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今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「荷風散人の逸事である。昭和二十九年四月二十五日荷風永井壮吉(74)はズックの手さげカバンを国鉄船橋駅で紛失した。拾ったのは進駐軍軍曹で、なかに三千万円の三菱銀行八幡支店の預金通帳と文化勲章賞金五十万円の小切手がはいっていたと新聞は報じたが、のちに預金は千六百万円と改めたがいずれにしても当時は大金である。
用心深い荷風は通帳の『判』は自宅に秘蔵していた。小切手は横線(おうせん)である。直ちに銀行に届け出たから右は紙屑同然であるが、世間はそう思わなかった。荷風がいくら礼金を出すかで騒然となった。
新聞の百万読者は荷風をにふうと読む程度である。一介(いつかい)の文士が三千万(と思いこんでいる)の大金を持ち歩いて平然たるのに驚いている。一割の礼金を出すとしても三百万円である。それを何ぞや五千円しか出してない。世間も新聞もそのあまりの小額に驚いた。荷風は好色でうそつきで、自分では信じてない旧道徳で他を非難すると一部では信じられていたが、ここに於て稀代(きだい)のケチだという評判を得た。
この事件で荷風の財産は世に知られた。荷風の旧作はあらゆる文庫にはいっている。全集も着々と出ている。秋庭太郎の『考證永井荷風』によると、印税収入のほか、六十数万円の王子製紙、三菱重工、日本郵船、鐘紡等の一流株を持っていたという。
これだけの財産を持ちながら礼金ただの五千円とはと百万読者が思うのは彼らが戦前と同じくなお郵便局の時代にいて銀行の時代にいない証拠だとみていい。即ち昭和三十年代まで戦前は続いていたと見るゆえんである。老いて詞藻(しそう)の涸(か)れた文士に、頼れるものは金だけである。それを守るのは当然であるが、いっぽう好色でケチでうそつきではあったことも本当である。けれども荷風のような美しい文章を書いた作者はいないのである。些々(ささ)たるうそのごときケチのごときは許されるのである。『美しければすべてよし』と私は後年コラムに書いた。
〔『諸君!』平成十三年一月号〕」
(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)
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今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。
「だしぬけだが公衆電話の一通話は三分だった。この世の中の用件は、一つ何々、一つ何々と整理して話せば、三分で言えないことはない。電話の三分は何十万何百万人の通話の公約数で、それを手本に私は「百年分を一時間で(20世紀ぎっしり)」をこの秋同じ文春新書から出した。「誰か『戦前』を……」の続篇である。
むかし魯迅は現代は資料が多すぎて分らない、古代は資料が少すぎて分らないといった。私は公衆電話にならって三分で言え三分で、と言っている。
たとえば私はこの百年日本を支配した社会主義を『私有財産は盗みである。奪って人民、大衆に公平に分配するのは正義である』と言って、十一分間で片づけた。株式会社に言及して戦前は個人の時代、戦後は法人の時代だと僅々十二ページにまとめた。流行歌にいたっては戦前のはやり歌の文句は聞いて分ったが、昨今の歌詞は皆目(かいもく)分らない。誰かそらで歌える人いるの? と書いた。
〔『諸君!』平成十三年一月号〕」
(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)
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今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。
「今の新卒の母親は四十なかばで、針と糸を持ったことがない、芋の煮っころがしを作ったことがない、出れない寝れない食べれないとわが子と共に言っている世代だから、それを咎(とが)められたら、どこがいけないのかと子供と共に不服で口ごたえするはずである。
親子はボキャブラリーまで同じになった。親は子に伝えるべき何ものも持たなくなった。祖国とは国語だ、それ以外の何ものでもないという言葉を私は大好きで、あんまり引用したので私の言葉だと思っている読者があるが、当代の碩学(せきがく)シオランの言葉である。
〔『諸君!』平成十三年一月号〕」
(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)
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