2010年にイ・スンファンが「盗作」した、というような記事が日本のネットに出て、そのことについて私もブログに書きました。以前に書いた投稿には、コメントでも指摘されているように、当時の私の認識不足がありました。あんまり深く考えずに日本語の記事を読んだ印象だけでポストしてしまったのです。
そんな昔の話もう放っておこうかとも思いましたが、いまでもそのキーワードでこのブログに来る人もいるようなので、誤解を解いておきたいと思いこの話題を取りあげたいと思います。
■記事の概要
日本の有名なアニメ「フランダースの犬」の主題歌を、イスンファンが作品に取り上げているが、2010年、彼がラジオで「あの曲は盗用だった」と告白した。という内容。
この件に関して、私は詳しいわけではないのですが、それでも当時の記事とそれにまつわる日本側の反応にはいろいろと誤解があると思います。記事中でも「イスンファンが盗用した」とは書いてなく、あくまでも「作曲者が盗用した」と書いてあるのですが、日本のネット民の皆さんの反応は「イスンファンという韓国の有名な歌手も盗作した」みたいなニュアンスがありました。ネットにはそういう書き込みがいつまでも残るので厄介ですね。せめて私の今回のこの記事が人々の目にもとまるといいと思います。イスンファン氏の名誉のためにも。
まず、イ・スンファンの「フランダースの犬」という作品は、彼が子供のころに聴き親しんだアニメの主題歌にインスピレーションを得て、自分のオリジナルを付け加えた、いわゆるリメイクです。
こういう作品は沢山ありますよね。
ぱっと思いつくのは、ラフマニノフをベースにしたエリックカルメンの「オールバイマイセルフ」とか。
そもそも、作品名を「フランダースの犬」としていることから、この作品が「盗作」などに当たらないことは明らかです。「盗む」ならオリジナルの名前を付けたりしない。あくまでもこの作品は、子供のころに好きだった歌をベースにした新しい創作物です。
なにか問題があるとすれば、その原作者を当初イスンファンが知らなかったということ。それで、本当の作曲者を意識しないでCDを出しました。でもそれは不可抗力です。韓国でも日本のアニメ「フランダースの犬」は放送されていましたが、すべて韓国語になっていて(もちろん主題歌も)見ていた子供たちは日本のアニメだと全然気が付いていなかったそうです。(何年か前に韓国の掲示板でそのことが話題になったっていう記事をネットでみました)
しかも、韓国版「フランダースの犬」の主題歌「よあけのみち」は韓国人の作詞作曲としてひろまっていたんです。似たようなことは昔の台湾でもありましたね。日本語のカバーでも作曲者不明となっているもの。あ、そうだ、オフコースの「時に愛は」をチーチンがカバーしたのも作曲者小田和正じゃなかったし。
というわけなので、当時のイスンファンにはこの曲の本当の作者はわからなかったと思います。不可抗力と書いたのはそういうことです。また、もしわかっていたとしても、韓国内では韓国人の作詞作曲で通っているものを、わざわざ変えることまではしなかったでしょうし。後になってから「あの歌、日本の歌だったんだ・・・!」と気が付いたんだと私は思います。
子供向けのアニメだから、韓国語の歌詞をつけるでしょうけど、そうじゃなくても歌詞も変えて作り直す必要がありました。(後述)その時になぜ作曲者も韓国人名にしてしまったのかは1970年代に戻って当時の関係者に話を聞かないと分からないですね。(イスンファンは関係ない)
これには、日本と韓国の歴史がかかわってきます。
戦後、かなり長い期間、韓国では日本の歌や芝居(日本語文化)を公共の場で流すことが禁じられていました。(何時までかな?私が韓国に行き始めたころはまだそんな時代で、テレビではだめ。でも街の海賊TAPEにはたくさん日本の歌が売られてました。)そして、日本と韓国の間で著作権についての協定はありませんでした。
こんな話があります。ずいぶん昔に作家の曽野綾子氏の小説が韓国語に翻訳されました。原作者本人に何の断りもなく翻訳を出版したのがさすがに気が咎めたのか、出版社が曽野綾子に連絡を取りました。事後承諾的なものですね。でも、当時日本と韓国には著作権についての取り決めがなかったために、法的には曽野さんは韓国側に権利を主張することはできませんでした。そこで、彼女は翻訳者側に「もしお気持ちがあるなら、私の本の翻訳の利益の一部を寄付してください」と言ったそうです。
あまり期待せずにそう言ったそうですが、果たしてしばらくして、韓国のハンセン病関連施設から曽野さんにお礼の連絡があり、ちゃんと寄付がなされたことがわかったそうです。それが1970年代初頭のことで、今も続く「海外邦人宣教者活動援助後援会」の活動につながっていったそうです。
下にそのことを取り上げた記事を貼っておきます。
第4回(1997年度)読売国際協力賞 海外邦人宣教者活動援助後援会
ちょっと脱線しましたが、当時こういう風に原作者に連絡を取るケースは普通に考えてまれだったことでしょうし、日本語の文化は長く韓国ではアンダーグラウンドで、著作権どうのという話にならなかったんじゃないかと思います。(いまはそんなことないはず)
時代はめぐり、韓国でも著作権について敏感になってきました。
日本の曲のカバーなら、ちゃんとそうクレジットするのが当たり前の時代に。
そしてちょうど2010年当時は韓国の音楽界で「盗作・盗用」問題が話題でした(こっちはよくある盗作の話です。メロディーラインが似てるとかそういう疑惑。ですね)それで、イスンファンも自分のCDに入っている曲について「実は日本の曲だった。」と言及したんでしょう。彼自身がクリエーターですから当然本当の作者が誰かということについては敏感でしょうし。
これは完全に私の想像ですけど、イスンファンがラジオで話したのは、
「今盗作が話題だけど、実は自分の歌にもそういうのがあったんだよね。いや~びっくりしたよ。だってあのアニメ、日本のだって知らなかったし、主題歌も韓国人の作詞作曲とされてたからリメイクした時も気が付かなくて。でも日本の曲だってわかったからそれなりの対応はしたんだよ。」
みたいな感じだったのではないかと。
新聞記事がニュアンスを変えてくるのはよくある話で。
しかも、この時の日本語の記事は「嫌韓」ムードにおもねるにおいがプンプンするし。
「盗作だった」なんて書き方、腹立たしいですね。
マスコミのあおり記事とそれに反応する「嫌韓ネット民」という構図。
この前カラオケに行ったら、この歌入ってました。
作曲者は日本人になっていました。
歌いました(^^♪
そんな昔の話もう放っておこうかとも思いましたが、いまでもそのキーワードでこのブログに来る人もいるようなので、誤解を解いておきたいと思いこの話題を取りあげたいと思います。
■記事の概要
日本の有名なアニメ「フランダースの犬」の主題歌を、イスンファンが作品に取り上げているが、2010年、彼がラジオで「あの曲は盗用だった」と告白した。という内容。
この件に関して、私は詳しいわけではないのですが、それでも当時の記事とそれにまつわる日本側の反応にはいろいろと誤解があると思います。記事中でも「イスンファンが盗用した」とは書いてなく、あくまでも「作曲者が盗用した」と書いてあるのですが、日本のネット民の皆さんの反応は「イスンファンという韓国の有名な歌手も盗作した」みたいなニュアンスがありました。ネットにはそういう書き込みがいつまでも残るので厄介ですね。せめて私の今回のこの記事が人々の目にもとまるといいと思います。イスンファン氏の名誉のためにも。
まず、イ・スンファンの「フランダースの犬」という作品は、彼が子供のころに聴き親しんだアニメの主題歌にインスピレーションを得て、自分のオリジナルを付け加えた、いわゆるリメイクです。
こういう作品は沢山ありますよね。
ぱっと思いつくのは、ラフマニノフをベースにしたエリックカルメンの「オールバイマイセルフ」とか。
そもそも、作品名を「フランダースの犬」としていることから、この作品が「盗作」などに当たらないことは明らかです。「盗む」ならオリジナルの名前を付けたりしない。あくまでもこの作品は、子供のころに好きだった歌をベースにした新しい創作物です。
なにか問題があるとすれば、その原作者を当初イスンファンが知らなかったということ。それで、本当の作曲者を意識しないでCDを出しました。でもそれは不可抗力です。韓国でも日本のアニメ「フランダースの犬」は放送されていましたが、すべて韓国語になっていて(もちろん主題歌も)見ていた子供たちは日本のアニメだと全然気が付いていなかったそうです。(何年か前に韓国の掲示板でそのことが話題になったっていう記事をネットでみました)
しかも、韓国版「フランダースの犬」の主題歌「よあけのみち」は韓国人の作詞作曲としてひろまっていたんです。似たようなことは昔の台湾でもありましたね。日本語のカバーでも作曲者不明となっているもの。あ、そうだ、オフコースの「時に愛は」をチーチンがカバーしたのも作曲者小田和正じゃなかったし。
というわけなので、当時のイスンファンにはこの曲の本当の作者はわからなかったと思います。不可抗力と書いたのはそういうことです。また、もしわかっていたとしても、韓国内では韓国人の作詞作曲で通っているものを、わざわざ変えることまではしなかったでしょうし。後になってから「あの歌、日本の歌だったんだ・・・!」と気が付いたんだと私は思います。
子供向けのアニメだから、韓国語の歌詞をつけるでしょうけど、そうじゃなくても歌詞も変えて作り直す必要がありました。(後述)その時になぜ作曲者も韓国人名にしてしまったのかは1970年代に戻って当時の関係者に話を聞かないと分からないですね。(イスンファンは関係ない)
これには、日本と韓国の歴史がかかわってきます。
戦後、かなり長い期間、韓国では日本の歌や芝居(日本語文化)を公共の場で流すことが禁じられていました。(何時までかな?私が韓国に行き始めたころはまだそんな時代で、テレビではだめ。でも街の海賊TAPEにはたくさん日本の歌が売られてました。)そして、日本と韓国の間で著作権についての協定はありませんでした。
こんな話があります。ずいぶん昔に作家の曽野綾子氏の小説が韓国語に翻訳されました。原作者本人に何の断りもなく翻訳を出版したのがさすがに気が咎めたのか、出版社が曽野綾子に連絡を取りました。事後承諾的なものですね。でも、当時日本と韓国には著作権についての取り決めがなかったために、法的には曽野さんは韓国側に権利を主張することはできませんでした。そこで、彼女は翻訳者側に「もしお気持ちがあるなら、私の本の翻訳の利益の一部を寄付してください」と言ったそうです。
あまり期待せずにそう言ったそうですが、果たしてしばらくして、韓国のハンセン病関連施設から曽野さんにお礼の連絡があり、ちゃんと寄付がなされたことがわかったそうです。それが1970年代初頭のことで、今も続く「海外邦人宣教者活動援助後援会」の活動につながっていったそうです。
下にそのことを取り上げた記事を貼っておきます。
第4回(1997年度)読売国際協力賞 海外邦人宣教者活動援助後援会
ちょっと脱線しましたが、当時こういう風に原作者に連絡を取るケースは普通に考えてまれだったことでしょうし、日本語の文化は長く韓国ではアンダーグラウンドで、著作権どうのという話にならなかったんじゃないかと思います。(いまはそんなことないはず)
時代はめぐり、韓国でも著作権について敏感になってきました。
日本の曲のカバーなら、ちゃんとそうクレジットするのが当たり前の時代に。
そしてちょうど2010年当時は韓国の音楽界で「盗作・盗用」問題が話題でした(こっちはよくある盗作の話です。メロディーラインが似てるとかそういう疑惑。ですね)それで、イスンファンも自分のCDに入っている曲について「実は日本の曲だった。」と言及したんでしょう。彼自身がクリエーターですから当然本当の作者が誰かということについては敏感でしょうし。
これは完全に私の想像ですけど、イスンファンがラジオで話したのは、
「今盗作が話題だけど、実は自分の歌にもそういうのがあったんだよね。いや~びっくりしたよ。だってあのアニメ、日本のだって知らなかったし、主題歌も韓国人の作詞作曲とされてたからリメイクした時も気が付かなくて。でも日本の曲だってわかったからそれなりの対応はしたんだよ。」
みたいな感じだったのではないかと。
新聞記事がニュアンスを変えてくるのはよくある話で。
しかも、この時の日本語の記事は「嫌韓」ムードにおもねるにおいがプンプンするし。
「盗作だった」なんて書き方、腹立たしいですね。
マスコミのあおり記事とそれに反応する「嫌韓ネット民」という構図。
この前カラオケに行ったら、この歌入ってました。
作曲者は日本人になっていました。
歌いました(^^♪