今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)の著書「完本 文語文」から。
「『汝(なんぢ)らのうち誰か思ひ煩ひて身の丈(たけ)一尺を加へ得んや』『野の百合を見よ、労せず紡(つむ)
がざるなり。されどわれ汝らに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その服装(よそほひ)この一朶(いちだ)
の花に及(し)かざりき』
私は聖書を文章として読んでいる。だからこれらを口語文に改めたと聞いてほとんど驚倒した。異教徒
でありながら私たちがその言葉をいくつもおぼえているのは、ひとえに文語文のせいである。それを口語
文に訳してよく朗誦にたえるだろうか。
私はベトナム戦争の記事を信じなかった。北ベトナムと中国は一枚岩だと読まされて南北ベトナム統一
が成ったら、あろうことかあるまいことか中国がベトナムに戦争をしかけた、『中越戦争』と新聞は窮し
て書いた。当時ベトナムが越南であることを知る読者はないのに、中越戦争といって新聞はごまかそうと
したのである。
文学は風流韻事(いんじ)なのである。このことを私たちは忘れすぎた。『世上ノ乱逆追討、耳ニ満ツト
雖モコレヲ注サズ、紅旗征戎ハ吾ガ事ニアラズ』と若年の藤原定家は日記に書いた。時は頼朝、義仲の挙
兵、源平合戦の最中である。
平氏の薩摩守忠度(ただのり)は都落ちするその日、定家の父藤原俊成(しゅんぜい)を訪ねて一門の運早
や尽き候いぬ。ついては生涯の面目、一首でもとれるものならとっていただきたいと『千載集』の選者
である俊成に願った。ためにこの一巻を持参したと捧げて今はこれまでと落ちていった。
忠度の歌は世静まってのちその集に一首いれられている。勅勘の身だから読人しらずとなっている。
さざ波や志賀の都はあれにしを 昔ながらの山桜かな
さざなみは志賀の枕詞、志賀の都は天智弘文二帝の宮の跡、ながらの山は比叡山の南の一峰、これに
昔ながらをかけた。そんなことは知らなくても分る歌だから今に残っている。」
(山本夏彦著「完本 文語文」文藝春秋社刊 所収)