「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・02・19

2013-02-19 10:45:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、以前朝日新聞に掲載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された句を一つ。


  春の月静かの海の光り充ち

           (斉藤美規)

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2013・02・17

2013-02-17 08:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、以前朝日新聞に掲載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された歌を二首。


  高校の入試の出来を孫に問えば
     「微妙なとこだ」と屈託もなし

  凪ぎわたる豊後水道一握の宝石投げたる如き漁火

                  (松本 栄)

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末期の視野 2013・02・03

2013-02-03 10:45:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「末期の視野」。

「薄闇の中に、ぼんやりと白い障子だけが浮かんで見える。明るさとも言えず、かと言って暗いというのでもなく、その淡い白さに見入っていると、そこに秋の蛍のようなものが取りすがって、かすかに瞬いているのが見える。それは私の、あるいはあなたの、いのちである。どこから飛んできて、いまそこにいるのか、これからどこへ行こうとしているのか、問いかけようとしたとき、いのちは、最後にボーッと薄紫に光って消える。
 夢を見ているのではない。私は、誰もいないテレビのスタジオに建てられた昭和のはじめの、何の変哲もない六畳の和室、そこに敷かれた布団に横になっている。ほんの気紛れである。思いのほか早くスタジオに着いてしまって、することがないので、なんとなくそうしてみただけである。束の間、子供のころに還ってみたかっただけの話である。……半世紀前、子供だった私は、こんな薄闇の中に、こんな風に心細く、高い熱を出して寝ていた。病弱な子だった。薬と熱の匂いのする部屋で、いつも潤んだ目で白い障子を見ていた。家族たちは、私にこっそりどこかへ行ってしまったのか、さっきから家の中は物音一つしない。そして私は、戸外(そと)がまだ桜吹雪の春だというのに、蛍が一つ、戸惑い顔で私の病気の部屋にいるのを、その日見たのである。
 五歳の子供だって、行方知れないいのちを見ることがある。五十年経てば、尚のことである。昔の人は、いつもこうやって枕の上から、ぼんやりいのちの姿を見ていた。何も、病気の日ばかりとは限らない。電灯を消して眠る前、庭先の小鳥の声が聞こえはじめる暁のころ、季節外れの蛍は、いつだって、ぼんやりと白い障子戸の隅にとまっていた。……深い、深い眠りの底にいまにも落ちていこうとするとき、最後に目に残るのも仄白い障子である。昨日のこと、明日のこと、あの人のこと、この人のこと、思いあぐねて浅かった眠りの果てにけだるく開いた目に、まず映るのも蛍の障子である。それは、あのころ、一つの部屋に一つ置かれていた、自分を映す鏡なのかもしれない。――障子は、いのちの鏡である。
 いま、人はみんな白い病院で死ぬ。乾いた白の、壁や天井を見ながら死ぬ。スベスベ光っていて、蛍なんかどこにも止まれない。昔、人は、自分の家の六畳の部屋で、薄闇にぼんやり浮かんだ白い障子に、蛍がゆらゆら飛んで瞬くのを目で追いながら、死んだ。どっちにしたって、死ぬことに変わりはないのだが、ずいぶん違った風景ではある。
 日本の家は、寝ている人間の視点で作られているのではなかろうか。――作り物のテレビのセットで横になっていると、そんなことを考える。日本の家は――白い障子戸も欄間の上の翳りも、仏壇の黒い輝きも天井板ににじんだ染みも、釘隠しの鈍い光も床の掛け軸の小さな揺れさえも、この視点から見るとき、いちばん美しく、いちばん落ち着きがあり、いちばん悲しい。
 それは、末期の視野である。」
                     (「婦人画報」95年6月)

  (久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」 ちくま文庫 所収)

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