▼人生には、さまざまな道がある。
その中で、自らの生涯を懸ける悔いない道を見いだし、進む以上に幸福なことはない。
▼人は人との出会いで成長するものだ。
▼人間だけが社会、世界に限りなく「対話」を広がられる。
「対話」とは、金銭や立場によることなく、大きな価値を生む力がある。
▼人生は、幾重にも節を刻むものだ。
一人一人が今いる場所で対話の道を広げる。
▼他人の評価に振り回されるのは、愚かなことだ。
立ち返るべき人生の指針があれば、自身の生命を輝かせることもできる。
自分が価値を創造しているなら、自分を通して、社会に価値を創造する機会になるはずだ。
人生の責任を担うのは、あくまでも自分自身なのだ。
混迷する時代おいて、何より確かな道標を与えてくれる人生の指針は不可欠だ。
逮捕容疑は29日午後3時半ごろ、自宅で小学4年の長男怜生君(9)を殴るなどして死亡させた疑い。
他に死亡したのは中学3年の長女莉子さん(15)、中学1年の次女茉子さん(13)。いずれも頭部を負傷していた。
消防によると、林容疑者は自宅で自殺を図ろうとしており、搬送されたが命に別条はなかった。県警は、莉子さんと茉子さんの死亡についても殺人容疑を視野に捜査する。
利根輪太郎は、競輪場で知り合った4人の生活保護者たちのことが気になっていた。
暮れの生活、そして、正月はどのように過ごせたのか?と。
だが、実際は1月5日の支給ではなくて、12月28日に支給されていたのだ。
「血を吐き、8日も病院に入っていたんだ」と保護観察身の栃さんが言うのだ。
「入院費は、どうしたの?」思わず利根輪太郎は当然問う。
「国が面倒みてくれたんだ」と悪びれない栃さん。
彼は、取手駅の路上で倒れて、救急車で病院に搬送されたのは、昨年の9月だったのだ。
生活保護者たちの身を、利根輪太郎が心配するに及ばない。
未解決事件を15年追った男が残した言葉
配信
オウム真理教による地下鉄サリン事件から10日後の1995年3月30日、国松孝次警察庁長官が銃撃され瀕死の重傷を負った。
【画像】「長官を撃った」と名乗りでた中村泰元受刑者 オウムと警察が全面対決するなか、警視庁は捜査を続けたが、2010年に未解決のまま時効を迎えた。 事件当時の所轄署の警備課長だった佐藤は時効成立後、自宅を訪ねた記者に対し「お守りできなかった」と初めて痛恨の念を吐露した。
事件発生から間もなく30年。 入手した数千ページにも及ぶ膨大な捜査資料と15年以上に及ぶ関係者への取材を通じ、「長官銃撃事件とは何だったのか」を連載で描く。
ついに訪れてしまった時効
2010年3月30日。 ついにその日はやってきた。
公訴時効成立。 この15年間、オウム真理教による犯行説が有力視されてきた。
教団信者で現職警察官の男が犯行を認め、2004年7月には警視庁が逮捕に踏み切った場面もあった。
しかし犯罪は立証されず、そのうち中村泰という高齢の強盗犯が「捜査機関の目をオウムに向けさせるため長官を撃った」と言い出し捜査は混乱した。
警視庁公安一課長 栢木國廣
時効成立の日の午後4時、筆者は警視庁14階の公安第一課長室に入った。
15年の捜査のうち、実に13年を長官銃撃事件の捜査に携わった栢木國廣(かやき・くにひろ)課長は静かに応接用のソファに座っていた。
昨日までは寸暇を惜しんで捜査資料の隅々にまで目を通す日々だった。
普段なら机に資料を広げ、老眼鏡を眉間の下にずらし、上目遣いで「どうも!」と挨拶してくる課長が、今日は眼鏡もなく、背筋もまっすぐに座っていた。
「すべて終わったね。お疲れ様でした」 捜査資料はおろか決済箱すらない何もない机が、事件捜査だけでなく栢木のキャリアの終わりも物語っていた。
栢木は本来2月に退職する予定だった。しかし長官銃撃事件の時効まで捜査指揮を執ることとなり、退職時期を1カ月延伸する特別措置が取られた。 時効とともに奉職40年の警察官人生から勇退である。
すっきりとした顔をしていたが、腹の中では屈辱の「517(※警察の無線用語で『任務解除』を表す隠語で、転じて退職を指すことに)」だと思っていた。悔しい気持ちからか、唐突なこぼれ話が栢木の口から出てくる。
FⅡ 取手競輪 ¥JOY×プロスポーツ杯
8レース
並び 7-32競り 1(単騎) 6(単騎)4(単騎) 5(単騎)
レース評
中里の先行1車展開となりマイペースとなる。番手は赤塚と中曽で競り合い。単騎の車の追い上げにも警戒。
3-7 3-1 3-4 3-5の3連単で勝負する。
3と2番が競りとは知らなかっことが敗因だった。
予 想 |
着 順 |
車 番 |
選手名 | 着差 | 上り | 決ま り手 |
S / B |
勝敗因 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
△ | 1 | 1 | 船曳 義之 | 11.5 | 捲 | 脚溜め捲る | ||
○ | 2 | 3 | 赤塚 悠人 | 1車身 | 11.6 | 差 | 番手取切り | |
▲ | 3 | 6 | 大泉 英則 | 2車身 | 11.7 | 前を追って | ||
◎ | 4 | 7 | 中里 福太郎 | 1車身 | 12.0 | SB | 先行1車も | |
5 | 4 | 伊藤 一貴 | 1車身1/2 | 11.8 | 前に遅れて | |||
注 | 6 | 5 | 本村 隆文 | 3/4車身 | 11.7 | どん尻では | ||
× | 7 | 2 | 中曽 直彦 | 5車身 | 12.5 | 外で遅れて |
2 枠 連 |
複 |
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2 車 連 |
複 |
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3 連 勝 |
複 |
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ワ イ ド |
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1995年元日、山梨でのサリン残留物を報じた元読売新聞記者、三沢明彦さん
元日の1面記事は新聞各社が力を入れるのが恒例だ。この数十年で見たとき、とりわけ大きな衝撃を与えた元日報道が30年前、1995年の読売新聞だ。
大見出しは<サリン残留物を検出 山梨の山ろく「松本事件」直後 関連解明急ぐ>。
地下鉄サリン事件前のこの一報は、その後のオウム真理教への本格的な捜査や報道につながる第一歩となった。
また、この記事が出たことで、数十万人の被害を防いだ可能性もある。あの報道はどのように出されたのか。
取材していた元読売新聞記者、三沢明彦さんに話を聞いた。(文・写真:ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
松本サリン事件に結びつく“異臭騒ぎ”
「1994年夏、(警察庁刑事局)捜査一課の人たちにあたると、第一通報者である河野義行さんが怪しいとみんな言う。
ただ、具体的に河野さんのどこが怪しいのかというと、たいした根拠がない。
彼の家の庭に農薬が複数あったとか、息子に『警察に話すなよ』と言ったとか、その程度。
一方、その有毒ガスの中身は青酸カリの数百倍の毒性をもつ化学兵器のサリンだった。
そんなもの河野さんがつくれるんだろうかと……。とは思うものの、当初は報道も警察もみんな、河野さん以外に疑いをもつことができなかったのです」 三沢明彦さん(68)はそう振り返る。
当時、三沢さんは読売新聞東京本社社会部の所属。
警察庁の担当で記者クラブではキャップ(担当記者のまとめ役)を務めていた。
このとき、警察庁で高い関心が置かれていたのが「松本サリン事件」だった。
1994年6月27日、長野県松本市の住宅街で起きた松本サリン事件(写真:毎日新聞社/アフロ)
事件は1994年6月27日夜、松本城(長野県松本市)に近い住宅地で起きた。
有毒ガス発生という通報で警察がかけつけると、現場では池のザリガニが浮き、ハトが地面で羽を広げて死んでいた。
7人が死亡(のちに8人)、重軽症者は600人以上に及んだ。当初は有毒ガスの実体が何か、誰が撒いたのかもわからなかった。
被疑者不詳のまま、第一通報者の河野義行さんが重要参考人として疑われた。
有毒ガスの正体がサリンと発表されたのは6日後の7月3日。
ナチス・ドイツがつくった有機リン系神経毒物質の化学兵器だった。
そんな高度な化学兵器がなぜ住宅街で使われたのか。
捜査も報道も混迷するなか、時間だけが過ぎた。 事態が膠着していた同年10月、三沢さんは警察庁関係者から意外な情報を相次いで耳にした。
一つは松本サリン事件に新興宗教のオウム真理教が関係しているという話。もう一つは、山梨県上九一色村(現・甲府市、富士河口湖町)にあるオウムの施設周辺の土砂を警察庁の科学警察研究所が鑑定しているという情報。
どちらも信じがたいものだったと三沢さんは言う。
「取材を進めると、当時、長野県警がひそかに捜査を進めていたのがわかった。7月、上九一色村で異臭騒ぎがあった。犬が泡を吹いて死に、草木が薬品で焼かれていたという。松本サリン事件と似ている。そこで長野県警はそこに捜査員を派遣、捜査員が山菜採りの格好に変装して、教団施設の土砂を採取したんです。すると、そこからサリン生成時にできる有機リン系の残留物、つまり松本サリン事件と同じものが検出された。また、130人体制の薬品捜査班もつくり、サリンの合成に使う原材料の化学薬品をどこが入手したのかも調べていた。その結果、東京などで4つの怪しい会社が浮かび上がった。そこで長野県警の警部らはその会社に向かったのです」
昨日は、利根川堤防から八坂神社を経て、長禅寺に参拝。
特に、八坂神社では、参拝の人の列が境内から取手図書館の前まで列が連なっていた。
一方の長禅寺では10人ほどの参拝客だった。
元旦は日本人の方々にとっては、深い信仰心とまでは言えないまでも、特別な日なのだと思われた。
おみくじを買う人や破魔矢を買う人が目立っていた。
破魔矢は通常、お正月に合わせて神社で授けてもらいます。ただし魔を破るという本来の意味。