キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

新日本フィル×小澤征爾@すみだトリフォニーホール

2016年05月13日 |   └─クラシック


夫がチケットを買ってくれて、二人で見に行きました。
会場のすみだトリフォニーホールはJR錦糸町駅前にあります。
職場から錦糸町に向かうには、定時まで働いていると間に合わないので、またもや早退しました(最近早退ばっかりしてる‥)

すみだトリフォニーホールに来るのは初めてですが、素敵なコンサートホールでした。
クラシックな雰囲気。パイプオルガンもある。
シューズボックス型で音響もよさそう。
家の近くにあればなぁ~。


さて、演奏会。
まずはじめに、熊本地震による犠牲者追悼のためにバッハの「G線上のアリア」が演奏されました。
プログラムに注意書きがはさんであります。
「拍手しないようにお願いします」
去年、水戸で聴いたときにもこの追悼曲の演奏があったのですが、この形式好きです。

演奏は、1~2音聞こえたあたりから、なぜか涙が出ました。
何か理由はわかりません。
他の曲ではそのようなことはなかったので、やはり追悼のメッセージが届いたのかもしれないと思ってみたり。ただの疲れ目だったかも?




その後、いちど楽団員も退場して、仕切り直して演奏会が始まりました。


小澤征爾&新日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会2016
 グリーグ作曲  組曲「ホルベアの時代より」 op.40 (指揮:小澤征爾)
 モーツァルト作曲  セレナード第12番ハ短調 K.388 「ナハトムジーク」(指揮者なし)
 ベートーヴェン作曲  劇音楽「エグモント」序曲 op.84 (指揮:小澤征爾)


2番目のモーツアルトの「ナハトムジク」は、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン各2台計8つの楽器による管合奏で新鮮でした。管楽器の皆さんは、音を出してない時間もいろいろやること多くて忙しいんだなと思いました。

最後の「エグモント」序曲。
これ、短い曲ですが圧巻でした。
小澤征爾さんの身体から音が出ているように感じました。
あれはすごいな~。何なんだろう。


終演後、ホールの廊下を出口に向かって歩いていたら、人波に逆らってくる人たちとすれ違いました。
お顔を見て、あ!
小澤征爾氏の弟さんだ。
あれ次にきたのは水戸室内にいる友人だ。
そして、この人も顔知ってる…あ、わかった久石譲さんだ!

楽屋に向かわれていたんですね。
さすがに久石さんは有名人で、周りの人がざわざわしてました。


ロビーに出ると、楽団員の方々が募金箱をかかえて、熊本地震への義捐金のよびかけをしていました。
有難いことですね。
少し募金しました。
「熊本県 ふるさと納税 義援金口」というところに送ってくれるそうです。



帰りに錦糸町で夕食をとりました。
ここのところ読んでいる「半七捕物帳」の舞台に近づく感じもあり、ワクワク。
まるっきり江戸の雰囲気はないですが、やはり「土地」の歴史が持つ力は感じるような気がします。

1947年11月 水前寺上空

2016年05月12日 | └─熊本地震・水害
地震とは関係ない記事シリーズになりつつあります。

航空写真を見始めたら止まらなくなりました。
時代も場所もあっちこっちをさまよって楽しみます。

今回降り立ったのは、1947年11月1日の水前寺駅上空です。
写真の下に横に伸びるのが豊肥本線。
プラットホームが白く見えるのが水前寺駅です。

写真の中央の四角い部分が今の県立熊本高校。
グランドの下に四角く見えるのが、当時から50mコースを備えていたプールです。
1945年7月1日の熊本大空襲でしょうか、校舎などは全焼してしまったそうです。
校史に「図書館を残して全焼」とあるので、きっと右隅に四角く見えるのが当時の図書館なのではないかと思います。全焼したとはいっても、グランドや校舎の配置などは私が高校生だった頃と同じなので、同じように再建したのでしょうね。

熊高の西隣の今の開新高校は校舎も残っているように見えますし、熊高と水前寺駅の間にある民家も見えますが、焼け残ったのか、再建が早かったのか、どちらなのでしょうね。

1964年の健軍の航空写真

2016年05月11日 | └─熊本地震・水害
今回の地震のため、熊本の地図をいつも以上に良く眺めました。
また、帰省した時に車で走ったりして自分の育ったところをよくよく眺めてみると、新しい道ができていたり学校ができていたり、マンションがどんどん建っていたりして、自分の知ってる町とはかなり変わってきているというのを実感しました。

自分の歳を考えれば当然なのですが。

国土地理院のホームページに昔の航空写真を見るサービスがあります。
そこで、今回走ってきた範囲の航空写真を眺めていました。興味深い(とはいっても、自分にとってだけですけど)ことがいろいろ読み取れたので、ここに書いておこうと思います。


取り出したのは、1964年(昭和39年)の航空写真です。
私の生まれる前ですね。さらに私が熊本市に引っ越してくるのは、昭和50年代なので、私の知ってるずっと前の様子ですが、今とのあまりの違いに興味をひかれます。現在この範囲の航空写真を見れば、自衛隊などをのぞいてほとんどが住宅地です。このころは、ほとんどが畑地ですね。



A:健軍の自衛隊

もともと戦時中に三菱重工の戦闘機工場として用地買収され、熊本市の東の端にこの長四角の土地が造成されました。
航空写真ではわかりにくいですが、Aの文字のそばにあるのは戦時中から使われている(今も!)ギザギザ屋根の工場です。

B:新外(しんほか)

私の住んでいた家があった場所です(この写真ではまだ畑)。
今はどこまでも続く住宅地の一部ですが、江戸時代から(?)の集落のようです。
新外という地名は、もともと「たけみや(健軍/竹宮)村」というところがあり、本村のほかに下村、外村、西外村、新外村と呼んだのがいわれらしいのですが、いまは「新外」の地名以外は残っていないようです。(http://www.wakabauu.net/rekisi/takemiya1.pdf

先日、食事をした「泉樹庵」もこの新外集落にあります。
もこもこ見えるのは竹林かと思います。
私が子供の頃は、馬を飼っている家もありました。



C:健軍飛行場

特攻隊機も飛び立った、健軍飛行場です。
三菱の戦闘機工場で作った飛行機を飛ばせるためにつくられた飛行場です。
Dのところに他と区画の違う部分がありますが、三菱工場から空港まで飛行機を運ぶ道路だったそうで、今も土地割に残っています。

幼稚園の頃に遠足で空港見学に行った写真が残っています。
1971年まで使われたそうです(そのあと今の阿蘇くまもと空港の場所に移転)

Cの部分は空港のターミナルビルですが、今は熊本県立大学ですね。
滑走路の部分に、熊本赤十字病院があります。
昔は免許センターとかもありました。
この滑走路の長さの分だけ、まっすぐで道幅の広い立派な道路が突如現れるので、何だろうなぁと高校生くらいの頃は思っていました。いまは、国体道路という大きな道路が東西に走り、都心まで続いているので滑走路だったとは気がつきにくいでしょうね。
空港の周り、今の月出、長嶺のあたりは全く家がありません。
長嶺あたりのこの30年の発展はほんとにすごいな~と思います。


E:尾ノ上小学校

DからEにかけて斜めに流れているのが健軍川です。
そしてEの場所にポツンとあるのが1964年に開校したばかりの、尾ノ上小学校、私の母校です。
小学校と健軍川を挟んで対岸にある錦ケ丘中学校(こちらも私の母校)は影も形もありません。
周りは畑しかないわけですから、まだ学校はいりませんよね。


F:四時軒

沼山津にある秋津川のほとりの四時軒、横居小楠の旧居です。
今回の地震ではかなりの被害を受けてしまったようで、私の実家からすぐの場所にあるのですが、行こう行こうと思いながら行かないうちにこんなことになり、とても残念です。(四時軒被災 熊本震災4)この写真では切れてしまっていますが、秋津沼山津のあたりには古くから家も多く、横居小楠がいたのも頷けます。

Fの文字のところに、白くて丸いものが見えますが、浄化センターですね。今もあります。熊本地震で、うちの実家のあたりに届いた救援物資はこの浄化センターで仕分けされて運ばれたらしいです。


G:健軍神社

こんもり木立が見えるあたりが健軍神社です。
「健軍」の中心地ですね。
写真ではわかりにくいですが、西の方からまっすぐに参道が続いています。
戦時中、三菱の工場の周りには何もなく、空襲があると走って健軍神社まで逃げ込んだという記録があるそうです。かなり距離があると思いますけどね。


H:佐土原(さどわら)


佐土原の集落も、古くからあるようです。
いまは第二空港線が通り、スーパー銭湯の「一休」なんかがあるあたりですね。
この佐土原から北側に榎団地とかがあり、南側に桜木の住宅が広がります。




I:(現)東稜高校

ちょっと特徴的な区画になっています。畑なんですが一枚一枚が小さい。
何だろうと思って、今の地図を見ると同じ形ですが高校になっていました。
私が熊本を離れてからできた新しい高校です。

以前は何だった???
一生懸命考えて思い出しました。「茶業試験場」です。
そういえば、バスルートに「茶業試験場行き」というのがありました。
その跡地に高校ができたんですね。

茶業試験場は前身が昭和8年にここにでき、昭和23年に「茶業試験場」と名称変更したようです。そして平成元年に御船町に移転したようですね。東稜高校は昭和62年開校。あれれ??



その他あれこれ

健軍自衛隊~東町団地の大きな長方形の南西に広がる住宅地が、健軍商店街を中心にする若葉~泉が丘の住宅地です。
若葉小、泉ヶ丘小、東野中、などはしっかり見えますね。
このあたりも戦時中に三菱の社宅や寮として宅地化がすすめられたのが始まりのようです。
1956年(昭和31年)の航空写真では、健軍商店街一体が社宅だったのがよくわかります。


市電の走る電車通り(県道熊本高森線)が秋津新町のあたりで急に細くなっています。
ここから益城に続く道は、まだ整備されていないようですね。もちろん高速道路なんて計画しかなかったでしょうね、計画すらなかったかも?

自衛隊の北の端から西に延びる道路は工場のための引き込み線の跡ですね。
この写真だとよくわかりませんが、それより古い米軍による写真だとわかります。


京塚のバス停のあたりの道路が変に交錯するのが、この引込線のせいだったことが理解できます。
道路と鉄道だと思えば納得です。
一方が鉄道だったことを知らないと、同じような道が2本絡み合いながら伸びるのが理解しにくいです。
高校のころ新外から水前寺まで、この引込線の跡をまっすぐ自転車で飛ばしてました。
京塚の南に広がる住宅(京塚本町)も画一的ですね。やっぱり三菱寮なのかな?


このシリーズまたやるかも。
戦前の航空写真もあったら見てみたいですね。

もう少し時代が下った、まさに自分が暮らしていたころの航空写真も見てみようかな。




健軍三菱についての参考記事
女子挺身隊 のこと その5

半七捕物帳

2016年05月10日 |   └─半七捕物帳
今回の帰省で、父と話をしているときに「お前は半七捕り物帳を読んだことがあるか?」という話になった。
名前は聞いたことがあるけれど読んだことはないというと、「実は半七は日本のシャーロックホームズなのだ」という。

え?どういうこと?

「青空文庫にあるけん、読んでみるたい。」
と言われ、さらに「お父さんも以前全部青空文庫のをプリントアウトして読んだ。それが残っとるかもしれん」とごそごそ探して、「津の国屋」という一篇をプリントアウトしたものを渡してくれた。



帰りの飛行機で読んだ。
幽霊が出てくる怪談風味のおはなし。
コワイの苦手だよ~と思いつつも、語り口が非常にスッキリ読みやすく、テンポも良くて、どんどん先へ読み進めさせる。結局、熊本から東京までの機内で読み終わった。


感想、ものすごく面白かった!


大正時代に書かれたらしいが、今の小説と感覚的には全く違いがない。
古さを感じないというのは、人間の普遍的なものを描いているということか?
文章が分かり易くシンプルなところはコナンドイルにも通じると思う。
必要なことだけすっきり書いてて、前へすすんで行くと、いつの間にか読者は物語にどっぷりつかっている。そんな文章、憧れるなぁ。


ちょっと調べてみると、作者の岡本綺堂は明治5年の生まれで、漢文や英語を能くし、新歌舞伎なども評判だったらしい。ある時シャーロックホームズを原語で読んで感銘を受け、探偵小説を江戸を舞台に書いてみようと思ったそうだ。そして誕生したのが「半七捕り物帳」シリーズ。コナンドイルのホームズものと同様、60数篇があり、「日本の探偵小説の嚆矢」とされているとか。


早速、帰宅してから青空文庫で第一作目の「お文の魂」を読んだ。
これも幽霊の話で怪談風味、しかも前半半七が全然出てこない・・・・でも、最後まで読むと納得の面白さだったのでした。半七があんまり活躍しないで事件が解決するところなんか、すごくホームズっぽい。探偵の謎解きより、出来事の面白さ、奇怪さ、に心奪われていくのがホームズ風。



わ~い、これからちょっとずつ読もう。
江戸風俗の考証なんかもばっちりで、文体も読みやすく、シャーロック・ホームズときては、期待がいや増しますね。まだ読んだことのない話ばかり60編以上あるなんて、幸せすぎる!

父が紹介してくれる本には、時々大鉱脈があるなぁ。
子どもの頃のシャーロックホームズ、大人になってからの宮本常一、イザベラバード、そして今度は半七捕り物帳。

福岡経由熊本行き バラ園へ

2016年05月09日 |   └─くまもと
食事の後、両親の提案で合志の熊本県農業公園カントリーパークにあるバラ園に行ってみることにしました。

父はバラの写真を撮りたいようです。

農業公園というところ、私は初体験です。
多分、私が熊本を出た後にできた施設でしょう。
ここも、地震のため休園していたようですが、5/1から再開したそうです。

県の農業関係の施設の中にある公園で、中に入ると広々とした芝生が広がり、牛などの動物もいたり、子供向けの遊具も充実していて、地震の続く中ではありますが(だからこそかな?)家族連れでそこそこにぎわっていました。

バラ園も見事です。
入り口で、ばらは2分咲きと書いてありましたが、何のなんの、結構咲いていました。
急に暑くなったから咲き進んだのかもしれませんね。


例年は「バラ祭り」というイベントがあるようですが、今年は中止になっていました。
見ごろのバラ園にしては人も少なくゆっくり鑑賞することができました。
暑すぎましたが・・・。

この広い場所も地震の被害と無縁ではいられなくて、大きな建物に立ち入り禁止で、パーゴラ等も一部は立ち入り禁止で黄色いテープが張られていました。



バラの名前はいろいろあって面白いですね。







ベルばらにちなんだバラも植えられていました。
残念ながら、まだ花はあまり咲いてませんでしたけど。



カントリーパークは熊本市の北隣、合志(こうし)市にあります。
うちからは東バイパス~北バイパスを通って行きました。
もうどこも渋滞はなくスムーズです。
北バイパスを出たら、熊本電鉄(愛称:菊池電車)と並走します。
電車がやってきました!なんとくまモンラッピングカーです。
カワイイ!!!!
乗りたい!!

写真うまく撮れなかったんですが、駅に停車中のをパチリ。


そして気がつきました。
この電車に乗って熊本電波高専の文化祭に来たことがありました。
中学生の時でした。
友達のお兄さんが高専生だったんですね。
いまは熊本高専というのかな?

懐かしいです。



帰り道、北バイパス沿いに、1階部分が完全につぶれたマンションを見ました。
遠くから見た時は無傷に見えたのですが、そばまで行って驚きました。
一階部分がなくなっていました。
この形でつぶれているビルが何軒かありました。


福岡経由熊本行き 外食に出る

2016年05月08日 |   └─くまもと
今回の熊本滞在はわずか1泊。
前回のようにあせあせとはたらくことはせず、なにか気分の変わることをしようと思いました。私が働くと、母も一緒になって働くのでかえって疲れさせてしまうのでした。(私が働かなくても母は働いてる)

初日の夜は、母の手料理をいただきましたが、二日目のお昼は外食に出ました。

懐かしの母の混ぜご飯。

前回帰省した時に、昔住んでいた場所を見に行ったことを書きましたが、その近所に素敵な和食屋さんができていることを知りました。どうせ行くならそこにしよう。電話をかけると営業してますとのこと。予約して出かけました。

お店はここ。
泉樹庵
■住所/熊本県熊本市新外3丁目1-50
■TEL/096-285-6464 ■FAX/096-285-6411
■定休日/水曜日(祝日の場合は営業)

地元ではそれなりに有名らしく、母は友人と新年会を開いたことがあると言っていました。
父は初めて来たみたいです。
お店の人に話を聞くと、地震の後4/29から営業を再開したそうです。
新しい建物でしたが、やはり壁に亀裂など多少見受けられました。


ランチも2000円以上~というお店ですが、それなりに賑わっていました。
周りのテーブルも、似たような年恰好の家族連れ、漏れ聞こえる話から、東京などにいる家族が帰省しての食事会のようです。


母は食事の準備をしなくてもよいということもあり、とても喜んでくれましたが、父はあまり食べ物に興味がないたちなので、すごいご馳走を前にしても淡々としています。特に余所行きの気分ともならず、家にいるのと大して変わらない食事風景になりましたが、まぁよしとしましょう。

ここに住んでいたのは私が10歳の時から大学進学で家を出るまで。
両親は20年位前まで住んでいました。

この場所が以前なんだったかという話になり、空き地だったのでは?ということに話が落ち着きました。
そういえば、そうかも。
父が言うには、以前ここに住んでいた時に健軍川が氾濫して膝くらいまで水が来たことがあったそうです。その時、自動車を川沿いの駐車場からこの空き地に避難させた記憶があると。

  え??家の裏の健軍川が氾濫?そんな記憶ないけど・・・。

  じゃ、お前は家にいないときか。

調べてみたら、1988年だと分かりました。
5/3(ちょうどいまですね!)に熊本市東部から益城にかけて集中豪雨があり、健軍川が氾濫し、普段は高台のこの辺りが床上浸水した記録がありました。

その時、父は昼間テニスの試合をしていて、雨のため一中断・・・とおもってたらとんでもない雨になり、翌日にかけ、川が氾濫して、同じアパートの人も留守してて車を避難させなかった人の車は浸かってしまったとか。

そんな話を聴いたりしました。

このレストラン、なかなか手の込んだお料理を出してくれて、美味しかったのでした。
おススメです。





長年暮らした土地のこと、お店のお隣は同級生の家。
農家だったので、広い庭でバドミントンやったりしたな~。
その隣も同級生の家で建具屋さんで、カブトムシを飼うときなどのおがくずをもらいに行ってました。
懐かしい。訪ねていく勇気はなかったけど、元気にしてるかな。


地震後2回目の帰省で感じたこと

2016年05月07日 | └─熊本地震・水害
地震後2回目の帰省では、私も両親もわりに平常に戻ったような気分で、過ごすことができた。というか、そのように過ごすように努めたともいえる。

テレビをつければ、地震情報、地震速報がこれでもかというくらいに頻繁に流れ、まだまだ震災のさなかにいることを思い知らされる。自宅の玄関には、緊急建物診断の「要注意」の黄色い紙が貼られており、近所を歩けば「危険」の赤い紙が貼られた建物も多く、それらのほとんどが手つかずで放置されている。家の中は少し片付いたとはいえ、食器棚に戻せない食器、本棚に戻せない本が床に置きっぱなしになっている。
風が吹けば、近所のブルーシートがはがれたり。ゴミ置き場に山積みの震災ゴミは一度収集に来たが、また山になってしまった。

それでも避難所や自主避難所になっていた学校の運動場の車はだいぶ減ったようだ。
学校も来週からの授業再開に向け、準備に入っているだろう。
避難所の集約も始まっているようだ。

スーパーやコンビニも営業しているところでは、何事もなかったように物が流通している。一方建物に被害があった店舗は閉まったまま。

頭の上を通過するヘリコプターの音はいくらか減ったようだ。
実家近くのライフラインは復旧したので、道路工事などもいったん落ち着いているように見える。
揺れは収まっていないものの、震災は新しい局面に入ったと感じる。
家に戻れない人たちの救済、仕事が始められない事業者の救済がこれからの課題だろう。
どれだけのお金がかかるのか。
一般人にできることは何なのか、これから情報を集めよう。
おそらく、嫌な話もこれからは耳に入ってくるだろうと思う。
いったん、命が助かったと胸をなでおろす時期が過ぎ、ストレスMAXのなか不満が噴き出すのは無理もないこと。


一方で、日常に戻れる人たちは日常に戻るべきだろう。
前のエントリーで、遠方にいる我々は気落ちすることなく元気に冷静に支援を!
と書いたが、被災地にあっても、そのことが必要なのではないかとGWの帰省で感じた。


熊本の人はみなそれぞれ震災によって傷つき疲れている。
特に、病人やハンディのある人は大変だろうと思う。
元気になれる人から元気になって、支援する側に回ることも大事だし、支援できなくても自立していくことだってとても大事なことだと思う。そして、その助けになるよう、遠方にいる自分は家族の支援をするところから。










一つ情報
避難所ごとに支援物資を直接送るプロジェクトが立ち上がっている模様。
これが欲しいというちょっとした物資を依頼に応じて送ることができるようだ。
私も実際に参加して送ってみた。
amazonから送ることができるので、とても簡単です。

必要な人に
必要な支援を
必要な分だけ
スマートサプライ

クリックして「支援対象一覧を見る」というボタンを押すと必要としている災害ごとに表示されます。

熊本地震関係を直接見るならこちらへ


福岡経由熊本行き 熊本城と下通り

2016年05月06日 |   └─くまもと


熊本駅から市電に乗って健軍の実家に向かいます。
朝から嵐だったのが、雨は上がってきたみたいです。


熊本駅から市内中心部へ向かう市電の路線は熊本城下町の古い町を通ります。
街の名前で城下町の町人町だったことがわかりますね。
米屋町、魚屋町、紺屋町、大工町...
戦災でも焼け残った老舗などの建物も点在していたのですが、やはりこの地震では大きな被害があったようです。新しく建てられた鉄筋のビルが無傷に見えるのに対して、古い木造家屋には赤い危険の張り紙が痛々しい。

街の様子も見ていきたいと思い、辛島町で途中下車することにしました。


熊本交通センター付近は再開発中。話には聞いていましたが、実際来るのは初めて。景色が変わっています。交通センタービルや百貨店のビルが取り壊され、更地になっていたようで、そこに今回の地震のボランティアセンターが置かれていました。


夕方だったので、それほど人はいませんでしたが、連日受付以上の希望者があるようでした。
頭が下がります。

サンロード新市街へ。
アーケード内の店舗は多くが営業していましたが、建物に被害があるところも。
そして至るところに、「がんばろう」系のスローガンが。



サンロードにある、競輪の場外車券売り場が以前同様賑わっててなんだかホッとしました。


熊本一の繁華街~下通り。
ゴールデンウィークです。若者を中心にそれなりの人出がありました。



熊本随一の老舗デパート鶴屋は一部のみ営業とのことで、下通りに特設の食器市を開催してました。
この地震では家の実家もそうですが、熊本中の食器が割れまくったことでしょうから、食器市はいいですね。
しかもさすが鶴屋、ノリタケなどのブランドもの、山中塗りなどの高級品が特価で出ていました。買って帰りたかった…。





下通りは商店会で「がんばろう熊本」というスローガンを決めていたようで、どこの店舗にも店頭に張り出されていました。復興セール!なんて打ち出してるお店もあったり、たくましいなぁと思いました。
マクドナルドや老舗中華料理店の紅蘭亭などは建物に被害が大きいということで、開いていませんでした。



下通りの出口まで歩き、そこから熊本城の方へ歩いてみました。
熊本城は報道にある通り被害が大きく入場できませんが、見えるところまで・・・と思って。

厩橋から右の方へ、稲荷神社のところから見える石垣が大きく崩れていました。



そこから見えるホテルキャッスル(熊本では老舗ホテル)の壁も大きく損傷しているように見えました。
電車通りまで戻り、今度は堀に沿って西へ少し歩いてみました。熊本城が誇る美しい長塀も無残に倒壊してました。長塀はずいぶん前に市民から寄付を募って修復していました。きっと今度も美しくよみがえってくれることでしょう。時間はかかると思いますが。



驚いたのは、坪井川に沿った電車通りの歩道に亀裂が入り、でこぼこになっていたことです。
これまで歩いてきた道はどこもそんな風になってなかったのに。熊本城の石垣があんなに崩れたのも、ここの地盤に何か関係があったのかもしれません。

市役所前から市電に再び乗って、終点の健軍まで。
途中、水前寺公園の出水神社の鳥居が柱だけになっているのを見ました。

東バイパスを過ぎるとブルーシートが再び増えるように思いました。




福岡経由熊本行き 熊本駅はくまモン駅

2016年05月05日 |   └─くまもと


新幹線さくらは熊本止まり。
車窓からも、ブルーシートの屋根が見えました。上熊本あたりから地震の被害が感じられました。

熊本駅。
やはり、地震の営業で新幹線ホームのエスカレーターが使えず階段で出口へ。



巨大なくまモンの頭!
上野駅のパンダを思い出しますね。


くまモン駅長室なんてものも。中ではくまモン体操のビデオが流されていて、子供が二人踊ってました。




もう熊本駅にはそこかしこにくまモンがいます。そうでした。くまモンは九州新幹線関連のキャラクターとして誕生したんでした。熊本駅に多いのは当然ですね。

改札を出ると、熊本駅からの手書きのメッセージがありました。全国からの支援に感謝!という内容でした。
じーん。



ちょっとお土産物屋さんをのぞいてみましよう。


もう、「がんばるばい熊本」なんていうスローガンが。


くまモン駅長からのメッセージも!

二階に上がってガリレオっていう洋品店に行きました。くまモン柄のオリジナルシャツやバッグを売ってます。
トートバッグが可愛くて目移りしましたが、新作ですよという言葉に心動かされ、ジャージー素材のバッグを購入。それにくまモン柄の七分袖シャツも買いました。女性に人気とか。お店の人と少し地震の話をしました。こちらは住人ではないのに逆に心配されてしまった。






熊本駅正面。やっぱり「くまモン駅」って書いてある!

ここから市電に乗ります。

福岡経由熊本行き アトリエ訪問とヌワラエリヤ

2016年05月04日 |   └─くまもと
福岡の朝。よく寝ました。エアコンつけないで寝ちゃって暑かったけど。窓の外はすごい風、そして雨のよう。
ホテルの朝ごはんは9時半までとのことで、ぎりぎりに滑り込む。スープと野菜と卵の朝食。いつも食べないのに旅行中は食べる。


10時にチェックアウト。
外は嵐。
今日はどんたくの日なのに、出来るのかしらと心配になる。ホテルから駅までの濡れないルートを教えて貰い、天神駅から西新駅を目指します。



天神地下街って色使いや照明がおしゃれですね。ここに初めて来たのは18歳の時だったか、スゴイ都会だと思いました。東京を先に見てるのに、なぜそう思ったのかな??

西新というところは西南学院大とか修猷館高校などがあるみたい。商店街も賑わってていい感じですね。



元寇防塁跡なんていうの見に行きたい!今日は嵐だから、また今度。

今日の目的地は、 ぺぺ島田さん のアトリエ。猫の絵(だけじゃないけど)を描くアーチストです。音楽もやってる人。一度福岡にぺぺさんを訪ねたいと思ってたんです。


ぺぺさんのアトリエは西新の商店街から路地を入った素敵なカフェの二階にあります。大雨だったのでカフェの写真など撮るの断念しました。

ペべさんの製作中の絵がたくさん置いてあって、楽器もたくさんあって、すてきでした。香港で出た新作のCDを買ってきました。上の写真の真ん中の。香港フリンジクラブの上に猫が寝そべってるジャケットデザイン。


アトリエでおしゃべりしたあと、もうひとつの目的地、スリランカカレー屋さんへ向かいました。

いつも、ぺぺさんがここのカレーの写真をSNSにアップするので、洗脳されてしまっています。一度絶対行きたい!と思ってました。


大雨の中、でかけます。赤坂のけやき通りにあるヌワラエリヤという店です。
私は単にぺぺさんが好きなカレー屋さんとしか認識してなかったんですが、なんかすごい有名店らしいですね。建築家が作ったお店で、天井まで届く本棚に本がぎっしりだったり、とっても雰囲気の良いお店でした。



スリランカカレー。サラダとデザートと紅茶がついて1080円。


ここからぺぺさんとは別れて、私は博多駅へ向かいます。九州新幹線で熊本に帰るのです。
実家へのおみやげに「博多通りもん」を購入。意外と隣県のお土産品などは食べる機会少ないかも。私も食べたいし!

自動販売機が見つからず、みどりの窓口に並んで切符を買いました。直近のが指定席も買える列車だったので、指定を買ってみました。



大阪方面から乗り入れる号は、指定販売ありで、九州内だけを走る号は全席自由で運行らしいです。





九州新幹線に乗るの2回目。座り心地良くていいですね。

熊本までは40分間。あっという間です。

福岡経由熊本帰省 福岡で恩師を囲む会

2016年05月03日 | └─恩師
これは地震の前から予定していたGWの旅行です。

福岡一泊、熊本一泊。

仕事場を早退して、羽田へ。先々週よりもガラガラな空港です。時間帯によるんでしょうか??
羽田発福岡行きに乗ります。



熊本へ行く飛行機とは航路が違ってて新鮮です。山陰の海岸線を見ながらの空の旅。


福岡の海岸線も個性的ですね。



到着してすぐに地下鉄で街へ。福岡空港は日本の国際空港の中で最高に便利なところにあると思います。


祇園駅。
駅の地下道に自転車置き場が併設。初めて見ました、こう言うの。

これから、大学の恩師を囲んでの食事会です。(簡単に言うと飲み会)
福岡在住の同級生と先生の教え子さんなどが参加しました。先生が出演されてる福岡のラジオ番組の収録に合わせ実現した会でした。これからも時々やりましょうという話でした。


博多は食べ物美味しいですね。
幹事さんが飲み放題にしてくれてたので、焼酎を飲み過ぎました。
あは、いつものことです。

福岡在住の友人で先生のファンにも声をかけたら駆けつけてくれました。30年位前の先生の本を持参しててサインをもらってました!スゴイ。先生も喜んでくれました。

帰りはタクシーで先生をホテルまで送り、私も天神のホテルへ。
楽しい宴でした。


ホテルはレディースフロアにしてくれてました。嬉しいマッサージ機!

熊本地震 同窓会

2016年05月02日 | └─熊本地震・水害
この4/30は、もともと高校の同窓会が熊本市で予定されていました。卒業以来初めてくらいの学年大同窓会です。私のところにもハガキで知らせが来たのですが、月末最終日は休めないので断念しました。

そこへ今度の地震です。
会場に予定されていたメルパルクも被災してて営業できないという連絡があったそうです。それでもみんなこんな時だから集まろう、中止にはしないぞ!ということで幹事さんたちが急遽新しい会場を探し出し、予定通り開催できました。

当初120人が参加予定で、結局90人に減ってしまったそうですが、それらの方は公務員だったりで仕事のため現場を離れられなかった人や、家族のケアで家を離れられなかった人、県外にいて熊本入りを断念した人などでした。むしろ県外から参加した人が目立ったみたい。私の世代は地元熊本にいれば、陣頭指揮を取るような責任ある立場でしょうからね。

さすが熊本人、飲みまくって3次会まであったとか!熊本の飲食店は1~2週間くらい休業を余儀なくされてましたから、90人の宴会は助けになったでしょうね!

今回は世の中も自粛自粛となっていないようで、ホッとしています。熊本を応援するのは義援金もそうですが、県産品の消費や県内での消費。大事ですよね。



その意図なのかどうか、実家から送られてきた、熊本ラーメン20食分!周りに配って熊本ラーメン宣伝します!

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