今日の「お気に入り」。
なにゆゑにうしろ振向くふりむきて
とりかへしのつく年齢(とし)は過ぎたり
あなたまあをかしな一生でしたねと
会はば言ひたし父といふ男
史の字を輪を貫く縦棒の
かたちもて書きてよこせし寺山修司
眺めよき屋上に来てここより先は
空へ翔ぶもの地へ堕ちるもの
(齋藤史)
なにゆゑにうしろ振向くふりむきて
とりかへしのつく年齢(とし)は過ぎたり
あなたまあをかしな一生でしたねと
会はば言ひたし父といふ男
史の字を輪を貫く縦棒の
かたちもて書きてよこせし寺山修司
眺めよき屋上に来てここより先は
空へ翔ぶもの地へ堕ちるもの
(齋藤史)
今日の「お気に入り」は、山本周五郎(1903-1967)著「ながい坂」から。
「なにごとにも人にぬきんでようとすることはいい、
けれどもな、人の一生はながいものだ、
一足跳びに山の頂点へあがるのも、
一歩、一歩としっかり登ってゆくのも、
結局は同じことになるんだ、
一足跳びにあがるより、
一歩ずつ登るほうが途中の草木や泉や、
いろいろな風物を見ることができるし、
それよりも一歩、一歩を慥(たし)かめてきた、という
自信をつかむことのほうが強い力になるものだ。」
「なにごとにも人にぬきんでようとすることはいい、
けれどもな、人の一生はながいものだ、
一足跳びに山の頂点へあがるのも、
一歩、一歩としっかり登ってゆくのも、
結局は同じことになるんだ、
一足跳びにあがるより、
一歩ずつ登るほうが途中の草木や泉や、
いろいろな風物を見ることができるし、
それよりも一歩、一歩を慥(たし)かめてきた、という
自信をつかむことのほうが強い力になるものだ。」
今日の「お気に入り」。
「……私はかねがね北国の人間が口が重いというのは偏見だと思っている。
あれは外部の、自分たちよりなめらかに口が回る人種の前でいっとき口が
重くなるだけのことで、内輪同士ではそんなことはない。
子どものころ、私は村の集会所あたりで無駄話にふけっている青年たち
の話をよく聞いたものだが、彼らがやりとりする会話のおもしろさは絶妙
だったという記憶がある。弾の打ち合いのように、間髪をいれず応酬され
る言葉のひとつひとつにウィットがあり、そのたびに爆笑が起きた。村の
出来事、人物評、女性の話など、どれもこれもおもしろかった。私たち子
どももおもしろがって笑っていたら、突然に怒られて追い立てられたのは、
野の若者たちの雑談の成り行きの自然で、話が少し下がかって来たから
だったろう。」
(藤沢周平)
「……私はかねがね北国の人間が口が重いというのは偏見だと思っている。
あれは外部の、自分たちよりなめらかに口が回る人種の前でいっとき口が
重くなるだけのことで、内輪同士ではそんなことはない。
子どものころ、私は村の集会所あたりで無駄話にふけっている青年たち
の話をよく聞いたものだが、彼らがやりとりする会話のおもしろさは絶妙
だったという記憶がある。弾の打ち合いのように、間髪をいれず応酬され
る言葉のひとつひとつにウィットがあり、そのたびに爆笑が起きた。村の
出来事、人物評、女性の話など、どれもこれもおもしろかった。私たち子
どももおもしろがって笑っていたら、突然に怒られて追い立てられたのは、
野の若者たちの雑談の成り行きの自然で、話が少し下がかって来たから
だったろう。」
(藤沢周平)
今日の「お気に入り」は、藤沢周平(1927-1997)著「蝉しぐれ」から。
「顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、
耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供の
ころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。助左
衛門は林の中をゆっくりと馬をすすめ、砂丘の 出口に来たとこ
ろで、一度馬をとめた。前方に、時刻が移っても少しも衰えない
日射しと灼ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直し
た。
馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た。」
「顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、
耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供の
ころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。助左
衛門は林の中をゆっくりと馬をすすめ、砂丘の 出口に来たとこ
ろで、一度馬をとめた。前方に、時刻が移っても少しも衰えない
日射しと灼ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直し
た。
馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た。」