「災害孤独死」とはなにか

2025年01月08日 07時57分41秒 | 社会・文化・政治・経済

特集 阪神・淡路大震災の復興20年 ~被災地の復興と残された課題~
復興 (12 号) Vol.6 No3 2014.12. 65
「災害孤独死」とはなにか

株式会社都市調査計画事務所 代表取締役
NPO 法人リスクデザイン研究所 理事長 田中正人
1.はじめに
「孤独死」問題の起こりは 1970 年代と言われる。
当時,1 割台にあった単身世帯は今や 1,678 万 5,000世帯に達する(2010 年国勢調査)。

これは総世帯数の32.3%に当たり,全世帯カテゴリのうちもっとも高い比率を占めている。

このプロセスに並走するように高齢化が進展し,その必然として,65 歳以上男性の 10人に 1 人,女性の 5 人に 1 人という「単身高齢」カテゴリが形成されてきた。「孤独死」のリスク保持層は年々増加し,東京都監察医務院によれば,23 区における単身高齢者の「孤独死」は平成 15 年から 24年にかけておよそ 2 倍に膨れ上がった。
この間,厚生労働省は「高齢者等が一人でも安心して暮らせるコミュニティづくり推進会議(「孤立死」
ゼロを目指して)」を開催し,同報告書(平成 20 年 3月)は「孤独死」問題の解決には「コミュニティを活
性化していくことが必要」との認識を示している。
以上の一連の動向は,「孤独死」問題の論点がもはや実態の解明から,対策技術の確立・洗練の段階へと
既に移行していることをうかがわせる。しかもその方向性は「コミュニティの活性化」に焦点化されている。
ところが,しばしば指摘されるように,「孤独死」に関する公式な定義は未だ存在しない。定義の不在は統
計の不在を意味しており,ゆえにその全体像は今なおよく分かっていない。
エミール・デュルケームは,その主著『自殺論』において次のように述べている。
日常語というものは,それによってあらわれている概念と同じように,いつも曖昧なものなのだ。(…)
かりに世間一般に受けいれられている日常語をそのまま用いていくならば,一括されるべきものを区別し
てしまったり,区別されるべきものを一括してしまったりして,物事のありのままの関係を見誤り,その結
果,それらの性質を誤認してしまうおそれがある。(デュルケーム,1985)
ここでデュルケームの念頭にある日常語とは「自殺」にほかならないが,これを「孤独死」に置き換えることに逡巡の余地はない。

世間一般に受けいれられている「孤独死」という日常語について,我々はその「ありのままの関係を見誤り」,「それらの性質を誤認してしまうおそれがある」。
一方で,厳密な定義づけは,その必然として定義からの漏れをつくりだす。

それゆえ支援のすきまを生まないためには,厳密な線引きよりもできるだけ幅広く「孤独死」を捕捉するべきだといった見解がある。

かしながら,定義の不在もしくは曖昧さは,対策の妥当性を不確かにする。仮に対象を捕捉できたとしても,彼らのニーズを読み違えていれば適切なセイフティネットにはなり得ない。

支援のすきまはニーズの誤読からも生じるということを認識しておく必要がある。
そもそも「誰にも看取られない死」の問題はどこにあり,我々は何を克服すべきなのか。

おそらく,この問いを迂回して「孤独死」を定義づけることはできない。

つまり「孤独死」とは,「誰にも看取られない死」という仮定のもとに,克服すべき課題を明らかにし,
解決の糸口を見出した後に,遡及的に再定義されるものだと考えられる。

だとすれば,それはユニークには定まらず,当初の着眼や視角によってさまざまに定義づけられなければならない

支援のすきまを埋めるのは,厳密な定義づけの回避ではなく,このような多角的な着眼や視角に基づく多様な定義の併存なのではないか。
特集 阪神・淡路大震災の復興20年 ~被災地の復興と残された課題~
復興 (12 号) Vol.6 No3 2014.12. 66
繰り返すが,「孤独死」問題の本質をどこに置くかという問いなしに,「孤独死」を定義づけることは不
可能である。

言い換えれば,「孤独死」問題という問題があるのではなく,たとえば失業者や障害者,被災者,高齢者,母子世帯の社会的排除の問題として,あるいは貧困や介護問題,ホームレス問題のバリエーションとして,それはある。本稿はその一端として,阪神・淡路大震災の公的住宅セイフティネット(応急仮
設住宅および災害復興公営住宅)上における「孤独死」に着目し,その論点を提示したい。
2.被災地の「孤独死」
阪神・淡路大震災では約 24 万戸の建物が倒壊し,避難者は 30 万余りに及んだ。応急仮設住宅(以下,
仮設住宅)は緊急かつ大量に配備される必要があった。
ところが,いわゆる「テント村」を形成している公園や災害復興公営住宅(以下,復興住宅)のリザーブ用
地等を除外すると,被災市街地内に仮設住宅のための公共用地を確保するには限界があった(1)。結果として,仮設住宅は臨海部や郊外に偏在し,それによって,住宅に困窮する被災者の多くは住み慣れた地域を離れることを余儀なくされた。
仮設住宅への入居開始からおよそ 3 週間後の 1995年 3 月 9 日,兵庫県尼崎市の仮設住宅で一人暮らし
をしていた 63 歳の被災者が,死後 2 日経過した状態で発見された。この新聞報道をきっかけに,「孤独
死」という言葉は仮設住宅団地内における人間関係の希薄さの象徴として注目されてきた。しかし結局,根
本的な解決方法は確立されず,仮設住宅が全面解消されるまでの約 5 年間に 233 人もの「孤独死」者が発
生した。

その後,「孤独死」は復興住宅に引き継がれていく。

それは,被災地の状況を可視化した仮設住宅という現場から各地の高層住宅の「鉄の扉」の向こうへと,問題を拡散しつつ捉えがたいものへと移行させるプロセスでもあった。
もっとも,復興住宅内の「孤独死」問題は被災地の重要な行政課題として認識され,実際「LSA(生活援
助員)」や「SCS(高齢者世帯生活援助員)」,「見守り推進員」の配置といった見守り支援施策が遂行されてきた(2)。

こうした施策の重要性は認めつつも,一方で,「孤独死」は果たして見守りで解決し得るのかという
問題がある。

額田(2005)は,単身高齢者の多い復興住宅において「全世代型に程遠いいびつな人的構成で,見守り要員といった外部第三者の安否確認をいくら強化しても,孤独死を防ぎきるのはとうてい無理」であると述べている。

後述するように,復興住宅での「孤独死」は収束することなく,むしろ問題は深刻化していった。
また,より根源的には,そもそも見守りというニーズを発生・増加させた要因は何かが問われなければな
らない。

田中(2007)は,復興住宅の立地や規模,居住階といった空間特性の違いが入居者の近隣関係の形成に影響し,一定層の「社会的孤立」を惹き起こしていることを明らかにしている。

すなわち,見守りのニーズは被災者が復興住宅に入居したことそれ自体によって膨張してきた面がある。
これに対し後藤武(2004)は,「孤独死」という言葉が明確な定義のないまま濫用されていることに批
判を加えつつ,必ずしも「孤独死」が被災地に特有の問題ではないことを示している。

その指摘するところによれば,震災前後の「孤独死」の発生率には差がなく,絶対数の増加は人口・単身世帯数の増加に起因する。

また仮設住宅での高い発生率は,仮設住宅への入居が原因ではなく,被災前から「孤独死」のリスクを
持っていた単身世帯がそこに集中した結果であるという。
しかしながら,第 1 に「被災地特有の問題ではない」という指摘は,「孤独死」を「単身世帯の単独で
の死」とみなすことによって成立している。

その論理は,「孤独死」に関する被災地特有の定義が存在する可能性を棄却してはいない。

第 2 に,仮設住宅はたしかにその性格上,類似のカテゴリに属する被災者を集める(3)。

だが同じリスク保持層にあっても,生活再建の過程を通して,社会関係を維持あるいはいったん
特集 阪神・淡路大震災の復興20年 ~被災地の復興と残された課題~復興 (12 号) Vol.6 No3 2014.12. 67
失いつつも回復する者と,喪失をつづける者とがいると考えられる。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿