評論家・吉武 輝子14歳の時 進駐軍の兵士から集団強姦

2020年10月11日 21時41分27秒 | 社会・文化・政治・経済

大人になりたくなかったわたし (新・のびのび人生論) (日本語) 単行本 – 1994/8/1

 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

大人になりたくなかったわたし (新・のびのび人生論)

生きるあかしを求めて 私の愛と性の真実  吉武輝子

終戦翌年の春、青山墓地で、アメリカ兵から集団暴行を受けました。
一四歳でした。母にだけは言ってはいけない。そう思いました。(吉武輝子)

進駐軍の兵士から集団強姦の体験をつづった手記を発表したのは、1970年、39歳の時。
「スキャンダルを売り物にしている」と男性側からはいわれのない電話や手紙が多数舞い込んだそうだ。
脅迫のような内容も。

「わたしは真の回復者でもなければ、生還者でもないかもしれない」

少女時代にレイプにあった著者。そこから挫折がはじまった。だが、挫折は人間を成長させる。女の子の生き方をするどく説く。
 

内容(「MARC」データベースより)

一回こっきりの人生に、挫折という名の調味料をいっぱいふりかけダイナミックに生きて下さい。少女時代に絶望感にとりつかれた著者から、君たちへの応援歌。挫折は人生の最大の贈り物。
 
吉武 輝子(よしたけ てるこ、1931年7月27日 - 2012年4月17日)は日本の作家・評論家。

慶応大卒業後、1954年東映に入社し、日本初の女性宣伝プロデューサーになった。
66年退社し、文筆、講演活動に。
女性の地位向上とともに、自身の体験を踏まえて「戦争への道を許さない女たちの連絡会」世話人を務め、平和問題に取り組んだ。77年の参院選全国区に無所属で立候補したが、落選した。 東日本大震災後、呼び掛け人の一人となって、文化人、学者ら幅広い分野で活躍する女性らとともにネットワーク「脱原発をめざす女たちの会」を立ち上げた。 著書は「女人 吉屋信子」「置き去り サハリン残留日本女性たちの六十年」など多数。

戦後史の語り部として、とりわけ女性の側から見た戦後史について、終生語り続けた吉武輝子。戦争や福祉をテーマにした著作を執筆する一方、自らの戦争体験をもとに平和運動や女性解放運動をけん引した。
昭和6年、兵庫県・芦屋市生まれ。
終戦後、女性の参政権が認められたことを機に「女性が自分のために生きる」ことを考え始めた。
慶応義塾大学に進学、その後、「社会の中で働きたい」と映画会社に応募。
女性の応募に驚く面接官を「女性は応募はダメと要項に書いていない」と説得し合格、その後、初の女性プロデューサーとなった。
30代でフリーとなり、女性解放運動の論客として活躍。自身が進駐軍の兵士に暴行を受けたことを明らかにし、戦争や人権について女性の視点から発言を続けた。作家としては、小説家・吉屋信子など信念を持って生きた女性の伝記や戦後、サハリンに置き去りにされた日本人女性のノンフィクションなどを執筆。

差別や抑圧のある世の中を変えようと活動を続けた吉武輝子、その胸の内が語られる。
あの人に会いたい
反戦、平和とか護憲とか女性解放というのは、駅伝。私は先輩からたすきを受けて走っていた。私が今、幸せなのは(若い人が)たすきを受け取ってくれていること。

著書 あしたのOG像 文理書院, 1967. 青春を生きる! 1968. 
三一新書 生きるあかしを求めて 私の愛と性の真実 実業之日本社, 1971. 
『結婚が変わる 自立する正と性』(1972年、大和書房)
 キミたち女のコ サニー出版 1973 サニーブックス 子どもたちへのおくりもの ひとりで生きるために 第三文明社, 1974 灯台ブックス おんなのことは天下国家のことなのだ 櫂書房 1977.6. Books おんな 結婚ってなあに ルック社, 1977.5. 闘うおんなはやさしいおんな 櫂書房, 1977.5. Books おんな やさしいエロス この指とまれ 住宅新報社, 1977.3. 愛すれど孤独 女にやさしい女こそ PHP研究所 1978.10 のち文春文庫  愛のうしろ姿 スタートとしての結婚を考える PHP研究所 1979.10. 『女が自分と向きあうとき 私のおんな白書』(1979年、海竜社)のち三笠書房知的生きかた文庫  女の子の伸ばし方 のびやかな子に育つため 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
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