熊本空港から大観峰へ行く途中、ミルクロードのわきにありました。昔の豊後街道の石畳の道です。ふたえ峠という、外輪山をこえる山道なのですが、雨が降って悪路になりやすく、崩れてしまうのを防止するために石畳にしたのだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/85/756425bc99ccc66b6bc083aa09d4eb38.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/eb/e0704718cd82433fd592e28934d9b67e.jpg)
下の方までずっと続いています。
わ~い!
熊本藩のお殿様細川氏は、参勤交代に熊本から阿蘇を通って大分へ抜け、瀬戸内海を船で兵庫まで行くというルートを使っていました。そのためこの道は参勤交代の道だったのです。肥後54万石の大名行列がここを通って行くとは・・・壮観だったでしょうね。(街中より軽装だったとは思いますけどね)
この辺の解説はすべて素人郷土史家の父によるものです。
父が「こん道は堀部次郎左衛門さんも通ったろうな~」とかいうので、「ほりべ?誰だっけ?」と一瞬考え込みました。
わかりました、この人ですね。
寛延二年熊本藩登り道中記 作者「堀部次郎左衛門」について
熊本藩の参勤交代の道中記を書いていた人でした^^
数年前に父がこの古文書を読み解いてホームページも作ってたのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/26/bacab3ae28f0ccd9870b7cd7544dfc54.jpg)
熊本県の解説「二重峠の石畳」
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下の方までずっと続いています。
わ~い!
熊本藩のお殿様細川氏は、参勤交代に熊本から阿蘇を通って大分へ抜け、瀬戸内海を船で兵庫まで行くというルートを使っていました。そのためこの道は参勤交代の道だったのです。肥後54万石の大名行列がここを通って行くとは・・・壮観だったでしょうね。(街中より軽装だったとは思いますけどね)
この辺の解説はすべて素人郷土史家の父によるものです。
父が「こん道は堀部次郎左衛門さんも通ったろうな~」とかいうので、「ほりべ?誰だっけ?」と一瞬考え込みました。
わかりました、この人ですね。
寛延二年熊本藩登り道中記 作者「堀部次郎左衛門」について
熊本藩の参勤交代の道中記を書いていた人でした^^
数年前に父がこの古文書を読み解いてホームページも作ってたのでした。
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熊本県の解説「二重峠の石畳」