普通の会話の数分後に急変 新型コロナの恐るべき特性 神奈川で相次ぐ療養中の“突然死”

2021年02月14日 11時43分11秒 | 医科・歯科・介護

2/15(月) 6:55配信

産経新聞

自宅療養中などの感染者に1日2回、神奈川県から送られる健康確認のLINEメッセージ

 新型コロナウイルスの感染が拡大する神奈川県で、軽症・無症状の感染者が自宅や宿泊療養施設での療養中に死亡する事例が相次ぎ、医療関係者が危機感を募らせている。保健所の担当者らは患者の“突然死”を防ぐため、監視体制の強化に努めているが、感染者が増え続けるなかで、業務に手が回らなくなっている現状もあり、ジレンマにさいなまれている。(外崎晃彦)

【グラフ】コロナで亡くなった著名人と国内累計死者数推移

 神奈川県内の保健所などによると、「第3波」とよばれる感染拡大のなか、昨年12月以降、軽症や無症状と診断され自宅や宿泊療養施設での療養中などに容体が急に悪化し亡くなった事例が、少なくとも計7件起きている。それ以外にも、自宅で死亡が確認されてから陽性が確認されるといった事例もあり、患者本人や周囲が気づかないまま病状が進行し容体が急変することがあるというこの病気の恐ろしい特性を浮き彫りにしている。

 ■既往症なくても

 関係者に衝撃を与えたのが1月9日に県が発表した、大磯町の70代女性が亡くなった事例だ。女性は昨年12月31日にせきなどの自覚症状が現れ、その後PCR検査を受け、年明け後の1月6日に陽性が判明。7日、自宅で容体が急変し、救急搬送先の医療機関で死亡した。

 県担当者が驚くのはその急変ぶりだ。「同居家族と普通に会話をしていて、家族が別の部屋に行って戻ってくるそのわずか数分の間に意識を失っていたようだ。ついさっきまで元気にしゃべり、受け答えができた人が突然、倒れてしまった」という。この女性に既往症はなかった。

 既往症がないにもかかわらず、自宅療養中に亡くなった事例は他にもある。1月28日に県が死亡を発表した伊勢原市在住の50代男性だ。17日にせきや喉の痛みなどの自覚症状が現れ、18日に検査して陽性が判明。「療養期間」の終了を翌日に控えた26日、自宅で死亡した。死因は「新型コロナウイルス肺炎に伴う脳出血」。自宅を訪れた親族が死亡している男性を発見した。

 ■無症状があだに

 横須賀市の担当者は同月23日に市が発表した市内の飲食店に勤める60代女性の死亡事例に胸を痛める。この事例では、19日に女性の同居する70代男性の陽性が判明。女性は翌20日午後に検査を受ける予定だったが、当日の午前中に自宅で死亡した。

 女性には既往症があったが、発熱などの症状はなく、倦怠(けんたい)感があった程度。市の担当者は「逆に高熱や息苦しさなど、強い訴えが必要な状態だったならば、結果は違っていたかもしれない」と悔やむ。結果的に無症状だったことが、あだとなってしまったことに複雑な思いを抱いていた。

 県では、患者のこうした突然の死を防ぐため、療養者らに対してスマートフォンアプリのLINEを使い、1日2回、体温や体調の変化などの状況報告をしてもらっている。ただ、それでも防ぎきれないのが現状だという。

 県の担当者は「常に患者を見ることはできず、監視のはざまで、脳卒中のような一分一秒を争う何かが起きてしまうこともあり、予防は困難を極める」とする。その上で「できる範囲で最善を尽くすしかない」と話している。

 ■救急体制利用を

 県内の新型コロナの感染状況をめぐっては、昨年11月ごろからの「第3波」によって感染者が急増。1週間当たりの新規感染者数は、昨年12月の第1~4週が1千~2千人台で右肩上がりで推移。1月第2週(5910人)と第3週(5635人)には6千人に迫った。

 こうしたなか、感染者一人一人のケアや監視体制も逼迫(ひっぱく)し「手が回らず、すでに限界に近い」(関係者)。県では黒岩祐治知事を筆頭に「市中感染の拡大をなんとしても防ぎ、少しでも新規の感染者を減らしていくこと」に力を入れてきた。

 一方“突然死”の防止策として救急体制の利用を推奨している。療養中の患者や家族には「少しでも息苦しさなどを感じたら、遠慮せずすぐに救急窓口(県設置の『コロナ119番』)に連絡してください。場合によっては(一般の)119番でもかまいません」と呼びかけている。

 

【関連記事】


世界宗教の発明 ヨーロッパ普遍主義と多元主義の言説

2021年02月14日 11時13分57秒 | 社会・文化・政治・経済

増澤知子『世界宗教の発明』

ヨーロッパ普遍主義と多元主義の言説 秋山淑子・中村圭志訳

2015.03.26

 

「偏狭で排他的なムスリム」という謬見

 

“世界宗教”という言葉を聞いて、たいていの人は何を思い浮かべるだろうか。キリスト教、イスラム教、仏教……俗に言う「世界三大宗教」ではないだろうか。信者数が多く、また民族や地域の枠を超えて、世界中のあちこちで信仰されている宗教、いわば「世界的な宗教」である。しかし、今日の宗教学者がこの“世界宗教”という言葉を使うときは、別のものを指す。キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教、ユダヤ教、儒教、道教、神道、ゾロアスター教、ジャイナ教、シク教……等々、いわば「世界の諸宗教」である。このことは、一般人と専門家では同じ言葉でもその概念規定が違う、という、よくある事例の一つなのだろうか。だが事情はいささか歴史的である。

そもそも、“世界宗教”という言葉を初めてもちいたのは、草創期の宗教学者だった。宗教学という学問分野の歴史は意外とまだ浅く、誕生したのは1870年代のヨーロッパ、と言われている。宗教学の誕生とともに、“世界宗教”という言葉が(学会誌や百科事典のなかに)出現した。そして出現した当初、この言葉は、今日のたいていの人が思い浮かべる「世界三大宗教」を指していた。

ではなぜ草創期の宗教学者には、“世界宗教”という言葉をいわば“発明”する必要があったのか。宗教一般を、「普遍的宗教」と「民族的宗教」に二分するためである。“世界宗教”とは「普遍的宗教」を意味していたのだ。こと宗教に関するかぎり、普遍的/民族的、という二分法の分類ではそう簡単に割りきれないことくらい、今日のたいていの人が考えてもわかりそうなものだが、当時の宗教学者たちは、まずこうした分類をしたうえで、その理論的根拠を議論していた。普遍的/民族的という分類の根拠を正当化することが、いわば宗教学の仕事だったわけだ。

宗教における普遍性とは何か。この問いは論争を呼び、事態は錯綜する。信者数なら仏教よりはるかに多いヒンドゥー教が、なぜ“世界宗教”ではないのか。それはヒンドゥー教がインド人の(民族)宗教だからである。しかも仏教は、バラモン教のカースト制を批判し超克するために、ブッダが開いた宗教である。ちょうどキリスト教が、ユダヤ教の律法主義を批判し超克するために、イエスが開いた宗教であるように(“批判と超克”という、このリベラルな、近代主義的含意)。

そして、近代的な意味でリベラルではないと見なされたのが、イスラム教である。19世紀末の宗教学者たちは、“世界宗教”からイスラム教をしばしば外した。その根拠として彼らが援用したのが、当時の比較言語学である。仏教経典のサンスクリット語は屈折語で、新約聖書のギリシア語と同じくインド=ヨーロッパ語族である。コーランのアラビア語は膠着語で、セム語族である。屈折語は自由で寛容な心性を表わし、膠着語は偏狭で排他的な心性を表わす。ゆえにイスラム教は排他的な民族宗教である――。

今日の言語学では、屈折語/膠着語、という分類はほとんどもちいられない。ある言語における屈折(語根に対して語尾が変化する)と膠着(語根の後ろに接辞がくっつく)はあくまで傾向的な度合いであって、多くの言語は複数のタイプの特徴をさまざまな程度に併せもっており、厳密に区別はできない。ところで、屈折はなぜ自由で、膠着はなぜ偏狭なのか。そもそも、ある言語の語形変化のあり方が、その言語を話し書いてきた民族の精神や知性を反映しているなどと、どうして言えるのか。

ここには故意の言い落としや歪曲がある。ヒンドゥー教の経典は仏教と同じく、サンスクリット語で書かれている。それなのになぜ、ヒンドゥー教は民族的宗教なのか。比較言語学によれば、アラビア語における屈折と膠着の度合いは半々で、見方によっては、アラビア語は屈折語だとも言いうる。また、ムスリムは(アラビア語を話す)アラブ人だけではない。アフガン語やペルシャ語(典型的な屈折語)を話すムスリムも大勢いる。彼ら非アラブ人ムスリムは、イスラム教の精神を体現していない、というわけか。さらに、イエスはユダヤ人だったのだから、律法学者たちと同じくヘブライ語を話していたはずだ。ならば、イエス・キリストの元来の教えは、膠着語であり偏狭で排他的な、セム語族のヘブライ語で語られていた、ということになりはしないか。

いずれにせよ、今日の宗教学者にとって、草創期の宗教学者が描いた“世界宗教”図式は、いったん解体されなければならなかった。20世紀以降の宗教学者たちが、“世界宗教”という言葉で、ますます世界の諸宗教を多元的に並列しようと努めてきたのに対して、われわれ一般人には、当初の“世界宗教”図式がいわば暗黙の了解と化してしまったのが、この百数十年の歴史であったように思われる。イスラム教は民族宗教、という誤まった認識が、いまだに根強く残っているのはなぜなのか。それは“世界宗教”の”発明”が、根拠なき根拠に端を発していたからである。「偏狭で排他的なムスリム」という謬見――これはいまなお批判し超克されなければならない、今日の課題である。


「いじめの構造そのものを、ぶっ壊す可能性を提示しなければならない」

2021年02月14日 11時02分56秒 | 社会・文化・政治・経済

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「いじめの構造そのものを、ぶっ壊す可能性を提示しなければならない」―――岩田健太郎 教授に聞く

光文社新書
2020/04/14 10:35

「子供のいじめがなくならないのは、そもそも日本の大人社会が、いじめ体質だからだ――。」先日、「あとがき」と「目次」を先行公開した光文社新書の新刊『ぼくが見つけたいじめを克服する方法――日本の空気、体質を変える』が、本日発売となった。刊行に際し、著者である神戸大学の岩田健太郎教授に、話を聞いた。
なぜいま注目の感染症の専門家が、「いじめの本」なのか。岩田氏がこの本に込めた思い、そして今こそ読者に伝えたいこととは?

写真・野澤亘伸/聞き手・光文社新書編集部

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目次
「世の中こんなもんだ」といじめを受け入れる日本の空気
いじめの前提である構造そのものをぶっ壊さなければならない
本を書く、論文を書くということは、世の中の前提を揺さぶること
空気は、何の役にも立たない。少なくとも感染対策にとっては有害無益
同調圧力の強いところでは、科学的な態度は育まれない
プロではないから、異論が出ると混乱する
いじめの構造は、滅びへの道
党派性ありきで、利用されるデータ
自分が変わる覚悟がない討論は、たんなる演説にすぎない
こういう態度だったらいじめていい、という根拠はない

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「世の中こんなもんだ」といじめを受け入れる日本の空気

――いじめについて書こうと思った理由を教えてください。

岩田 はい。本にも書きましたが、ぼく自身、ずっといじめにあっていたというのが一つの理由です。それから身近にも、いじめにあって苦しんでいる人がいました。

これまでにも、「いじめの克服法」的な本はたくさん出版されています。
今回ぼくは、日本でいじめについて扱っている本は、ほぼ全部読みました。それから外国の本も読んだのですが、どれもまあ、全然ピンとこなかった。「こんなんでいじめなんてなくなるわけないな」と思いながら、読みました。

それで、やっぱり、自分で書くしかないなと思ったんです。

――どんな人に向けて書かれたのでしょうか。

岩田 想定読者はとくにないです。というより、これも本にも書いたように、日本は、基本的に社会の構造そのものが「いじめ社会」なので、たぶん、ほぼ全員が関係者なんです。

だから、自分は「いじめに関係ない」って思っている人も、実は関係している。気づいていないだけで。
あらゆる社会構造に、いじめの構造が蔓延しているんです。

だから、いじめと無縁でいる人ってほとんどいないと思います。それに気づいてほしい。そういう意味では、誰が読んでもいいと思いますし、誰にでも読んでもらいたいです。

――医学界や医療現場のことも書かれています。「この空気を変えなければ」というような思いは常にあるのでしょうか。

岩田 はい。さっきも言いましたように、いじめは構造問題なのですが、その構造を、多くの場合は「仕方がない」と思っているんですね。世の中こんなもんだから、って、みんな言う。で、世の中こんなもんだって受け入れる人が、なんかエライ人、みたいになってしまっているじゃないですか。

ぼくが、クルーズ船に入ったときも、何か、みんなを混乱させたとか、みんなの空気を乱したなどと言われましたけれども、そもそも、感染対策の専門家が船に入って、「ここの対策の仕方がおかしい」って指摘して、混乱する現場が悪いんです。その程度で混乱するというのは。

これは本当に、同調圧力そのものでして、「これまでやってきた空気を乱すな」「みんなと同じことを言わないと全部排除」みたいな、まさにあれは排除の論理なんですけど、その論理がそもそもおかしいだろうっていう話だと思うのです。

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いじめの前提である構造そのものをぶっ壊さなければならない

岩田 日本では常識と言われていること、みんなが「こうしなきゃだめだろ」って言うノーム(norm)、つまりまさに「規範」みたいなものですが、それがそもそもいじめの構造の正体そのものなんです。その「常識だろ」って言っているものが、じつは「非常識」かもしれない、っていうことに、気がつかない。

この日本特有の構造があるので、たぶん、同じ悲劇がずっと繰り返されると思うんですね。

いじめで自殺する子が出る。ニュースで報じられる。また出ました、また出ました、また出ました……そして今度は、学校がいじめを隠蔽していました、教育委員会も看過していました……こんなことがずっと繰り返されているじゃないですか。

もう、延々と続きますよ。いつまでたってもなくならない。だってそれは、この「いじめの構造」を壊すっていう、前提をやろうとしていないからです。

神戸でもつい最近に問題になりましたけど、教師のあいだでもいじめはあるし、教育委員会の中でもいじめはあるし、自治体でもいじめはあるし、政府の中でも当然いじめはある。

いじめが構造化されていて、常識化されていて、そしてその構造を受け入れないと排除するという、さらにまた二重のいじめが起きる。だから、構造そのものをぶっ壊すっていう可能性を提示しないとならないと思うんです。


本を書く、論文を書くということは、世の中の前提を揺さぶること

岩田 本を書くというのは、常に、可能性を提示する行為だと思います。我々が常識だと思っていて、ここから一歩も動かなくていいって思っているのを、動かすべきだって言うのが、たぶん、本だと思うんですよね。それが、ものを書く根拠になっています。それで、この本も書きました。

これは学術論文でも普通の本でも全部そうだと思うんですけど、「世の中がこうなっていますよ」っていうところを揺さぶらないと、たぶん、ものを書く根拠っていうのはない。

2011年に出版した『1秒もムダに生きない――時間の上手な使い方』(光文社新書)という本も――あれは他者のまなざしに規定されずに生きることが、時間を、そして自分と周りの人を大切にすることになる、ということを書いた本なのですが、――あの本を書いたばかりのときは、相当、何バカなことを言ってるんだ、というような意見のほうが多かったんですね。

最近になって、好意的な感想をいただくことが増えてきました。十年近くたって、ようやく、理解されてきたのかな、と思います。

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空気は、何の役にも立たない。少なくとも感染対策にとっては有害無益

――マレーシア在住のライターの野本響子さんが、岩田先生の告発と、それに対するバッシングをきっかけに『cakes』に書いた記事(「日本でコミュ障とよばれる人が、海外で活躍できる理由」)が話題になりました。その記事の中で、日本でコミュ力があるとされる人が、海外では全く役に立たないことが多く、逆に日本で「コミュ障なんです」と言う人が、海外で大活躍している、という指摘がありました。野本さんは、日本特有の同調圧力についても、繰り返し指摘されていますね。

岩田 あ、あれについては、すごく同意しました。
あのクルーズ船に関する動画をめぐっては、本当にいろいろな人からいろいろなことを言われたのですが、海外の方――これはべつに英語圏の方だけではなくて、フランス、デンマーク、中国、韓国……まあいろんな国の人からいろいろな言葉をいただいたのですが、「コミュニケーションの仕方が悪い」って言われたのは日本人からだけです。

では、日本でコミュニケーションの仕方が良いっていうのは、どういう意味かというと、反対意見を言わない。みんなに合わせる。黙ってる。これがコミュニケーション・スキルだと勘違いしている。

でも、他の国々の人の言うコミュニケーション・スキルは全然違っていて、ちゃんと意見を言う。で、間違っていれば、指摘する。これがコミュニケーションなんです。何が間違っているのか、なぜ間違っているのかまで、きちんと説明できる。

日本の場合は、意見や説明能力というのは、コミュニケーション能力とは全く関係がなくて、単に、空気を乱さない、みんなに合わせる、それがコミュニケーション能力だと勘違いされているんですね。
だから会議が退屈で、生産性がないんです。

日本でコミュ力が高いとされる、場の空気を読むだけの人は、日本の外ではまったくコミュニケーション能力とは評価されません。それは空気を醸造しているだけですから。

日本では、空気さえ醸造していればそれでいい、というところがあるんです。

でも、空気は、実質的に何の役にも立たない。少なくとも感染対策にとっては有害無益です。


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同調圧力の強いところでは、科学的な態度は育まれない

岩田 本にも一部書いていますが、基本的に日本の医学界は、同調圧力はもうめちゃめちゃ強いです。いじめも多いですし。

とはいえ、世界すべての医療界を知らないので、すべての国々については分からないですけれど、たとえばアメリカでも、同調圧力はあります。
ただ、アメリカの場合は、同調圧力に抗う力も結構大きいのです。

まあでも、イギリスなんかではさすがに、「みんなの意見を一致させなきゃだめだ」とか、そういう前提はぜんぜんないですね。必ず異論を言う人はいますし、異論、つまり、自分と意見が違うというのは、べつに否定の条件ではないので、そこで人格否定などをされることはまったくない。

イギリスでは、今回のCOVID対策として、当初、多くの人に感染させて、新型ウイルスへの免疫を持つ人を増やすことで集団免疫を形成して、冬の感染をスローにしよう、という話がありました(「集団免疫」戦略)。

ところが、あっちこっちから大反対が出たんですよね。で、結局、ボリス・ジョンソンたちは、意見を変えた。やっぱり方針を変えますと言って朝令暮改にしたんです。

あれが、正しいやり方なんです。
科学的であるっていうのは、首尾一貫していることではなくて、間違っていることが分かったらそれを認める。そしてちゃんと議論をして、反対意見も出て、それについて、また反論するか同意するかして、で、やり方を変えるときは変える。

これが、基本的に論理的な考え方だし、コミュニケーションの仕方なんです。

プロではないから、異論が出ると混乱する

岩田 ところが日本の場合は、もう決めたことだから、とか、みんながやるって言ってるのに、なんでおまえは文句言うんだみたいな感じで、一度決めたことは変更できない。

これも繰り返し言っていることですが、プランAばっかりで、プランBがない。で、プランAがうまくいかなくても、そのまま突き進んでしまう。

これは、ノモンハンとか、インパール作戦とか、あのへんの失敗と同じパターンです。プランが1つしかなくて、それがポシャっても、全滅するまで進みつづける。

『失敗の本質』っていう本がありますけど、あの本で問題にされているのと同じ、硬直した考え方です。まさに構造的な失敗のパターンですよね。間違いは早く見つけて方針転換するというイギリスのやり方は、正しいやり方です。

したがって、異論はどんどん言うべきです。

クルーズ船の件でも、何かイワタが現場を混乱させたとか言われましたが、先ほども言いましたけれど、そもそも反対意見言ったぐらいで混乱する現場が悪いんですよ。「その程度で混乱すんな」って言いたいですよね、プロなんだから。

まあ、アマチュアだったのかもしれないですが。本来はプロが入っているべきで、プロだったら意見の衝突があっても混乱なんてしないはずなんです。

これは、スポーツの世界でも何でもそうだと思うのですが、サッカー選手が、たとえばある選手が「こうするべきだ」って主張して、そこで混乱したら、それはプロのサッカー選手ではないですよね。

現場を混乱させたっていう指摘は、まったく事実だったようですし、そういう意味では申し訳なかったなとは思うんですけど、でもぼくに言わせると、なんでそんなことで混乱するんだって思いますね。その程度のことで混乱するっていうのは、もうアマチュアそのものじゃないかと思うんです。


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いじめの構造は、滅びへの道

岩田 みなで合意して進んでいるものに異議が出て、止められること、空気を乱されることに抵抗が強い。これはいじめの構造の前提になっている同調圧力でもあるのですが、これこそが、滅びのパターンです。

たとえば、3月に、消費税の減税を求める声が上がったときに、自民党の二階幹事長が、「消費税というものをつくった時にどれほどの苦労があったか」「仮に下げた場合に、いつ元に戻すのか、責任は誰が負うのか」などと発言しました。

ぼくは経済学者じゃないんで、消費税を下げるべきなのか、このままでいくべきなのか、にわかに判断がつかないのですが、ただ、「みんなで頑張ってつくったものだから変えられない」っていうその論理は、極めて間違っているなと思いました。一番やばいパターンだと思います。でもこれは日本では本当によく見られることです。

ぼくは島根県の人間なんで、中海・宍道湖の干拓・淡水化事業の記憶が焼き付いています。あの干拓事業は、意味がないって分かっていたのに、二十何年間ずーっと計画が続いてました。もうまさに、走り出すと引き返せない。

間違っていたら、撤回して、直すっていうことは、いちばん初歩的な、小学生ぐらいで覚えるべきことです。それを大人ができない。日本は本当に、大人が子供です。それはやっぱり、ディベートとかディスカッションみたいな訓練を全然されていないからだと思います。

だから、ある意味では、日本人の大多数がコミュ障なのではないかと思います。コミュニケーションというスキルがなくて、単に、みんなに合わせることで、コミュニケーションをとったつもりになっている。

議論によって前に進むんじゃなくて、声のでかい人の一喝とか、みんなの雰囲気とかで、ものが決まっていくんです。だから、非理性的で、理不尽なものごとの決まり方になるんです。

党派性ありきで、利用されるデータ

――空気を乱さないことばかりを考えて、自分自身で何が正しいかを考える習慣がないということですか。

岩田 はい。つまり、何が正しいかっていうよりも、「みんながこれで乗っかれるか」とか、「みんながそれで怒らないか」とか、そういうのを基準にものが決まるんです。

東京オリンピックに関しても、3月中旬に、「いま開催すべきでない」ということをブログで書きました(「2020年夏に東京オリンピックを開催すべきでない理由」楽園はこちら側)。

たとえば、開催すべきか開催すべきでないか、という議論をするからには、どういう基準以上だったら開催して、どういう基準以下だったら開催できないっていう、その基準線を引くべきなんです。

それをしないで、「やる」「やらない」っていうところからまず議論をすると、ただのイデオロギーの主張になって、意味がない。だから、「ここまでならば開催」「これ以下だったらしない」っていう、科学的で論理的な線を引くべきなんですよね。

で、その線を引いてみると、感染症屋的には「開催は無理やな」って思ったから、開催すべきでない、って書いたんです。べつに最初から「開催しないありき」ではない。

つまり、大事なことですが、「○○をすべき」「すべきでない」は、結果であって、前提ではないわけですね、本来は。

だけど日本の場合は、すぐに党派性を出して、まずは「どっち派だ」っていう派閥を決めて、で、結局自分の議論に都合のいいデータをくっつけて、なんとなくそれっぽい主張にしてしまいます。

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自分が変わる覚悟がない討論は、たんなる演説にすぎない

岩田 『朝まで生テレビ』っていうテレビ番組がありますね。あれがそうなんですけれど、あの番組に出てくる人たちって、始まってから終わるまで、首尾一貫して、意見が変わらないでしょう。

意見が変わらないっていうことは、進歩がないってことで、同じことをずーっと言い続けているわけです。

っていうことは、あの人たちは、議論をしているんじゃなくて、単に演説を繰り返しているだけで、それで朝まで過ごしている。いちばん非生産的な時間の使い方です。

「番組が始まったときはこう思っていたけど、おまえの意見聞いて、やっぱ俺、意見変わったわ」っていう人が一人も出ないっていうのは、何も進歩がないっていうことです。

哲学者の鷲田清一先生がよくおっしゃることですが、自分が変わる覚悟がなければ、対話というのは成立していないんですよ。だけど、多くの日本人は、変わることはしないという前提で、演説を繰り返して、それを議論だと勘違いしています。

それは主張の連打であって、議論ではない。議論というのは、自分が変わるというのが前提ですから。


こういう態度だったらいじめていい、という根拠はない

――それでは最後に、もういちど読者にメッセージを。

岩田 はい、そうですね。この本を読んだ人からの、ありがちな反応として、「おまえがそういう態度をとるから、みんなに文句言われるんだ」というようなことを言う人が、ぜったいに出てくると思うんです。

で、ぼくが言いたいのは、「こういう態度だったらいじめてもいい」っていう前提がそもそも間違っている。その言い回しそのものが、そもそもいじめの正当化の一番の遠因で、相手がどういう態度であろうと、それはいじめていい根拠にならないのだということです。

子供のいじめの場合でもそうです。多くの学校の先生は、「ああ、それは、あなたにも悪いところがあったでしょ」みたいな指導をするじゃないですか。
だから、それがそもそも、前提としてあかん。

本の中でも、愛子さまのエピソードでも出しましたが、「仕方がない」「いじめていい」という前提とか根拠っていうのは、まったくないんですよ。そんなものは、全部否定です。それは、すべてリンチなんです。

それが、たとえどんなに有名な人であろうが、芸能人であろうが、あるいは、まったく無名の人であってもそうなんですけど、これこれこういう理由があるから、いじめは許容されるとか、差別が許容される、というのが、その語調そのものが、そもそも間違っているっていうことです。

それは絶対にいじめることの根拠にならないし、してはいけない、っていうところだけは、分かってもらえればいいなと思います。

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岩田健太郎(いわたけんたろう)
1971年島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学医学部)卒業。沖縄県立中部病院、ニューヨーク市セントルークス・ルーズベルト病院、同市ベスイスラエル・メディカルセンター、北京インターナショナルSOSクリニック、亀田総合病院を経て、2008年より神戸大学。神戸大学都市安全研究センター感染症リスクコミュニケーション分野および医学研究科微生物感染症学講座感染治療学分野教授。著書に『予防接種は「効く」のか?』『1秒もムダに生きない』『99・9%が誤用の抗生物質』『「感染症パニック」を防げ!』『サルバルサン戦記』『ワクチンは怖くない』(以上、光文社新書)、『インフルエンザ なぜ毎年流行するのか』(ベスト新書)、『「患者様」が医療を壊す』(新潮選書)、『絵でわかる感染症 with もやしもん』(講談社)など多数。
☆過去の記事はこちら → 岩田健太郎『ぼくが見つけたいじめを克服する方法』あとがき&目次を先行公開 「あとがき」と「目次」が読めます!

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『ぼくが見つけたいじめを克服する方法――日本の空気、体質を変える』4月14日(火)発売


ダイヤモンド・プリンセス号の告発で注目の
感染症エキスパートによる渾身の書

願望より、ファクトを
空気ではなく、科学を

日本に蔓延する同調圧力を打ち破れ!


【内容紹介】
子供のいじめは一向に減る気配がない。それはそもそも、日本社会、それも大人の社会がいじめ体質だからだ。大人の社会でいじめが普遍的で常態化しており、「世の中そんなものだ」と多くは納得すらしている。本書では、どうしたらこの悪循環を断ち切り、いじめが蔓延しない社会にできるかを提案する。

自らもコミュ障で、いじめられっ子だったという著者。さまざまな経験の末に、それに立ち向かい、克服する方法を導き出している。「いじめの正体は『空気』だ」とする著者の姿勢は一貫している。大事なのは、空気よりもファクト。いじめを認知し、オープンにする。医療においても、空気によるいじめはある。大事なのは科学であり、事実である。空気なんてどうでもよい。あえて空気を読めないふりをすればよいのだ。ファクトを無視したフェイクな社会において、多くの人が健康を損ない、苦しむことになるのだ――。

厚労省の体質の問題点や、注目を集めた新型コロナウイルス流行時のクルーズ船の感染対策告発にも言及する。

 

 


いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか

2021年02月14日 11時02分56秒 | 社会・文化・政治・経済

いじめはなぜ蔓延するのか? 画期的理論をうちたて注目される〈いじめ研究〉の第一人者が、学校でのいじめ問題の本質を平易に語る。第1章 「自分たちなり」の小社会 / 第2章 いじめの秩序のメカニズム / 第3章 「癒し」としてのいじめ / 第4章 利害と全能の政治空間 / 第5章 学校制度がおよぼす効果 / 第6章 あらたな教育制度 / 第7章 中間集団全体主義


逃げ出すことのできない恐怖と絶望と悪意の世界=いじめはなぜ蔓延するのか? 画期的理論をうちたて注目される〈いじめ研究〉の第一人者が、学校でのいじめ問題の本質を平易に語る。

内容(「BOOK」データベースより)

学校や社会からこの苦しみが消えない理由とは?

抜粋

逃げることができない出口なしの世界は、恐怖である。そこでは、誰かが誰かの運命を容易に左右し、暗転させることができる。立場の弱い者は、「何をされるか」と過剰に警戒し、硬直し、つねに相手の顔色をうかがっていなければならない。
そして、自分が悪意のターゲットにされたときの絶望。
いじめは、学校の生徒たちだけの問題ではない。昔から今まで、ありとあらゆる社会で、人類は、このはらわたがねじれるような現象に苦しんできた。本書では、人間が人間にとっての怪物になる心理−社会的メカニズムである、普遍的な現象としてのいじめに取り組む。
本書は、学校のいじめについて、分析を行い、「なぜいじめが起こるのか」について、いじめの構造とシステムを見出そうとする試みの書である。(「はじめに」より抜粋)

著者について

1962年、東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程を経て、現在、明治大学文学部准教授。専門は社会学。
初めての著作『いじめの社会理論』(柏書房)でいじめ発生のメカニズムを解明して注目を集め、『<いじめ学>の時代』(柏書房)では、自身の体験、<いじめ学>誕生までの軌跡を含めていじめ問題を論じ、読者の大きな共感を呼んだ。
他の著作に『いじめと現代社会』(双風舎)、『学校が自由になる日』(宮台真司・藤井誠二氏との共著、雲母書房)、『「ニート」って言うな!』(本田由紀・後藤和智氏との共著、光文社新書)などがある。
学校におけるいじめ問題はもう数十年近く言われ続けているにもかかわらず、一向になくならないわけですが、それはいったいなぜか?という問題に迫った良書
いじめで自殺者などが出るたびにワイドショーなどでコメンテーターが近頃の子供の道徳心の低下などをしたり顔で嘆いたりするわけですが、実際は道徳の問題ではなく、学校というシステムそのものの問題であることが本書で分かる
著者は学校でいじめが発生する根本的な要因は、クラス内において過度に人間関係の親密さを強要するシステムそのものにあるという
たいていの学校ではクラスのみんなが仲良くすることを目標とした標語が掲げられているが、そもそもこのような仲良くすることを前提とした人間関係を構築しようとするから、いじめが発生するのだという
現状の学校のクラス分けは必ずしも相性でクラスメイトが決定されているわけではない
このため、相性の悪い相手と長時間同じ空間で過ごさなくてはならないというストレスのたまりやすい現象が生じやすく、これがいじめの温床となっている
このような相性の悪い相手と親密な関係を強要されることは大人でも辛いものだが、人生経験の足りない子供にとってはさらに辛いものであることは容易に想像がつく
このようなシステムでは親密な人間関係を築けないもの=悪とみなされるので、それを恐れて例えまったく合わない相手であっても仲良くするフリを演じることにつながり、仲間はずれにされた側は落ち度がなくてもあたかも本人の責任であるかのように責められ、理不尽な暴力・暴言に耐えることを強要されることにつながる
著者はこの解決策として、学年やクラスで生徒を囲い込む現行の制度を廃止することを提案している
そうなれば、人間関係がクラス内で固定化されず、人間関係を自由に構築できるので、合わない相手と無理につきあう必要性もなくなり、それによって生じるいじめも解消されるという
つまり、いじめがなくならない根本的な要因はクラス制度にあり、これをなくすだけでもかなりいじめの問題は減ると思われる
また、暴力行為に対しては警察の介入を要請し取り締まることも提案している
一般社会で行われたらたちまち逮捕されるような暴行が学校内では放置されているのは明らかにおかしく、このような暴行を放置していることがいじめのエスカレート化につながるという
元いじめの当事者として言うなら、著者の提案はいちいちもっともであり、いい加減、いじめ問題を道徳問題にすり替えるのはやめてもらいたいし、道徳の問題にすり替えてもっともらしいことを言うだけで学校の制度になにも切り込まない識者には軽蔑しか感じない
 
 
この本を読んで初めて、学校でなにが起きているのかがよくわかった。同時に、自分が過ごした小学生時代、中学生時代でなぜいじめが起きてきたのかも理解できた。

ただ、前半の的を得た構造分析に比べて後半の解決策が、正直、弱く感じる。短期施策は誰もが思いつくものだし、長期施策は何を言っているのか、申し訳無いがよくわからない。

大事なのは難しいことを難しく言うのではなく、難しいことを簡単に言うことではないか。この本を読んで、政府関連や省庁が動けるとは思えない。

ぜひ、噛み砕いていただきたく。
 
 
 
(深謝。畏れながら微細でも参考になれば)1、今の学校が残虐悲惨な著者のいう独特な「群生秩序」に支配され、「市民社会の秩序」は死んでしまっているというのです。つまり「無法地帯」です。まるで暴力団かヤクザかマフィアの世界の様です。学校はなぜ、こんな怪物になってしまったのでしょう。厚かましいですが、そこも御教授していただきたかったです。 2、ブームの「君たちはどう生きるか」の北見君のように怪物的にならず、逆に 怪物に対抗して、被害者の味方になろうという人もいます。その様な人の事に触れられていないのが残念です。今はそんな人がいないのでイジメがはびこってしまうのでしょうか。どうして、いなくなってしまったのでしょう。 3、著者は「学級制度を廃止せよ。」など、学校制度や教育制度の悪さを指摘されています。確かにそこにも問題はあるでしょう。ですが、校風として、玉川学園創立者、小原國芳先生の「全人教育」や 無類の教育者、河合榮治郎先生の「人格最高価値」などの様な、より人間的な 校風を醸成していくことが重要なのではないのでしょうか。難しいでしょうか。 4、難解な学術用語が多く、凡庸な私には読解が難しく苦しみました。
 
 
 
最近、教師のいじめ問題があり、自分もいじめられていた経験もあり、いじめのメカニズムについて詳しく知りたいと思い、この本を買いました。いじめの起こるメカニズムは以下の通りだと私は理解しています。
1.漠然とした不全感を抱いた子供(大人)がその不全感を消去するために、相手を思い通りに操作する(いじめる)
2.周りの人と仲良くするという規律のもと、閉鎖的な空間(例えば、学校)の中で、上手く生き残るために、いじめに加担する(悪ノリする)ようになる
3.だんだんいじめがエスカレートしていく
詳しくは読んでいただければと思いますが、このメカニズムは正しいと思います。特に閉鎖的な空間では、依拠する情報源が一つになってしまい、簡単に影響を受けてしまうことが多いにあります。また、これと同じようなメカニズムが国家にも発生していることから、中間集団全体主義という概念を提唱しています。この説明も面白いと思いました。
一方で、いじめの解決策を第6章で示していますが、これは疑問に思いました。解決策はP.232に端的に書いてありますが、行政に丸投げするような解決策となっています。これでは、国家が動いてくれなければ、どうしようもないのではないか、という印象を受けてしまいます(ちなみに、いじめの場にいるときの個人としての立ち回りについては一切言及されてません)。また、理論的なことしか書いてなくて、実際にその解決策を行った具体(類似)例を挙げてない(多分どこも実施されてない?)ことから、机上の空論という印象も拭いきれませんでした。これは、いじめ自体は簡単に無くせない、もしくは、根絶できない問題だということを表していて、ある意味絶望感がある結論になってしまっている印象を受けました。
 
 
面白い考え方です。概ね納得できたのですが、今の日本社会でこれを実現するのは難しいと思いました。忖度を容認している現代社会への批判のように感じました。
ちなみに私は、ある程度の忖度は必要ではないかと考えているので、この筆者の意見を全て取り入れるのには、ちょっと抵抗があります。
日本のトップである政治の世界で忖度がなくなれば、いじめもなくなるかもしれませんね!
 
 
いじめがどのように起こるのか、感覚的にはわかる、同意できるところが多かった。しかし用語の定義や表現が曖昧、情緒的に感じられた。
 
 
この内容を読み進めて行くうちに、この様な虐めの構造は、大人における一般社会でも十二分に実際問題として存在する、恐ろしい社会問題であると、私は痛感させられました。
現に精神的未成熟で幼稚化した若人が成人をし、
一般社会に存在していると言う事は、
この本に記載されている状態に陥っているのが、
事実だと私は考えます。
是非とも多くの方々にこの本を読んで頂きたいです。
それと同時に、対策も考える必要があると私は考えます。
 
 
 
 
 

<いじめの構造>そのものの本質

2021年02月14日 04時20分14秒 | 沼田利根の言いたい放題

異なる意見を許さんない風潮は、ある意味で危険ではないだろうか?

世間の多くの<過剰な反応>も異常事態と思われてならない。

「もっと、怒るべき重大な問題が、見逃されている」のではないだろうか?
つまり、<いじめの構造>そのものの本質が露呈しているのだ。


新型コロナ 茨城で感染19人、3人死亡 那珂クラスター計64人に

2021年02月14日 04時20分14秒 | 医科・歯科・介護

2/14(日) 4:00配信

茨城新聞クロスアイ

茨城県は13日、県内で新型コロナウイルス感染者が新たに19人確認されたと発表した。県内で1日当たりの新規感染者公表数が20人を下回るのは、昨年12月23日以来。県内の累計感染者は5334人となった。また、新型コロナに感染し県内医療機関に入院していた90代女性1人と80代女性2人の計3人が12日までに死亡、県内の死者は累計91人となった。

県によると、県内で最大規模のクラスターが発生している那珂市内の病院で、新たに医療従事者の70代女性1人の感染が判明し、同病院の感染者は医療従事者と患者を合わせて計64人となった。取手市の事業所では、技能実習生の男性2人の感染が分かり、関連の感染者は計17人となった。

新型コロナ感染者のうち新たに55人が回復。県内の退院・退所などは計4719人となった。

■県内の感染状況  
新規 19人  
累計 5334人  
うち死者 91人  
退院・退所等 4719人  
(県発表、13日午後10時現在)

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震度6強 広範囲で一時停電

2021年02月14日 04時20分14秒 | 事件・事故

2/14(日) 3:40

13日午後11時8分ごろ、福島県と宮城県で震度6強の激しい揺れを観測する地震があった。

原子力規制庁によると、福島第一・第二原発などに異常は確認されていない。

一方、東京電力と東北電力管内では、広い範囲で停電が発生した。

原子力規制庁によると、福島第一原発、第二原発のほか、宮城県の女川原発など、原子力関連施設では施設への異常はなく、周辺の放射線量を測定するモニタリングポストの値にも変化はないという。

一方、この地震により、広い範囲で停電が発生し、東京電力と東北電力管内では、一時およそ95万戸が停電した。

東北電力管内では14日午前2時35分現在、福島県でおよそ4万9,800戸、宮城県でおよそ1,100戸停電するなどしている。

東京電力管内では、火力発電所が停止したことなどが影響し、広い範囲で停電が発生したが、午前2時44分現在、ほぼ解消し、群馬県で110戸、栃木県で70戸となっている。

 

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柳美里さん「めちゃくちゃです」なすびさん「大丈夫」SNS投稿相次ぐ

2021年02月14日 04時16分54秒 | 事件・事故

2/14(日) 1:04配信

毎日新聞

各地の震度

 福島県と宮城県で震度6強の地震が発生した13日夜から14日未明にかけて、ツイッターなどのSNS上でも両県在住者などから、被害や不安を訴える投稿が相次いだ。【金志尚/統合デジタル取材センター】

【天井から水が漏れ水たまりができたJR福島駅】

 福島県南相馬市に住む作家の柳美里さんは、室内に本や棚などが散乱する様子の写真とともに、「かなり揺れて、震えがおさまらない」「自宅の中がめちゃくちゃです」と連続して投稿。また、お笑い芸人のなすびさんも食器などが散乱した室内の写真とともに「福島市、かなりの揺れで現在停電中ですが、私は大丈夫です!」と投稿した。

 福島市在住の詩人・和合亮一さんは「家財道具がめちゃくちゃです。大丈夫。落ち着きましょう」「停電の中、水を風呂桶(おけ)に、汲(く)み始めました。10年から学んだこと」と東日本大震災を振り返ってツイートした。他にも、部屋が揺れている様子の写真や、ものが散乱して「家から出られません」などと被害を訴える住民からの投稿が相次いだ。

 デマや虚偽情報について、「安易に拡散して自分自身が『加害者』にならないよう気をつけましょう」と注意を呼びかける投稿も相次いでいる。

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「家の中めちゃめちゃ」「またか」 緊張の夜

2021年02月14日 04時14分35秒 | 事件・事故

2/14(日) 2:07配信

河北新報

ガラス瓶が散乱した店内=13日午後11時45分ごろ、仙台市青葉区台原1丁目のMEGAドン・キホーテ北仙台店

 突き上げるような激しい揺れの中で、脳裏にあの日の記憶がよぎる。東日本大震災から間もなく10年を迎える東北を13日夜、再び強い地震が襲った。「また被害が出なければいいのだが」。震災被災者らが緊張の夜を過ごした。

 最大震度6強を観測した相馬市の五十嵐ひで子さん(73)は「本棚が倒れたり仏壇が傾いたり、家の中がめちゃめちゃだ。東日本大震災時より揺れがすごく、木造の家がミシミシいうので危険を感じて外に飛び出した」と、おびえた様子で語った。

 名取市の無職柿沼基子さん(51)方では、台所の食器棚から食器が床に落ちるなどした。「地震の揺れがどんどん強くなり、震災規模の地震がまた来たかと思った。津波の心配がなく一安心したが(震災の教訓を)忘れてはいけないんだと思った」と話した。

 震災の津波で自宅が被災した陸前高田市の市議佐々木一義さん(68)は「10年前のシーンがよみがえり『またか』と不安になった。津波がなくてほっとした」と安堵(あんど)。宮城県南三陸町の町職員菅原昌孝さん(60)は「自宅でテレビを見ている時に1分半くらい激しく揺れた。町は震度4だったが震度以上の揺れだった」と振り返った。

 仙台市青葉区のMEGAドン・キホーテ仙台台原店では棚から大量の商品が落下。通常午前2時の閉店を午前0時前に早めた。閉店直後に来店した東北大大学院2年の清水基成さん(24)は「学生寮で暮らしている。もし物流が止まったらと思い、最低限の食料などを買いに来た」と困惑した。

 地震発生直後のJR仙台駅周辺は、帰途に就けない利用客らでごった返した。宮城県利府町に帰宅途中の会社員叶内栄治さん(72)は「構内が大きく揺れ、思わず柱に寄り掛かった」とおびえた様子で語った。

 震度6弱を観測した福島市のタクシー運転手の男性(56)は「車の中でも分かる激しい横揺れだった。市内は停電していたり木が倒れたり、瓦が落ちたりしている所がある」と話した。

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「一緒に死のうと」学校から父に連れ去られた10歳長女、ダム湖で死亡

2021年02月14日 04時09分08秒 | グルメ

2/13(土) 16:10配信

読売新聞オンライン

小学4年の長女を殺害目的で誘拐したとして、奈良県警は13日、同県宇陀市、調理師の男(36)を生命身体加害誘拐容疑で逮捕した。長女は同日朝、同県川上村のダム湖で見つかり、死亡が確認された。男は「一緒に死のうとダム湖に入った」と供述しており、県警は殺人容疑を視野に経緯を調べる。

【動画】あおり運転700メートル…福岡県警が映像を公開

 発表では、男は12日午後2時50分頃、長女(10)が通う県内の学校を訪れ、教員に「おばあちゃんの所に行くので迎えに来た」とうそを言い、殺害目的で長女を連れ出した疑い。

 男は13日未明、ダム湖近くの駐車場で学校関係者に発見され、県警がダム湖で浮いている長女を発見、死亡を確認した。長女には重い身体障害があり、男は「妻の負担となっている長女と一緒に死のうと思った」と供述している。

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宮城、福島で震度6強 負傷者50人超、火災発生

2021年02月14日 04時09分08秒 | グルメ

宮城、福島で震度6強 負傷者50人超、火災発生
2/13(土) 23:14配信

共同通信

地震で被害を受けた福島県桑折町の家屋など=14日午前1時14分ごろ

 13日午後11時7分ごろ、宮城県南部、福島県の中通りと浜通りで震度6強の地震があった。両県の消防によると、50人超が負傷した。火災も宮城県塩釜市の県営住宅で発生したほか、仙台市と福島市のJR福島駅近くの集合住宅でも、各1件の火災が発生したとの情報がある。電線の断線といった情報も相次ぎ、東北から関東、東海の広い範囲では大規模な停電が発生した。日本卸電力取引所の情報公開サイトによると、東北で10基以上の火力発電が停止した。
気象庁によると、10年前の東日本大震災の余震とみられ、今後1週間は震度6強程度の地震に注意が必要としている。