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐でイングマール・ベルイマン監督・脚本による1982年スウェーデン・フランス・西ドイツ合作映画「ファニーとアレクサンデル」(カラー・5時間11分)を観ました

舞台は1907年のスウェーデンの古い大学町ウプサラのクリスマスイブ 少年アレクサンデル(パッティル・ギューヴェ)と妹のファニー(ペルニラ・アルヴィーン)は、富裕な劇場主で俳優の父オスカル・エクダール(アラン・エドヴァル)や女優の母エミリー(エヴァ・フレーリング)と共に毎年恒例のキリスト降誕劇を上演し、クリスマスを盛大に祝った その中心人物は、元女優で今日の栄華を築いたオスカルの母ヘレナ(グン・ヴォールグレーン)だった。ところが、その年明けにオスカルが舞台のリハーサル中に過労のため突然倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまう 夫を亡くしたエミリーは、相談に乗ってくれたベルゲルス主教(ヤン・マルムシェー)と再婚することになり、アレクサンデルとファニーは母と主教館に移る そこには主教の母ブレンダ、妹ヘンリエッタ、病気で寝たきりの叔母エルザが住んでいた。兄妹は主教館の暗い雰囲気に驚く。主教は彼らに質素な生活と精神生活を強い、アレクサンデルにはつらく当たった ある日、別荘でくつろぐヘレナのところにエミリーが訪れ、結婚は失敗だった、離婚したいが夫が許さないと訴えた ヘレナは昔愛人だったイサクに相談し、彼の計らいで子どもたちはイサクの家に預けられる。エミリーは夫が睡眠薬で朦朧とする間に主教館を去る。その夜エルザの部屋のランプの火が原因で館が火事になり逃げ遅れた主教も焼死する エミリーは懐かしい劇場を訪問し旧交を温めるのだった

 

     

 

この映画は、イングマール・ベルイマンが自身の故郷である地方都市ウプサラを舞台に撮った自叙伝的作品で、劇場を営む一族の2年間を孫の視点で豪華絢爛に描いた全5部構成・上映時間=5時間以上の群像ドラマです

この映画では、アレクサンデルが新しく父親となった司教に反抗的な態度を取ったことからムチ打ちの罰を受けるシーンがあり、アレクサンデルはますます神の存在を否定するようになりますが、これはベルイマンの父親がプロテスタントの聖職者だったことと無縁ではないのではないか、アレクサンデルこそベルイマンその人ではないか、と思いました

「プロローグ」でアレクサンデルが一人で人形芝居に興じるシーンが映し出されますが、その時バックに流れていたのはロベルト・シューマンの「ピアノ五重奏曲 変ホ長調 作品44」の第2楽章です 葬送行進曲風の音楽ですが、アレクサンデルの近い将来の苦難を暗示しているかのように響きます また、同じ音楽が第3部でエミリー、アレクサンデル、ファニーの3人が司教に連れられて司教館に移るシーンでも使われており、ここでも3人を待ち受ける司教館の暗く不安に満ちた雰囲気を暗示しているかのように響きます

第1部ではヘレナがシューベルトの劇付随音楽「ロザムンデ」の「間奏曲第3番」を弾くシーンがあります これは家族が平和に暮らしている状況を表しているかのような明るく幸せな音楽です

一方、死の床にあるオスカルが枕元で妻エミリーに「私が死んだらショパンの葬送行進曲を流してくれ」と遺言するシーンがあり、葬式では遺言通りフレデリック・ショパンの「ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調 作品35」の第3楽章「レント」がブラス・バンドによって演奏されます

午前10時に始まった上映は第3部と第4部の間に約20分の休憩を挟み、終了は午後3時35分でした まるでワーグナーの楽劇並みの長さですが、まったく飽きることなく楽しむことが出来ました これで新文芸坐のイングマール・ベルイマン特集も終了です いつか「ブルジョワジーの密かな愉しみ」でお馴染みのルイス・ブニュエル監督特集をやってほしいと思います

 

     

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