今日の「お気に入り」。
「 鯨がさかのぼって来たのである。
船番所の役人衆も桟橋に立ちならんで見物している。
黒い背が水面にちらりとのぞき、尾が水を叩いて飛沫をあげた。河岸の者どもはいっせいにはやし
たてた。吉爺が何やら叫んだ。ひときわ他を圧す大音声である。漁船は二手にわかれた。一手は網を
ひいて下流をふさいだ。もう一手はそれぞれ舳に銛をかざした水夫をのせて鯨を船溜り上手の浅瀬へ
追った。浜平の舟が先頭である。
私がこのまえ、鯨を見たのは嘉永五年の夏であった。三年ぶりということになる。昔は年に三、四
頭をしとめることがめずらしくなかったという。天保から弘化、嘉永、と時代が下るにつれて諫早湾
にはめっきりと鯨がへった。雄斎伯父の話では、アメリカ国が黒船で大がかりに鯨をとるゆえに泳ぎ
来たるのが姿をひそめてしまったという。
浜平は舳に腰をおとし、両足をふんばり、高々と銛をさし上げて水面をにらんでいる。鯨がうかび
あがったらいつでも銛を投げられる身がまえである。 」
「『浜平どん気張(きば)れ気張れ』
河岸の者どもは鯨に這いあがった男を声ではげました。浜平は銛をにぎってさらに深く鯨の腹中へ
突き通した。鯨はもがいた。水に沈む力は失ったかのように見えた。舟からとびこんだ他の漁師たち
が泳ぎついて、銛にとりつき浜平とともに深く刺した。鯨は最後に大きくひれで水を打ち体をのたう
たせた。しぶきがあがり、そのこまかなしぶきに一瞬、小さな虹がかかった。鯨は水面にながながと
横たわった。思ったより小さく、長さは三間あまりの背美(せみ)鯨である。 」
( 野呂邦暢著 「諌早菖蒲日記」 梓書院刊 所収 )
今日の「お気に入り」。
「 夜さり、台所の土間で吉爺は縄をなっている。
鉄砲組方の調練がちかく目代野でもよおされる。一丁縄と十間縄を調練にそなえてなっておかなけ
ればならない。いつものことながら吉爺が測り縄をなうのは目にもとまらぬ早わざである。いくすじ
かの藁しべがもみ合せている両手に吸いこまれたかと思えば、一本の縄に変って生あるもののように
するするとのびてゆく。うちわのように大きい手である。その手で吉爺は櫓をにぎり、帆をはったの
だ。
『吉よい、陸(おか)を行けば佐賀まで何日かかると』
『三日でごんす、早馬なら一日』
『船で走れば佐賀まで何日かかると』
『風向き次第でごんす、順風なら半日、逆風なら岬泊りして追い風に変るまで碇ばうたずばなりませ
んと』
『吉よい、本明川を下れば海に出るとだろう』
『河口に出るまでが難儀でごんす、あっち曲りこっち曲りせずばなりませんと、潟に舳先ば乗り上げ
れば舵とりが名折れ、ふうけもんのどまぐれのとそしられます、吉は一度も舵とりばあやまったこと
はござんせん』
『吉よい、私は海ば見たことはなかと』 」
( 野呂邦暢著 「諌早菖蒲日記」 梓書院刊 所収 )
今日の「 お気に入り 」 。
「 箱の中には 、ていねいに包装され札をつけられたプレゼントが
詰まっている 。私より年下の弟たちへのプレゼントには『 サンタ
クロースより 』と書いてあるが 、私へのプレゼントにはそれが
ない 。そして 、もうそれが二度とないことを 、私ははっきり悟
っている 。でも 、驚いているわけではなく 、むしろ大人の世界
に仲間入りしてここにいるという喪失の痛みを感じている 。突
然ほかの部屋へ入れられて 、背後でドアがカチャッと音を立て
て永遠に閉められたみたいだ 。私は自分でつくった小さな傷に
不意を突かれている 。
でも 、そのとき 、私は目の前にいる人間たちを見る 。クリス
マス・ツリーの前で身を寄せあっている両親を見る 。父の肩に
手を置く母と 、いつものハンカチを握っている父 。姉たちを見
る 。私より先に境界線を越え 、少女時代の生活から日に日に離
れてゆく姉たち 。私は魔術師のような兄を見る 。大陸の半分も
遠く離れたところからクリスマスにやってきて 、自分の持てる
ものすべて 、自分自身のすべてを運んできた兄 。皆 、それぞれ
の思いやりあふれる姿を描いた一枚の絵のように 、そこにおさ
まっている 。
『 誰でもみんな、去ってゆくものなんだ 』と父が静かに言う 。
私は 父がサンタクロースのことを話しているのだ と思っている 。
『 でも 、嘆くことはない 。よいことを残してゆくんだからな 』」
( アリステア・マクラウド著・中野恵津子訳 「冬の犬」 新潮社刊 所収 )
” To Every Thing There Is a Season (1976) ” (「すべてのものに
季節がある 」)」と題された短編小説のこの最後の部分 、原文は次
の通りです 。中野恵津子さん (1944-2013) の翻訳は全編を通して秀逸 。
「 " Every man moves on ," says my father quietly , and I think he
speaks of Santa Claus , " but there is no need to grieve , He
leaves good things behind . " 」
#アリステア・マクラウド # 中野恵津子訳 #冬の犬 #新潮社
#AlistairMacLeod #ToEveryThingThereIsaSeason
今日の「お気に入り」。
「 兄は 、クリスマス・イブには 、あのすばらしい若馬にそりを
引かせて 、みんなを教会へ連れていくと約束した 。
私たちは馬が怖くて 、兄が帰ってくるまでは手が出せないで
いたのだ 。そしてクリスマス・イブの午後 、兄は馬に蹄鉄を
つける 。片足ずつ 、ひずめを持ちあげてやすりをかけ 、真っ
赤な蹄鉄を金床の上で叩いて形を整える 。
しばらくして 、その蹄鉄をたらいの水のなかに入れると 、
シューッという音とともに白い湯気が立つ 。父は逆さにひっ
くり返したバケツの上に坐り 、そばでやり方を教えている 。
私たちは文句を言ったりするのに 、兄はすべて父に言われた
とおりにやる 。
その晩 、干草や大量の衣類にくるまり 、足元には温めた
石を置いて 、私たちは出発する 。両親とケネスは家に残る
が 、あとは全員出かける 。出発する前に 、牛と羊に餌を
やり 、豚にも食べたいだけ食べさせる 。そうしておけば 、
彼らも満ち足りた気分でクリスマス・イブを過ごせるだろ
う 。両親が戸口から手を振る 。私たちは山道を六キロほど
進む 。そこは木材の切り出し用の小道で 、車などほかの
乗り物は通らない 。 」
「 村の教会に着くと 、木立ちのなかに馬をつなぐ 。そこなら 、
道から木でさえぎられているから 、馬がたくさんの車にお
びえることもない 。私たちは馬に毛布をかけ 、燕麦 ( えん
ばく ) を与える 。教会の入り口で 、近所の人たちが兄と握
手をする 。『 やあ 、ニール 。お父さんはどうしてるかね? 』
『 ああ 』と兄は言う 。『 ああ 』としか言わない 。
夜の教会は 、枝をあしらった花づな飾りや炎の揺れるろう
そくの光で美しい 。聖歌隊席から楽しげなざわめきが羽音の
ように聞こえてくる 。礼拝のあいだじゅう 、私たちは催眠術
をかけられたようにうっとりしている 。
帰り道 、石はもう冷たくなっているけれど 、私たちはまだ
幸せな気分で身も心も暖かい 。革の引き具がギーギー鳴る音
や 、そりの滑走部が雪の上を滑る音に耳を傾け 、クリスマス
のプレゼントは何かなと考えはじめる 。
家まであと一キロほどのところで 、馬はどこをめざしている
かを知って急に足を速め 、そのあと 、ゆったりと自信たっぷ
りの駆け足になる 。兄は馬の走るままにまかせ 、まるでクリ
スマス・カードから抜け出した絵のように 、
私たちは冬景色を横切る 。馬のひづめから舞いあがる雪が 、
みんなの頭のまわりに白い星のように落ちてくる。 」
( アリステア・マクラウド著・中野恵津子訳 「冬の犬」
新潮社刊 所収 )
上に引用したのは短編小説” To Every Thing There Is a Season ”
(1977)の一節。
#アリステア・マクラウド # 中野恵津子訳 #冬の犬 #新潮社
#AlistairMacLeod #ToEveryThingThereIsaSeason
今日の「お気に入り」。
「 He promises that on Christmas Eve he will take us
to church in the sleigh behind the splendid horse
that until his coming we are all afraid to handle .
And on the afternoon of Christmas Eve he shoes
the horse , lifting each hoof and rasping it fine
and hammering the cherry-red horseshoes into
shape upon the anvil . Later he drops them
hissingly into the steaming tub of water . My
father sits beside him on an overturned pail
and tells him what to do . Sometimes we argue
with our father , our brother does everything
he says .
That night , bundled in hay and voluminous coats ,
and with heated stones at our feet , we start upon
our journey . Our parents and Kenneth remain at
home , but all the rest of us go . Before we leave we
feed the cattle and sheep and even the pig all that
they can possibly eat , so that they will be contented
on Christmas Eve . Our parents wave to us from the
doorway . We go four miles across the mountain road .
It is a primitive logging trail and there will be no cars
or other vehicles upon it . 」
( 中 略 )
「 When we descend to the country church we tie the
horse in a grove of trees where he will be sheltered
and not frightened by the many cars . We put a
blanket over him and give him oats .
At the church door the neighbours shake hands with
my brother . " Hello , Neil , " they say . " How is your
father ? "
"Oh," he says, just "Oh."
The church is very beautiful at night with its festooned
branches and glowing candles and the booming , joyous
sounds that come from the choir loft . We go through
the service as if we are mesmerized .
On the way home , although the stones have cooled ,
we remain happy and warm . We listen to the creak
of the leather harness and the hiss of runners on the
snow and begin to think of the potentiality of presents .
When we are about a mile from home the horse senses
his destination and breaks into a trot and then into a
confident lope. My brother lets him go and we move
across the winter landscape like figures freed from a
Christmas card . The snow from the horse's hooves
falls about our heads like the whiteness of the stars . 」
上に引用したのは アリステア・マクラウドさん ( 1936 - 2014 ) の
短編小説 ” To Every Thing There Is a Season ” ( 1977 )の一節 。
文中に出てくる英語の「 三単現 」 " he " が指す者が 目まぐるしく
変わります 。
兄であったり 、父であったり 、そりを引く馬であったり 。
それでいて 、文脈から分かるところが面白い 。
#アリステア・マクラウド # 中野恵津子訳 #冬の犬 #新潮社
#AlistairMacLeod #ToEveryThingThereIsaSeason
今日の「お気に入り」。
" Our sons will go to the universities to study dentistry
or law and to become fatly affluent before they are
thirty . Men who will stand over six feet tall and who
will move their fat , pudgy fingers over the limited
possibilities to be found in other people's mouths .
Or men who sit behind desks shuffling papers relating
to divorce or theft or assault or the taking of life .
To grow prosperous from pain and sorrow and the
desolation of human failure . They will be far removed
from the physical life and will seek it out only through
jogging or golf or games of handball with friendly
colleagues . They will join expensive private clubs
for the pleasures of perspiration and they will not
die in falling stone or chilling water or thousands
of miles from those they love . They will not die
in any such manner , partially at least because we
have told them not to and have encouraged them
to seek out other ways of life which lead , we hope ,
to gentler deaths . And yet because it seems they will
follow our advice instead of our lives , we will experience ,
in any future that is ours , only an increased sense of
anguished isolation and an ironic feeling of confused
bereavement . Perhaps it is always so for parents who
give the young advice and find that it is followed .
And who find that those who follow such advice must
inevitably journey far from those who give it , to distant
lonely worlds which are forever unknowable to those
who wait behind . Yet perhaps those who go find in the
regions to which they travel but another kind of
inarticulate loneliness . Perhaps the dentist feels
mute anguish as he circles his chair , and the lawyer
who lives in a world of words finds little relationship
between professional talk and what he would hope
to be true expression . Perhaps he too in his quiet
heart sings something akin to Gaelic songs, sings in an
old archaic language private words that reach to no
one . And perhaps both lawyer and dentist journey
down into an Africa as deep and dark and distant as
ours .
I can but vaguely imagine what I will never know . "
上に引用したのはアリステア・マクラウドさん ( 1936 - 2014 )
の短編小説 ” The Closing Down of Summer ” ( 1976 ) の一節 。
どんな頭脳が書くんだろう 、こんな難解な文章 。
先だって引用した中野恵津子さん( 1944 - 2013 ) の完成度の高い
「 日本語訳 」の「 英語原文 」です 。
どんな頭脳が訳すんだろう 、こんな難解な文章を平易で達意の日本語に 。
#アリステア・マクラウド # 中野恵津子訳 #灰色の輝ける贈り物 #新潮社
#AlistairMacLeod #TheClosingDownofSummer
今日の「お気に入り」。
「 われわれの息子たちは大学へ行って、歯科医や弁護士になり、三十になる前に高い報酬を得るようになる
だろう。背丈は百八十センチを越え、他人の口のなかで一応やれることはやろうとぽっちゃりした指を動か
しているといった男になるだろう。あるいは、机の前に坐って、離婚や窃盗や暴行や殺人などに関する書類
をめくっている男に。他人の痛みや悲しみ、人生を失敗した人々の孤独感によって成功する男に。彼らは肉
体を使う生活とはほど遠いところにいる。体を動かしたいと思えば、ジョギングやゴルフをしたり、仲のい
い同僚とハンドボールの試合を楽しむ。汗を流す楽しみのために高い金を払って会員専用のクラブに入り、
愛する者たちから何千キロも離れた土地で落石や流水のために死ぬこともない。彼らは決してそんなふうに
は死なない。なぜなら、われわれが彼らにそうしてはいけないと言い、もっと穏やかに死ねるような人生を
送るように奨励しているからだ。少なくとも、それが一つの理由だ。そしてどうやら、息子たちは親の人生
にならうのではなく、親の忠告に従うらしい。だから、われわれは将来、苦悩に満ちた孤独感と、子供と死
に別れたような皮肉な気持ちを募らせることになるだろう。親が子供に忠告を与え、子供がそれに従うとき
には、そういうものなのかもしれない。そして親は、子供が自分の忠告に従えば、必然的に自分のもとを去
り、残って待つ身にとっては理解しがたい世界へ旅立つものだということに気がつく。しかし旅立った者も、
新しい土地で言葉にならない別の孤独感を見出すのかもしれない。歯医者は回転椅子に坐りながら何とも言
いがたい苦痛を感じ、言葉の世界に住む弁護士は、職業的会話のなかに人間らしい関係を見出せず、ほんと
うの気持ちを表現したいと思ってもそれができないのかもしれない。彼もまた、心のなかで、ゲール語の歌
に似た自分だけの歌を歌っているのかもしれない。誰にも真意の届かない、古い言語で個人的な歌を歌って
いるのかもしれない。そして弁護士にしろ歯医者にしろ、われわれと同じように、彼らなりの深く暗いアフ
リカへ入っていくのかもしれない。それは私には決してわからないことであり、漠然と想像するしかない。 」
( アリステア・マクラウド著 中野恵津子訳 「灰色の輝ける贈り物」 新潮社刊 所収 )
上に引用したのは短編小説” The Closing Down of Summer ” (1976) の一節。
#アリステア・マクラウド # 中野恵津子訳 #灰色の輝ける贈り物 #新潮社
#AlistairMacLeod #TheClosingDownofSummer