初めて韓国に行ったときの旅日記が発掘されました。
読み返してみたら、忘れていることばかり。
ツアーで行ったんだとか、いろんな人に会ってるなぁとか。
再度記録したいと思います。
この旅行は、同級生がソウルに住んでいたというのがきっかけでした。
日程 1995年10月20日(金)~10月24日(火)
同行者 Kさん(ソウルのホテルで合流)
HISのホテル付自由ツアーだったみたい。
ホテル:ロッテホテル
初日 10/20(金)
午前中仕事をしてから成田へ。ユナイテッドの夜便。897便。
ソウルまでは2時間。
隣の韓国人男性と話をする。
空港に着くとキムチのにおいがするなどと本に書いてあったけど、そんなことはない。
入国審査、むっとした顔の係りの人だ。「アンニョンハセヨ」と言うと顔がほころび「はんぐんまるる・・」と言われたが聞き取れない。「何日滞在しますか?」と日本語で聞かれる。「おーいる(5日)」とたどたどしく答えた。
トイレに行って、荷物を取り、両替をして外へ。
迎えの人がずらりと並んでいる。何か気恥ずかしい。私の迎えのHISの人もいるはず、と出迎えの人々の持ってる紙をのぞき込む。
ありました。「●●(私の苗字)御一行様」という紙。
ひとりなのに・・・。
実際に、HISの係りの羅さんが迎えに来たのは私だけだった。タクシーでホテルへ行くことになる。
空港のタクシー乗り場でひと悶着。
乗り場に並んでいると、後ろの人がどんどん乗るので、羅さんがいろいろ言って、乗っている人を下ろそうとした。一台目のおじさんは、けんか腰で言い返してきて、降りようとせず。二台目の人は下りてくれたので、そのタクシーに乗る。
羅さんの話によると、「この頃は韓国人も順番を守るようになってきたんだけど、こっちの人はせっかちだから…。最初のおじさんはそっちが乗ろうとしないから乗ったのだって。おかしいですよね?失礼でしょ。」と怒っている。
タクシーで空港に向かう途中、羅さんといろいろ話をする。帰りの迎えの打ち合わせをした後、朝鮮総督府(今の国立博物館)はどうして取り壊されることになったか?という話になる。
「日本の建てたものだからでしょう?」と私が言うと
「それだけじゃない。それだけなら、市庁もソウル駅も銀行も日本が建てたものだけど壊さない。あの建物があるために、宮殿が門から見えない。大統領官邸も宮殿の後ろにあるけど見えないから、というのが一つの理由。それから宮殿の後ろに「大」という形の山があり、博物館は上から見ると「日」という形に見え、市庁ふが「本」という形に見える。つまり「大日本」。それが、韓国の方位学の重要な場所にあるから、というのがもう一つの理由。」と話してくれた。
夜9時半ごろホテルへ到着。ロッテホテルはいいホテル。
フロントへ行くと同行のKさんはすでに部屋にいるとのこと。
羅さんとはここで別れる。
部屋でお風呂に入ってから、夜10時ごろ、少し外出。
明洞まで歩いてみる。にぎやか。東京と変わらない感じで、夜歩きも怖くない。
コンビニみたいな店でビールとコーラを買う。レジはPOSが導入されている。店の人に何も話しかけられず残念。
Kさんは先に歩いていたそうで、道を知っていた。
2日目 10/21(土)
7:20起床。朝食は贅沢してルームサービス。
Kさんはアメリカン。私はカルビタン。カルビタンにはカクテキやノリなどが付いてきた。
朝食後ホテルの地下の銀行で両替。係りのお姉さんがとても愛想がいい。
10:00 こっちに住んでいる同級生U君がホテルにやってくる。
今日は3人で観光。
まず、徳寿宮へ。ここは景福宮を小さくしたようなところ。U君の説明がすばらしい。豊臣秀吉の時代に景福宮が燃えてしまい、宮殿をココに移した。建物一つ一つの前で歴史的な背景を説明してくれる。すごい。
昼食は「韓定食を食べたい」という私のリクエストで仁寺洞まで歩き、トゥレという店を探す。
仁寺洞は歩行者天国になっていて、骨董品や筆、古本、陶磁器などを売る店が並ぶ。今日はちょうど何かのお祭りらしく、屋台がいろいろ出ていた4.飴を切って売る店は「芸」をするのがお約束なのか、何軒もあったけど、どこもにぎやかな音楽をかけて、はさみをカチャカチャ言わせて芸をしていた。仁寺洞の裏のほうは昔ながらの古い家で、貴族が多く住んでいたのだそうで、とても趣深い。仁寺洞の骨董店は経済的に苦しくなった貴族たちが暮らしのために家にあったものを売り出したのが始まりとか。
トゥレは奥まったところにあるいい感じの店。
日本語は通じず、英語が少し通じる。U君も韓国語はまだそれほどしゃべれない。
お店のおにーさんはいい人で、通じないながらもいろいろ説明してくれた。「韓定食~はんじょんしく」は予約しないとだめだそうで、代わりに「せこぎ(牛肉)」とか「ゆっけ」とかありますよ・・・と説明してくれるが、なかなか全部は通じないので、予算を3人で5万ウォンくらいとかいって相談。せこぎを入れると7万ウォンでということで、それで注文。お任せです。
結局飲み物とか全部入れると8万ウォンくらいになった。U君がご馳走してくれた。
帰り際、お店のおにーさんが、実は今月宮城の作並温泉に行ってきたばかりだと言っていた。しぶいな・・・・
※このお店今も健在のようです。
http://www.seoulnavi.com/food/2123/
昼食後は景福宮へ。
またまたU君の講義の続き。勉強になる。
景福宮はとても大きいが、その建物のほどんどは焼けたり壊れたりしてあまり残っていない。
ミンビ暗殺の石碑のところも行ってみた。今年は事件からちょうど100年で、10/8に行事があったらしい。花がそなえてあった。
高宗が愛したという建物はきれいでした。
結婚写真を撮るカップルがいました。
※参考:閔妃暗殺事件(1895年)(世界史の窓)
旧朝鮮総督府 国立博物館へ。
羅さんの話の通り、宮殿側からしたらかなり目障りな場所に建っており、何もここに建てなくても…と、日本の帝国主義の狭量さを感じて悲しくなった。この建物の撤去に日本も協力すればいいのにと思う。中は国立博物館になっている。子供たちが大勢いて展示物の名前を書き写している。絵を描いている子もいる。大人でも書いている人がいる。勉強熱心で結構だが、名前を書き写すことばかりに熱中して、肝心の展示物を見てない子もいるようだった・・・。
私一人なら、サラーっと流して見るところだが、同行者もいたので全部しっかり見てしまった。
朝鮮半島との歴史的な深いかかわりは知っているつもりだったけど、半島側の視点でみたのが面白かった。陶磁器などは、やはりこちらのほうがはるかに進んでいたんだとはっきりわかるし。伝播していくのが具体的にわかったような気がした。
光化門からまた仁寺洞にもどる。
伝統茶院というタバンでお茶。ここも貴族の家を画廊と茶房にしているところで、内庭が広くとてもいい雰囲気でした。
夕食は明洞で参鶏湯。栄養参鶏湯。おいしかったけど食べきれなかった。
途中、全州屋の前を通ったけどガイドブックに書いてある通り、本当に幟を持ったおじいさんが立っていた。あの人は一日中立っているのだろうか?
U君とはここで別れて、われらは途中の洋服屋などを冷かしつつホテルへ。
ホテル37階のラウンジへ夜景を見に行ったがあまりよく見えない。コーヒー1杯飲んで部屋に戻る。土曜の夜のせいかソウルの若者でスカイラウンジへのエレベーターはいっぱいだった。
今はもう旧朝鮮総督府の建物はありません。
1995年に解体されているので、私が見たのは本当にぎりぎりだったんですね。
その後ソウルへ行ったときに、尖塔部分が地面に置かれているのを見た記憶があります。
その後、その尖塔部分は、別の博物館へ運ばれて展示されているそうです。
読み返してみたら、忘れていることばかり。
ツアーで行ったんだとか、いろんな人に会ってるなぁとか。
再度記録したいと思います。
この旅行は、同級生がソウルに住んでいたというのがきっかけでした。
日程 1995年10月20日(金)~10月24日(火)
同行者 Kさん(ソウルのホテルで合流)
HISのホテル付自由ツアーだったみたい。
ホテル:ロッテホテル
初日 10/20(金)
午前中仕事をしてから成田へ。ユナイテッドの夜便。897便。
ソウルまでは2時間。
隣の韓国人男性と話をする。
空港に着くとキムチのにおいがするなどと本に書いてあったけど、そんなことはない。
入国審査、むっとした顔の係りの人だ。「アンニョンハセヨ」と言うと顔がほころび「はんぐんまるる・・」と言われたが聞き取れない。「何日滞在しますか?」と日本語で聞かれる。「おーいる(5日)」とたどたどしく答えた。
トイレに行って、荷物を取り、両替をして外へ。
迎えの人がずらりと並んでいる。何か気恥ずかしい。私の迎えのHISの人もいるはず、と出迎えの人々の持ってる紙をのぞき込む。
ありました。「●●(私の苗字)御一行様」という紙。
ひとりなのに・・・。
実際に、HISの係りの羅さんが迎えに来たのは私だけだった。タクシーでホテルへ行くことになる。
空港のタクシー乗り場でひと悶着。
乗り場に並んでいると、後ろの人がどんどん乗るので、羅さんがいろいろ言って、乗っている人を下ろそうとした。一台目のおじさんは、けんか腰で言い返してきて、降りようとせず。二台目の人は下りてくれたので、そのタクシーに乗る。
羅さんの話によると、「この頃は韓国人も順番を守るようになってきたんだけど、こっちの人はせっかちだから…。最初のおじさんはそっちが乗ろうとしないから乗ったのだって。おかしいですよね?失礼でしょ。」と怒っている。
タクシーで空港に向かう途中、羅さんといろいろ話をする。帰りの迎えの打ち合わせをした後、朝鮮総督府(今の国立博物館)はどうして取り壊されることになったか?という話になる。
「日本の建てたものだからでしょう?」と私が言うと
「それだけじゃない。それだけなら、市庁もソウル駅も銀行も日本が建てたものだけど壊さない。あの建物があるために、宮殿が門から見えない。大統領官邸も宮殿の後ろにあるけど見えないから、というのが一つの理由。それから宮殿の後ろに「大」という形の山があり、博物館は上から見ると「日」という形に見え、市庁ふが「本」という形に見える。つまり「大日本」。それが、韓国の方位学の重要な場所にあるから、というのがもう一つの理由。」と話してくれた。
夜9時半ごろホテルへ到着。ロッテホテルはいいホテル。
フロントへ行くと同行のKさんはすでに部屋にいるとのこと。
羅さんとはここで別れる。
部屋でお風呂に入ってから、夜10時ごろ、少し外出。
明洞まで歩いてみる。にぎやか。東京と変わらない感じで、夜歩きも怖くない。
コンビニみたいな店でビールとコーラを買う。レジはPOSが導入されている。店の人に何も話しかけられず残念。
Kさんは先に歩いていたそうで、道を知っていた。
2日目 10/21(土)
7:20起床。朝食は贅沢してルームサービス。
Kさんはアメリカン。私はカルビタン。カルビタンにはカクテキやノリなどが付いてきた。
朝食後ホテルの地下の銀行で両替。係りのお姉さんがとても愛想がいい。
10:00 こっちに住んでいる同級生U君がホテルにやってくる。
今日は3人で観光。
まず、徳寿宮へ。ここは景福宮を小さくしたようなところ。U君の説明がすばらしい。豊臣秀吉の時代に景福宮が燃えてしまい、宮殿をココに移した。建物一つ一つの前で歴史的な背景を説明してくれる。すごい。
昼食は「韓定食を食べたい」という私のリクエストで仁寺洞まで歩き、トゥレという店を探す。
仁寺洞は歩行者天国になっていて、骨董品や筆、古本、陶磁器などを売る店が並ぶ。今日はちょうど何かのお祭りらしく、屋台がいろいろ出ていた4.飴を切って売る店は「芸」をするのがお約束なのか、何軒もあったけど、どこもにぎやかな音楽をかけて、はさみをカチャカチャ言わせて芸をしていた。仁寺洞の裏のほうは昔ながらの古い家で、貴族が多く住んでいたのだそうで、とても趣深い。仁寺洞の骨董店は経済的に苦しくなった貴族たちが暮らしのために家にあったものを売り出したのが始まりとか。
トゥレは奥まったところにあるいい感じの店。
日本語は通じず、英語が少し通じる。U君も韓国語はまだそれほどしゃべれない。
お店のおにーさんはいい人で、通じないながらもいろいろ説明してくれた。「韓定食~はんじょんしく」は予約しないとだめだそうで、代わりに「せこぎ(牛肉)」とか「ゆっけ」とかありますよ・・・と説明してくれるが、なかなか全部は通じないので、予算を3人で5万ウォンくらいとかいって相談。せこぎを入れると7万ウォンでということで、それで注文。お任せです。
結局飲み物とか全部入れると8万ウォンくらいになった。U君がご馳走してくれた。
帰り際、お店のおにーさんが、実は今月宮城の作並温泉に行ってきたばかりだと言っていた。しぶいな・・・・
※このお店今も健在のようです。
http://www.seoulnavi.com/food/2123/
昼食後は景福宮へ。
またまたU君の講義の続き。勉強になる。
景福宮はとても大きいが、その建物のほどんどは焼けたり壊れたりしてあまり残っていない。
ミンビ暗殺の石碑のところも行ってみた。今年は事件からちょうど100年で、10/8に行事があったらしい。花がそなえてあった。
高宗が愛したという建物はきれいでした。
結婚写真を撮るカップルがいました。
※参考:閔妃暗殺事件(1895年)(世界史の窓)
旧朝鮮総督府 国立博物館へ。
羅さんの話の通り、宮殿側からしたらかなり目障りな場所に建っており、何もここに建てなくても…と、日本の帝国主義の狭量さを感じて悲しくなった。この建物の撤去に日本も協力すればいいのにと思う。中は国立博物館になっている。子供たちが大勢いて展示物の名前を書き写している。絵を描いている子もいる。大人でも書いている人がいる。勉強熱心で結構だが、名前を書き写すことばかりに熱中して、肝心の展示物を見てない子もいるようだった・・・。
私一人なら、サラーっと流して見るところだが、同行者もいたので全部しっかり見てしまった。
朝鮮半島との歴史的な深いかかわりは知っているつもりだったけど、半島側の視点でみたのが面白かった。陶磁器などは、やはりこちらのほうがはるかに進んでいたんだとはっきりわかるし。伝播していくのが具体的にわかったような気がした。
光化門からまた仁寺洞にもどる。
伝統茶院というタバンでお茶。ここも貴族の家を画廊と茶房にしているところで、内庭が広くとてもいい雰囲気でした。
夕食は明洞で参鶏湯。栄養参鶏湯。おいしかったけど食べきれなかった。
途中、全州屋の前を通ったけどガイドブックに書いてある通り、本当に幟を持ったおじいさんが立っていた。あの人は一日中立っているのだろうか?
U君とはここで別れて、われらは途中の洋服屋などを冷かしつつホテルへ。
ホテル37階のラウンジへ夜景を見に行ったがあまりよく見えない。コーヒー1杯飲んで部屋に戻る。土曜の夜のせいかソウルの若者でスカイラウンジへのエレベーターはいっぱいだった。
今はもう旧朝鮮総督府の建物はありません。
1995年に解体されているので、私が見たのは本当にぎりぎりだったんですね。
その後ソウルへ行ったときに、尖塔部分が地面に置かれているのを見た記憶があります。
その後、その尖塔部分は、別の博物館へ運ばれて展示されているそうです。