6月25日午前6時からCSテレビのザ・シネマで観た。
ポスト・ヌーベルバーグを代表する夭逝の映画監督ジャン・ユスターシュが1973年に発表した長編デビュー作。
ユスターシュ監督が自身の経験を基に撮りあげた恋愛映画で、1972年のパリを舞台に、五月革命の記憶を引きずる無職の青年アレクサンドルと、一緒に暮らす年上の恋人マリー、アレクサンドルがカフェで出会った性に奔放な看護師ヴェロニカが織りなす奇妙な三角関係の行方を描く。
男女の性的関係を赤裸々につづった内容が物議を醸したが、1973年・第26回カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを獲得するなど高く評価され、ユスターシュ監督の代表作となった。
特集上映「ジャン・ユスターシュ映画祭」(2023年8月18日~、東京・ヒューマントラストシネマ渋谷ほか)にて4Kデジタルリマスター版で上映。
1973年製作/219分/フランス
原題:La maman et la putain
映画史に残る傑作『ママと娼婦』で、一躍時代の寵児となった
フランスの映画監督、ジャン・ユスターシュ。
しかし度重なる奇行、自己破壊的な行動が影響してか、その後1本の長編とわずかな中・短編を手がけただけで、1981年、42歳にして拳銃自殺を遂げた。
今年、4Kデジタルリマスターで甦った『ママと娼婦』がパリ、ニューヨークをはじめ各地で上映され、その痛ましいまでの美しさに世界は再び驚愕した。
そしてほとんど彼の作品を観ることができなかったわが国でも、謎に包まれた全貌がついに明らかになる。
「死者を起こすには、強くノックすること」
そう遺して世を去った“呪われた映像作家”の扉を、いよいよ叩くときが来た。
1973年/フランス/白黒/215分
監督・脚本:ユスターシュ/撮影:ピエール・ロム、ジャック・ルナール、ミシェル・セネ/編集:ドゥニーズ・ド・カサビアンカ、ユスターシュ
出演:ベルナデット・ラフォン(マリー)、ジャン゠ピエール・レオー(アレクサンドル)、フランソワーズ・ルブラン(ヴェロニカ)
ユスターシュにとって最初の長編映画である本作は、四時間近い破格の上映時間を通じて、やはり作家の私的経験に基づいた物語を綴っていく。
その物語とは、72年のパリを舞台に、五月革命の記憶を引きずる無職の若者アレクサンドルと彼の年上の恋人マリー、前者がカフェで知り合った性に奔放な20代の看護師ヴェロニカの奇妙な三角関係を描いたものだ。
ユスターシュは、当時破局を迎えたばかりだったルブラン(ヴェロニカ役を演じている)をはじめ、自身と複数の女性との関係に基づいて脚本を執筆した。完成作はカンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを獲得。
男女の性的関係が台詞も含めて赤裸々に描かれた本作はスキャンダルをも巻き起こしたが、今や映画史上の傑作の一本として不動の地位を築いている。
前半は、三人の複雑な関係が形成されていく過程が面白く、長い独白や、長回しは苦にならなかった。
しかし、後半は三人の倦怠感が顕在化していき、映画全体もだるさを帯びてくる。その倦怠感を楽しめるかどうかが本作の評価の別れるポイントだと思うが自分はあまり楽しめなかった。
後半から、急に怒ったり泣いたりが多くなり、感情が読み取りづらくなるのも、観るのがつらい要因の一つだった。
しかし、ジャンユスターシュの描き出す世界観は目を引き、カット一つ一つの確かさも素晴らしかった。評価の難しい映画だった。ジャンピエールレオのいでたちが逐一カッコいい。
人生は一度扉が閉まると元に戻ることはできない
繰り返していく日常のひとつひとつを明らかにしていく長回しのカメラが、そこに生きる男と女の湧き上がる感情のさまざまを映し出し、それぞれが綴る日常の中での不安や悩み、それらの解消を愛に求めもがく姿が3時間40分という長尺で淡々と描かれる。
流れる時が出会いや別れを支配する。
恋愛、ニヒリズム的な思想、毎日のように移り変わり揺れる感情たちは大人になるにつれて失われていく。
モラトリアムにピリオドを打ちレールの敷かれた人生を送ることへの漠然とした不安。
登場人物たちがなんとなく過ごしていく日常とは、古き良き時代(自身にとって)へのノスタルジーを抱えた現実逃避の日々だと言える。
愛の行為と呼ばれるものに、愛の姿は見えてこない。
欲望のままに交わり、愛し合うというにはあまりにも悍ましく醜い行為。
愛情の先にあるものを隠して、そもそも愛があるのかもわからない状態で、目先の欲望を優先し本心を確かめることなく後回しにしてしまう後ろめたさ。
そんな自分自身に対する嫌悪感。
消化することも吐くこともできない、喉にこびりついた恥。
漠然とした不安の正体とは、未来の不規則性よりも本心を隠し生きている過去から未来へと続く自分自身への嫌悪感や諦めの感情なのかもしれない。