「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・01・31

2006-01-31 06:25:00 | Weblog




 今日の「お気に入り」は、昨日に続いてアベル・ボナール著、大塚幸男訳「友情論」(中公文庫)から。

  「恋愛は何かほんとうのことを聞かされたために滅びることがある。友情が何かの嘘によって滅びるように。」

  「恋愛は人を強くすると同時に弱くする。友情は強くするばかりである。」

  「恋愛においては信じてもらうことが必要であり、友情においては見抜いてもらうことが必要である。」

  「われわれは友情の始まりにおいては恋愛の始まりにおいてよりもずっと臆病である。愛する者に対していささか
   敬意を欠く行ないに出て事態を急速に進展させるすべがないからである。」
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2006・01・30

2006-01-30 06:30:00 | Weblog




 今日の「お気に入り」は、アベル・ボナール著、大塚幸男訳「友情論」(中公文庫)から。

  「真の友は、ともに孤独な人々である。」

  「貴様、俺、というなれなれしい話し方は、友情の世界の贋金である。」

  「多数から認められず、少数から認められることは楽しい。」

  「自分の愛するだれかに悲しみを打ち明けることができる時にはその悲しみはほとんどなくなる。」


 同じフランス語でも、翻訳者が異なるとどんな具合になるか。上の四つの箴言は次のようになります。

  「真の友人とは、ともに孤独な人々である。」

  「おまえ、おれ、というようななれなれしい話し方は、友情の贋金である。」

  「多くの人々から無視され、少数の人々に認められるのは快い。」

  「自分の愛するだれかにうち明けることができれば、悲しみをいだくことはほとんどなくなる。」

  (ボナール著、山口年臣訳「友情論・恋愛論」旺文社文庫 所収)
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2006・01・29

2006-01-29 08:40:00 | Weblog





 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

  「 コラムは十枚のものを三枚に、五枚のものを二枚に削りに削って、もう一寸で分らなくなる寸前で
   手放すのが理想である。読者はその寸前で分ったのは自分の手がらだと満足する。」


   (山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)
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2006・01・28

2006-01-28 07:20:00 | Weblog





 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)と山本七平さん(1921-1991)の対談集から。

  「 夏彦 二十代のころで本を買う金もないので同じ本を読みました。なるべく流行してない本を読みました。
   しまいには写しました。僕はどっちかっていうと本好きでないほうで、たくさん読むより同じ本を何度も読
   むほうで、だからいわゆる本好きは気の毒だと思うことがあります。六十になると、あと何年の命と昔の人
   は余命を数えるでしょう、これから読まなくちゃならない、まだ読んでない本が何百冊、若い時読んで改め
   て読まなくちゃならない本が何十冊と、本好きの人はそれを数えるんです。そしてけちんぼが爪に火をとも
   すように、寸暇を盗んで読もうとして、ある時、それがとうてい読めないということを知るんです。荷風山
   人がそれを書いていましたけど、本好きの人はそういう地獄におちるんです。
   どうしてももう一度読まなくちゃならない。けれどもそんなに読めない。七平さんだって読めない。アッハ
   ッハ、あてこすりみたいで申し訳ない。

  七平 いや、ほんと、ほんと。そう読めないね(笑)。

  夏彦 たいがいの人は子供の時に読んだ本、若い時に読んだ本に帰るんじゃないのですか。新しい本を読まな
  くなる。

  七平 夏彦先生にしてそうですか。

  夏彦 ええ読みません。新刊は応接にいとまがありません。それから義理で読まなくちゃならない本がある。
  仕事で読まなくちゃならない本がある。しかも何日までに読まなくちゃならない。ですから書評なんか引き
  受ける時は――わが国の書評は褒めるにきまっていますから、著者の名と書名を聞いて、だれさんの本なら大
  丈夫、ほめられると思った時だけ引き受ける。

  七平 そうじゃないものは断る。

  夏彦 ところが、読み進んでだんだん顔色が変わるのが自分でわかることがある。この人のこの本なら大丈
  夫だと思ったのに、そして読んですでにその半ばに達したのに、ちっとも面白くない(笑)。」


   (山本夏彦・山本七平著「夏彦・七平の十八番づくし」中公文庫 所収)
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2006・01・27

2006-01-27 06:20:00 | Weblog





 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)と山本七平さん(1921-1991)の対談集から。

 「 夏彦 親孝行の行方に僕は非常に興味を持ってるんですよ。親孝行はどうなるかと思ってね。このごろ僕は親孝行
  っていうのは、触ることだと思うようになりました。
  
  七平 ん?

  夏彦 触るの。スキンシップっていうのはね、僕は死んでいく人にしなきゃだめだと思った。
   西洋人、触るでしょう。すぐ握手したり、頬ずりしたりする。あれとおんなじなんですよ。あれ、触りさえすれば、
   やっぱりそれは他人じゃないんですよ。
   そして今、最も触られないのは老人なんですよ。ですから、スキンシップってのは子供より女、女より……。

  七平 老人。

  夏彦 そうです、何より老人は触ってやらなきゃいけないんですよ。ところがね、我々はもう気味が悪くて触れない
   んです。つまり、現代人は老人と暮したことがないから――核家族の欠点の一つはここにあるんですね。大家族です
   とね、長屋なんかですね、他人(ひと)の家(うち)と自分の家の区別もつかない(笑)。その長屋ではね、ほら、
   芝居なんかで見るでしょう。片っぽで猛烈なうぶ声と共に子供が生まれて、片っぽでひっそりとまたは苦しんで
   老人が死んでいく。それを長屋中の子は見て知るんですよ。七つ、八つの子はギョッとして顔色をかえます。そし
   て死も自然だし、生も自然だと知るんですよ。そのうちにだんだん慣れてね(笑)。『おまえ、酒買ってこい』と
   か、手伝わされるでしょう。見てると、大人たちは湯灌して、顔剃って、娘なら死化粧してやって、経帷子着せて
   三途の川の渡し賃まで入れてやって、さながら生きてる人に話すように話しています。ついこないだまでこうでし
   たよ。
   どうして、これがなくなったのかっていうと、病院のせいです。みんな自分の家で死にたいのに、病院へ入れられ
   ちゃう。ですから、死化粧あるいは死装束なんかはみんな病院の看護婦がやる。

  七平 うん、うん。

  夏彦 過去の一切がいま崩壊しつつあるのを、我々は目の前にしてるところなんだけども、残念なことに見てないと
   いうお話。僕はこういうことにしか興味がないんですよ(笑)。だから、あるいは僕は人生のアルバイトなんじゃ
   ないかと思うことがある(笑)。

  七平 それにしても日本という国は変チキな国ですな、ほんとに。変チキばかりまかり通ってる(笑)。」


 「七平 いや、いや、日本がいかに変かってのはね、日本は平和国家だって言うでしょう。平和国家ってのは、夢中で
   戦争を研究する国なんですよ。健康であろうと思ったら、病気を研究するでしょう、病気になりたくなけりゃね。
   病気であることをいっさい忘れたからって、病気にかからないわけじゃあるまいし、こうしたら病気になる、こう
   したら病気にならない、こうしたら……あらゆるケースを挙げて、それにならないように、あらゆる手を打つってい
   うのがあたり前でしょう。
   戦争論って、日本にゼロなんです。こんなおかしな話ってのは、外国から見ると正気じゃない。戦争論なんかやる
   と戦争になるなんて言ってね。これ、見ざる聞かざる言わざるで知らんぷりしてなきゃいかんということかな。だ
   から、日本人にとっては戦争は、子供のお化けみたいなもんでね、『怖いから見ないよ』って言って、むこう向い
   てるわけなんです。」


  (山本夏彦・山本七平著「夏彦・七平の十八番づくし」中公文庫 所収)
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2006・01・26

2006-01-26 06:30:00 | Weblog






 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)と山本七平さん(1921-1991)の対談集から。

  「 夏彦 僕が好きな人に、一葉女史がいます。僕は一葉になが年惚れています。死んだ人に惚れる人は
    ずいぶんいて、その話をするといつ果つべしとも思われませんから、今日は自ら禁じます。
    その一葉女史はわずか二十五で死んでいます。数え年二十五で死んだんですから、何ほどのことや
    あらん、と思う人があるかもしれませんが、そうじゃないんです。早く死ぬ人は、それまでに完成
    して死ぬんですよ。

  七平 うん、うん。

  夏彦 燃焼し尽して死ぬんです。

  七平 そうね。」


 「 夏彦 石川啄木なんて、数えの二十七で死んでますから、満の二十六くらいと思うかもしれないけど、
   そうじゃないんです。あの人は二十六年間に、一生涯につくほどの嘘はみんなついちゃった。

  七平 一生涯にかける迷惑はみんなかけちゃった。同じく一生涯に借りられる金はみんな借りちゃった。
   金田一京助は啄木にとっては神さまみたいな人ですよ。

  夏彦 僕は啄木は好きじゃありませんが、やっぱり生きてる人のように知ってるんですよ。借りた金を
   返さないけれど悪人じゃない人のひとりですな。」

 「 夏彦 金田一はのちにアイヌの『ユーカラ』(岩波書店)を訳した人です。あれは名訳ですよ。金田一
   さんはね、文章が下手なんですよ。文章が下手だから、啄木を尊敬したのかもしれない。

  七平 いや、そういうことってあるなあ。そういう友達っているのね、なんかね。どんな迷惑かけられて
   も、なんで、おれはこんなやつのためにこんなにカネを払ってるんだろうと、自分でもよくわかんない
   わけね。なんとなくそうなっちゃうっていうのいるんですね。

  夏彦 ほんとですよ。金田一京助の『ユーカラ』っていうの、僕は昔々、二十代に読んだ時ね、なんて下
   手くそな訳だろうと思ったんですよ。それがね、ながく記憶に残っているの。
   アイヌラックルとオキクルミの話。アイヌラックルはアイヌの神様らしい、うろおぼえで恐縮ですが、
   人間が出てきて何か言うと、このアイヌの神様は『たかが人間の言うことだとわれ思いしに』とつぶや
   くんですが、やっぱり人間にしてやられるという話ばっかりなんです。この何度でも『たかが人間の言
   うことだとわれ思いしに』と思うところがいいのです。それがね、どういうわけか絶版になっているん
   です。だから僕、もう一回読んでね、いかに金田一の『ユーカラ』が名訳であるかということを、広く
   天下に訴えたいんです。

  七平 売れないらしいですなあ。

  夏彦 金田一さんの訳はね、実にたどたどしいんですよ。それがアイヌの『ユーカラ』を訳すのに打って
   つけなんです。だから僕は、金田一京助さんには深甚な敬意を表してますよ。」


  (山本夏彦・山本七平著「夏彦・七平の十八番づくし」中公文庫 所収)
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2006・01・25

2006-01-25 08:40:00 | Weblog





 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)と山本七平さん(1921-1991)の対談集から。

  「 夏彦 僕は二葉亭四迷をよく知ってるンです。そう言うとね、みんなびっくりして、どこでどうして知ったか
    なんて膝を乗り出してくるんです。あの人明治四十二年に死んでます。大正生まれの僕が知るわけないじゃあ
    りませんか(笑)。
    僕はね、死んだ人と生きてる人をはっきり区別したことがないんです。いま生きている人、必ずしも生きてる
    わけじゃない。すでに死んだ人のほうがまざまざと生きていることがありますからね。僕にとって二葉亭四迷
    も幸徳秋水もそういう人です。

  七平 そうそう。関心がないのは、みんな死んでるんだ(笑)。

  夏彦 いや、生きてるつもりで、実は死んでる人でこの世はみちみちています。高風を欽慕するっていう古い言葉
   がありますが、僕は二葉亭の高風を欽慕しているんです。」


 「 夏彦 二葉亭は文学は男子一生の事業でないと思っていた。じゃ本当は何になりたかったのか。

  七平 何でしたっけ、かれ、本職は。

  夏彦 初め軍人になりたかったんですね。けれどもちか目でしたから駄目でした。次いで外交官になって国事に奔
   走するつもりだった。外国語学校に入ったのはツルゲーネフを読むつもりじゃない。来るべき日清日露の戦さに
   備えるためでした。ひと口に言うと、あの人はすこし遅れて生まれた、維新の志士みたいな人でした。志はいつ
   も天下国家にありました。

  七平 うーむ。天下国家ねえ。国家という言葉は、ま、どこの国にもあるんでしょうけど、テンカコッカという日
   本語は少々独特なんだなあ。あれ、始末が悪いもんなんです。」


  (山本夏彦・山本七平著「夏彦・七平の十八番づくし」中公文庫 所収)
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2006・01・24

2006-01-24 06:30:00 | Weblog





 今日のお気に入りは、山本夏彦さん(1915-2002)と山本七平さん(1921-1991)の対談集から。

  「 夏彦 そうそう。邱永漢氏が、そのころ人気絶頂の丸山(美輪)明宏のために銀行からおカネを借りて
    やろうとした。昭和三十何年ですよ。邱氏がいくら言っても銀行は貸さない。芸人はいくらはやって
    いても、今日あって明日ない人です。銀行がそんな人に貸すわけにいかないって言うんですよ。これ
    戦前のセンスで筋が通っています。その筋ずーっと通すならいいのに、今じゃパチンコ屋にも、サラ
    金にも貸している。

   七平 めちゃくちゃですね。『旧約聖書』にあるんですけど、そんなにカネ儲けて、どうするんだ。人
    間はそんなたくさん食えるか。大宴会をやっても自分が食うのはほんのわずかで、あとはひとの食っ
    てるのを見てるだけ。これまた空の空なり、なんてのがあるんですよね。
    だから、ほんとに必要な最小限、まあどれだけのカネがほんとに必要かというとね、人間、そんなに
    いらないんですよ。だいたい知れてるんです。そういう中にあって、もう無限にカネが欲しいという
    人ね、たとえば金権の角栄さんとか小佐野賢治さんとか、あれ、一種の天才ですよ。あんなにしてま
    でねえ。で、あれだけ手に入れたってメシが百倍食えるわけじゃないしね。大宴会やったって、見て
    るだけだしね。これ、すべて無駄だと考えたら、ま、普通の人にはできない芸当ですよ。

   夏彦 トルストイに『人はどれだけ土地がいるか』というのがありましたね。ただ角栄さんはね、おカ
    ネをとることもとったけど、散じたでしょう。使い方を知ってたと思う。おカネは散じなきゃだめで
    すね。いくら金満家でも使わなければ金持ちでもなければ何ものでもない。とにかくカネってものは
    出さなきゃだめ。僕は出さないけど(笑)。つまり、角栄さんは人がいかにケチであるか、欲ばりで
    あるかっていうことを知ってたんですね。

   七平 いかにおカネに弱いかも知ってた。

   夏彦 どんなに卑しいかってことも知ってた。

    ――田中さんからきいたのですけど権力維持のコツってのは、人が欲しがってるものを与える、女が欲し
    きゃ女、おカネが欲しきゃおカネ。それだけだっていうんです。ひょっと見てね、あ、こいつは女が欲
    しいなと思ったら、女を与える。それがわかるっていうんです。

   夏彦 みんな顔に書いてあるんですね。

   七平 きっとおでこに書いてあるんだ、カネが欲しい。女が欲しい。どんな立派なこと言っててもね(笑)。」


   (山本夏彦・山本七平著「夏彦・七平の十八番づくし」中公文庫 所収)
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2006・01・23

2006-01-23 07:15:00 | Weblog




 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 生きているからといって必ずしも生きているとは限らない、死んだからといって必ずしも死んだとは
  限らない。人は生きている人と死んだ人の区別をしすぎる。葬式をしないとその区別がつかないから、
  あれはしなければならない儀式なのである。きっぱり区別しないと両者の仲は、誰にとっても実はあい
  まいなのである。」

 「 冷蔵庫のなかった昔は、魚屋は今朝仕入れた魚を売りつくして、夕方は店のたたきに音たてて水を流
  して、ごしごし洗って無事一日を終った。
   魚屋のあるじはあとは枕を高くして寝るばかりである。まことに一日の苦労は一日で足れりである、
  明日のことは思いわずらうなとは至言である。」


  (山本夏彦著「世は〆切」文春文庫 所収)
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2006・01・22

2006-01-22 08:45:00 | Weblog





 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 むかし私は電車のなかでずらりと男女が居並んでいるのを見て、これに一々配偶者がいるのかと
  怪しんだことがある。いるのである。
   戦前は年ごろの男女がひとりでいると、きっと世話してくれる者がいて、高望みしなければ必ず
  まとまった。仲人口といって双方に美点だけ言ってまとめたのである。
   西洋人はこれを理性による結婚といって羨んだ。家がら財産係累までをくらべて相応の人を世話
  してその上で見合させる。向田邦子の昭和十年代を描いた小説中に、門倉修造の妻が水田仙吉の一
  人娘に帝大生を世話するくだりがある。
   見合しても拒否権は女にある。五回でも十回でも断ることが出来る。かげで悪く言われもう世話
  してくれなくなるが、突然別口から世話してくれる人があらわれ、あっというまにまとまることが
  ある。縁である。
   戦前と戦後の大きな違いの一つはこの世話してくれる人がなくなったことである。戦後は原則と
  して配偶者は自分で見つけるものときまった。ところが器量のよしあしと関係なく縁遠い男女があ
  る。むしろふえた。見かねてうっかり口をきくともうきまっていてバツの悪い思いをする。会社の
  上役はこりたのだろう。頼まれ仲人ならするが、自分から進んで世話はしなくなった。したがって
  縁談の全くない男女が何千何百万人もいるという。」


  (山本夏彦著「世は〆切」文春文庫 所収)
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