▼臆病や弱さは、あきらめを生み、「もうだめだ!」「これ以上はできない」と、自分の壁をつくり出してしまう。
▼慢心は、油断と安逸を生み、敗北の墓穴を掘る。
その弱い心を打ち破り、自らを鼓舞するのだ。
▼自らの壁を破るには、腹を決めることだ
断じて成し遂げてみせると、一念を定め、勇猛果敢に行動するのだ。
▼生きること、社会的な活動は、常に勇気の行動である。
勇気を引き出す源泉こそ強気一念と使命感である。
常に負けない自分になるのである。
▼臆病や弱さは、あきらめを生み、「もうだめだ!」「これ以上はできない」と、自分の壁をつくり出してしまう。
▼慢心は、油断と安逸を生み、敗北の墓穴を掘る。
その弱い心を打ち破り、自らを鼓舞するのだ。
▼自らの壁を破るには、腹を決めることだ
断じて成し遂げてみせると、一念を定め、勇猛果敢に行動するのだ。
▼生きること、社会的な活動は、常に勇気の行動である。
勇気を引き出す源泉こそ強気一念と使命感である。
常に負けない自分になるのである。
▼他人からみて苦闘と思われることがあっても、自分ではそのなかに常に喜びというか希望が輝いており、そのため苦労という感じがなかったのかもしれません―実業家の松下幸之助さん
▼未来を見据え、目的を持って生きる人には、苦労は忌避するものではなく、喜びや希望と不可分なのかもしれない。
▼人生には、不運に見舞われる時もある。
だが、未来まで不運が続くとは限らない。
それを<不幸>と嘆くか、それとも<幸運>の転換点とするかは、自分の一念次第である。
▼信念に生きる全ての経験は生きるものだ。
▼誰もが何らかの天才ともいえる。どんな困難にあっても自分を信じて、挑戦の青春を謳歌するのである。
▼限界の壁を作ってしまうのは、自分だが、不可能を可能に変えるのはまた自分である。
だからこそ、若い時に、努力を積み重ねてほしい。
私は、幼児から母親から厳しく指導されて育った。
「男の子は獅子の子」に育てる。
それは、母親の思い込みによる幻想のようなものであったのかもしれない。
その私に比べて性格が優しい2歳年上の姉の晶子は、両親に可愛いがられていたのだ。
だが、好き嫌いが激しい晶子は、小学校の給食を完食できず、しばしば残して帰宅していた。
担任の教師から給食を残したことを厳しき指導された晶子は、その後は持参したタオルで残した給食包み自宅へこっそりと持ち帰る。
私5歳の私は、姉が持ち帰る美味しそうな給食の残りを楽しみにした。
姉は幼稚園を卒業したが、私は保育所に預けれた。
母親の洋子は私立の女学校の社会科の教師であり、社会主義者でもあった。
父親の洋三は、大手企業の傘下の企業の経理部の責任者だった。
私は、幼稚園卒業の姉に嫉妬していた。
このため、小学校では、幼稚園出の子ども知り、その子たちをターゲットにいじめに走っていたのである。
毎月、保護観察対象者が保護司の家を訪問(来訪)したり、保護司が対象者の家を訪問(往訪)したりします。 そこで保護司は、対象者の生活状況などについて話し合い、相談に応じて指導・助言を行います。 また、保護司は毎月1回、これらの内容を「報告書」にまとめ、保護司専用ホームページなどを利用して保護観察所に提出します。
保護司は、犯罪や非行をした人の立ち直りを地域で支える民間のボランティアです。
保護司法に基づき、法務大臣から委嘱された非常勤の国家公務員とされていますが、給与は支給されません。
保護司は、民間人としての柔軟性と地域の実情に通じているという特性を生かし、保護観察官と協働して保護観察に当たるほか、犯罪や非行をした人が刑事施設や少年院から地域社会に戻ってきたとき、スムーズに社会復帰を果たすことができるよう、釈放後の住居や就業先などの帰住環境の調整や、地域の方々に立ち直り支援への理解と協力を求める犯罪予防活動を行っています。
保護司は、安全で安心な地域社会を保つために、地域社会の一員として、誰かが担わなければならない役割を果たされている方々であり、全国で約4万7,000人が活躍されています。
(ある保護司の声)
保護司になってから、これまで多くの保護観察を担当してきました。自分が保護観察を担当していた人がきちんと更生の道へ歩む姿を見られることが、一番やりがいを感じられる瞬間だと思います。
例えば、中学生の頃から非行に走り、一時は少年院にも入っていた少年が、穏やかな表情になり、顔を見て話をしてくれるようになったときや、過去に担当していた人から、近況報告の連絡が来たときには、ホッとするとともに、彼らの成長に喜びを感じます。(社会を明るくする運動HPより)
保護司は、地域の人々や事情等をよく理解しているという特性を生かし、保護観察官と協働して、保護観察を受けている人の立ち直りを支援する「処遇活動」と、地域の方々に立ち直り支援への理解と協力を求める「地域活動」の2つの活動を主に行っています。なお、活動に応じて実費弁償が支給されます。
(1)保護観察
月に2~3回程度、保護観察対象者を自宅に招くなどして面接を行い、保護観察中の約束事や生活の指針を守るよう指導するほか、就労の援助、本人の悩みに対する相談等を行い、毎月保護観察所に報告書を提出します。
(2)生活環境調整
矯正施設に収容されている人が釈放されたときに、更生に適した環境で生活ができるよう、収容中から帰住先の調査や引受人との話し合い、就職先等の調整を行うなどし、必要な受け入れ態勢を整えます。
(1)犯罪防止活動
犯罪や非行のない地域社会を築くため、毎年7月を強調月間として、“社会を明るくする運動”(※)を行っています。地域の特性に応じて、挨拶運動やデジタルツールを活用した啓発活動などを行い、再犯を防止することの大切さや更生保護の活動を推進しています。
※ “社会を明るくする運動”:すべての国民が、犯罪や非行の防止と犯罪や非行をした人たちの更生について理解を深め、それぞれの立場において力を合わせ、犯罪や非行のない安全で安心な明るい地域社会を築くための全国的な運動です。
(活動の例)
・街頭パレードの実施
・デジタルサイネージを利用した駅等での広報活動
・スポーツ団体とのコラボによる啓発活動
・一般市民も参加する講演会の開催
・公開ケース研究会の開催
・作文コンテストの実施
その他、地域の特色に応じた様々な活動が積極的に行われています。
(2)関係機関との連携等
保護司は、地域で住民集会を開いたり、学校等と連携するなどして、更生保護や立ち直り、保護司への理解・協力を求めるだけでなく、保護司であるがゆえに地域の様々な機関・団体と連携して活動するなど、地域社会の安全・安心のために様々な形で貢献いただいています。
(保護司会の活動紹介)
・保護区内中学校での出前講座(非行防止教室)の開催
・警察署等と連携した広報活動
・更生保護女性会やBBS会、更生保護施設との連携
・社会福祉関係団体からの委託事業の実施
その他、地域の特色に応じた様々な活動が積極的に行われています。
“社会を明るくする運動”~犯罪や非行を防止し、立ち直りを支える地域のチカラ~についてはこちら
保護司と学校との連携についてはこちら
保護司のパンフレットについてはこちら
毎月、保護観察対象者が保護司の家を訪問(来訪)したり、保護司が対象者の家を訪問(往訪)したりします。そこで保護司は、対象者の生活状況などについて話し合い、相談に応じて指導・助言を行います。また、保護司は毎月1回、これらの内容を「報告書」にまとめ、保護司専用ホームページなどを利用して保護観察所に提出します。保護観察中に何か問題などが起こったときには、保護観察官に連絡し、アドバイスを受けます。各地域には保護司会が有り、定期的に会合や部会が開催されるので、そのような会合や部会に参加して、保護司会の活動等について話し合います。そのほかに保護司会の活動としては、毎年7月を強調月間として行われる”社会を明るくする運動”を中心とする、犯罪予防活動の実施などがあります。
受刑者の帰住予定地を管轄する保護観察所では,刑事施設から受刑者の身上調査書の送付を受けるなどした後,保護観察官又は保護司が引受人等と面接するなどして,帰住予定地の状況を確かめ,住居,就労先等の生活環境を整えて改善更生に適した環境作りを働き掛ける生活環境の調整を実施している。この結果は,仮釈放審理における資料となるほか,受刑者の社会復帰の基礎となる。
刑の一部執行猶予制度の導入に伴う更生保護法の一部改正により,平成28年6月1日から,保護観察所が行う生活環境の調整について,地方更生保護委員会が指導・助言・連絡調整を行うこと,受刑者に対する調査を行うことが可能となり,調整機能の充実化が図られた。また,保護観察付一部執行猶予者について,猶予期間に先立って仮釈放がない場合,実刑部分の執行から猶予期間中の保護観察へ円滑に移行できるよう,地方更生保護委員会が,生活環境の調整の結果を踏まえて審理し(住居特定審理),その者が居住すべき住居を釈放前に特定することができるようになった。29年に住居特定審理を経て住居が特定された者は90人であった(保護統計年報による。)。
平成29年に生活環境の調整を開始した受刑者の人員は,3万7,878人(前年比2.8%減)であり,このうち保護観察付一部執行猶予者の人員は2,428人であった(保護統計年報による。)。
平成21年度から厚生労働省と法務省が連携して取り組む特別調整(本編第4章第2節5項,第3編第2章第4節2項(5)及び第7編第5章第1節1項参照)において,保護観察所は,高齢又は障害を有する矯正施設被収容者で,かつ,適当な帰住先のない者に対する生活環境の調整について,特別な手続を定めて実施している。
1909年(明治42年)10月26日、ハルビン市、ハルビン駅で起きた「伊藤博文暗殺事件」が、暗殺者、安重根の視点を中心に供えて、そこに伊藤博文、日本(帝国)政府、大韓帝国、安重根の家族、安重根が洗礼を受けたカトリック側からなど多くの視点を小気味よく交錯させながら、密に再構築されています。
今、自分が立脚している場所、歴史の片隅に生きている時間軸を把握した上で、私自身の中に多くの思いと反省、怨念と怒りを表出せしめるまるで「カトリック」に対する<踏み絵>のような小説だと感じ取りました。
その小説作法について言えば、安重根が共犯者、禹徳淳を伴いハルビン駅に向かうシークェンスは優れたサスペンス小説のように生き生きと躍動しています。事件は歴史的な事実ですので、読者はどういう結果を齎すか既に理解しているわけですから、それでも尚そのトピックの熱量に圧倒される思いがします。
巻末に「作者の言葉」が置かれていて、その内容に呼応させていただければ、この小説は、比較的裕福な境遇で育ち、カトリック信仰を受け、思ったよりも老成しているように思える若き<猟師>、安重根の行動を追った”アドレッセンス”の発露の物語だったことになります。(山口二矢による「浅沼稲次郎刺殺事件」を描いた沢木耕太郎の「テロルの決算」を頭の片隅に置いた読書になりましたが、かなり異なっていました。)人が何かをしてほしいと祈る時、神が何かをしてくれたことなど一切なく、苦難の中にありながら祈ることも忘れてひたすら耐え忍んでいる時、稀に神様が力を授けてくれることがあります。そう、本当に稀に。思えば、神の助力によって、この暗殺事件は完遂したのではなかったのか?勿論、私にはよくわかりません。
敢えて話を変えてしまいますが、中国外務省によるとプーチン大統領が5/16、17に訪中し北京と「ハルビン」を訪れ、彼が地元大学生と懇談するというニュースを知りました。世界を取り巻く力学の中で全てが保障された中露首脳会談。ー中略ー(笑)。
一つのアドレッセンスの発露が世界を変えようとする時、<法>は限りなく無力であり、<信仰>など何の役にも立たないことはそれこそ自明の理だと私には思えます。
□「ハルビン “Harbin”」(キム・フン 新潮社) 2024/5/15。