「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

塞翁が馬 Long Good-bye 2022・02・28

2022-02-28 06:06:00 | Weblog
  今日の「 お気に入り 」は 、インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」に
  掲載されている故事「 塞翁が馬 」についての解説記事 、二つ 。

  引用はじめ 。

  一つ目の記事:

  「 由来
    劉安『淮南子・人閒訓』の以下の文より 。

   ( 白文 )
    近塞上之人有善術者 、馬無故亡而入胡 。人皆吊之 。其父曰「 此何遽不為福乎 」居數月 、
    其馬將胡駿馬而歸 。人皆賀之 。其父曰「 此何遽不能為禍乎 」家富良馬 、其子好騎 、
    墮而折其髀 。人皆吊之 。其父曰「 此何遽不為福乎 」居一年 、胡人大入塞 、丁壯者
    引弦而戰 、近塞之人 、死者十九 、此獨以跛之故 、父子相保 。故福之為禍 、禍之為福 、
    化不可極 、深不可測也 。
   ( 抄訳 )
    国境の砦の近くに馬の調教に長ける老人( 塞翁 )がいた 、飼っている馬が胡人
    ( 国境外の異民族 )の土地に逃げ 、近所の人々は同情したが 、塞翁は「 どうして
    これが良いことにならないだろうか 」と言った 。数ヶ月してその馬が 、胡人の駿馬
    を連れて帰ってきた 。近所の人々は祝福したが 、塞翁は「 どうしてこれが不運になら
    ないだろうか 」と言った 。息子がその馬に乗り足の骨を折る大怪我をした 。近所の
    人々は同情したが 、塞翁は「 どうしてこれが良いことにならないだろうか 」と言った 。
    一年して胡人が国境を越えて攻め入ってきた 。国境の働き盛りのものは戦争に駆り
    出され 、十人のうち9人の者が戦死した 。塞翁の子は戦争に駆り出されず命を永らえ
    た 。

    類義句
     禍福は糾える縄の如し 」

  二つ目の記事:

  「 塞翁が馬

    国境の近くにあった塞( とりで )の近くに住んでいた翁( 老人 )は、何よりも自分の馬を
    かわいがっていた 。その馬は 、周りからも評判が立つほどの駿馬だったが 、ある日突然 、
    蜂に刺された拍子に飛び出してしまう 。一向に帰ってこない馬の様子に 、周りからは翁に
    同情するほどだったが 、翁は「 これがきっかけで何かいいことが起こるかも知れない 」と
    だけ言って 、我慢強く待ち続けた 。すると 、どうだろうか 。しばらくして 、その馬が別の
    白い馬を連れ帰ってきたのだ 。しかも 、その白馬も負けず劣らずの優駿で 、周りの者は
    口々に何と幸運なことかと囃し立てたが 、翁は「 これがきっかけで 、別の悪いことが起こ
    るかもしれない 」と自分を戒め 、決して喜ばなかった 。

    それから 、かわいがっていた息子がその白馬から落ちて 、片足を挫いてしまった 。周りは
    また同じように慰めの言葉を掛けたが 、翁はまた同様に「 いいことの前兆かも知れない 」
    と告げる 。それからしばらくして 、隣国との戦争が勃発した 。若い男は皆 、戦争に駆り
    出されて戦死した 。しかし息子は怪我していたため 、徴兵されず命拾いした 。そして 、
    戦争も終わり 、翁は息子たちと一緒に末永く幸せに暮らしたという 。

    このことから 、人間 、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり 、だから 、
    あまり不幸にくよくよするな 、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉
    になり 、人間万事塞翁が馬などと使われる 。 」

   引用終わり 。









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VARYAG 良い子の前で切れて見せ Long Good-bye 2022・02・26

2022-02-26 05:15:00 | Weblog

  今日の「 お気に入り 」は 、インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」に
  掲載されている「 ウクライナ 」についての解説記事。
  チェルノブイリ原発が首都キエフの北110キロに位置することを改めて認識 。
  今のG7諸国だったら地元住民が建設を許さないほどの近場 。大阪からなら四国の徳島あたり 。
  都庁のある東京新宿から 、水戸 、宇都宮 、前橋 、甲府 が約100キロさきの距離 。
  ソ連が遺した永遠の負の「 世界遺産 」、「 チェルノブイリ原発 」 。
  団塊世代が中学「 地理 」で学んだことは 、ソ連のウクライナ地方は 「 世界の穀倉 」。
  冬は凍れる大地だが 、もうすぐ春でぬかるむ季節 、農民は種を蒔く 、その前に行動 。

  引用はじめ 。

  「 ウクライ ナ( ウクライナ語: Україна )は 、東ヨーロッパにある国である 。
   北はベラルーシ 、東はロシア 、西はポーランド 、スロバキア 、ハンガリー 、
   南はルーマニア 、モルドバと国境を接し 、アゾフ海 、黒海に沿った海岸線を持って
   いる
。面積は603,628 km2 ( 233,062 sq mi ) 、人口は4130万人で 、ヨーロッパで
   8番目に人口の多い国でもある 。首都はキエフ 。

   ウクライナには紀元前3万2千年から人が住んでいた 。中世には東スラブ文化の
   中心地であり 、キエフ大公国という強力な国家がウクライナのアイデンティティ
   の基礎を形成した 。しかし 、13世紀以降 、モンゴル帝国の侵攻により領土が
   破壊され 、ポーランド・リトアニア共和国 、オーストリア゠ハンガリー帝国 、
   オスマン帝国 、ロシア・ツァーリ国など 、さまざまな国によって支配され 、
   分割された 。17世紀から18世紀にかけてコサック・ヘーチマン国家が誕生し 、
   繁栄したが 、その領土は最終的にポーランドとロシア帝国の間で分割された 。
   ロシア革命後 、ウクライナの民族自決運動が起こり 、1917年6月23日 、国際的
   に認められたウクライナ人民共和国が宣言された 。
第二次世界大戦後 、
   ウクライナ西部はウクライナ・ソビエト社会主義共和国に合併され 、
   国全体がソビエト連邦の一部となった 。その後ソビエト連邦の崩壊に伴い 、
   1991年にウクライナは独立を果たした 。


   独立後 、ウクライナは 中立国を宣言し 、ロシアや他のCIS諸国と限定的な
   軍事提携を結びつつ 、1994年にはNATOとも提携を結んでいる 。2013年 、
   ヤヌコビッチ政権がウクライナ・EU連合協定の停止とロシアとの経済関係の
   緊密化を決定した後 、ユーロマイダンと呼ばれる数か月にわたるデモや
   抗議運動が始まり 、後に尊厳革命に発展し 、ヤヌコビッチの打倒と新政府
   の樹立につながった 。これらの出来事が 、2014年3月のロシアによる
   クリミアの併合 、2014年4月のドンバス戦争の背景となった 。2016年1月1日 、
   ウクライナは欧州連合との深層・包括的自由貿易圏の経済コンポーネントを
   申請した 。

   ウクライナは 、人間開発指数で74位の発展途上国である 。ヨーロッパで
   2番目に貧しい国であり 、非常に高い貧困率と深刻な汚職に悩まされて
   いる
一方 、肥沃な農地が広がっているため 、ウクライナは世界有数の
   穀物輸出国である 。また 、ロシア、フランスに次いでヨーロッパで3番目
   に大きな軍隊を保有している
。国連 、欧州評議会 、OSCE 、GUAM 、
   ルブリントライアングルに加盟しており 、CISの創設国の一つであるが 、
   CISに加盟することはなかった 。

   2021年3月からロシアとの間で危機が高まり 、2022年2月24日にロシアの
   ウクライナ侵攻が開始された 。 」

   引用おわり

   この短い記事に書かれていることを読んだだけでも 、お露西亜国のあのプー
   チンさんが 、放っとく訳がないのが何となくわかります 。
   豊富な経験を基に 、国際情勢の分析と周到な準備と机上演習をし尽くした上
   で 、好機到来 とばかりに作戦行動に及んだことが窺い知れます 。
   コロナでおおわらわのよその国は 、完全に足許を見られて手も足も出せません 。
   経済制裁してもへこたれない国は世界に数多あり 。
   お隣りの国が後に続くのは時間の問題でしょうか 。
   プーチンさん ( 1952年10月7日生まれ ) 69歳 、習さん ( 1953年6月15日生まれ ) 68歳 。
   お二人とも 、心の欲するところに従って 、矩を踰えていくんでしょうか 、難兄難弟 。
   
   「論語‐為政」には「七十而従心所欲不踰矩」とあるけれど 、是非もなし 。

   そう言えば 、中国の空母「 遼寧 」は 、中国が1998年にウクライナから
   購入した未完成の空母「ヴァリャーグ」を、4年の歳月をかけ、2002年
   大連港へ運び入れ 、造ったお船でしたね。20年も前の話

   時代は回る 、塞翁が馬 。

   「 ヴァリャーグ 」は「 東スラヴ人による呼称でゲルマン人の一派を指す 。
   一般的には、スウェーデン・ヴァイキングの事であると現代では解釈されて
   いる。ロシアでは15世紀までスウェーデン人をヴァリャーグと呼んでいた。」
   とか 。

   また 、「 ロシア海軍(帝政期・ソ連時代含む)の複数の艦船がこの名を
   名乗っている (Russian ship Varyag) 。
   ・ ヴァリャーグ ( 防護巡洋艦 ) - ロシア帝国海軍 。日露戦争後 、日本海軍の
    『 宗谷 』となり 、第一次世界大戦時にロシアに返還 。
   ・ ヴァリャーグ ( 空母 ) - ソ連が起工 、ソ連崩壊後はウクライナ海軍が所有
    した未完成艦 。中国が購入・完成し 、空母『 遼寧 』となる

   ・ ヴァリャーク ( ミサイル巡洋艦・2代 ) - ソ連海軍→ロシア海軍 。建造当初
    は『 チェルヴォナ・ウクライナ 』であったが1996年に改名 。 」とも 。

   プーチンさんは 、ソ連時代の版図 ( はんと ) を取り戻したいの一心なんだな 、納得 。
   ウクライナにソ連時代の「 衛星国 」になることを求めている 、それに尽きる 。
  「 世界の穀倉 」は食糧安全保障の要 、自国民のみならず 、近隣諸国を付き随えさせるための必須アイテム 。
   これに対するには西側諸国は 、覚悟を決めるしかありません 。
   それにつけても 、それいけどんどんの 、目的が手段を正当化する、ゴリ押しの帝国主義 、権威主義 、
  覇権主義国家 、なんともえげつない ・・・ が 、確信犯 。
  「 おれの / わたしの もの を取り戻す 」の どこが悪い 、と 。 
  








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BEN-HUR ベン・ハー Long Good-bye 2022・02・24

2022-02-24 09:22:00 | Weblog


   先日 、衛星放送で1959年制作のアメリカ映画 " Ben - Hur " (「 ベン・ハー 」)
   を久しぶりに視聴しました 。上映の途中で " Intermission " が入る超大作 。1959年
   と言えば昭和34年 、日本での公開は翌年1960年 ( 昭和35年 ) の4月 、筆者が
   テアトル東京でこの映画を見たのは 、中学1年生のとき 。

   インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」には 、次のような解説記事が
   掲載されています 。

   「 『ベン・ハー』( Ben-Hur )は 、1959年のアメリカ合衆国の叙事詩的映画 。
    ルー・ウォーレスによる小説『 ベン・ハー 』の3度目の映画化作品である 。
    ウィリアム・ワイラー監督 。チャールトン・ヘストン主演 。同年アカデミー
    賞で作品賞・監督賞・主演男優賞・助演男優賞をはじめ11部門のオスカーを
    受賞 。この記録は史上最多記録でその後長く続き、『 タイタニック 』( 1997年 )、
    『 ロード・オブ・ザ・リング / 王の帰還 』( 2003年 )がようやく同じ11部門
    受賞で並んだが 、現在もアカデミー賞の史上最多受賞作品の一つである 。 」

   「 日本初公開

     1960年4月1日から東京はテアトル東京 、4月15日から大阪は南街劇場でロード
     ショー公開され 、他都市も東宝洋画系で公開された 。
     テアトル東京では翌年61年7月13日まで469日間に渡って上映され 、総入場者数
     95万4318人 、1館の興行収入3億1673万円を記録した 。全国各地の上映の後に 、
     配給収入は最終的に15億3000万円となった 。

     日本での一般公開は1960年4月1日だが 、これに先立ち同年3月30日にはテアトル
     東京でチャリティ上映が行われた 。このとき昭和天皇・香淳皇后が招かれ 、
     日本映画史上初の天覧上映となった 。ヘストン夫妻もこの場に立ち会っている 。 」
   
  今日の「お気に入り」、1959年制作のアメリカ映画 " Ben - Hur " (「 ベン・ハー 」)。

  チャールトン・ヘストンさんは 、1956年制作のアメリカ映画 " The Ten commandments "
  ( 「 十戒 」 ) の中ではモーゼの役を 、また 1965年制作のアメリカ映画 " The Greatest
  Story Ever Told " (「 偉大な生涯の物語 」) の中では 、洗礼者ヨハネの役を演じてました 。
  映画で 、Bible のお勉強 。
  この2作では 、ユル・ブリンナーさん演じるエジプトのファラオやマックス・フォン・シドー
  さん演じるイエスの印象が強く 、ヘストンさんが演じたキャラクターは余り記憶に残って
  いません 。
  がっしりした体格で 、役柄にぴったりの 、型にはまってはいるものの 、自然な演技だったせい
  かも知れません 。ちょうど歌舞伎役者が明治天皇を演じるときみたいな 。
  



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富士の嶺遠く仰ぎつつ Long Good-bye 2022・02・20

2022-02-20 05:29:00 | Weblog

   今日の「お気に入り」は 、筆者が昭和30年代 ( 1955 - 1964 年 ) 半ばの小学5
   ~6年生の頃に覚え 、60年後の今でも口ずさめる歌 、ただし 一番だけ 。

   学級担任だった栗山博先生が作詞された校歌です 。
   曲を作られた井上武士さんは高名な作曲家 。数多くの学校の校歌を作曲されています 。
   校歌と言えば卒業式や入学式 、今年ももうすぐその季節 。
   今の5年生 、6年生も校歌歌うんかな ? コロナでオンラインか ?

   明治23年( 1890 年 ) 10月に「 滝野川尋常高等小学校 」として開校式が行われ
   スタートした「 滝野川小学校 」は 、筆者が通っていた昭和34年 ( 1959 年 ) 頃に
   創立70周年を迎えていました 。現在の校歌の制定は昭和28年 ( 1953 年 ) だった
   とか 。そう言えば 、お隣の国の習近平さんは昭和28年のお生まれ 。

     
   「 東京都北区立滝野川小学校  校歌
             作詞 栗山 博 作曲 井上 武士

    1 富士の嶺遠く 仰ぎつつ
     みどりの丘に 築きたる
     古き歴史の 幾十年
     輝く光 みなぎりて
     わが 滝野川小学校
 ♬

    2 正義と真理 めざしつつ
     幼きいのち 満ちみちて
     雄々しき日々の 歩みこそ
     遥かの空に とどろかん
     ああ 滝野川小学校

    3 香りも高き 武蔵野の
     野に広がりて 育ちゆく
     心の園に 愛と知の
     永久に流れて ゆたかなれ
     ああ 滝野川小学校         」

    ついでながら 、筆者が通った東京都北区立飛鳥中学校の校歌も 、備忘のため 。
    作詞・作曲とも高名な方々のよう 。
    昭和22年 ( 1947年 ) 4月の創立 。筆者と同い年 。
    卒業生には 、俳優の江口洋介さんがいらっしゃるとか 。
    校門前にはかつて渋沢栄一邸があったとか 、なかったとか 。
    ご近所には 、造幣局 ( 国立印刷局 東京工場 ) もあり 、目下 「 新一万円札 」を印刷中かと 。
    とっくに刷り終わってるかな ?
    「 福沢さん 」のように 、どこかの国に「 渋沢さん 」が真似されないように祈ります 。



    「 北区立飛鳥中学校 校歌
          作詞 土岐善麿 作曲 信時潔

      一
      東に希望の空輝き
      平和の富士西に高し
      その雲につばさはかけり
      その峰に心はかよう
      広き世界に向いて開く
      われらの窓よ飛鳥中学校
(^^♪

      二
      桜は歴史と文化に照り
      紅葉は映ゆ丘に谷に
      その陰に明るく集い
      その色に楽しくきそう
      若き力を合わせて励む
      われらの友よ飛鳥中学校

      三
      鳳凰栄えある校旗のもと
      わき立つ意気国も新た
      その肩を並べて進み
      その胸を寄せては語る
      今ぞ社会の行方を前に
      われらの幸よ飛鳥中学校   」

 ( 筆者註 :インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」には井上武士さん ( 1894 - 1974 )
       の経歴 、事績が次のように解説されています 。お馴染みの童謡 、唱歌も数多あります 。

       引用はじめ 。

    「 井上 武士( いのうえ たけし 、1894年8月6日 - 1974年11月8日 )は 、
     日本の作曲家 。東京音楽大学教授 。群馬県勢多郡芳賀村( 現在の前橋
     市 )出身 。

     経 歴
     代表作は「 チューリップ 」「 海 」。
     日本音楽史上に残る数々の唱歌・童謡の作品を遺し た。
     上記2曲は日本の歌百選に選ばれている 。
     芳賀小学校から群馬県師範学校( 現在の群馬大学教育学部 )に進学 。
     その後東京音楽学校( 現在の東京芸術大学 )に進学し 、音楽を学ぶ 。

     台湾総督府付属女学校教諭として台湾に赴任。帰国後洗足音楽短期大学
     などで教鞭をとった 。のち東京音楽大学教授に就任 。日本教育音楽協会
     会長・同声会会長などの要職を歴任 。各地の学校の校歌作曲にも多く携
     わった 。
     戦後は 、新宿区戸山町の戸山ハイツに居住 。活動の傍ら地元の東戸山
     小学校PTAコーラスの指導も行っていた 。

     死後の1975年 、生前の業績をたたえて 、母校の群馬大学に群馬大学
     教育学部同窓会と群馬県音楽教育協会によって石碑が建立された 。
     レリーフ作成は磯部勘次 。

     主な作品
     「こいのぼり」(作詞:近藤宮子[要出典])
     「お月さま」
     「汽車ポッポ」(戦時童謡「兵隊さんの汽車」改詩)
     「うみ」(作詞:林柳波)
     「うぐいす」(作詞:林柳波)
     「チューリップ」(作詞:近藤宮子)
     「ゆきだるま」(作詞:宮中雲子)
     「菊の花」(作詞:小林愛雄)
     「母の唄」(作詞:浜田広介)
     「雨に濡れて」(作詞:井上武士・編曲:中田章)
     「餅つき」(作詞者不詳)
     「白虎隊」(作詞:石森延男)
     「小楠公の母」(作詞者不詳)
     「ポプラ」
     「春」
     「少女の歌」
     「麦刈」(作詞:白鳥省吾)
     「兄弟雀」
     「山椿」
     「朝風」
     「落成式の歌」(作詞:水島藤吉)

     校歌を作成した学校

     八戸市立白鴎小学校
     秋田市立山王中学校
     秋田県立秋田中央高等学校
     酒田市立第一中学校
     群馬県立館林中学校(現:群馬県立館林高等学校)
     群馬県立盲唖学校
     前橋市立宮城中学校
     前橋市立宮城小学校
     前橋市立芳賀小学校
     高崎市立寺尾小学校
     前橋市立細井小学校
     万場町立万場小学校
     前橋市立元総社中学校
     前橋市立富士見中学校
     前橋市立敷島小学校
     前橋市立駒形小学校
     渋川市立北小学校
     高崎市立倉賀野小学校
     桐生市立桜木小学校
     館林市立第一中学校
     桐生市立新里中学校
     太田市立強戸小学校
     群馬県立太田工業高等学校
     邑楽町立長柄小学校
     日高市立高麗川小学校
     千葉市立園生小学校
     千葉市立誉田中学校
     東京都立城北高等学校
     東京都立日野高等学校
     新宿区立天神小学校
     新宿区立東戸山小学校
     江戸川区立第二葛西小学校
     江東区立平久小学校
     新宿区立天神小学校
     世田谷区立駒沢小学校
     北区立滝野川小学校
     西東京市立青嵐中学校
     横浜市立子安小学校
     横浜市立戸塚小学校
     横浜市立根岸小学校
     横浜市立青木小学校
     横浜市立桜岡小学校
     横浜市立山下小学校
     横浜市立希望ヶ丘小学校
     川崎市立臨港中学校
     藤沢市立明治小学校
     厚木市立北小学校
     東大阪市立柏田小学校
     長野県松本工業高等学校
     長野県茅野高等学校
     長野県木曽高等学校
     長野県岡谷南高等学校
     私立長野俊英高校(旧篠ノ井旭高校)
     安曇野市立明科中学校
     軽井沢町立軽井沢中学校
     長野市立鬼無里小学校
     長野市立山王小学校
     長野市立下氷鉋小学校
     長野市立吉田小学校
     長野市立通明小学校
     長野市立浅川小学校
     飯山市立木島小学校
     下條村立下條中学校
     明石市立錦城中学校 」

   引用おわり 。)



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OUTBREAK バイオハザード Long Good-bye 2022・02・19

2022-02-19 05:59:00 | Weblog

  先日 、衛星放送で1995年制作のアメリカ映画 " OUTBREAK " (「 アウトブレイク 」)
  を久しぶりに視聴しました 。
  ダスティン・ホフマン、レネ・ルッソ、モーガンフリーマン 、
  ケヴィン・スペイシー 、ドナルド・サザーランドなど懐かしい顔触れ 。
  モターバ・ウィルスというエボラ出血熱に似た症状を引き起こす架空のウィルス
  の見えざる脅威を描き 、四半世紀前の作品乍ら、現実みあり 。

  今日の「 お気に入り 」は 、ノンフィクション作家 ビル・ブライソンさん の
  著書 " The Body ― A Guide for Occupants " からの 抜き書き 。

  ” Whether or not a disease becomes epidemic is dependent on
   four factors : how lethal it is, how good it is at finding new victims,
   how easy or difficult it is to contain, and how susceptible it is to
   vaccines
. Most really scary diseases are not actually very good
   at all four ; in fact, the qualities that make them scary often render
   them ineffective at spreading. Ebola, for instance, is so terrifying
   that people in the area of infection flee before it, doing everything
   in their powers to escape exposure. In addition, it incapacitates
   its victims swiftly, so mostly are removed from circulation before
   they can spread the disease widely anyway. Ebola is almost
   ludicrously infectious ― a single droplet of blood no bigger than
   this o may contain a hundred million Ebola particles, every
   one of them as lethal as a hand grenade ― but it is held back by
   its clumsiness at spreading.
    A successful virus is one that doesn't kill too well and can circulate
   widely. That’s what makes flu such a perennial threat. A typical flu
   renders its victims infectious for about a day before they get
   symptoms and for about a week after they recover, which turns
   every victim into a vector. The great Spanish flu of 1918 racked
   up a global death toll of tens of millions ― some estimates put it
   as high as a hundred million ― not by being especially lethal but
   by being persistent and highly transmissible. It killed only about 2.5
   percent of victims, it is thought. Ebola would be more effective ―
   and in the long run more dangerous ― if it mutated a milder version
   that didn't strike such panic into communities and made it easier for
   victims to mingle with unsuspecting others.
    That is, of course, no grounds for complacency. Ebola was only
   formally identified in the 1970's, and until recently all its outbreaks
   were isolated and shortlived, but in 2013 it spread to three countries
   ― Guinea, Liberia, and Sierra Leone ― where it infected twenty-eight
   thousand people and killed eleven thousand. That's a big outbreak.
   On several occasions, thanks to air travel, it escaped to other countries,
   though fortunately in each instance it was contained. We may not always
   be so lucky. Hypervigilance makes it less likely diseases will spread, but
   it's no guarantee that they won't.
    It's remarkable that bad things don't happen more often. According to
   one estimate reported by Ed Yong in The Atlantic, the number of viruses in
   birds and mammals that have the potential to leap the species barrier and
   infect us may be as high as 800,000. That is a lot of potential danger
.


     ( 出典 :Bill Bryson 著 " The Body ― A Guide for Occupants " .
        Knopf Doubleday Publishing Group. 刊 )


 上掲の英語の文章は 、翻訳本の中で 、次のように 日本語訳されています 。

   「 病気が流行するかどうかは 、四つの要因によって決まる 。
    『 致死率の高さ 』『 感染力の強さ 』『 封じ込めのしにくさ 』
    『 そしてワクチンの効きにくさ 』だ
。ひどく恐ろしい病気だから
    といって 、四つすべてに長けているとはかぎらない 。実は 、その
    恐ろしい性質のせいで拡散の効率が悪くなることが多い 。たとえば
    エボラはあまりにも怖いので 、感染地域の住民は病気になる前に逃
    げ 、ウィルスにさらされないよう全力を尽くす 。しかも 、エボラは
    患者を瞬く間に無力にするので 、どちらにしてもほとんどの患者は
    病気を広める以前に 、ウィルスの循環から除外される 。エボラは
    あきれるほど感染力が強い ― この " o " という文字ほどの大きさ
    しかない一滴の血液に一億個のエボラウィルスが含まれ 、そのひと
    つひとつが手榴弾と同じくらい致命的だ ― が 、拡散が下手なので
    制御されている 。
     成功するウィルスとは 、あまり感染者を死なせずに 、広く循環
    できるウィルスだ 。だからこそ 、インフルエンザは年間を通して
    あれほどの脅威になる 。典型的なインフルエンザは 、症状が出る
    約一日前から回復後一週間ほど患者に感染性を持たせるので 、あら
    ゆる患者を媒介者にしてしまう 。1918年のスペイン風邪の大流
    行で 、全世界の死亡者数が数千万人に達した ― いくつかの推定では 、
    一億人とも言われる ― のは 、特に死亡率が高かったせいではなく 、
    持続性があり 、きわめて感染しやすかったせいだ 。死亡したのは患
    者の約二・五パーセントのみだったと考えられている 。エボラも 、
    もっと効率的になり 、長期的にはもっと危険になるかもしれない 。
    とはいえそれは 、もし軽症型に変異して共同体にそれほどパニック
    を起こさず 、患者が何も知らない人たちと接触するのが容易になれ
    ばの話だ 。
     もちろん、だからといって安心はできない 。エボラは1970年
    代に公式に確認され 、最近まで集団発生はすべて 、隔絶した場所で
    短期間起こるだけだった 。しかし2013年 、それはギニア 、リベ
    リア 、シェラレオネの三カ国に広がり 、二万八千人が感染して 、一
    万一千人が死亡した 。たいへんな集団発生だ 。飛行機旅行のせいで 、
    何度か他国へ飛び火したこともあったが 、幸いどの場合も封じ込め
    られた 。常に幸運が続くとはかぎらない 。極度に高い毒性のせいで
    病気は広がりにくいが 、広がらないという保証があるわけではない 。
     もっとひどいことがもっと頻繁に起こらないのが不思議に思えて
    くる 。エド・ヨンが《 アトランティック 》誌に報告した推定によ
    ると 、 種の壁を飛び越えてヒトに感染する可能性がある鳥類と哺
    乳類のウィルスは 、八十万種類にものぼると考えられる 。潜在的
    な危険性は 、それほど多いのだ 。

   
  ( 出典 : ビル・ブライソン著 桐谷知未訳 「 人体大全 ― なぜ生まれ 、
       死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか ― 」新潮社 刊 ) 

   原書および翻訳本からの引用はここまで 。

   人類にとって 、生き残りをかけた長い戦いになりそーで 、勝ち目もなさそーだけど
   ウイルス以外の 、もっとほかのことで滅亡しそーではある 。




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右や左の旦那さま Long Good-bye 2022・02・18

2022-02-18 04:15:00 | Weblog

   今日の「お気に入り」は 、池上彰・ 佐藤優共著「 真説 日本左翼史 戦後左派の源流
  1945-1960」. からの抜き書き 。

   「 佐藤 ・・・『 週刊 新潮 』の2020年新年号の企画で読売新聞社の渡邉恒雄主筆
        と対談した際に面白い話を聞きました 。
        よく知られているように 、渡邉氏は若い頃 、東京帝大文学部哲学科の学生
        だった時に陸軍二等兵として徴兵され 、敗戦後は共産党に入党して東大学
        生細胞( 支部 )のメンバーとして活動していた人です 。私との対談でも
        当然その話題になったのですが 、そのとき渡邉さんは 、自分が共産党を
        離れなければいけなくなった理由として『 倫理の欠如 』を挙げていました 。

       〈 渡邉 戦争が終わって 、昭和20年末に共産党本部に入党届を持って行った 。
           そうしたら地下にあったビラに『 党員は軍隊的鉄の規律を厳守せよ 』と
           書いてあった 。
           何だこれ 、ここも軍隊じゃないかと思ったね 。入党届を出してしまっ
           たからすぐ には脱党できない 。だから一年半くらい党にいて 、共産党
           東大細胞の中で『 主体性運動 』を起こした 。 マルクスやレーニンの本
           のどこを読んでも、人格的価値 、道徳的価値が出てこない 。マルクス・
           レーニン主義には 、倫理的価値が位置づけされていないんだよ 。それは
           おかしいんじゃないか 、ということだね 。〉
          〈 僕は片足は共産党にかけながら 、もう片足はカントなんだ 。共産党東大
           細胞による『 東大新人会 』を作って 、社会主義学生運動の中にカント的
           人格主義を持ちこんだ 。当時 、フォアレンダーというドイツの哲学者の
           『 カントとマルクス 』という本が出て 、それを読みふけった 。やっぱり
           同じ疑問を持っている人がいるもんだと思ったね 。
           でもカントとマルクスの融合は無理なんだよ 。だからやっぱり共産党を
           出なきゃダメだと思った 。まあ一年ほど 、そういうことを書きまくって
           活動したから 、除名だよ 。共産党東大細胞は解散させられ 、僕は本富士
           警察署のスパイということにされてしまった 。〉

 
         渡邉さんは『 カントとマルクスの融合は無理 』と言っていましたが 、カント
        の認識論や倫理学によって 、マルクス主義を補完しようとする新カント派マル
        クス主義の一派も存在します 。ただ若い頃の渡邉さんが気づいた『 マルクス
        主義が人格的価値を重視していない 』というのはさすがに鋭い指摘で 、だか
        らこそ共産党や後に述べることになる新左翼は往々にして『 目的が手段を浄
        化する 』という発想にとらわれ 、暴発してきました


    池上   軍事教練で上官から意味もなく殴られる軍隊での生活にうんざりして共産党に
       入ったのに 、入党してすぐ『 党員は軍隊的鉄の規律を厳守せよ 』というビラを
       見せられた時点で相当に幻滅もしていたのですね 。            」

  ( 出典 : 池上彰・佐藤優共著.「 真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960 」講談社刊 )

   
   二月もはや半ばすぎ 、庭の河津桜がほころび始めた今日この頃 。
   いきはよいよい 、かえりがこわい 、こわいながらも 、命は惜しい 、
    ・・・ ワクチン接種にまいります (^^♪ 。
   
   


     
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若気の至り Long Good-bye 2022・02・17

2022-02-17 05:39:00 | Weblog


  今日の「お気に入り」は 、インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」に
 掲載されている 、日本の新聞記者、実業家である 渡邉恒雄( わたなべ  つねお 、
 1926年〈 大正15年 〉5月30日 - )さんの経歴記事のうち 、その「 生い立ち〜学生時代 」
 と「 政治記者時代 」 。
  難しい「 邉 」の字を書く渡邉さんの生年月日は 、1926年〈 大正15年 〉5月30日 。     0歳
  昭和の御代の生き証人 。 ( 昭和が平成に代わった1989年 、渡邉さん60ン歳 。)

  終戦の年 、昭和20年には 、御年 数えで20歳 。その年の4月から半年ほど、
  「 学徒出陣 」、近衛師団の「 陸軍二等兵 」として軍隊生活を経験されたよう 。
  短期間ではありますが 、新兵として 、入営されたのであれば、ビンタされることも
  そりゃあったでしょうね 、軍隊なら 、横並びのビンタは日常茶飯事 、かと ・・・「 殴られ損 」。
 「 ポツダム進級 」はあったのか、なかったのか 、・・・ 。
  戦後 、最左翼から最右翼まで幅広く経験を積まれたよう 、
  ・・・ 若気の至り

  「ナベツネ」の通称で知られ 、株式会社読売新聞グループ本社代表取締役主筆。
 勲等は旭日大綬章。株式会社読売新聞社社長、球団オーナー、株式会社読売ジャイアンツ
 取締役最高顧問、社団法人日本新聞協会会長などなど 、数多く歴任された方だそう。
  「 日本プロ野球界に関連する彼の伝説は数知れず 、自ら『 俺は最後の独裁者だ 』と語った
 とされ 、マスメディアにおいて『 球界の独裁者 』または単に『 独裁者 』と呼ばれているこ
 とについては、渡邉自身が認めている 。他に『 メディア界のドン 』『 政界フィクサー 』と
 も呼ばれる」方だとか 。

  引用はじめ 。

 「 生い立ち

   東京府豊多摩郡( 後の東京都杉並区 )出身 。父の名は平吉 、母の名は花 。
   五人姉弟の三番目で長男である 。

   1934年( 昭和9年 )、恒雄が8歳の時 、不動貯金銀行( 旧協和銀行の前身 、
   現:りそな銀行 )に勤めていた父・平吉が東京・杉並区の自宅玄関で突然
   吐血 、胃癌で1週間後に死去した 。当時47歳 。父が残した十一軒の貸家
   からの家賃収入で当面の生活費には困らなかったが 、稼ぎ手をなくした一
   家には将来の生活の不安が重くのしかかった 。母親の花は 、夫を失った
   打撃からなかなか立ち直れなかった 。

   戦前の家父長下では恒雄が全財産を相続し 、一家の柱として責任を負わね
   ばならなかった 。母・花はいつもこう言って恒雄を叱咤したという 。
    『 お前は総領だ 。総領というのは跡継ぎだ 。だからお前は勉強して偉く
   ならないかん 。成績も全甲( 全学科の成績が優秀であること )でないと 、
   援助してくれている目黒の伯父さん に報告できない 。』

  学生時代

   第一志望の府立高校尋常科( 現:都立桜修館中等教育学校 )、第二志望の
   武蔵高校尋常科( 現:私立武蔵高 )、第三志望の府立一中( 現在の都立
   日比谷高 )と 、続け様に受験に失敗し 、ようやく第四志望の開成中( 現:
   開成高 )にビリに近い成績ですべり込んだ 。同い年のいとこが府立一中に
   合格したこともあって母・花は『 あんなボロ中学に入って情けない 』と
   親類の前でオイオイ泣いたという 。

   1939年(昭和14年)4月、開成中学校に入学。同中学3年生の時 、哲学の     12歳
   道を志し 、日々哲学書ばかり読むようになる 。また反軍少年であり 、旧
   制高校の記念祭では上級生らと夕闇の中蜂起して 、軍国主義を吹聴する校
   長をはじめ教職員を襲撃して殴っている 。勤労動員された航空機の工場で
   は 、密かに不良品を作り 、抵抗した 。

   1943年( 昭和18年 )4月 、開成4年修了で旧制東京高等学校( 現:東京     17歳
   大学教養学部および東京大学教育学部附属中等教育学校高等部 )に入学 。     
   網野善彦 、氏家齊一郎が尋常科四年に進級した1943年(昭和18年)4月、
   一学年上の高等科に入ってきた 。氏家によると 、渡邉との出会いは6
   月頃 、東高の校庭であった 。以来 、2人は共に軽演劇場や純喫茶に繰り
   出す仲になった 。

   1945年( 昭和20年 )4月 、東京帝国大学文学部哲学科に入学 。大東亜     18歳
   戦争で徴兵され 、近衛師団に配属 。渡邊の回顧録によれば陸軍二等兵と
   しての軍隊生活で上官から暴行を受けたという。

   前述の学徒出陣時代に受けた暴行などから天皇制ファシズムに嫌悪して
   いた
そこで東京大学在学中の1945年12月 、反天皇制を掲げていた     19歳
   日本共産党に入党を申し込む 。日本青年共産同盟の同盟員としてビラ      
   貼りや演説会の勧誘など下積み活動を経験して 、1947年頃 、正式な党     21歳ころ
   員として認められる 。東大細胞( 共産党が地域・職場・学園などに設
   けた末端組織の旧称 、現在の「 支部 」)に所属し 、他大学でも演説を
   行い党員を増やした 。1947年9月 、カスリーン台風の被害に対する共産
   党の考えをきっかけに党の思想に疑問を抱き 、反マルクス主義の東大新
   人会運動の展開を開始 。1947年12月に自ら離党届を提出し党から除名     21歳ころころ
   処分を受け 、東大細胞も解散となった 。離党後の彼を 、しんぶん赤旗
   は「 戦後の一時期に入党した渡辺氏は 、青春を燃やした日々が懐かしい
   のか 、いまでも日本共産党に入っていたことをよく口にしている 」と評
   している 。氏家とともに母校である東京高等学校へオルグに行った際に 、
   インターハイを目指す後輩の野球部員達に対して「 野球なんてくだらない
   ものをする時ではない ! 」と共産党への入党を勧めた


   1950年( 昭和25年 )3月 、東京大学新聞研究所( 現:情報学環 )を修了 。」    23歳


 「 読売新聞社での歩み

  政治記者時代

   読売新聞社に次席で入社( その年の首席は 、後に作家となる三好徹 )。     23歳ころ?
   また 、東京新聞の採用試験にも合格している 。『 朝日新聞社に入社した
   かったが採用試験で不採用になった 』と週刊朝日のインタビューで答えて
   いる 。『 中央公論 』の入社試験も不合格となっており『 頭が良すぎて採
   用されなかった 』とは本人談である 。なお 、中央公論に関しては渡邉が
   読売新聞社長時代に買収している 。

   『 週刊読売 』( 後の『 読売ウイークリー 』)記者を経て 、政治部記者
   となる 。『 週刊読売 』の記者時代 、鳩山一郎が脳出血で倒れたときに 、
   鳩山邸( 現:鳩山会館 )で張り込みをしていた 。
   慌ただしい気配がしたため 、渡邉が屋敷の中を覗いたところ 、大きな犬
   を連れた秘書の石橋義夫に渡邉は追い出された 。その後 、屋敷を出てき
   た大野伴睦に『 誰が倒れたのですか 』と質問したが無視され 、次に現れ
   た政治評論家の岩淵辰雄にも『( 自分は )鳩山家の者ではない 』と言わ
   れ 、鳩山が倒れた確証を得られなかった 。結局 、デスクから『 死んだの
   でないのなら放っておけばいい 。そろそろ帰ってこい 』と指示されたと
   言う 。

   警視庁出身の社長正力松太郎の眼鏡にかなって 、自民党党人派の大物 、
   大野伴睦の番記者になった 。以後保守政界と強い繋がりを持つようにな
   り 、大野の事務所を行き交う札束攻勢を目の当たりにする 。

   渡邉に対する大野の信頼は篤く 、渡邉は大野の依頼を受けて自民党総裁
   や衆議院議長ポスト獲得交渉の代行 、自民党政治家のゴーストライター
   として 、週刊誌の論説の執筆まで引き受ける 。児玉誉士夫と懇意になり 、
   児玉の指令のもとに九頭竜ダム建設の補償問題や日韓国交正常化交渉の
   場でも暗躍したとされている 。

   また鳩山一郎の次の自民党総裁 、総理大臣を狙っていた正力松太郎が 、
   中曽根康弘を参謀格に自分の派閥を結成して総裁選出馬準備を進めてい
   た際 、正力から中曽根との連絡役を命じられて付き合いが始まり 、大野
   の死後は中曽根と親密になった 。

   中曽根とは1957年( 昭和32年 )の自民党総裁選の最中に出会った 。     31歳ころ?
   渡邉は 、初入閣を望む中曽根と副総裁の大野伴睦との仲を取り持った
   大野は造船疑獄の際に 、自らを追及した中曽根を快く思っていなかった
   が 、渡邉の執り成しによって態度を変え 、入閣を確約した 。1982年
   ( 昭和57年 )の自民党総裁選の時には 、渡邉は中曽根擁立のため 、
   田中角栄の秘書早坂茂三に引き合わせ働きかけた 。早坂と 、中曽根の
   秘書の小林克己は渡邉と同じ元日本共産党員だった 。1966年( 昭和41年 )
   の大手町にある国有地払い下げ問題でも 、大きな役割を果たしている 。

   なお 、政治記者としてよりは 、若いころからジャーナリストとして
   多くの著作で知られる存在だったが 、魚住昭は『 戦後に現れた組織
   ジャーナリスト
の中でも 、彼はテクニックにおいては最高の人でし
   ょう 』と評している 。 」

  ウィキペディアのよいしょ記事の引用はここまで 。


  ウィキペディアにはこんな記事もあります 。

  「 大東亜戦争(だいとうあせんそう)は 、1941年(昭和16年)12月から
   1945年(昭和20年)8月にかけて 、大日本帝国と中華民国・イギリス・
   アメリカ合衆国・ソビエト社会主義共和国連邦などの連合国との間
   で戦われた戦争である太平洋戦争に対する当時の日本側による呼称 。
   開戦直後の1941年(昭和16)12月12日当時の東條内閣が『 今次の対
   米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す 』としたことから
   生まれた 。

   『 大東亜戦争 』の目的は第2次近衛内閣以降日本が掲げた『 大東亜
   共栄圏 』建設にあるとされた 。
   しかし実際は ,東アジアにおける日本の軍事的 ,政治的 ,経済的
   支配の正当化を試みたものにほかならなかったといえる 。

   " 太平洋戦争 "という呼称がアメリカ側からみた呼称であるのに対し 、
   東アジアを主戦場とする日本の戦争目的により合致してはいるが 、
   この戦争を『 大東亜 』解放の『 聖戦 』であるとした当時の日本側の
   プロパガンダに基づいているため 、戦後はあまり使用されない 。
   一方で右派を中心に『 大東亜戦争 』という呼称を意図的に用いる
   こともあり 、呼称とその是非については議論がなされている 。」 

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QUIESCENCE 悪い〇〇ほどよく眠る Long Good-bye 2022・02・05

2022-02-05 05:55:00 | Weblog

  今日の「 お気に入り 」は 、ノンフィクション作家 ビル・ブライソンさん の

  著書 " The Body ― A Guide for Occupants " からの 抜き書き 。

   ” All animals seem to sleep. Even quite simple creatures like nematodes
    and fruit flies have periods of quiescence. The amount of sleep needed
    varies markedly among animals. Elephants and horses get by on just
    two or three hours a night.
Why they need so little is unknown. Most
    other mammals require a great deal more. The animal that used to be
    thought the mammalian sleep champion, the three-toed sloth, is
    still often said to sleep for up to twenty hours a day, but that number
    came from studying captive sloths, who have no predators and not a
    lot to do. Wild sloths slumber for more like ten hours a day ー not a
    huge amount more than we do. Extraordinarily, some birds and marine
    mammals are able to switch off one half of their brain at a time, so that
    one half remains alert while the other is snoozing
. ”

   ” In 1999, after ten years of careful work, a researcher at Imperial College
    in London named Russell Foster proved something that seemed so
    unlikely that most people refused to believe it. Foster found that our
    eyes contain a third photoreceptor cell type in addition to the well-known
    rods and cones. These additional receptors, known as photosensitive
    retinal ganglion cells, have nothing to do with vision but exist simply
    to detect brightness — to know when it is daytime and when night. They
    pass this information on to two tiny bundles of neurons within the brain,
    roughly the size of a pinhead, embedded in the hypothalamus and known
    as suprachiasmatic nuclei. These two bundles ( one in each hemisphere )
    control our circadian rhythms. They are the body's alarm clocks. They tell
    us when to rise and shine and when to call it a day.


   ” Since Foster's discovery, scientists have found that we have body clocks
    not just in the brain but all over ― in our pancreas, liver, heart, kidneys,
    fatty tissue, muscle, virtually everywhere ― and these operate to their
    own timetables, dictating when hormones are released or organs are
    busiest or most relaxed. Your reflexes, for instance, are at the sharpest
    in mid-afternoon, while blood pressure peaks toward evening. Men tend
    to pump more testosterone early in the morning than later in the day. If
    any of these systems get too out of sync, problems can result. Disturbances
    to the daily rhythms of the body are thought to contribute to ( and in some
    cases may directly account for ) diabetes, heart disease, depression, and
    serious weight gain.
     The suprachiasmatic nuclei work closely with a nearby and long
    mysterious pea-sized structure, the pineal gland, which is more or less
    in the middle of the head. Because of its central location and its solitary
    nature — most structures in the brain come in pairs, but the pineal
    stands alone — the philosopher Rene Descartes concluded that the
    pineal is where the soul resides. Its actual function, to produce melatonin,
    a hormone that helps the brain track day length, wasn't discovered until
    the 1950s, making it the last of the main endocrine glands to be decoded.
    How exactly melatonin relates to sleep is still not understood. Melatonin
    levels within us rise as evening falls and peak in the middle of the night,
    so it would seem logical to associate them with drowsiness, but in fact
    melatonin production also rises at night in nocturnal animals when they
    are most active, so it is not promoting sleepiness. The pineal, in any case,
    tracks not just day/night rhythms but also seasonal changes, which are
    really important for animals that hibernate or breed seasonally. They are
    consequential for humans, too, but in ways that we mostly don't notice.
    Your hair grows faster in the summertime, for instance.
     As David Bainbridge has neatly put it, " The pineal is not our soul,
    it is our calendar. " But it is also a very curious fact that several of our
    fellow mammals — elephants and dugongs to name just two — don't
    have pineals and don't seem to suffer for it.


   ” The suprachiasmatic nuclei don't entirely account for why we get sleepy
    and want to go to bed. We are also subject to natural sleep pressure
    — a profound and eventually irresistible urge to nod off — governed by
    something called sleep homeostats. The pressure to sleep grows more
    intense the longer we stay awake. This is in large part a consequence
    of an accumulation of chemicals in the brain as the day goes by, in
    particular one called adenosine, which is a by-product of the output of
     ATP ( or adenosine triphosphate ) , the little molecule of intense energy
    that powers our cells. The more adenosine you accumulate, the drowsier
    you feel. Caffeine slightly counteracts its effects, which is why a cup of
    coffee perks you up. Normally, the two systems operate in synchronicity,
    but occasionally they deviate, as when we cross several time zones
    on a long-distance plane flight and we experience jet lag.

  
     ( 出典 :Bill Bryson 著 " The Body ― A Guide for Occupants " .
        Knopf Doubleday Publishing Group. 刊 )


  上掲の英語の文章は 、翻訳本の中で 、次のように 日本語訳されています 。

  「 あらゆる動物は眠るらしい。線虫やショウジョウバエのようなごく単純な
   生物でさえ 、一定のあいだ静止する 。必要な睡眠時間は動物によって大
   きなばらつきがある 。ゾウとウマは一晩に二、三時間だけで生きていける 。
   なぜそんなに少なくて済むのかはわからない 。ほかの哺乳類のほとんどは 、
   ずっと長い睡眠を必要とする 。哺乳類の眠りの王者と考えられていた動物 、
   ミツユビナマケモノは 、今でもよく一日に最長で二十時間眠ると言われるが 、
   それは捕獲されたナマケモノから得た数字で 、周囲に捕食動物がいないうえ
   に 、やることがあまりなかったからだろう 。野生のナマケモノの睡眠時間は
   一日に十時間程度で 、ヒトよりずっと多いわけでもない 。なんとも不思議な
   ことに 、鳥と海洋哺乳類の中には 、一時的に脳の半分のスイッチを切って
   おけるものもいる 。半分は警戒を続け 、もう半分はうたた寝できるという
   わけだ 。」

   「 1999年 、インペリアル・カレッジ・ロンドンの研究者ラッセル・フォ
    スターは 、十年の綿密な研究のあと 、あまりにも意外でほとんど誰も信じ
    ようとしなかった ことを証明した 。ヒトの目に 、周知の杆体と錐体に加え
    て 、第三の光受容細胞があることを発見したのだ 。感光性網膜神経節細胞
    と呼ばれるこの新たな受容体は 、視覚とは関係なく 、明るさを感知するた
    め 、つまり昼か夜かを知るためだけに存在する 。その情報は 、脳内の視床
    下部に埋め込まれたピンの頭ほどの小さなふたつの束になったニューロンに
    伝えられる 。『 視交叉上核 ( しこうさじょうかく ) 』と呼ばれるこのふた
    つの束 ( 各半球にひとつずつ ) が 、概日 ( がいじつ ) リズムを制御している 。
    つまり 、体内時計だ 。いつ起床して 、いつ仕事を切り上げればいいかを教
    えてくれる 。」

   「 フォスターの発見以来 、体内時計は脳だけではなく 、全身 ― 膵臓 、肝臓 、
    心臓 、腎臓 、脂肪組織 、筋肉 、ほぼあらゆる部分 ― にあり 、それらは
    独自の時刻表に従って働き 、いつホルモンを放出するかや 、いつ器官が最も
    忙しく働き 、最も弛緩するかを指示していることがわかってきた 。たとえば 、
    反射神経は午後半ばに最も鋭敏になり 、血圧は夕方にかけて頂点に達する 。
    男性は 、一日の後半よりも朝早くに多くのテストステロンを分泌する 。
    こういうシステムのどれかがうまく同期しなくなると 、問題が起こる 。体の
    概日リズムの乱れは 、糖尿病や心臓病 、うつ病 、深刻な体重増加の一因と
    なる ( 場合によっては直接の原因となる ) と考えられている 。
     視交叉上核は 、久しく謎に包まれている近くの豆粒大の構造物 、松果体
    と密接に連携して働く 。松果体は 、ほぼ頭の真ん中にある 。その中心的な
    位置と 、周囲から孤立した独自のありかた ― 脳内のほとんどの構造物は対
    になっているが 、松果体はひとつしかない ― から 、哲学者のルネ・デカル
    トは 、松果体こそが魂の宿る場所だという結論を導き出した 。実際には 、
    脳が一日の長さを把握するのをメラトニンというホルモンを産生する機能を
    つかさどっているのだが 、それは1950年代にようやく発見され 、解明
    された主要な内分泌腺の最後のひとつになった 。メラトニンが具体的にどの
    ように睡眠に関連しているのかは 、まだよくわかっていない 。メラトニン
    の分泌量は夕方になると増えて真夜中に最大になるので 、眠気と結びつける
    のは論理的に思えるが、実のところメラトニンの産生は 、夜に最も活動
    的になる夜行性動物でも増えるから 、眠気を促進するわけではない 。それは
    ともかく 、松果体は昼夜のリズムだけではなく 、季節の変化も把握する 。
    冬眠動物や季節繁殖動物にとっては 、とても重要だ 。ヒトにも大きな影響を
    及ぼしているが 、たいていは気づきにくい形で現われる 。たとえば 、体毛
    は夏季のほうが早く伸びる 。デイヴィッド・ベインブリッジがうまいことを
    言っている 。『 松果体はわたしたちの魂ではなく 、わたしたちのカレンダー
    だ 』。しかし 、これまたとても興味深いことに 、哺乳類仲間のいくつか —
    たとえばゾウやジュゴンなど ― には松果体がなく 、それで困っているよう
    にも見えない 。」

   「 わたしたちが眠くなったり 、寝床に入りたくなったりするのは 、視交叉上核
    のせいばかりではない 。睡眠恒常性と呼ばれるものがつかさどる自然な睡
    眠圧 ― うとうとせずにはいられない強い衝動 — にも支配されている 。起き
    ている時間が長くなるほど 、睡眠への圧力は高まる 。これはおもに 、一日が
    過ぎるにつれて 、脳に化学物質が蓄積していくからだ 。具体的には 、細胞の
    動力源となる強いエネルギーを持つ小さな分子 、アデノシン三リン酸 ( ATP )
    放出の副産物であるアデノシンが挙げられる 。アデノシンが蓄積していくほど 、
    強い眠気を感じるようになる 。カフェインはその効果をわずかだが抑えるので 、
    コーヒーを一杯飲むと元気になるわけだ
。通常 、視交叉上核と睡眠圧のふたつ
    のシステムは同時に働いているが 、ときどきずれることがある 。たとえば 、
    飛行機の長距離フライトでいくつかの時間帯を超え 、時差ボケになったとき
    などだ 。」

   
  ( 出典 : ビル・ブライソン著 桐谷知未訳 「 人体大全 ― なぜ生まれ 、
       死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか ― 」新潮社 刊 ) 

   原書および翻訳本からの引用はここまで 。

   Nothing to add.
   Do little and think a lot.



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ATP 生命の素 Long Good-bye 2022・02・04

2022-02-04 05:00:00 | Weblog

  今日の「 お気に入り 」は 、ノンフィクション作家 ビル・ブライソンさん の

  著書 " The Body ― A Guide for Occupants " からの 抜き書き 。

   " ・・・ Unpacked, you are positively enormous. Your lungs, smoothed out,
     would cover a tennis court, and the airways within them would stretch nearly
    from coast to coast. The length of all your blood vessels would take you two
    and a half times around Earth. The most remarkable part of all is your DNA
    ( or deoxyribonucleic acid ). You have a meter of it packed into every cell, and
    so many cells that if you formed all the DNA in your body into a single strand,
    it would stretch ten billion miles, to beyond Pluto. Think of it : there is enough
    of you to leave the solar system. You are in the most literal sense cosmic.
     But your atoms are just building blocks and are not themselves alive. Where
    life begins precisely is not so easy to say. The basic unit of life is the cell ー
    everyone is agreed on that. The cell is full of busy things ― ribosomes and
    proteins, DNA, RNA, mitochondria, and much other cellular arcana ― but
    none of those are themselves alive. The cell itself is just a compartment ― a
    kind of little room : a cell ― to contain them, and of itself is as nonliving as
    other room. Yet somehow when all of these things are brought together, you
    have life. That is the part that eludes science. I kind of hope it always will.
     What is perhaps most remarkable is that nothing in charge. Each component
    of the cell responds to signals from other components, all of them bumping and
    jostling like so many bumper cars, yet somehow all this random motion results
    in smooth, coordinated action, not just across the cell but across the whole
    body as cells communicate with other cells in different parts of your personal
    cosmos.
     The heart of the cell is the nucleus. It contains the cell's DNA ― three feet
    of it, as we have already noted, scrunched into a space that we may reasonably
    call infinitesimal. The reason so much DNA can fit into a cell nucleus is that it is
    exquisitely thin. You would need twenty billion strands of DNA laid side by side
    to make the width of the finest human hair. Every cell in your body ( strictly
    speaking, every cell with a nucleus ) holds two copies of your DNA. That's why
    you have enough to stretch to Pluto and beyond.
     DNA exists for just one purpose ― to create more DNA. A DNA molecule, as
    you will almost certainly remember from countless television programs if not
    school biology, is made up of two strands, connected by rungs to form the
    celebrated twisted ladder known as a double helix. Your DNA is simply an
    instruction manual for making you. A length of DNA is divided into segments
    called chromosomes and shorter individual units called genes. The sum of
    all your genes is the genome.
     DNA is extremely stable. It can last for tens of thousands of years. "

   " DNA passes on information with extraordinary fidelity. It makes only about
    one error per every billion letters copied. Still, because your cells divide so
    much, that is about three errors, or mutations, per cell division. Most of those
    mutations the body can ignore, but just occasionally they have lasting
    significance. That is evolution.
     All of the components of the genome have one single-minded purpose ― to
    keep the line of your existence going. "

   " Maintaining equilibrium within the body is called homeostasis. The man who coined
    the term and is often referred to as the father of the discipline was the Harvard
    physiologist Walter Bradford Cannon ( 1871 - 1945 ). "

   " ・・・ One thing Cannon didn't understand ― no one did yet ― was what a
    staggering amount of energy the body requires at the cellular level in order to
    maintain itself. It took a very long time to figure that out, and when the answer
    came, it was provided not by some mighty research institute but by an eccentric
    Englishman working pretty much on his own in a pleasant country house in the
    west of England.
     We now know that inside and outside the cell are charged particles called ions.
    Between them in the cell membrane is a kind of tiny air lock known as an ion
    channel. When the air lock is opened, the ions flow through, and that generates
    a little buzz of electricity ― though " little " here is entirely a matter of perspective.
    Although each electrical twitch at the cellular level produces just one hundred
    millivolts of energy, that translates as thirty million volts per meter ― about the
    same as in a bolt of lightning. Put another way, the amount of electricity going
    on within your cells is a thousand times greater than the electricity within your
    house. You are, in a very small way, exceedingly energetic.
     It's all a matter of scale. Imagine, for purposes of demonstration, firing a bullet
    into my abdomen. It really hurts and it does a lot of damage. Now imagine firing
    the same bullet into a giant fifty miles tall. It doesn't even penetrate his skin. It's
    the same bullet and gun, just a different scale. That's more or less the situation
    with the electricity in your cells.
     The stuff responsible for the energy in our cells is a chemical called adenosine
    triphosphate, or ATP, which may be the most important thing in your body you
    have never heard of. Every molecule of ATP is like a tiny battery in that it stores
    up energy and then releases it to power all the activities required by your cells
    ― and indeed by all cells, in plants as well as animals.
The chemistry involved
    is magnificently complex. Here is one sentence from a chemistry textbook
    explaining a little what it does : " Being polyanionic and featuring a potentially
    chelatable polyphosphate group, ATP binds metal cations with high affinity. "
    For our purposes here it is enough to know that we are powerfully dependent
    on ATP to keep our cells humming. Every day you produce and consume your
    own body weight in ATP ― some 200 trillion trillion molecules of it. From ATP's
    point of view, you are really just a machine for producing ATP. Everything else
    about you is by-product. Because ATP is consumed more or less instantaneously,
    you have only sixty grams ― that is a little over two ounces ― of it within you at
    any given moment.
     It took a long time to figure any of this out, and when it came, almost no one at
    first believed it. The person who discovered the answer was a retiring, self-funded
    scientist named Peter Mitchell who in the early 1960s inherited a fortune from
    the Wimpey house-building company and used it to set up a research center in
    a stately home in Cornwall. "

    " Mitchell's ideas were universally dismissed, not altogether surprisingly. As one
    chronicler has noted, " At the time that Mitchell proposed his hypothesis there
    was not a shred of evidence in support of it. " But he was eventually vindicated
    and in 1978 was awarded the Nobel Prize in Chemistry ― an extraordinary
    accomplishment for someone who worked from a home lab. "

   ( 出典 :Bill Bryson 著 " The Body ― A Guide for Occupants " .
        Knopf Doubleday Publishing Group. 刊 )


 上掲の英語の文章は 、翻訳本の中で 、次のように 日本語訳されています 。

    「 ・・・ 中身を広げると 、ヒトは実はとても巨大だ 。肺を平らに伸ばせばテニス
     コート一面を覆えるし 、肺の中の気道はロンドンからモスクワにまで届く 。すべ
     ての血管をつなげば 、その長さは地球二周半にもなる 。何より注目すべき部分は 、
     DNA ( デオキシリボ核酸 ) だ 。ほぼすべての細胞に1メートルのDNAが詰め込ま
     れているうえに 、あまりにもたくさんの細胞があるので 、もし体内のあらゆる
     DNA で1本の細いひもをつくったとすれば 、それは150億キロメートル 、冥
     王星のずっと先まで達するだろう 。考えてみてほしい 。自分の中に 、太陽系を
     超えていくほどのものがある 。あなたはまさに文字どおりの意味で 、宇宙規模
     の存在なのだ

      しかし 、人体の原子たちはただの構成要素であって 、それ自体は生きていない 。
     生命が具体的に何をもって始まるのかを判断するのはなかなかむずかしい 。生命
     の基本単位は細胞だ 。それについては誰もが同意している 。細胞は忙しい物質た
     ちでいっぱいだ — リボソーム 、タンパク質 、DNA 、RNA 、ミトコンドリア 、そ
     の他たくさんの微細で謎めいた物質 — が 、どれもそれ自体は " 生きている " とは
     いえない 。細胞そのものは 、ただの区画だ 。セル 、つまり一種の小部屋として
     その物質たちを収め 、どの部屋もそれ自体では生きていない 。しかしどういうわ
     けか 、こういう物質すべてをひとつに集めると 、生命が生まれる
それは 、科
     学では説明のつかない部分だ 。なんとなく 、いつまでも謎のままであってほしい
     ような気もする 。

      おそらく最も注目すべき点は 、指揮者がいないことだ 。細胞の各成分は他の成
     分からの信号に反応し 、すべてが遊園地のゴーカートのようにぶつかったり押し
     合ったりしているが 、それでもなぜかあらゆる無作為な動きが 、細胞内だけでな
     く全身で円滑な協調行動になる 。細胞は 、ヒトの内なる宇宙のさまざまな部分に
     ある他の細胞と連絡を取り合っている 。

      細胞の中心となるのが核だ 。そこには細胞のDNAがある 。先ほど触れたように 、
     1メートルの長さがあり 、極小と呼ぶにふさわしい空間に詰め込まれている 。そ
     んなに長いDNAが細胞核の中に収まるのは 、みごとなほど薄いからだ 。最も細い
     人毛と同じ幅にするには 、DNA鎖を二百億本並べる必要がある 。体のあらゆる細
     胞 ( 厳密にいえば 、核をもつあらゆる細胞 ) に 、DNAがふた組ずつ入っている 。
     だから 、冥王星の先まで伸ばせるだけの長さがあるのだ 。
      DNAは 、ただひとつの目的のために存在する 。つまり 、さらに多くのDNAを
     つくること 。ヒトのDNAは 、ヒトをつくるための " マニュアル " だ 。
生物の授業
     はともかく 、きっと数え切れないほどのテレビ番組で見て憶えていると思うが 、
     DNA分子は二本のひもから成り 、横木でつながれて 、二重らせんと呼ばれるあの
     有名なねじれたはしごの形をしている 。ひと組のDNAは染色体という複数の部位
     に分けられ 、その中にさらに短い遺伝子と呼ばれる個々の単位がある 。ひと組の
     DNAの遺伝情報をすべて合わせたものがゲノムだ 。
      DNAは 、きわめて安定している 。何万年も存続できるほどだ 。」

    「 DNAは 、並外れた精確さで情報を伝達する 。十億文字につき約一文字しか 、
     コピーを間違えない 。それでも 、細胞分裂一回につき約三つのエラー 、つまり
     『 突然変異 』が起こることになる 。突然変異のほとんどは体にとって無視でき
     るものだが 、ほんのときたま 、持続的な影響を残す 。それが『 進化 』だ 。
      ゲノムのあらゆる成分は 、ただひとつの目的を持っている 。あなたの存在を保
     ち続けることだ
。」

    「 体内の平衡を保つ働きのことをホメオスタシス ( 恒常性 ) と呼ぶ 。この言葉を
     つくり 、 " 秩序の父 " と言われることも多いのが 、ハーヴァード大学の生理学
     者ウォルター・ブラッドフォード・キャノン ( 1871 - 1945 ) だ 。」

    「 ・・・ ひとつ 、キャノンが 気づいていなかった ― 誰もまだ気づいていなか
     った ― ことは 、自らを維持するために 、体が細胞レベルでどれほど膨大な量
     のエネルギーを必要とするか
だった 。それを突き止めるにはとても長い時間が
     かかり 、しかも答えを出したのはどこかの有力な研究機関ではなく 、イギリス
     西部の快適な田舎屋敷を拠点にほぼひとりで研究していた風変わりなイギリス
     人だった 。
      現在では 、細胞の内外にイオンと呼ばれる電荷を帯びた粒子があることがわ
     かっている 。細胞膜には 、イオンチャンネルと呼ばれる小さなエアロックのよ
     うなものがある 。エアロックがあくと 、イオンがそこを通り抜けることで 、
     小さな電気が発生する 。
ただし 、ここでの " 小さな " は完全に見かたの問題だ 。
     細胞レベルでのひとつひとつの電気のひらめきは 、ほんの百ミリボルトのエネ
     ルギーしか生まないが 、一メートル当たりでは三千万ボルトに換算される ― 稲
     妻と同じくらいだ 。別の言いかたをするなら 、細胞内で生じている電気量は 、
     あなたの家の電気より千倍大きい 。あなたは 、とてもささやかな規模で 、もの
     すごく活気に満ちているのだ

      すべては規模の問題といえる 。実演のために 、わたしの腹部に銃弾を撃ち込
     んだと想像してみてほしい 。すごく痛いし 、たいへんなダメージを負うことに
     なる 。では 、同じ弾丸を身長八十キロメートルの巨人に撃ち込んだと想像し
     てみてほしい 。皮膚を貫通することさえないだろう 。同じ弾丸と銃だが 、規
     模だけが違う 。細胞内の電気をめぐる状況も 、それと似たようなものだ 。
      細胞でエネルギーを生み出しているのは 、アデノシン三リン酸 ( ATP ) と呼
     ばれる化学物質で 、もしかするとあなたが聞いたこともない体内の物質の中で 、
     最も重要かもしれない 。ATPのあらゆる分子は小さな電池のようなもので 、
     エネルギーを蓄えてから 、ヒトの細胞 — それどころか動物も植物も含めた
     あらゆる細胞 — が必要とするすべての活動に動力を供給するため 、エネル
     ギーを放出する
。そこに関わっている 化学反応は恐ろしく複雑だ 。 そこで
     何が行なわれているかを少し説明した化学の教科書を一行だけ引用しよう 。
      『 ATP は 、多価陰イオンであり 、キレート化可能なポリリン酸基を特徴と
     し 、高親和性で金属陽イオンと結合する 』。ここでは 、わたしたちが細胞
     を活発に動かし続けるため 、大いにATPに頼っていることがわかればじゅう
     ぶんだろう 。毎日 、ヒトは自分の体重と同じ量のATPをつくり 、利用して
     いる 。およそ二百杼 ( じょ ) [ 訳注 十の二十四乗 ] 個の分子だ 。ATPから見
     れば 、あなたはATPをつくるための単なる機械だ 。ほかの部分はすべて 、
     副産物にすぎない 。ATPはほとんど即座に消費されるので 、いつでも体内
     にはほんの六十グラムしか存在しない

      長い時間をかけてこういう事実が判明しても 、最初はほとんど誰も信じなかった 。
     答えを見つけた人物は 、自己資金で研究していた風変わりな科学者 、ピー
     ター・ミッチェル
だった 。1960年代初めに 、住宅建設会社ウィンピー
     の所有者である叔父から財産を相続し 、それを使ってコーンウォールにある
     大邸宅に研究センターを設置した 。」

    「 それほど意外でもないが 、ミッチェルの考えは一様に退けられた 。ある年
     代記作家はこう記した 。『 ミッチェルが仮説を提示した時点では、それを
      支持する一片の証拠もなかった 』。しかし 、やがてその説の正しさが証明
     され 、ミッチェルは1978年にノーベル化学賞 を受賞した 。自宅の実験
     室で研究した者としては 、並外れた業績だ 。」
   
  ( 出典 : ビル・ブライソン著 桐谷知未訳 「 人体大全 ― なぜ生まれ 、
       死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか ― 」新潮社 刊 ) 

   原書および翻訳本からの引用はここまで 。

   「 無限小 」 と「 無限大 」、
   ヒトの内なる「 小宇宙 」と周りの「 大宇宙 」 、凡人の理解及ばぬ 、
   時空を超えた「 からくり 」、知りたくもあり 、知りたくもなし。

   インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」には 、文中に出てくるATPに
   ついて 、次のような用語解説記事が掲載されています 。
   選択科目「 化学 」で受験した56年前を思い出すも 、リボースって何? 、ヌクレオチドって何? 、
   ・・・ 調べりゃわかることだけど 。

   「 アデノシン三リン酸( アデノシンさんリンさん 、adenosine triphosphate)とは 、
    アデノシンのリボースに3分子のリン酸が付き 、2個の高エネルギーリン酸結合を
    持つヌクレオチドである 。リボースの5位の炭素に、リン酸が結合しているため 、
    アデノシン5'-三リン酸などとも書かれる 。しばしば『 adenosine triphosphate 』
    の下線部のアルファベットを並べて『 ATP( エー・ティー・ピー )』と呼称される。」

   「 ATPは真核生物や真正細菌など 、既知の地球生物の全ての細胞が利用している解糖
    系でも産生される物質であるため 、地球上の生物の体内に広く分布する 。生体内
    では、リン酸1分子、または、リン酸2分子が離れたり結合したりする事で、
    エネルギーの放出・貯蔵を行 う。なお例えば 、糖に限らず、真核生物が脂肪酸や
    アミノ酸などをエネルギーとして利用する際も 、例えば、一部はGTPに変換されて 、
    そのままGTPが別の用途に用いられる場合など例外はあるものの 、主にATPに変換
    してからエネルギーとして利用し 、色々な用途に活用している 。
    これらの理由ため 、既知の地球生物の各細胞には普遍的にATPが存在する 。」

   「 なお 、しばしば地球生物の細胞は 、ATPを経由して物質のエネルギーを利用して
    いるため 、ATPは「 生体のエネルギー通貨 」とも形容される 。」

   「 1978年 - 化学浸透圧説を唱えたMitchellがノーベル化学賞を受賞した 。」




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