今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。再録。
「なまじ人には顔があるから一々違うと自分だけ思うが、たれか鴉の雌雄を知らんや。あれは個人ではない細胞である。細胞であるにたえないから事ごとに『個性』だの『オリジナリテ』だのと口々に言うのである。
昆虫の細胞には食ってばかりいるのがある、たった一度雌と交尾して、たちまち息たえるのがいる。あわれだというがそうか。我々はなまじ個体のなかに食を求めたり雌を求めたりする細胞があるので個人だと思っているのはとんだ間違いである。
私はながめて細胞ならまもなく死ぬだろう、死んでも全く同じ『種(しゅ)』としての人があとを継ぐだろう。これを新陳代謝という。
〔Ⅹ『死神にも見はなされ』平11・8・26〕」
(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)