今日の「お気に入り」。テーマは「」強者の傲慢」、「弱者への寛容」。
「 臨床医の河野和彦先生は認知症患者の45%位が『アルツハイマー型』の認知症だと仰っています。
公式統計では約7割とされており、未だに『70%の認知症患者がアルツハイマー病』だとテレビのコメンテ
ーターは言い続けています。
数字に随分と隔たりがありますが、間をとって5割位だとしましょうか。
1999年から2011年までの13年間、わが国には『アルツハイマー型認知症』を適応症とする認知症の
処方薬(いわゆる『進行抑制剤』)は、『エーザイ』の『アリセプト』一剤があるのみでした。
今世紀初頭の当時は『認知症=アルツハイマー病』とされていた時代ですから、認知症専門医に診てもらい、
『アルツハイマー病』もしくは『アルツハイマー病の疑いがある』と診断された患者には、例外なく『エーザ
イのアリセプト』が処方されていました。処方を無視して薬剤投与を見送る患者の家族は、いなかったとは言
いませんが、稀でしょう。このクスリ、服用した人に半端ない『興奮性』をもたらす可能性があります。
仮に認知症患者の約半分は『アルツハイマー型』ではなく、『ピック病』や『レビー小体型認知症』など他
の全く違ったタイプの認知症患者だとすると、今世紀初頭の当時、認知症患者の約5割の人々が『アルツハイ
マー型認知症』と誤診されていたことになるではありませんか?
そして適応症でもないのに、副作用満載の『アリセプト』を処方され服用していたことになります。
『認知症=アルツハイマー型=アリセプト処方』が長く、長く、13年間もの間継続し、ひょっとすると、
多くの認知症専門医の間で、そんな『思考停止医療』が、見直されることもなく、今も続いているとすると、
・・・。今や『レビー小体型認知症』にまで適応症の範囲が拡大されているというではありませんか、・・・。
レベル、低すぎませんか。野放しすぎませんか。
もちろん責任は『何とかしてほしい、何でもいいからクスリを出してほしい』と医師に迫る認知症患者の
家族の側にもある、という反論が医師の側からはあるでしょう。認知症の進行を遅らせるために、国から認
可された薬を処方して何が悪いと。
今どきの精神科医はクリニックを訪れた青少年、中高年に『抗精神病薬』、『抗うつ薬』を処方しまくっ
ていると言います。『アリセプト』同様に、重大な『副作用』がでる可能性を、患者または患者の家族に告
げ、『のんだ後何があっても責任は負えないけれど、患者の命を救うためには、薬物療法以外、他に手はな
いんだ』と自分自身にも言い訳して、・・・。
多くの認知症専門医がやってらっしゃることは、精神科医と同じです。
この頃、ぼけてきたな、と思ったら、試しに自分自身で処方して、用量用法をしっかり守って、自分での
み、『わが親』にものんで貰うとよろしいのではないかと思います。
間違っても処方しないんだよなー・・・。
自ら主体的に社会生活を営む必要がない超高齢者には、『進行抑制剤』など、間違っても服用させては
なりませぬ。」
「 『認知症』の『進む』は、同じ神経変性疾患のひとつである『ALS』の『進行する』とは違うように思
います。
認知症患者は『脳が委縮する』何年も前から『発症』しています。
初期のものを『認知症予備軍』と称して、医師は『認知症』と区別して、『MCI(初期認知障害)』と呼
んでいますが、『認知症』であることに変わりありません。
家族は何らかの異変や兆候らしきものを少しでも感じとったら、その段階から考えを巡らせて、様々な準
備をしはじめないといけません。
さもないと後手、後手に回ります。
見境なく病院に駆け込んでも何の助けにもなりません。」
「 親が糖尿病なら男の子は糖尿病体質になる、女の子も体質的には同じです。
親が『痔主』なら子も『痔主』。
親のDNAを受け継いで、同じご飯を食べ、ひとつ屋根の下、家族として永の年月暮らしていれば、『体
質』・『気質』ともに両親やご先祖様の誰かに似てくるのは当たり前。
認知症は第ニだか第三だかの『糖尿病』だという医家の指摘もあります。
『認知症』は『生活習慣病』や『公害病』に似た一面が確かにある病気です。
高齢者の5人に1人が『認知症』になると言われる時代です。
残る4人のうち、3人は他の『生活習慣病』ですよ、きっと。
悪しき『生活習慣』を改め『体質改善』を図ることにより、『生活習慣病』が改善される余地は確かにあ
るでしょう。『認知症』とて同じこと。
されど『気質』即ち『精神面』を改善すること、変えることは、絶望的に難しい。
『認知症』が脳の神経中枢の病気で、脳内の諸器官やそこにある神経細胞同士の相互補完もしくは諸器官
の神経細胞の損なわれた部分のまだ損なわれていない部分による機能代替が自律的に行われることがほとん
どないから『改善』が難しいのでしょう。
百日行、千日行を勤める修行僧ででもなければ、『体質改善』すら難しい現実はありますが、『健全なる
精神は健全なる身体に宿る』が微かな、仄かな希望です。」