今日の「お気に入り」。
「 怪我がなおって退院するとき、おかげでほらこんなに手があがるようになった。あげてみせてくれとテレビに
頼まれても、少女はにこりともしなかった。それでも事を荒だてたくなかったのだろう。顔をそむけたまま手を
半ばあげた。
川上慶子はマスコミがこの事故を奇貨として、はじめ自分を見世物にして次いでながく売物にする気だなと察
してそれを拒否したのである。テレビに出してやると言えばどんなことでもすると思っているテレビ人間を、
ほとんど彼女は憎んでいる。
『日航の社長さん、お父さんお母さん妹を返して下さい』と言わせようとする魂胆を彼女はいち早く見ぬいて、
それだけは言うまいぞと固く決心しているように見えた。マスコミに対するこれ以上の軽蔑を私は見たことが
ない。
年端もいかない少女にこんな察しがつくのを怪しむ人には、人は五歳にしてすでにその人だという言葉で答
えたい。
川上慶子の報道は『赤旗』からはじまった。父が共産党の町会議員だったからまっさき赤旗に出た。他の新
聞はそれに追随しながら、ついに少女の父が共産党の町会議員だとは書かなかった。
反天皇、反中曽根、反自民の新聞がなぜ共産党員であることをかくすのか。共産党は天下の公党である。
新聞は彼女が全き善玉でなくなるのを恐れたのである。してみれば共産党員であることは百万読者の気にいら
ないことだと、新聞はとっさに判断してかくしたのである。それも一社ならず新聞テレビの全部が転瞬(てん
しゅん)のうちにかくしたのだ。その微妙な心理に私の関心は最もある。その機微にあってほかにない。
夏目漱石は子をつれて活動写真を見物して、『あの人いい人? 悪い人?』とそのつど問われて閉口した
という。マスコミは大衆を子供と同じだと見ている。かくて記者は円高を善玉か悪玉かとっさのうちにきめ
なければならないのである。しかも読者は新聞が見る通りの存在で、したがってマスコミの体質は変るまい
と思われるのである。 」
( 山本夏彦著 「『豆朝日新聞』始末」 文春文庫 所収 )