「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

バーゲンの日・海外旅行の日 2018・10・19

2018-10-19 07:30:00 | Weblog



   今日の「お気に入り」。


  「 『人間は、自分の目に最も近いまつ毛が見えない』という意味の言葉がある。確かに

    そのとおりである。そんな人間どもが、自己自身を見つめるのは、実に困難なことで

    あろう。自分がいま歓(よろこ)んでいるのか、哀(かな)しんでいるのかぐらいは覚知

    出来ても、真に自分という人間を成しているものの正体を、到底知ることなど出来よう

    はずがない。それなのに、人間は月に行こうと莫大な費用と頭脳を費やし、軍備に国家

    予算の多くを使う。人間は三千年前から、精神の進歩を止めたままである。いや、おそ

    らく精神という領域においては、紀元前よりもはるかに後退した。科学文明は、私たち

    から『思考する時間』を奪ったのである。」

                    ( 宮本輝著 「命の器」講談社文庫所収 )





                
                               



                                     



               
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元体育の日 2018・10・10

2018-10-10 06:30:00 | Weblog




                     

   今日の「お気に入り」。


   「 ある雨の日、私はスポンサーとの打ち合わせを終えると表に出た。傘を持っていなかったので、

    地下街に降りた。雨やどりのために、一軒の本屋に入り、文芸雑誌を手に取った。そして一篇の

    短編小説を立ち読みした。短い小説なのに、最後まで読み切れなかった。おもしろくなかったか

    らである。突然、真実突然に、私は小説家になるぞと決心した。俺なら、もっとおもしろい小説

    を書いてみせる。そう思ったのである。こんな病気にかかって、俺はもう廃人とおんなじだ。

    サラリーマン生活をつづけていくことは不可能だ。ましてや一銭の資本もない俺には、焼きイモ

    屋すら営むことは出来ない。小説家になるしか、もう俺には生きる道がない。若気の至りと病気

    との成せる技である。私はあとさきも考えず辞表を書いた。どうして会社を辞めるのかと同僚に

    訊(き)かれて、『小説家になるんだ』と答えたら、『宮本は気が狂った』と言われた。そのとお

    り、私はそのとき気が狂ったのである。妻も子もある男が、何の蓄(たくわ)えもないまま、小説

    家を志して会社を辞めたのである。気が狂ったとしか言いようがない。 」


          ( 宮本輝著 「命の器」 講談社文庫 所収 )




                  







                  



                 
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デザインの日 2018・10・09

2018-10-09 09:05:00 | Weblog




  今日の「お気に入り」。


   「 私は幼い頃、勉強は嫌い、運動も苦手、友だちづきあいも下手、わがままで泣き虫で病気ばかり

    していた。どんな家庭教育をしているのかと担任の先生に訊(き)かれるたびに父は平然と答えた。

    『人を裏切るな。他人の物を盗むな、とだけ教育しておる。梅の木にバラは咲かん』 」

                    


   「 『最もナショナルなものこそ、最もインターナショナルたりうる』という言葉がある。文化、

     とりわけ芸術の領域において、これは極めて深い意味を持つ言葉であろうかと思われる。そ

     の国土が、必然的に醸(かも)し出している香りや色彩や形態や精神が、ある明確な具体世界

     を作りあげると、それは必ず異なった風土の、多種多様な精神に自ずからつながって行くこ

     とを、私たちは気づかされる筈だ。音楽においても、絵画においても、文学においても、そ

     れは同じである。

     ( 中略 )

     現代は、贋物が本物を追い払っている時代である。新しさというものに対する誤った概念が、

     あらゆる芸術を停滞させ衰弱させてしまっていると私は思う。『新しさ』などない。いいか、

     悪いかしかないのだ。

     ( 中略 )

     有無を言わさず、人を魅きつけるものこそ、美しいのである。そして、それこそがいつも

     『新しい』のである。 」



               ( 宮本輝著 「命の器」講談社文庫 所収 )




  


 
   10月9日は、デザインの日であるとともに、印章の日だったり、道具の日だったり、

  塾の日だったり、熟睡の日だったり、金券の日だったり、土偶の日だったり、散歩の日だったり、パソコン検定の

  日だったり、仙台牛の日だったり、あるいはトラックの日だったりもする。

   ついでながら、明日10月10日は、ちくわぶの日で、お好み焼の日で、(したがって)糖化の日で、肉だんご

  の日で、ふとんの日で、貯金箱の日で、てんとう虫の日でもあるとか。


    


       



        


                     
  
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メガネの日 2018・10・01

2018-10-01 09:09:00 | Weblog



   今日の「お気に入り」。


   
   「 抗(あらが)っても抗っても、自分という人間の核を成すものを共有している人間としか結びついて

    いかない。その恐さ、その不思議さ。私は最近、やっとこの人間世界に存在する数ある法則の中の

    ひとつに気づいた。『出会い』とは、決して偶然ではないのだ。でなければどうして、『出会い』

    が、ひとりの人間の転機と成り得よう。私の言うことが嘘(うそ)だと思う人は、自分という人間を

    徹底的に分析し、自分の妻を、あるいは自分の友人を、徹底的に分析してみるといい。『出会い』

    が断じて偶然ではなかったことに気づくだろう。 」


       ( 宮本輝著 「命の器」 講談社文庫 所収 )






  



   10月1日は、メガネの日であるとともに、日本酒の日だったり、まずい棒の日だったり、

  法の日だったり、コーヒーの日だったり、香水の日だったり、浄化槽の日だったり、福祉用具の日だったり、(十と一で)

  磁石の日だったりもする。そういや、都民の日でもあったかな。

   ところで、この三日月顔の人誰?




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