阿蘇大観峰。
熊本生まれなのに行ったことのない場所でした。
阿蘇市のホームページによると「明治の文豪、徳富蘇峰が名付親。阿蘇五岳(涅槃像)展望の最高のポイントで、田園地帯の広がる阿蘇谷をカルデラ東壁から西壁までの大パノラマを一望できる。また、蘇峰の他吉井勇、高浜虚子の歌碑も立っている。」とのことです。
位置的には阿蘇外輪山の北側の尾根で、南側に阿蘇谷と阿蘇五岳を望みます。阿蘇の大カルデラを実感できるポイントのようで、是非行ってみたいと思っていました。
阿蘇ミルクロードの牧場地帯を抜けていくと大観峰という標識が出てきます。
広い駐車場、レストハウスなどがありました。
にぎやかなので、何だろうと思ったら「猿回し」がきてました。
バンが停めてあって「周防猿回しの会」と書いてありました。
若い女性の猿回し師さんと小さなお猿さんでした。
可愛かった(お猿さんが足をそろえて座ってます。)
さて、この「周防猿回しの会」ですが、私の敬愛する宮本常一さんと深いかかわりがあります。
もともと猿回しというのは、明治になるまで何百年という伝統があり、被差別民の生業とする芸として日本全国で行われていたのですが、明治に入り差別があったためか、だんだんやる人が減り、戦後一度は完全に消えてしまった芸だったそうなのです。
wikiによると、俳優の小沢昭一氏が旅芸人の調査をする中で、猿回し師の子孫と出会い、復活していくのですが、そのときに宮本常一氏が支援をしていきます。宮本常一氏の著作をいろいろ読んでいるときに、この猿回しと和太鼓の復活について尽力したことが書かれていて興味を持ったのですが、まさにその「周防猿回し」に出会えるとは!
でも調べてみたら、今日本にある猿回し、日光猿軍団などもみんなこの「周防猿回しの会」の流れを受けているそうです。阿蘇にも猿まわし劇場があるので、このお猿さんはそこ所属かもしれません。昔東京の根津神社でも猿回しを見ましたけど、それも周防からの流れだったのでしょうね。
雲が多かったのですが、展望台からはぎりぎり五岳が見えました。
お釈迦様の寝姿にも見えました。
写真ではいまいちですね。
小学生の遠足の集団もいて、お弁当を広げていました。
でも山の上だというのに非常に蒸して暑かった…。
早々に退散したのでした。
熊本生まれなのに行ったことのない場所でした。
阿蘇市のホームページによると「明治の文豪、徳富蘇峰が名付親。阿蘇五岳(涅槃像)展望の最高のポイントで、田園地帯の広がる阿蘇谷をカルデラ東壁から西壁までの大パノラマを一望できる。また、蘇峰の他吉井勇、高浜虚子の歌碑も立っている。」とのことです。
位置的には阿蘇外輪山の北側の尾根で、南側に阿蘇谷と阿蘇五岳を望みます。阿蘇の大カルデラを実感できるポイントのようで、是非行ってみたいと思っていました。
阿蘇ミルクロードの牧場地帯を抜けていくと大観峰という標識が出てきます。
広い駐車場、レストハウスなどがありました。
にぎやかなので、何だろうと思ったら「猿回し」がきてました。
バンが停めてあって「周防猿回しの会」と書いてありました。
若い女性の猿回し師さんと小さなお猿さんでした。
可愛かった(お猿さんが足をそろえて座ってます。)
さて、この「周防猿回しの会」ですが、私の敬愛する宮本常一さんと深いかかわりがあります。
もともと猿回しというのは、明治になるまで何百年という伝統があり、被差別民の生業とする芸として日本全国で行われていたのですが、明治に入り差別があったためか、だんだんやる人が減り、戦後一度は完全に消えてしまった芸だったそうなのです。
wikiによると、俳優の小沢昭一氏が旅芸人の調査をする中で、猿回し師の子孫と出会い、復活していくのですが、そのときに宮本常一氏が支援をしていきます。宮本常一氏の著作をいろいろ読んでいるときに、この猿回しと和太鼓の復活について尽力したことが書かれていて興味を持ったのですが、まさにその「周防猿回し」に出会えるとは!
でも調べてみたら、今日本にある猿回し、日光猿軍団などもみんなこの「周防猿回しの会」の流れを受けているそうです。阿蘇にも猿まわし劇場があるので、このお猿さんはそこ所属かもしれません。昔東京の根津神社でも猿回しを見ましたけど、それも周防からの流れだったのでしょうね。
雲が多かったのですが、展望台からはぎりぎり五岳が見えました。
お釈迦様の寝姿にも見えました。
写真ではいまいちですね。
小学生の遠足の集団もいて、お弁当を広げていました。
でも山の上だというのに非常に蒸して暑かった…。
早々に退散したのでした。