今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 大昔のことは資料が少なくて分らない。最近のことは資料が多すぎて分らないというのは至言である。いかにも
二・二六事件は資料が多すぎて、高橋是清や渡辺錠太郎がなぜ殺されたか分らない。
千万言を費さないでひと口で言ってくれ。それがジャーナリストの仕事だと私は何度か言った。蔵相高橋是清は
陸海軍の予算を一再ならず大幅に削ったから殺されたのである。折から軍縮条約は自然解消して世界は軍拡の時代
にはいった。わが国も軍艦大和、同武蔵を建造しなければ国防を全うできないと、海軍大臣は辞表を懐ろに議会に
臨んで蔵相とわたりあった。蔵相は国を亡ぼす狂気の予算だとその過半を削った。すなわち生かしてはおかれぬ。
なぜ教育総監渡辺錠太郎は殺されたか、紙幅が尽きたから言えないと某大雑誌に書いたら、驚くべし渡辺氏の子
孫から自分もよく知らない、教えてくれと電話があった。
渡辺錠太郎は教育総監真崎甚三郎大将のあと教育総監になった。真崎は二・二六事件の青年将校をかげで操る親
玉で、青年将校は渡辺が策動して真崎のイスを奪ったと信じた。渡辺は陸軍きってのインテリで、無類の読書家で
当時の軍人の枠を出た人である。まの悪いことに渡辺は名古屋の偕行社(陸軍軍人の倶楽部)で天皇機関説でいい
とその演説中で言った。
天皇は君臨すれども統治しない、法人である国家の機関だという説は大正年間は平気で通用していた。陛下も先
刻ご承知である。けれども昭和十年これを偕行社で言うのは不用意である。渡辺は軍人であるより学究だった。
何より機関という言葉がいけない。すでに陛下はあらひと神である。それを何ぞや機関とは。これまた生かしては
おかれぬ。
以上ひと口で言ってみた。それにしてもなぜ機関などと訳して平気だったのだろう。これが大正デモクラシーなの
である。まことに近いことは資料が多すぎる。」
(山本夏彦著「世間知らずの高枕」新潮文庫 所収)