ペスタロッチの教育思想、教育目的、名言のまとめ
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ペスタロッチとは
スイスの教育家で、その生涯において理想の教育のあり方を思索し、直接的に子どもを教育しました。
ペスタロッチはルソーの教育思想を受け継いでおり、自分の教育理念を形成した後、それを近代の教育思想家であるフレーベルやヘルバルトなどに伝えました。そのことから、自分自身の前の時代と後の時代の橋渡しを行った人物と言われています。
ペスタロッチの教育目的
人間の諸能力の調和的発展
ペスタロッチの教育思想
「人間教育」思想
「人間教育」についての思想は、ペスタロッチの著書である『ゲルトルート児童教育法』に記述されています。
人間教育とは、知識教育である知的教育や身体的教育である技術的教育を経て、心情的教育である道徳教育を以て完成されます。
3つの状態の人間
ペスタロッチは、教育の対象としての子どもという人間の在り方やその本性について探求し続けました。彼の著書である『探求』には、仮説的に3つの人間の状態を上げています。
①堕落的ではない自然人と堕落的な自然人に分けられる自然状態の人間
②社会的状態の人間
③道徳的状態の人間
ペスタロッチの教育目的とは、道徳的状態の人間の在り方であって、道徳的状態の人間こそが本来的な人間であると考えていました。社会的状態の人間という現世の人間を、道徳的状態の人間にするのが教育であって、つまりその教育が「人間教育」だということです。
3つの根本力
ペスタロッチの著書である『白鳥の歌』によれば、人間は生来的に3つの根本力を持っています。
①心情的根本力
②精神的根本力
③身体的根本力
この3つの根本力への教育が「人間教育」に通じるとし、それぞれ心臓、頭、手に相当するとペスタロッチは考えました。
心情力の教育が道徳教育、精神力の教育が知識教育、身体力の教育が技術教育であるとし、これらを統一する内的な力が愛でした。
愛は心情力の基本であるため、道徳教育を中心としてこの3つの教育は調和的に統一されると考えました。
ペスタロッチの名言
ペスタロッチ
王座の上にあっても、木の葉の屋根の蔭に住まっても同じ人間だ
ペスタロッチ
生活が陶冶する
ペスタロッチの代表的著書・キーワード
『隠者の夕暮』(1780)
『立法と嬰児殺し』(1783)
『リーンハルトとゲルトルート』(1781~1787)
『探求』(1797)
『シュタンツ便り』(1799)
『ゲルトルートはいかにその子を教えたか』(1801)
『白鳥の歌』(1826年)
直観教授
ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ(Johann Heinrich Pestalozzi イタリア語: [pes.ta.ˈlɔt.tsi] ドイツ語: [pɛstaˈlɔtsi] ( 音声ファイル), 1746年1月12日 - 1827年2月17日)は、スイスの教育実践家、シュタンツ、イヴェルドン孤児院の学長。フランス革命後の混乱の中で、スイスの片田舎で孤児や貧民の子などの教育に従事し、活躍の舞台として、スイス各地にまたがるノイホーフ、シュタンツ、イヴェルドン、ブルクドルフなどが有名である。
一部の研究者は、「ペスタロッチー」と表記するが、「Pestalozzi」はイタリアの姓であり、ドイツ語およびイタリア語の発音では「ペスタロッツィ」のカナ表記がより忠実である。妻はアンナ・シュルテス(1764年に結婚)、息子および、孫にゴットリープがいる。
人物[編集]
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ペスタロッチはイタリア北部のロンバルディア州ソンドリオ県にあるキアヴェンナにルーツを持つイタリア系の新教徒の医師の3人兄妹の真ん中の子として、チューリヒで生まれた。1751年に父が病死し、1764年にチューリヒ大学に入学した。
チューリヒ大学を卒業したペスタロッチは、貧農を救助するために農業に携わり、母方の叔父からの援助で農場ノイホーフを創設するが、後に事業に失敗して1774年に、孤児や貧困の子供のための学校を設立した。1800年にスイス政府の依頼で、全寮制の校長に就任した。
彼は基礎的なものから高度なものへという、直観教授、労作教育の思想は、当時のヨーロッパでは高い知名度を持ち、多くの期待を寄せられた。特に当時のドイツからは様々な人物が、教えを乞いに彼のもとを訪れた。なかでも、フリードリヒ・フレーベル、ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトがその教育史上の意義としては群を抜いて有名であり、また重要である。ペスタロッチの教育の実践は主として初等教育段階のものであったが、それをさらに幼児教育へと応用、展開したのはフレーベルの功績であり、また大学教育の場での教育学へとそれを整理、発展させたヘルバルトの功績も大である。初等教育のやり方の礎は、ほとんど彼によって築かれたといってもよい。
著書に、『隠者の夕暮』(1780年)、『リーンハルトとゲルトルート』(1781年 - 87年)、『ゲルトルートはいかにその子を教えたか』(1801年)、『白鳥の歌』(1826年)などがある。『隠者の夕暮』は、そのタイトルから晩年の遺作のように思われがちだが、初期の教育実践で失敗した後の自己告白である。
また、同時代イギリスで、工場経営者ながら、幼少の子供の工場労働を止めさせ、性格形成学院を設立した空想的社会主義者であるロバート・オウエンも、彼の学校を訪問したことがある。
1827年にアールガウ州ブルックで、死去した。
研究者[編集]
日本の教育界では、盛んに研究された外国の教育思想家、実践家のトップである。教育学者の長田新は、ペスタロッチの研究者かつ信奉者で、没後遺言により、長田の墓はスイスのペスタロッチの墓の傍らに作られた。長田の弟子である荘司雅子もフレーベルの研究者である。
「子どもの権利条約」の元になる子どもの権利という概念を第二次世界大戦のさなか、ポーランドのワルシャワゲットーの中で、ユダヤ人の孤児たちの孤児院院長をしながら提唱したヤヌシュ・コルチャックは熱烈なペスタロッチ信奉者でもあった。生涯最初の国外旅行にスイスにでかけ、ペスタロッチの活躍の舞台を訪ねて回ったり、彼の主著をもじって自著のタイトルにしたりした。
岡山県苫田郡鏡野町は、知・徳・体の調和的発達と弱者への配慮ある教育を提唱したペスタロッチに着目して、「日本のペスタロッチタウン・鏡野」を宣言。ペスタロッチ像を建て、町立図書館をペスタロッチ館と名づけ、その思想の普及と継承に努めている。ペスタロッチの像を建てている小中学校も少なくはない。ただ、その著書や参考書は、近年出版事情もあって、入手できるものが僅かになっている。
影響[編集]
- 興亜工業大学(1942年、現在の千葉工業大学)にはペスタロッチの教育思想の影響が色濃く反映されている。
主要な著作[編集]
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e2/Pestalozzi.jpg/200px-Pestalozzi.jpg)
- 『リーンハルトとゲルトルート』Lienhard und Gertrud. 4 Bände 1781 - 1787
- 『隠者の夕暮』Die Abendstunde eines Einsiedlers. 1780
- 『クリストフとエルゼ』Christoph und Else. 1782
- 『立法と嬰児殺し』Gesetzgebung und Kindermord. 1783
- 『然りか否か』Ja oder Nein? 1793
- 『人類の発展の歩みについての私の探究』Meine Nachforschungen über den Gang der Natur in der Entwicklung des Menschengeschlechts. 1797
- 『探究』虎竹正之訳 玉川大学出版部 1966年
- 『寓話』Fabeln. 1797
- 『ゲルトルートはいかにその子らを教えるか』Wie Gertrud ihre Kinder lehrt.1801
- 『我々の時代と私の祖国の無垢と真面目さと高貴さについて』An die Unschuld, den Ernst und den Edelmut meines Zeitalters und meines Vaterlandes. 1815
- 『白鳥の歌』Schwanengesang. 1825
- 著作集・その他
- 『酔人の妻と隠者の夕暮』久保天随訳 育成会 1914年
- 『ゲルトルードは如何に其の子を教ふるか・隠者の夕暮・リーンハルドとゲルトルード』田制佐重訳 文教書院 1923年
- 『道徳及宗教教育の本質』長田新訳 目黒書店 1925年
- 『ペスタロッチー全集』(全5巻) 玉川学園出版部 1927年
- 『隠者の夕暮・シュタンツだより』長田新訳 岩波文庫 1943年
- 『ペスタロッチー全集』(全13巻) 平凡社 1959年 - 1960年
- 『政治と教育 隠者の夕暮 他』梅根悟訳 明治図書出版 1965年
- 『スイス週報』松田義哲訳 理想社 1968年
- 『人間と真実 失意時代のペスタロッチ』伊藤忠好訳 玉川大学出版部 1971年
- 『シュタンツ便り 他』長尾十三二ほか訳 明治図書出版 1980年
- 『幼児教育の書簡』田口仁久訳 玉川大学出版部 1983年
- 『ゲルトルート教育法・シュタンツ便り』前原寿・石橋哲成訳 玉川大学出版部 1987年
- 『隠者の夕暮・白鳥の歌・基礎陶冶の理念』東岸克好訳 玉川大学出版部 1989年
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