「水戸黄門賞」に出場する吉田拓矢、脇本雄太、眞杉匠

2024年06月26日 16時53分56秒 | その気になる言葉

【取手競輪G3・出場選手】S班は脇本雄太ら3名! 地元・吉田拓矢や郡司浩平、守澤太志ら1班も豪華メンバ

配信

6月27~30日の4日間、取手競輪場で「水戸黄門賞(GIII)」が開催される。  

SSの出場選手

S1の出場選手

 

映画 天国から来たチャンピオン

2024年06月26日 12時35分58秒 | その気になる言葉

6月26日午前3時10分からCSテレビのムービープラスで観た。

天国から来たチャンピオン
 

あらすじ

アメフト選手のジョーは自動車事故に遭い、天国にやって来る。しかし、まだ50年の寿命が残っていることが判明。地上に舞い戻ってきたジョーだったが元の体はすでに火葬されていた。そこで、妻とその情夫に殺されたばかりの男の体に宿ることに。

ストーリー

ロサンゼルス・ラムズのクウォーター・バックのジョー(ウォーレン・ベイティ)は、ひざの傷も直り、次の日曜日の試合に出場することが決まっていた。

だが、翌日、自転車事故に遭ってしまい、気がつくと雲の中で、天使(バック・ヘンリー)につきそわれて天国への道を歩んでいた。

ところが天使長(ジェームズ・メイスン)が調べたところによると、ジョーには、まだ50年もの寿命が残っていた。

ジョーは即刻地上に舞い戻ることになったがすでに彼の肉体は火葬された後だった。かくてジョーと天使長ジョーダンは、ジョーの魂のために新しい住処を物色しはじめ、やがて、レオ(ウォーレン・ベイティ)の邸を訪れた。

レオは間もなく妻のジュリア(ダイアン・キャノン)と彼女の情夫でレオの秘書のトニー(チャールズ・・グローディン)の2人に殺される運命にあった。

レオの亡骸をもらうことに気が進まないジョーが、ジョーダンと邸を去ろうとした時、1人の美しい女性が現われた。彼女ベティ(ジュリー・・クリスティ)は、レオの会社が英国の田舎町に公害をもたらす、というのでレオに直接抗議をしに来たのであった。

ベティの美しさに感銘をうけたジョーはベティを助けるために一時レオの肉体に宿借りすることを承諾した。つまりレオの肉体にはジョトの魂が宿るのだが、他の人間が見れば彼はレオだった。

殺したはずのレオが生きていることに驚いたジュリアとトニーはそれでもしつこくレオ殺害を試みることにした。英国での工場建設計画を放棄したジョーにベティーの気持ちは感謝から恋へと変わっていった。

中味はフットボールの選手であることから数週間後のプロ・フットボール界最大のイベントョスーパーボウル」でクォーター・バックを務めることを希望し、猛トレーニングで体調を整えていたジョーがベティに結婚を申し込もうとしていた頃、ジョーダンが再び現われ、レオの肉体を明け渡すように言われる。

その頃スーパーボウルが行なわれているスタジオではクォーター・バックを務めるトムが怪我をして死を宣告されていた。ジョーは、そのことを知るとトムの肉体に宿りラムズのために点数をかせぎまくった。一方、古井戸でレオの死体が発見され、ジュリアとトニーは逮捕されていた。

ラムズは見事勝利をおさめ、ジョーはジョーダンから、今後トムとして生きていくことを言い渡される。スタジオにやってきたベティがトムと鉢合わせになり、初体面なのに一目で気持を奪われた。2人は見つめ合い別れがたい思いにかられる。今はトムであるジョーに誘われて、ベティは肩を並べてスタジオを出てゆくのであった。

解説】映画『天国から来たチャンピオン』「映画がつく嘘」で陶酔 ...


映画 ママと娼婦

2024年06月26日 11時25分32秒 | 社会・文化・政治・経済
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ママと娼婦

6月25日午前6時からCSテレビのザ・シネマで観た。

ママと娼婦
 

解説

ポスト・ヌーベルバーグを代表する夭逝の映画監督ジャン・ユスターシュが1973年に発表した長編デビュー作。

ユスターシュ監督が自身の経験を基に撮りあげた恋愛映画で、1972年のパリを舞台に、五月革命の記憶を引きずる無職の青年アレクサンドルと、一緒に暮らす年上の恋人マリー、アレクサンドルがカフェで出会った性に奔放な看護師ヴェロニカが織りなす奇妙な三角関係の行方を描く。

男女の性的関係を赤裸々につづった内容が物議を醸したが、1973年・第26回カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを獲得するなど高く評価され、ユスターシュ監督の代表作となった。

特集上映「ジャン・ユスターシュ映画祭」(2023年8月18日~、東京・ヒューマントラストシネマ渋谷ほか)にて4Kデジタルリマスター版で上映。

1973年製作/219分/フランス
原題:La maman et la putain

映画史に残る傑作『ママと娼婦』で、一躍時代の寵児となった
フランスの映画監督、ジャン・ユスターシュ。

しかし度重なる奇行、自己破壊的な行動が影響してか、その後1本の長編とわずかな中・短編を手がけただけで、1981年、42歳にして拳銃自殺を遂げた。
今年、4Kデジタルリマスターで甦った『ママと娼婦』がパリ、ニューヨークをはじめ各地で上映され、その痛ましいまでの美しさに世界は再び驚愕した。
そしてほとんど彼の作品を観ることができなかったわが国でも、謎に包まれた全貌がついに明らかになる。

「死者を起こすには、強くノックすること」

そう遺して世を去った“呪われた映像作家”の扉を、いよいよ叩くときが来た。

1973年/フランス/白黒/215分
監督・脚本:ユスターシュ/撮影:ピエール・ロム、ジャック・ルナール、ミシェル・セネ/編集:ドゥニーズ・ド・カサビアンカ、ユスターシュ
出演:ベルナデット・ラフォン(マリー)、ジャン゠ピエール・レオー(アレクサンドル)、フランソワーズ・ルブラン(ヴェロニカ)

ユスターシュにとって最初の長編映画である本作は、四時間近い破格の上映時間を通じて、やはり作家の私的経験に基づいた物語を綴っていく。

その物語とは、72年のパリを舞台に、五月革命の記憶を引きずる無職の若者アレクサンドルと彼の年上の恋人マリー、前者がカフェで知り合った性に奔放な20代の看護師ヴェロニカの奇妙な三角関係を描いたものだ。

ユスターシュは、当時破局を迎えたばかりだったルブラン(ヴェロニカ役を演じている)をはじめ、自身と複数の女性との関係に基づいて脚本を執筆した。完成作はカンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを獲得。

男女の性的関係が台詞も含めて赤裸々に描かれた本作はスキャンダルをも巻き起こしたが、今や映画史上の傑作の一本として不動の地位を築いている。

 

前半は、三人の複雑な関係が形成されていく過程が面白く、長い独白や、長回しは苦にならなかった。

しかし、後半は三人の倦怠感が顕在化していき、映画全体もだるさを帯びてくる。その倦怠感を楽しめるかどうかが本作の評価の別れるポイントだと思うが自分はあまり楽しめなかった。

後半から、急に怒ったり泣いたりが多くなり、感情が読み取りづらくなるのも、観るのがつらい要因の一つだった。

しかし、ジャンユスターシュの描き出す世界観は目を引き、カット一つ一つの確かさも素晴らしかった。評価の難しい映画だった。ジャンピエールレオのいでたちが逐一カッコいい。

 

人生は一度扉が閉まると元に戻ることはできない

繰り返していく日常のひとつひとつを明らかにしていく長回しのカメラが、そこに生きる男と女の湧き上がる感情のさまざまを映し出し、それぞれが綴る日常の中での不安や悩み、それらの解消を愛に求めもがく姿が3時間40分という長尺で淡々と描かれる。

流れる時が出会いや別れを支配する。
恋愛、ニヒリズム的な思想、毎日のように移り変わり揺れる感情たちは大人になるにつれて失われていく。
モラトリアムにピリオドを打ちレールの敷かれた人生を送ることへの漠然とした不安。
登場人物たちがなんとなく過ごしていく日常とは、古き良き時代(自身にとって)へのノスタルジーを抱えた現実逃避の日々だと言える。

愛の行為と呼ばれるものに、愛の姿は見えてこない。
欲望のままに交わり、愛し合うというにはあまりにも悍ましく醜い行為。
愛情の先にあるものを隠して、そもそも愛があるのかもわからない状態で、目先の欲望を優先し本心を確かめることなく後回しにしてしまう後ろめたさ。
そんな自分自身に対する嫌悪感。
消化することも吐くこともできない、喉にこびりついた恥。

漠然とした不安の正体とは、未来の不規則性よりも本心を隠し生きている過去から未来へと続く自分自身への嫌悪感や諦めの感情なのかもしれない。
 
 

人間生命に置く<人権宣言>

2024年06月26日 10時47分33秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼苦しむ人、悩んでいる友の幸福のために行動する―この根本の一点を抜きにして宗教の生命はない。

▼<誰も置き去りにしない>その理念で、一人一人の可能性を開花させる。

一人が変われば世界が変わる。

▼「偉業」とは、往々にして幾世代にわたって築かれるものである。

たとえ一代で完成しなくとも、核となる魂、精神を継承する人たちによって結実を見る。

それこそ「偉業」というにふさわしいではないか。

▼人類の課題に一貫して挑戦することだ。

▼思想・信教の自由は、本来、人間に等しく与えられた権利であり、この人権を守り抜くことこそ、平和の基である。

▼人間生命にこそ至高の価値を見いだすことだ。

つまり、人間は、国家や社会体制に隷属した存在ではない。

<人間の精神を権力の鉄鎖でつなぐことなどできない>

国家を超えた普遍的な価値を、人間生命に置く<人権宣言>にほかならない。

もちろん、国家の役割は大きい。

国家への貢献も大切である。

だが、国の在り方のいかんが、国民の幸福・不幸に、大きな影響を及ぼすからだ。

大事なことは、国家や一部の支配者のために国民がいるのではなく、国民のために国家があるということだ。


「働き方改革」で労働環境は変化する

2024年06月26日 10時20分20秒 | その気になる言葉

▼無事故は即、勝利である。

油断しないことが、事故を起こさない根本だ。

「深き用心」を忘れてはならない。

▼本当の祈りは行動しながらする祈りなのだ―ロマン・ロラン

<祈り>そこに智慧が湧き、ドラマも生まれる。

ロマン・ロランは、フランスの小説家、評論家。理想主義的ヒューマニズム、平和主義、反ファシズムを掲げて戦争反対を世界に叫び続け、フランスでは評価されなかったが国際的に多くの知友を持った。 ベートーベンをモデルにした大河小説『ジャン・クリストフ』をはじめ、ヒューマニズムの立場にたった作品を発表した。

▼助ける人が強ければ倒れない。

善き友の支えがあれば、人は強くなれる。試練にも負けない自分になれる。

▼目まぐるしい変化の時代だからこそ、人と人、心と心を結ぶ連帯を広げたい。

地道な草の根の活動が社会を支え、命を守る礎となる。

▼友情の花を咲かせ、心豊かな人生を。

▼人生は戦いである。

幸福になるための戦いだ。

▼人間共和の地域社会を。

<困りごと>の共有と勇気の行動で地域に信頼の輪を広げるのである。

▼「働き方改革」で労働環境は変化する。

全ての人がやりがいを持てる社会に。

仕事と生活の調和を図ることだ。

家族と余暇をすごしたり、趣味をたのしんだりといった時間を大事にする労働環境が求められている。

一人一人がより人間らしい、豊かな生活を実現することだ。