「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・04・30

2005-04-30 06:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「子供のころから不思議に思いながら、誰も教えてくれないことがたくさんある。もっと気になることは『尊王攘夷』である。このむずかしい字を私はチャンバラ映画でおぼえた。攘夷は西洋人をうち払うことで、それを旗じるしにして国論を統一して幕府を倒しながら、維新成って廟堂に立ったら皆々開国して誰も異議を唱えるものがなかった。激論があったと聞かない。人はこういうときどういう顔をするのだろう。一人ならず全員が口をぬぐったその口を、私は見たいと思う。」

  (山本夏彦著「世はいかさま」所収)


 「千万人といえどもわれ往かんという言葉がある。自分で考えて正しければ、相手がたとえ千万人で、自分が一人でも屈しないと訳されて、今も時々用いられるが、千万人も往くなら俺も往こうと訳すのが本当である。」

  (山本夏彦著「笑わぬでもなし」所収)
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国旗と国歌 2005・04・29

2005-04-29 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、新潮社刊「ひとことで言う 山本夏彦箴言集」から次の「ひとこと」です。

 「どこの国の旗も歌も血に染まってないものはない」

 山本夏彦さん(1915-2002)のコラムの中で、この「ひとこと」が、どのような文脈で用いられたものであるかを、本書は「コラムの抜粋」の形で次のように紹介しています。詳しくは、原典である山本夏彦著「世はいかさま」を見る他ないのですが、あいにく手許に見つかりません。

「いかにも戦前は戸ごとに日の丸の旗をたてた。三大節をはじめ国民の祝祭日には必ずたてたから、俗に旗日といった。
 白地に赤く日の丸染めて、ああ美しや日本の旗は――と歌った。日章旗の意匠は単純明快で世界に冠たるものだと当時はいった。それが一変して今は忌むべきものとなったのは、その旗のもとで将兵の多くが死んだからだというが、どこの国の旗も歌も血に染まってないものはない。フランスの国歌の文句のごときは『血ぬられたる旗はあげられたり進め祖国の子らよ』とアジっている。」

  (山本夏彦著「世はいかさま」所収の「白地に赤く日の丸染めて」という題のコラムです。)
  

 山本夏彦さんは、その著「二流の愉しみ」に収められている「旗なし旗日三十年」と題するコラムの中でも、同じテーマで書いておられます。そのコラムの中には次のような「ひとこと」があります。

 「食いものの恨みは忘れ、旗や歌の恨みだけおぼえているのは不自然だというより、うそである。」

  (山本夏彦著「二流の愉しみ」所収)
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2005・04・28

2005-04-28 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「テレビのキャスターは事故があると痛ましげな顔をする。人死にがあったり人殺しがあったりすると、嬉しくてたまらぬくせに神妙な顔をする。はじめ遺族につきまとってマイクをつきつけ、航空機の墜落を知ったときのお気持ちとやらを聞く。どうして私たちはカメラマンともども彼らを、六尺棒でなぎ倒すことが許されないのだろう。」

 「彼らはそれを編集してさも悲しげな顔をつくって語る。そして次なる明るいテーマ、たいてい芸人の醜聞に移るのである。そのときこの神妙な顔は次なる醜聞用の顔に一変するのだから、あれはつくってつくりなれた顔だと分るのである。面皮を剥ぐという言葉がある。ずいぶん慣れはしたものの、私はあの顔を見るとかけよってその面皮を剥いでやりたいと思うことがある。」

  (山本夏彦著「不意のことば」所収)

 


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二十億光年の孤独 2005・04・27

2005-04-27 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、谷川俊太郎さんの詩を二篇。

 はる

   はなをこえて
   しろいくもが
   くもをこえて
   ふかいそらが

   はなをこえ
   くもをこえ
   そらをこえ
   わたしはいつまでものぼってゆける

   はるのひととき
   わたしはかみさまと
   しずかなはなしをした



 二十億光年の孤独

   人類は小さな球の上で
   眠り起きそして働き
   ときどき火星に仲間を欲しがつたりする

   火星人は小さな球の上で
   何をしてるか 僕は知らない
   (或はネリリし キルルし ハララしているか)
   しかしときどき地球に仲間を欲しがつたりする
   それはまつたくたしかなことだ

   万有引力とは
   ひき合う孤独の力である

   宇宙はひずんでいる
   それ故みんなはもとめ合う

   宇宙はどんどん膨んでゆく
   それ故みんなは不安である

   二十億光年の孤独に
   僕は思わずくしやみをした


   (角川春樹事務所発行 谷川俊太郎著「谷川俊太郎詩集」所収)
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朝のリレー 2005・04・26

2005-04-26 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、谷川俊太郎さんの詩一篇。

 朝のリレー

  カムチャッカの若者が
  きりんの夢を見ているとき
  メキシコの娘は
  朝もやの中でバスを待っている
  ニューヨークの少女が
  ほほえみながら寝がえりをうつとき
  ローマの少年は
  柱頭を染める朝陽にウインクする
  この地球では
  いつもどこかで朝がはじまっている

  ぼくらは朝をリレーするのだ
  経度から経度へと
  そうしていわば交替で地球を守る
  眠る前のひととき耳をすますと
  どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
  それはあなたの送った朝を
  誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

  (角川春樹事務所発行 谷川俊太郎著「谷川俊太郎詩集」所収)
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2005・04・25

2005-04-25 09:11:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「身辺清潔の人は、何ごともしない人である。出来ない人である。」

  (山本夏彦著「茶の間の正義」所収)


 「私はポルノはきらいではないが、あれはこちらから出向いて見るものだと心得ている。」

  (山本夏彦著「不意のことば」所収)


 「色魔もまた男子の片われである。」

 「男子は男子一人で全男子の代表ですよ。女子は女子一人で全女子の特色を兼備していますよ。よく見るとある部分は薄弱であったり、ある部分は濃厚であったりしますが。」

  (山本夏彦著「意地悪は死なず」所収)
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2005・04・24

2005-04-24 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「お洒落というものの大半は文化であり、才能が参加する部分はほんのぽっちりである。貧しいうちは金さえあればお洒落自由自在だと思うが、お洒落するくらいの金ならたいていの人が持っている今になってみれば、それが誤りであることが分る。よしんばいくら金に糸目をつけなくても、その才のないものにお洒落はできない。成金趣味に終るのがオチである。」

  (山本夏彦著「おじゃま虫」所収)
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2005・04・23

2005-04-23 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「自分の失敗に同情してくれるのは本当の友ではなく、自分の成功を喜んでくれてこそ真の友だという西諺がある。失敗を聞いてかけつける友の目にはかすかに喜びの色がある。その悲運を見舞うと称してのこのこやって来るのは、この目で確かめたいからである。こういう友に限って、オレだのキサマだのとなれなれしい言葉を使う。肩をたたきあえば友になれるなら、友はいくらでもできる。」

  (山本夏彦著「おじゃま虫」所収)

 「利のないひととはつき合わないでいたのに、晩年になると同じ学校にいたから友だって言いだすんですよ。死に目が近くなると旧交を温めたがる。それが同窓会です。」

 「筒井筒の友が死ぬのは、そのひとの記憶にある幼いころの自分が死んだのです。それを惜しんで嘆いているのを、私たちはそのひとの死を嘆いていると好んで取りちがえるんです。」

  (山本夏彦著「意地悪は死なず」所収)
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明日も夕焼け 2005・04・22

2005-04-22 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、江戸時代の市井の哲学者、石田梅岩が「商人のあり方」について述べた言葉です。

 「売買ならずは、買う人は、事を欠き、売人(うりて)は、売れまじ。左様になりゆかば、商人(あきびと)は、渡世なくなり、農工とならん。商人皆、農工とならば財宝を通わす者なくして、万民の難儀とならん」

 「商人というとも、聖人の道を知らずんば、同じ金銀を儲けながら、不義の金銀を儲け、子孫の絶ゆる理に至るべし」

 作家の猪瀬直樹さんが、その著「明日も夕焼け」(朝日新聞社刊)の中で、石田梅岩の言葉を引用して、「商人は正直でなければいけない。正直とは権力者の言うことを何でも信じる馬鹿正直のことではなくフェアなルールを守りながら正当な利益をあげることだ。不正な利益は自分の足下を崩すことになるから。」と指摘して、石田梅岩の教えである「石門心学」を紹介されています。

 不正行為やルール破りが横行する現代の市場経済社会にこそ必要な教えでしょう。
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才能は天賦だ 2005・04・21

2005-04-21 06:00:00 | Weblog
                             


 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私は『才能』は天賦のものだと思っている。それなら千人に一人でオリンピックの選手を見れば分る。たいてい十代の青少年で、ハタチそこそこでなん百年という過去を自分のものにしてなお新しい記録を出している。十代で体力が絶頂なら、知力もまたそうである。才能は天賦だというと絶望するものがあるから、才能は根気だとか努力だとかいって慰めるのである。」

  (山本夏彦著「世はいかさま」所収)


 「私は各人に個性があることを前提とした教育は、間違いではないかと疑っている。人は個性ある存在ではない人は大ぜいに従うもので、従ってはじめて安心するものである従えと言って、断じて従わぬ個性はまれである万一あれば大ぜいは、世間は、社会はそれを爪はじきするすなわち、爪はじきされて、はじめて個性は頭角をあらわすちやほやされて育つ個性なんて、今も昔もないにきまっている。」

  (山本夏彦著「二流の愉しみ」所収)


 「いくら同時に採用されても、人には能と無能がある。進んで働く者と働かない者とがある。それが一律では不公平である。本当に才能ある者、進んで働く者は、五人に一人である。残る四人のうち二人は並で一人は並以下で、あとの一人は働いていると称して実は邪魔している者である。」

  (山本夏彦著「変痴気論」所収)


「(入社試験で)成績のいい人と悪い人と並べてどっちをとるかと言われると、窮して成績のいいほうをとる。魔がさすんですな。」

  (山本夏彦著「夏彦・七平の十八番づくし」所収)
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