花田ミキ(1914〜2006)
映画化への想い
新型コロナウィルス感染症が、世界に拡大、日本でも緊急事態宣言が発令される事態になりました。そんな今、新たな感染症と必死に戦う医療従事者たちの姿を通じて、看護や保健の大切さが見直されてます。
看護師は正しい感染対策技術を習得し患者と安全の不安の軽減に努め、保健師は地域における健康危機発生時の公衆衛生看護活動にその専門性を発揮することが重要になってきています。
映画監督 五十嵐匠
私は2才の頃、一人の保健師に命を助けられた。
昭和35年6月7日の青森県紙東奥日報にある記事が載った。見出しは「愛のリレーに命拾い」。
記事は続く。「汽車の中で急病のため人事不省となった坊やが、たまたまこの汽車に乗り合わせていた保健婦に命を助けられた。5月25日午後5時50分。奥羽線の列車内で一人の母親が赤子を抱き、「医者がいませんか」と狂ったように叫んでいた。抱かれたその子はハシカで高熱を出し、すでに呼吸は止まっていた。その子は乗り合わせていた保健婦の手当てと適切な処理で、浪岡駅~自衛隊ジープ〜浪岡病院~青森とリレーされ危ない命を助けられた」。
その保健婦は花田ミキと名乗った。死にかけたその子が私だった。
映画「じょっぱり一看護の人花田ミキ」は、自分の身を顧みず「保健と看護という職業」に命を捧げた津軽女性のたくましさと、やさしさ、そして命の尊さをドラマチックに綴る感動作である。私はコロナ禍で命を顧みず必死に戦っている医療従事者の皆さんにエールを送ろうと思い、命の恩人花田ミキさんの映画を企画・制作することを決意する。
青森県弘前市生まれ。青森弘前高等女学校(後の青森県立弘前中央高等学校)卒業後、盛岡赤十字看護婦養成所を経て、日赤県支部の看護婦となり日中戦争と太平洋戦争に三度召集され、20代のほとんどを戦場で過ごす。
終戦後は青森県で、看護教育の基礎を築き上げるため青森県立高等看護学院(いまの青森県立保健大学)の立ち上げ、保健行政の立場から無保健婦町村の解消、僻地救護看護の確立に努めた。
保健文化賞、東奥賞受賞。
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