「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2014・03・31

2014-03-31 07:35:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。再録。

「なまじ人には顔があるから一々違うと自分だけ思うが、たれか鴉の雌雄を知らんや。あれは個人ではない細胞である。細胞であるにたえないから事ごとに『個性』だの『オリジナリテ』だのと口々に言うのである。
 昆虫の細胞には食ってばかりいるのがある、たった一度雌と交尾して、たちまち息たえるのがいる。あわれだというがそうか。我々はなまじ個体のなかに食を求めたり雌を求めたりする細胞があるので個人だと思っているのはとんだ間違いである。
 私はながめて細胞ならまもなく死ぬだろう、死んでも全く同じ『種(しゅ)』としての人があとを継ぐだろうこれを新陳代謝という
                                      〔Ⅹ『死神にも見はなされ』平11・8・26〕」

(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)



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2014・03・30

2014-03-30 07:00:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「目下の急務大型間接税について言う。
 賛成である。むしろ超大型にして全部間接税にしてくれ。中途はんぱは失敗する。間接税には酒がある、タバコがある、ガソリンがある、ほかにまだあるだろうが知らない。ウイスキー日本酒しょうちゅうの如きは半ばは税金であるが、誰も税金を飲んでいるとは思わない。ひたすらメートルをあげているだけで、なかの一人がその半ばは税金だぞと言っても相手にしない。なお言いつのれば腹をたて、よせ、酒がまずくなるとけんかになるから言うものはない。そもそも言う発想がない。
 全部間接税にすればこの世は無税国家になる、税を払いながら払っている感じが絶無なのだからこんないいことはない。その代り例外があってはならない。マッチひと箱ローソク一本買ってもなかに間接税がふくまれている。ふくまれていることが大事なので、同じ間接税であっても料飲税のように勘定にあとから加えてはならない。加えるから気がつく。気がつけばいやな気がする。ごまかそうとする。
 ためしに大蔵省の役人に試算させたらあらゆるものから三%とれば日本国はそれだけで運営できるという。いや一%でいいという。
                                     〔Ⅴ「『無税国家』への一案」昭63・3・10〕」

(山本夏彦著「ひとことで言う‐山本夏彦箴言集」新潮社刊 所収)



1946年生れの作家の猪瀬直樹さん、1969年の学生時代に、信州大学の全共闘議長として「白ヘル」のリーダーだった人です。人みな心変わりする。
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2014・03・29

2014-03-29 07:40:00 | Weblog


今日の「お気に入り」。

  暮れてのち炎やうやく遊ぶなり
            白昼(まひる)あからさまを嫌(いと)ひて野火は

  飛翔には遠いわたしとほんのすこし
            飛べる鶏とが土にあそぶも

  ぐしよ濡れの鶏とわれとが縁側より大夕立を見てをり 日ぐれ

  野の昏れてひよこ迷子になる絵本
             あまり悲しくて孫に送らず

  夢かへるふるさとなどの無きことも
             むしろ軽くて終らむ我は

                           (齋藤史)

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2014・03・28

2014-03-28 07:05:00 | Weblog


今日の「お気に入り」。

  巴里祭などと言ひならはして身のめぐり
               革命にとほく仏まつりす

  埃つぽき古書店出でて日陰みち
            大正はおろか昭和かすめり

  形見となりし本藍染は洗へども
            執念(しふね)く出づるその藍の色

  かすかなるゑまひ絶やさず西洋剃刀(かみそり)を
              皮砥に研ぎて母は居たりき

  古道の此処すぎし人さまざまを思へ
           誇りかにまた零落(おちぶ)れて

                                 (齋藤史)

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2014・03・27

2014-03-27 07:25:00 | Weblog


今日の「お気に入り」。

  事無かれと生き来しものの罪ならむ
              舌焼かるる家族食堂のグラタン

  ひとり去れば一人分の風通しよくなる部屋の椅子並べゆく

  二日月われの喉(のみど)に刃をあてがひ自死をすすむること浄きかな

  神経細胞は再生をせぬ種類にて弔ふもののこれもひとつか

  ひとつぶづつ小さき葡萄を口にはこぶ
              克明にしてさびしき夕  

                       (齋藤史)

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2014・03・26

2014-03-26 06:00:00 | Weblog


今日の「お気に入り」。

  不意にして停電ありき何もせず
            出来ざれば闇は豊満にある

  人を嫉むことばの何といきいきと
            きららかにあることに驚く

  責任を問はれぬ位置に長命の人
            逝きて鬱陶しさすこし薄らぐ

  夕闇の交差点にてすれちがふ
          若き日の我はいたく急げり

  背負ひ来しわが背の何か罅割るる
             音を立てつつ薄氷踏めば

                      (齋藤史)



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2014・03・25

2014-03-25 07:35:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「『君には忠親には孝』という言葉は残っていたが、実体はもうなかった。親のためを思えば、こいつ(?)、勉強しなければいられぬと、明治の末ごろ県立の名門山口中学に貧しいなかを通学を許されたのちの小説家嘉村礒多は口走って、友の一人に嘲笑されている。山口といえば忠君愛国の本場長州である。そこで孝は笑われている。農村では忠孝はまだ残っていたが都会では滅びつつあった。私たち東京の中学生は天皇を天ちゃんと呼んでいた。ただし悪意はなかった。
『きけわだつみのこえ』は反戦厭戦の手記を選んだが、あそこにあるのは多く大正デモクラシーの声で、孝の言葉は旧幕のころとくらべると激減している。吉田松陰は革命家である。その松陰の辞世の歌は、
 親思う心にまさる親心 今日の音ずれ 何と聞くらん
 小林多喜二は親孝行で名高い。多喜二は社会主義と孝が両立した最後の人である。」

「大正デモクラシーはインテリにあって一般にはなかった。ことに田舎にはなかった。青白いインテリといって学生あがりはあなどられていたが今も昔も学歴社会である。官庁大会社の要所々々を占めているのはみなインテリである。
 大正デモクラシーのあとを襲ったのは社会主義である。社会主義には若者を魅す正義がある。したがって社会主義にかぶれない若者はなかった。その多くは転向したが次なる正義を発見しないかぎり社会主義の影響は去らない。それを駆逐する正義があらわれなければインテリの支配は去らないだろう。
                                            〔『文藝春秋』平成十三年二月号〕」

(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)

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2014・03・24

2014-03-24 07:33:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「平塚らいてう(雷鳥)の『青鞜』は今のウーマンリブそのものである。『青鞜』が創刊されたのは明治末年である。それを受けいれる下地がすでに出来ていたのである。男女同権、普通選挙がさしあたっての運動の目標で、普通選挙は略して普選といったが、それまで一定の税金を納めてないものには選挙権はなかったのを税金は納めなくても選挙権を与えよという主張で、大正十四年この主張は通った。
 選挙権がない時代は選挙権があればさぞよかろうと思うのは欲である。選挙権を得たが別段何もよくはならなかった。
 この運動のおかしなところは男が女の参政権のことをすっかり忘れていたことで、婦人の多くも参政権なんかほしがらなかった。それでもデモクラシーの風は次第に女子にも及んだ。
                                                   〔『文藝春秋』平成十三年二月号〕」

(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)



今朝のラジオで耳にした川柳ほか。

 弱虫の正体見たり枯れオバマ(詠み人知らず)

 鶴竜(の唇)は石原さとみ似だ。

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2014・03・23

2014-03-23 08:20:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「どんな席に出ても自分がいちばん若かったのに、いつのまにか年かさになったと言ってみると、たいていの人は思い当る様子でうなずく。齢をとったからといって私は尊敬したふりをすることがなかったから自分が齢をとったからといって、それらしく扱ってくれないと怒る気は毛頭ない。人生教師になるなかれ人の患(うれ)いは好んで人の師となるにあり
 長幼序ありという言葉は幼いときから知ってはいたが実感はなかった。歳月は勝手に来て勝手に去ると思っていたからどうして老人だからといって尊敬する気はなかった。さりとてことさら失礼を働くこともなかった。
 私は大正四年(一九一五)生れだから、今にして思えば大正デモクラシーのまっただなかで生まれ育ったわけで、少年時代にしみこんだものは終生とれない。
 当時のデモクラシーは民主主義とは訳さなかった。主権は人民にある、人民による人民のための政治といっては天皇陛下に憚(はばか)りがあるから民本主義と訳したが、民主主義に二つはない、全く同じものだ。私はご遠慮民主主義と呼んでいる。
                                                〔『文藝春秋』平成十三年二月号〕」
  
(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)


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2014・03・22

2014-03-22 08:15:00 | Weblog


今日の「お気に入り」。

  山の鳥は人に媚びざるすずしさに
            食ふべきは食ひはや去りにけり

  するすると夕闇くだり見て居れば
            他人の老いはなめらかに来る

  くちなはも生るるときは可愛ゆきを
             あとに引きずる体(たい)いかにせむ

  熱湯を浴びせて待てば乾燥スープ
            しだいに重くゆるむ 夜のふけ

  幽門といへるあやしき関門を
            無事通過せしやわが悪食(あくじき)は

  

                                     (齋藤史)



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