改めて、番手有利の競輪の本質を思い知らされた。
過去には中野浩一選手の番手で番手で美酒を味わった井上茂徳選手
その人間離れした脚力から「鬼脚」と崇められたレジェンド選手である井上茂徳選手
日本競輪学校受験を一回失敗していた!
競輪ファンなら誰もが知るレジェンド選手となった井上茂徳選手ですが、実は第39期日本競輪学校の受験を一度失敗しています。
その後、法政大学在学中に再び日本競輪学校第41期を受験し見事合格。
法政大学を中退し、競輪学校へ入学を果たすこととなりました。
今となっては「鬼脚」と呼ばれた井上茂徳選手が、競輪学校を不合格になったことは信じられません。
中野浩一の番手として活躍していた!
井上茂徳選手の得意としていたポジションは、番手。
先行選手の後ろの位置のこと。追い込み選手にとってはもっとも有利な位置となる。–KEIRIN GUIDEより引用-
井上茂徳選手は、憧れの先輩であるレジェンド選手で「ミスター競輪」の異名を持つ“中野浩一”選手の番手として、多く活躍をしていました。
競輪選手の一般的な通算勝率は、高くても20%台と言われている中、井上茂徳選手は脅威の40.1%を記録しています。
通算600勝を達成したのはは競技歴26年目。
年間23回以上勝利している計算になります。
次に、獲得賞金です。
井上茂徳選手の通算獲得賞金額は、15億6,643万4,532円。
生涯獲得賞金ランキング9位の金額です。
史上初のグランドスラム達成!
井上茂徳選手の強さがわかる成績の代表として、日本の競輪史上初のグランドスラム達成があります。
グランドスラムとは「4日制以上のすべてのGⅠレースで優勝すること」。
すなわち全日本選抜競輪・日本選手権競輪・高松宮記念杯競輪・オールスター競輪・寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント・競輪祭の6つのレースを制覇することと定義されています。
1つのタイトルを獲得するだけでも凄いことのですが、同じ年の全てタイトルを掻っ攫う圧倒的な強さは、今もなお全競輪選手が憧れるのではないでしょうか
ちなみにグランドスラムに関しては、2022年の時点で4人しか達成していません。
1999年に現役を引退した井上茂徳選手ですが、未だに破られていない記録を持っています。
それはKEIRINグランプリの最多優勝記録です。
年に1度のKEIRINグランプリは、その年の成績優秀選手であるS級S班の選手しか出場することができません。
そんなレースで井上茂徳選手は3度の優勝を記録。
この記録は未だに破られていない伝説となっています。
ここぞというところで勝ち切る勝負強さは、流石といえるでしょう。
1990年代の競輪界のトップで活躍していた井上茂徳選手ですが、1998年1月・立川競輪場で落車。
右鎖骨を骨折するという、重症をおってしまいました。
この影響から違反点がかさみ始め、1999年4月S級2班に降格。
結果、引退を決意しました。
「死にものぐるいでやれば、もうしばらくは走れた」と語っていた井上茂徳選手ですが、当時40歳だったこともあり、命懸けで走ることに限界を感じていたようです。
また「トップを走るには必要不可欠であった日々の練習からも解放されたかった」と井上茂徳選手は語っており、トップ選手ならではの苦悩などが伺えます。
・優秀新人選手賞(昭和54年)
・最優秀選手賞(昭和57年・59年)
・優秀選手賞(昭和56・61年・63年 2年・6年)
・優勝記録更新選手賞12回 (昭和59年)
・連勝記録更新選手賞8連勝 (昭和59年)
・ベストナイン賞(昭和57年~平成4年・6年・7年・9年)
・ワールドメダリスト賞(昭和62年)
・グランドスラム賞(昭和63年)
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