「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・06・30

2005-06-30 05:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「学歴さえ同じなら、新入社員は同じ給与をうける。一年目にはいくら、五年目にはいくらと、昇給率まで同じである。
 けれども、人には凡と非凡、能と無能がある。その凡と非凡を、給料で区別できないから、賞与で区別した時代がある。十何年前のことで、当時の金で三百円、五百円の差をつけたら、金額そのものより、どこからその差が生じたか、それはだれのさしがねかと悩んだり怒ったりするものが多かった。結局、差をつけるのをやめたという。
 能は能なしより、非凡は平凡より多くもらうのが公平だと、使うものは思っても、使われるものは思わない。非凡の人数は少なく、平凡の人数は多いから、多い平凡がそんすることは承知しない。労働組合は多いほうのためのものだから、少ないほうに沢山払うことには反対する。
 生きがいというものは、他と区別することによって生じると私は旧著のなかで書いた。だから、能と無能の給与に差をつけると、能は満足するが無能に不平が生じるから差がつけられない能には能の自覚があって、自分は少数派でこの世は多数派のものだとあきらめているから、差をつけなくてもがまんするが、無能は大ぜいで、したがって無能の自覚がないから不平を鳴らす。」

 「私はおしゃれが、他人のおしゃれに寛容でないのに興味をもっている。趣味のいい人が、他人の趣味を認めたがらないのに興味をもっている。
 おしゃれは、ひとりおしゃれして満足するものではない。他とくらべて、他のおしゃれが自分以上でないことを発見して満足する。
 たとえば、一流のおしゃれと二流のおしゃれが、銀座街頭で鉢あわせするのを見ることがある。いい年をした二人の男は、何食わぬ顔で相手の品定めをする。そして一流のおしゃれは、二流のおしゃれの二流ぶりを見て、はじめて一流なのである。二流はたぶん三流を見て、はじめて二流なのだろう。」

 「私は若い男女に、給料は能力と能率に応じて払われたほうがいいか、年功序列によって払われたほうがいいか聞いたことがある。そして年功によって払われたほうがいいという答えを得た。何度も聞いて何度も同じ返事を得た。平等だからという。故にどの企業も年功によって払っている。能力によって払おうと試みた企業もあるが、今はやめている。
 それでいて若者たちは、生きがいがないと嘆く。生きがいは自分と他人を区別することによって生じる他が低いことによって生じる私は人間はすべてそういうよからぬ存在だと認めた上で話はすすめたほうがいいと思うが、思わぬものが多い。それなら人はどれだけ偽善を欲するか、この世はどれだけの偽善を必要とするか、公開の席で論じたらいいと思うが、人はそれも欲しないようである。論じられないで今日にいたっている。」

   (山本夏彦著「かいつまんで言う」中公文庫 所収)
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梁塵秘抄 2005・06・29

2005-06-29 05:45:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、「梁塵秘抄」から。

 「舞へ舞へ蝸牛(かたつぶり) 舞はぬものならば
  馬の子や牛の子に 蹴(く)ゑさせてん 踏み破(わ)らせてん
  真に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん」

 「仏も昔は人なりき 我等も終(つゐ)には仏なり
  三身仏性具せる身と 知らざりけるこそあはれなり


 「遊びをせんとや生れけむ
  戯れせんとや生れけん
  遊ぶ子供の声聞けば
  我が身さへこそゆるがるれ」
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2005・06・28

2005-06-28 05:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集「かいつまんで言う」(中公文庫)から寸言をいくつか。

 「原則として、大ぜいが異口同音にいうことなら、信じなくていいことだと私は思っている。」

 「この世に益だけあって、害のないものはない。」

 「ひとは他人のなかなる嫉妬には敏感だが、自分のなかなるそれには敏感でない嫉妬心なんかないと思っているものさえある。」
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2005・06・27

2005-06-27 05:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、お遍路さんの用いる菅笠の上に書いてある句です。

 「迷故三界城
  悟故十方空
  本来無東西
  何処有南北」
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2005・06・26

2005-06-26 05:55:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、中原中也(1907-1937)の詩一篇。

 頑是ない歌

 思へば遠く来たもんだ
 十二の冬のあの夕べ
 港の空に鳴り響いた
 汽笛の湯気は今いづこ

 雲の間に月はゐて
 それな汽笛を耳にすると
 竦然(しょうぜん)として身をすくめ
 月はその時空にゐた

 それから何年経つたことか
 汽笛の湯気を茫然と
 眼で追ひかなしくなつてゐた
 あの頃の俺はいまいづこ

 今では女房子供持ち
 思へば遠く来たもんだ
 此の先まだまだ何時までか
 生きてゆくのであらうけど

 生きてゆくのであらうけど
 遠く経て来た日や夜の
 あんまりこんなにこひしゆては
 なんだか自信が持てないよ

 さりとて生きてゆく限り
 結局我ン張る僕の性質(さが)
 と思へばなんだか我ながら
 いたはしいよなものですよ

 考へてみればそれはまあ
 結局我ン張るのだとして
 昔恋しい時もあり そして
 どうにかやつてはゆくのでせう

 考へてみれば簡単だ
 畢竟意志の問題だ
 なんとかやるより仕方もない
 やりさへすればよいのだと

 思ふけれどもそれもそれ
 十二の冬のあの夕べ
 港の空に鳴り響いた
 汽笛の湯気や今いづこ


   (角川春樹事務所刊「中原中也詩集」所収)
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身すぎ世すぎ 2005・06・25

2005-06-25 05:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「出版業は自分で企画して、自分で実現して、自分で広告して、自分でその結果を手のなかで見ることができる今は数少ない

 商売の一つである。たいていの職業は分業の極に達して、企画から完成まで、その一部始終を見ることはできない。まして、

 手にとって見ることはできない。

  どんな職業にもとりえはあるもので、これが今はめったにないとりえで、もし才知があれば、縦横に発揮することができよう。

 だから、この世界ほど独創が珍重されるところはないという。

  けれども、それは表向きの話である。裏にあるのは模倣ばかりである。

  全十巻の百科事典が、甲社から出たかと思うと、乙社から出る。丙社から出る。彼らが企画と称するものは、自分の頭から

 出るものではない。ひとの頭から出るものである。

  明治大正昭和の代表的な詩人の全集が、A社から出たかと思うと、B社から出る。C社から出る。時を同じくして出る。

 模倣にしては早すぎる。盗みではないかと私は思うが、彼らは思わない。

  思ったら盗みは悪事で、悪事なら悔い改めなければならないからである。思ったら飯の食いあげになることを、人は思わない。

  A社の全集とB社の全集の体裁上の相違を本質的な相違だと言いはって、かくて再び出版は文化的で独創的な事業になる。

 たいていの商売は自分を飾るから、私はそれをとがめないが、ただ、それに従事したことを自慢しない。

身すぎ世すぎだと思っている。」

   (山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)
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2005・06・24

2005-06-24 05:45:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「日常の会話や文章は、省略から成っている。ことに日本語はそれがはなはだしく、肝腎かなめの主語さえ省略する。
 主語とは、私とか彼とか彼女のたぐいで、新聞の社説やコラムには『私』は出てこない。これらは匿名、または無署名の記事だから、もともと『私』の出る幕はないのである。」

 「省略は、その省かれた部分を補えば分るようにして、初めて省略である。それは直ちに補えなければならない。(本当はすれすれの方がいいと私は思っているが、それを言うと事が面倒になるから今は言わない)。
 かりに『ベトナムから手を引け』という新聞記事のタイトルがあるとすれば、それは『アメリカ人よ』という呼びかけが省かれているのである。これならどんな勘のにぶい人にも分る。そしてその内容に、アメリカ人を叱る語気があったとして、ニ、三日して『お叱りは返上したい』という記事が出たとすれば、書いたのはアメリカ人で、アメリカ人は我々にお叱りはそっくり返上したいと言っているのである。
 誰が誰に向って呼びかけているか、言わずと知れた場合は省くから、補えば分るはずなのに、分らないときは、タイトルのほうが間違っているのである。間違っていれば笑われて、そのタイトルは引っこむはずなのに、引っこまないでなが年通用しているものがあるから、その例をあげる。
 名高いのは広島の碑(いしぶみ)である。広島の戦災を記念して、立っている石にはこう書いてあるそうである。
『安らかに眠ってください。過ちは繰返しませんから――』
 安らかにというのは、広島で死んだ皆さん、と呼びかけているのは明らかで、明らかだから省いたのだろう。過ちは繰返しませぬと言っているのは、『私どもは』を省いたとしか思えない。
 私どもは過ちは繰返さないから、なくなった皆さん、迷わず成仏してくれと、この碑は語っているのだろう。
 これでは爆弾を落したのは、まるで私どもみたいである。落したのは私どもではないのだから、不思議な碑である。これを『過ちは繰返させませんから』と改めれば、首尾はととのうけれど、改めないままこの石は二十年近く立っている。
除幕式には、朝野の名士が参列したはずである。それ以前にこの碑文は、広島県知事、同市長をはじめ何十人の目を通ったはずである。それなのに誰も怪しむものがなかったから、そのまま立てられたのである。まっさきにおかしいと言ったのは、除幕式に参列したインド人だったそうである。
 以来、その間違いを笑う人はないではないが、いまだにこれが改められないのは、さっき不思議だと言ったが、実は不思議ではないのである。これでいいのだという説があって、それが有力なのである。
 言葉の乱れは心の乱れで、言葉を正そうとすれば、その奥にまで立入らなければならない。文章は志を述べるもので、述べてあいまいなのは志があいまいなのである。まして石は百年二百年残るものである。何十人の目をくぐって、なおこれが彫られたのは、これでいいのだという人があって、それに一理があって、他の一理を圧したのであろう。」

   (山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)
 
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2005・06・23

2005-06-23 05:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「何度も書いて恐縮だが、六〇年安保のとき、情報はあげて、アンポ粉砕、内閣を倒せと書いた。新聞は群集のなかに、首相を殺せという声がしきりだと報じた。毎日報じたから、読者は首相の死を期待して、その日が刻々に近づくのを、手に汗にぎって待った。
 情報は我々を支配する。我々は勇んで支配され、勇んだせいで支配された自覚をもたない。かくの如きがよい情報である。
 新聞はそれを承知で、湯水のように同じ報道を繰返して、そして土壇場になって、皆さん暴力はやめましょうと、猫なで声を出して、へなへなとおしまいになったこと、ご存じの通りである。
 猫なで声を出すように奔走したのは、大新聞の大幹部で、下っぱの知ったことではない。下っぱは本気で彼は死ねばいいと思っていた。資本は読者をしてここに至らしめ、首尾よく至ったのに我ながら驚いて、冷水をあびせたのである。
 すなわち大衆を愚弄したのである。めでたく大衆は愚弄されたからいいが、いつも愚弄されるとはかぎらない。されないで、殺せといわれたから、殺したらどうか。むろん殺した男は犯人で、追われて、とらえられて、罰せられるだろうが、マスコミのほうは罰せられない。
 新聞はこのときもまた紙面をあげ、暴漢と暴力をとがめ、二度と不祥事を繰返すなと国民をいましめることだろう。それをキャンペーンと称することだろう。
 これによって新聞は、他の責任を問うことはできても、自分のそれを問われて、答えられるほど統一ある存在でないことが分る。
 同じ経過を、我々は前の大戦のときに見た。新聞はあの戦争は不可避だと書いた。毎日巨大な活字で書いて、それ以外の情報を提供することを惜しんだ。読者はその気になって、鸚鵡返しに不可避だと言った。
 そして敗戦後、マスコミは他をとがめて、自己を省ることがなかったが、それは必ずしも厚顔無恥のせいではない。新聞はどこに責任者がいるか、追求すればするほどわからなくなる正体不明の法人なのである。しばらく追求して、たぶん張本人が分らなくて、追求するのをやめたのだろう。そして、その体質はいまだにちっとも変ってない。ばかりか、テレビという、正体不明の法人がふえた。
 だから一旦緩急あれば、今後も同じことを繰返すはずである。かれが情報を提供することを繰返すばかりでなく、われも勇んでそれに左右されることを繰返すはずである。」

   (山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)
 
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八百長 2005・06・22

2005-06-22 05:35:00 | Weblog


 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「相撲に八百長はつきものである。この一番に勝てば、出世するときまった勝負なら、勝は譲ってやるものである。

 そのかわり、自分の大事な一番には譲ってもらう。

  相撲は相手が一人だから、見あったときに内心が分る。ただ、客に分ってはいけないから、用心する。はげしく

 もみあって、その上で譲る。

  野球は相手が大ぜいだから、一人が承知しても八百長はできない。二人、三人、四人が承知しても、できるとは

 かぎらない。首尾よく勝ったが、それは八百長のおかげか、本当に勝ったのかよく分らない。」

 「同じプロでもプロレスは、しばしば息も絶え絶えになるが、本当に絶えたためしはない。あれは見世物だと選手も

 見物も心得て、神聖視するものはない。八百長があっても怪しまない。そもそも全部八百長と承知して、その上で

 見物している。

  プロ野球とプロレスを同列に論じると立腹する人がある。野球は神聖で、プロレスは神聖でないと思っているの

 だろう。相撲はそのまん中あたりにいるようだ。国技と称し、ありがたく思わせようとしたことがあるが、うまく

 いかなかった。

  相撲とりは芸人である。芸人なら客の玩弄物である。抱え力士といって、むかし力士は殿様に抱えられた。明治

 以来、華族や金持が殿様のかわりになった。今はそれが企業にかわった。」

 「マスコミは高校野球が神聖なら、その上の大学野球も神聖で、それらの卒業生から成るプロ野球も神聖だと

 いうことにした
選手はすべて人格者で、八百長なんかしないことにした。」

 「選手はもともと酒好き女好きばくち好きの、ただの男にすぎない。私は人生に八百長はつきものだと

 思っている
遅かれ早かれ子供はそれを知らなければならない

  相撲に八百長があると知ったら、子供は傷つくだろうか
野球にもあると知ったら傷つくだろうか

  これしきのことに傷つくなら、傷つくがいい。手にあせ握った一番が、あとで八百長だと知ったら、

 青くなる子もあろう。なってその力士を、または選手を応援しなくなる子もあろう。けれども応援すること旧の

 ようで、実は玩弄物として見るようになる子もあろう。

  子供を全く無傷で育て、子供のまま大人にしようとは出来ない相談であるそれは教育ママ的

 発想の極致で、本来男親の知ったことではない


  おんば日傘で育って、はたちをすぎて世間へ出て、にわかにどっと傷つくより、人は早く徐々に傷ついたほうがいい

 すくなくともそのほうが自然である

  八百長は必ずしも悪事ではないこの世はもっと本式の悪事に満ちたところである

 それを知って悪に染まないのと、知らないで染まないのとでは相違するいうまでもなく、知って

 それをしないのがモラルである
。」

   (山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)



                    


  「八百長」について、フリー百科事典「ウィキペディア」には次のように記述されています。

   
   「 大相撲の隠語で、八百長は『注射』と呼ばれ、逆の真剣勝負は『ガチンコ』と呼ばれる。

    対戦者の一方のみ敗退行為を行う場合は『片八百長』『片八百』と呼ばれることがある。」


   「 由来:

     八百長は明治時代の八百屋の店主『長兵衛(ちょうべえ)』に由来するといわれる。

     八百屋の長兵衛は通称を『八百長(やおちょう)』といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と

     囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上

     の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。

     しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負

     をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせな

     がら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった。

     2002年に発刊された日本相撲協会監修の『相撲大事典』の八百長の項目では、おおむね上記の

     通りで書かれているが、異説として長兵衛は囲碁ではなく花相撲に参加して親戚一同の前でわざと

     勝たせてもらった事を挙げているが、どちらも伝承で真偽は不明としており、『呑込八百長』とも

     言われたと記述されている。

     1901年10月4日付の読売新聞では、『八百長』とは、もと八百屋で水茶屋『島屋』を営んでいた

     斎藤長吉のことであるとしている。 」


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2005・06・21

2005-06-21 05:17:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私は新聞雑誌を愛読する婦人を嫌悪している。彼女たちは、そこに書いてあることをまに受ける。同時にそれを口走る。吉田茂老は昨日は犬畜生で、今日は大宰相で、そんなら明日は何者だか知れはしない。芸術院会員は、多くは情実で選ばれる。絵かきはそれになりたがって、推挙してもらおうと運動する。金品を贈るのである。
 贈ってめでたく会員になる画家があると新聞で読むと、まーあきれた、それでも芸術家なのと、隣人に吹聴する。隣人もまた同じあきれ顔する。
 それでいて親戚の某の遠縁の誰さんは、その会員なんですってねーと、尊敬おかないのである。あわよくば接近してわが子の婚礼に招いて、一席弁じてもらいたがるとは前にも書いた。
 婦人ならびにまじめ人間は、耳からはいった言葉を口から出すから、その日の会話はその日の新聞に出ている言葉ばかりである。牛乳が三円あがってけしからぬと読めば、日本中けしからぬと和して、けしからぬ同志がはちあわせして、互に同類だと認めあって、安心するのである。
 もとより彼女は、乳呑子の母ではない。使いもしないミキサーの、掃除機の、ピアノの持主である。牛乳が三円あがったところで、痛くもかゆくもありはしない。騒げと号令かけられたから、騒ぐのである。
 まーあきれたと、真実軽蔑したような顔を、少年のころから私はまじまじと見てきた。この顔が、同時に尊敬おかない顔かと見たのである。してみれば、軽蔑も尊敬も、怪しや同じものである。それなのに、それが同じだと当人に思い知らせることは出来ないのである。出来ないと知ってなん十年になる。
 たいがいあきらめていい頃なのに、私はあきらめない。右でなければ左だと考えるのは、それは考えではないパターンであるジャーナリズムの言葉、およびそれに付和する投書の言葉は、ことごとくこのパターンである人はついに自ら見て、自ら考える存在ではないのか、ないのであると、自問自答して、私は信じまいと欲して、信じざるを得なくて、あきらめかねているのである。」

   (山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)
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