「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

日米の文化の違い Long Good-bye 2024・07・31

2024-07-31 04:59:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」。

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂はいかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )

 の中に 「 新聞について 、情報について 、いろいろ 」

 というタイトルの小文がある 。

  その冒頭に ちょっと長い こんな一節がある 。

  「 この十年くらい新聞をとっていなかったのだが 、
  思い返してみても 、それでとくに不自由したと
  いう覚えはない 。テレビのニュースもほとんど
  見ない 。あるいはそのおかげで何か大事な情報
  を逃して 、実際には不自由しているのかもしれ
  ないが 、しかし不自由しているという意識が本
  人にないのだから 、それを『 不自由 』と呼べ
  るのかどうかは難しいところである 。情報とい
  うのは不思議なもので 、入ってくる情報のどこ
  までが必要でどこからが必要ではないのかと考
  えていくと 、だんだん境界線が不分明になって
  くる 。必要ないと思えばすべて必要ないみたい
  だし 、逆に一度情報の不足が不安になりだすと 、 
  きりなく不安になってくる 。だからこそ情報産
  業がかくのごとく栄えるのだろう 。
   たとえば僕はコンピューターのネットワーク・
  サービスを使っているが 、そこにある情報の大
  半は生活には不要な代物である 。 というか 、
  100パーセントなくたって 、今のところは実
  際には不自由しないみたいだ( あればあるで使
  っちゃうんだけど )。それをいかにも不自由な
  ように見せかけて 、本来ないはずのところにヴ
  ァーチャルな需要を作り出すのが 、実は現代の
  情報産業みたいである 。」

  四半世紀も前に書かれた文章だけど 、新聞や情報についての

 小説家の感想が 、2024年( 令和6年 )の 日本社会に 、

 色せず 、100% あてはまるところが 、面白い 。

  紙の新聞は オワコン である 。日本の団塊世代が死に絶える

 2050年頃には 姿を消しているだろう 。クロニクルの一

 形態として 、ネット空間にだけ残ってるんだろうか 。 

  ( ´_ゝ`)

  こういう真面目な小文がある一方で 、「 裸で家事をする主婦は

 正しいのか? 」なんてタイトルの小文もこの随筆には入ってる 。

 「 全裸家事主婦題 」について 、400字詰め原稿用紙5枚を

 費やして 、日米の文化の違い を論じておられる 。嫌いじゃない

 テーマではある 。

 

 

 

 

 

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だから何なんだ? Long Good-bye 2024・07・29

2024-07-29 05:49:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」 。

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上朝日堂は

 いかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )の中に 「 空中浮遊

 はすごく楽しい 」というタイトルの小文がある 。

  その冒頭に こんな一節がある 。

 「 夢というものを普段あまり見ない 。とはいっ
  ても 、学者の説によれば世の中に夢を見ない
  人は一人もいないそうだから 、実際には僕だ
  って人並みに夢を見ているのだろう 。でも朝
  起きたときの僕の頭には夢の記憶がほとんど留
  まっていない 。自慢じゃないけれど僕はもの
  すごく寝つきが良くて 、REM睡眠の泥沼で
  鰻みたいにそのまま朝までこんこんと眠ってし
  まうので 、たとえ夢を見たとしても 、その記
  憶はあたかも砂漠に柄杓で水を撒くようにする
  すると虚無の中に吸い込まれていってしまうら
  しい 。夢としてもせっかく苦労して手を替え
  品を替えカラフルな面白い話を繰り広げている
  のに 、『 朝になったらまったくなんにも覚え
  ていないです 』じゃ立つ瀬がないだろうなと
  いう気がする 。僕だって小説家の端くれだか
  ら 、その気持ちはよくわかる 。申し訳ないと
  も思う 。でも覚えられないものは覚えられな
  いんだからこれはしかたないですよね 。」

  さらに引用を続けると 、

 「 でも空中浮遊の夢だけは例外である 。僕は
  昔からよく空中浮遊の夢を見るし 、この夢だ
  けはどれも不思議なくらい鮮明に覚えている 。
  夢の中では 、空中に浮かぶことはとくに難し
  いことではない 。ぴょんと跳ねてそのまま空
  中に留まっていればいいのだ 。特別な筋肉を
  使うわけでもないし 、精神を集中させるわけ
  でもない 。だからちっとも疲れないし 、い
  つまででも浮かんでいられる 。」

 「 空中に浮かぶといっても 、そんなに上には
  あがらない 。高くあがってせいぜい地上一メ
  ートルくらいである 。理由はわからないが 、
  高いところに上がりたいという気持ちがわい
  てこないのだ 。地上五十センチくらいのとこ
  ろに 、欲も得もなくふわふわと浮いているの
  が 、いちばん妥当な空中浮遊のあり方である
  ように僕は感じる 。」

  筆者もこのパターンの夢を子供のころからよく見ていた記憶

 がある 。ドローンがそこかしこを飛ぶようになってから 、こ

 の十年くらいは見ないが 、以前は定期的に見ていたような気

 がする 。村上さんの空中浮遊と違って 、筆者のは 、両の手を

 目いっぱい左右に広げ 、空高く飛翔する 。鳥のように翼をバ

 タバタと羽ばたかせるわけでもなく 、疲れることもなく 、ス

 ーパーマンのように 、ただ飛ぶのである 。「 地上五十センチ

 くらいのところで 、欲も得もなくふわふわと浮いている」だけ

 で 夢見心地 の 村上さんの空中浮遊 と異なり 、筆者のは 、ひ

 としきり飛んだ後 、自宅(らしきところ)の ベランダ(らし

 きところ)に戻って来るのが 、昔よく見た夢のパターンであ

 る 。

 ( ´_ゝ`)

 「 だから何なんだ? 」って話なんですけれど

 ( ´_ゝ`)

  夢の権威は 「 バーッと上がる夢を見るのは 、子供なんです

 わ 。大人はまず見ません 。 」とおっしゃられているそうだ 。

 してみると 、六十歳になっても 空高く飛ぶ夢をみていた筆者

 は 、アダルトチルドレン ? こんな言葉を流行らせた人  、昔

 いらっしゃいましたっけ 。

 

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仮説の靴 Long Good-bye 2024・07・26

2024-07-26 05:59:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂はいかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )

 の中に 「 砂浜の中のキー 」というタイトルの小文

 がある 。

  その冒頭に こんな一節がある 。

 「 中原中也の詩に『 月夜の晩に 、ボタンが一つ
  /波打ち際に 、落ちてゐた 』というのがある 。
  『 それを拾つて 、役立てようと/僕は思つた
  わけでもないが 』と続く 。まあそれほどかっ
  こよくはないけれど 、僕は以前 、藤沢鵠沼の
  海岸で 、砂の中に自動車のキーをみつけたこと
  がある 。
   九月のある日曜日の夕方にひとりで海岸沿いを
  散歩して 、ぼんやり砂浜に座って夕日を眺めて
  いたら 、手に触れる何か固いものがあるので 、
  ふと見たらそれはなんと前世紀のホノルルでカ
  メハメハ大王が愛用していたというあの伝説の
  プラチナ製の靴べら ・・・ じゃなくて『 スバ
  ル 』のマークのついたごく当たり前のキーホル
  ダーだった 。おそらく誰かのズボンのポケット
  からぽろっとこぼれ落ちて 、見つけられないま
  ま 、そこにずっと落ちていたのだろう 。
   せっかくの週末にどこか遠くからわざわざ海に
  遊びに来て 、そのあげく車のキーをなくしてし
  まうなんて 、考えてみたら気の毒な話である 。」

 ( ´_ゝ`) 

   小説家は 、このエピソードを種に 、もし自分がその

 の立場だったらという『 仮説の靴 』をはいて 、像の

 限りを尽くして 話を膨らませてゆく 。

  「 仮説の靴 」を けっこう沢山自分のうちの下駄箱に

 しまい込んでいることが 、作家になる必須アイテムら

 しい 。

  この小文の最後は 、次のような一節で締めくくられて

 いる 。

 「〈 そういうことは起こるものなのだ 〉と僕は
  ふとそのときに思った 。かたちのあるものは 、
  どれだけ努力したところで 、いつかどこかに
  ふっと消えてなくなってしまうものなのだと 。
  それが人間であれ 、ものであれ 。」

  小噺の落ち 。

 ( ´_ゝ`)

  「 ショート・ショート 」は 、概してもの足りない

 思いがして不満が残ることが多いんで 、避けてきた

 のだが 、村上春樹さんの「 村上朝日堂 超短篇小説

 『 夜のくもざる 』( 新潮文庫 )」を読み 、印象

 が変った 。その中の「 牛乳 」なんて一篇は結構好

 きかも 。

 

 

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すぐ寝る・よく寝る・どこでも寝る Long Good-bye 2024・07・23

2024-07-23 05:02:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」 。

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂の逆襲 」( 新潮文庫 )の中に 「 国分寺・下

 高井戸コネクション 」というタイトルの小文がある 。

  その冒頭に こんな一節がある 。

 「 僕はだいたい寝つきが良い方で 、布団をかぶっ
  た次の瞬間には石のようにぐっすりと眠っている
  というタイプである 。すぐ寝る・よく寝る・ど
  こでも寝る 、というのが僕の眠りの三大特徴な
  のだが 、寝つきの悪い人にとってはそういうの
  を目にするのは少なからず不愉快なことであるら
  しい 。」

   これだけでは消化不良になりそうだから 、もう

  ちょっと引用を続けると 、

 「  僕だって自分より早く寝ちゃう人間を見ると ――
  そういうことは本当にごくごく稀にしかないのだ
  けれど ―― こいつアホじゃないかと思う 。先日
  義理の弟がうちに遊びに来て一緒に酒を飲み 、十
  一時になったので『 じゃ 、もう寝るか 』と言っ
  てそれぞれの部屋にひきあげたのだが 、ドアを閉
  めたとたんに忘れものをしたことを思いだして客間
  に戻ってみたら 、彼はもうしっかりといびきをか
  いて熟睡していた 。その間約十秒というところで
  ある 。僕だっていくらなんでも眠るのに二十秒く
  らいはかかる 。
   それでつれあいに『 あの男ほとんど脳味噌が空っ
  ぽなんじゃないかな? 』とあきれて言ったら 、
  『 あなただってだいたい同じくらいよ 』と馬鹿
  にされた 。過度に健康な人間というのは 、はた
  から見ているとたしかに馬鹿みたいである 。
  もっとも僕だって昔から終始かわることなく寝
  つきが良かったわけではなくて 、若い頃には明
  け方まで一睡もできないという時期だってあった 。
  こんな風にぐっすりとブラック・アウト的に熟睡
  できるようになったのは小説を書くようになって
  からである 。」

 「 ・・・ 、僕にだってもちろんある程度の精神的
  ストレスはある 。あまり沢山はないけれど 、ま
  ったくないわけではない 。片づけていかなくちゃ
  ならない仕事も山積しているし 、うまく話の通じ
  ない人間もいるし 、道を歩いていると車と信号が
  多すぎていらいらする 。でも僕の場合 、精神的
  ストレスと眠りとはまったくべつの独自の道を歩
  んでいるように思える 。要するに『 これはこれ 、
  あれはあれ 』という感じである 。」

 「 ・・・ 、とにかくまあそういう具合に僕の眠り
  は僕のストレスときちんと一線を画しているわけ
  である 。だから僕はぐっすりと気持ち良く眠る
  ことができる 。」

 「 夢なんてほとんど見ないし 、見たとしてもきれ
  ぎれの断片を辛うじていくつか覚えているだけで
  ある 。」

 引用おわり 。

  この小文のタイトル「 国分寺・下高井戸コネクション 」

 の由来を知りたい方は 、「 村上朝日堂の逆襲 」( 新潮

 文庫 )を買ってお読みください 。睡眠時間を削ってまで

 読むに値するかどうかは保証の限りではありません 。

 ( ´_ゝ`)

  夏の朝 まだ生ありと 目ざめけり ( 詠み人知らず )

 ( ´_ゝ`)

 

  

 

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阪神間出身 Long Good-bye 2024・07・20

2024-07-20 06:46:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」。

 最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂の逆襲 」( 新潮文庫 )の中に 「 阪神間キッ

 ズ 」というタイトルの小文がある 。

  その冒頭に こんな一節がある 

 「 僕が生まれた場所は一応京都だけどすぐに兵庫県
  西宮市夙川というところに移り 、それから同じ兵
  庫県芦屋市に移っている 。だからどこの出身かと
  いうのは明確ではないのだが 、十代を芦屋で送り 、 
  両親の家もここにあるのでいちおう芦屋市出身と
  いうことになっている 。本当のことを言うともっ
  と漠然と『 阪神間出身 』ということにしてもら
  えると僕自身しっくりするのだけれど 、この『 阪
  神間 』という言葉のニュアンスは関西関係者以外
  にはいくぶんわかりづらいところがある 。」

 ( ´_ゝ`)

  懐かしい地名が並んでおり 、思わず書き留めた 。

  筆者が生まれた場所は 一応 芦屋 だけれど 、六歳の時に 、

 親の事情で 、同じ兵庫県の豊中市に移り 、八歳の誕生

 を迎えたばかりの その誕生日の 一週間後に 、父親が急死

 した 。そのごたごたが片づかない内に 、残された一家

 あわただしく「 東下り 」をした 。筆者もその一員として 、

 爾来 七十年近く 関東圏に住まいしている 。筆者の元々の本

 籍地は 「 大阪府大阪市南区上本町〇丁目〇〇番地 」であり 、

 その地は父親の本籍地であったらしいが 、筆者は一度も住ん

 だことがない 。大阪城の南の方角 、現在は 商業地だか住宅

 地だかのまん中にある住所地である 。無論行ったこともない 。

 昭和から平成に代わった年に 、中央区に転属されたらしい 。

  筆者の明治生まれの母親は 、村上春樹さんの母上と同じ 、

 大阪・船場の商家の娘であった 。

  六歳になるまでの 、生まれ育った昭和二十年代の「 芦屋 」

 に 、格別の思い出はない 。芦屋出身であると言うのには 、

 いろんな理由で 抵抗があるので 、「 阪神間出身 」という

 ことにしてもらえると 、村上春樹さん同様 、しっくりする

 のだけれど 、そうもいかないようなので 、「 本地のあっ

 た 大阪 」出身 の 東京 育ち というとにしている 。父祖の

 地 関西圏に戻ることは この先も おそらくないだろう 。

 

   

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恋愛 生きるとはそういうこと Long Good-bye 2024・07・18

2024-07-18 05:21:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、最近読んだ 作家の 佐藤愛子さん

 ( 1923 -  )の随筆「 九十歳 。何がめでたい 」( 小学館文庫 )

 のなかの「 覚悟のし方 」と題した小文の一節 。

  引用はじめ 。

 「 俗に『 恋は熱病 』とか『 恋は盲目 』とかいわれて

  いる 。愛と恋は違う 。愛は積み重ねて昇華して行く

  ものだけれど 、恋は燃え上がってやがては灰になっ

  てしまうものだ 。」

 「 歳月は覚悟も勇気も なし崩しにしてしまう容赦ない力

  を持っている 。私は九十年の人生でまざまざとそれ

  見てきた 。恋も熱情である限りやがては熱は下ること

  も 。それが人間というものであり 、『 生きる とは

  そういうことなのだ 。」

  引用おわり 。

  11月には 、めでたく百一歳の誕生日を迎えられるよう 。

 お誕生日が 、 5日か 25日かは 、知らんけど 。

 ( ´_ゝ`)

  ものいわぬ婆ァとなりて 春暮るる ( 佐藤愛子 ) 

 (* ̄- ̄)

  人生は短い 、されど 退屈すると長くなる 。

 

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銀座線の暗闇体験 Long Good-bye 2024・07・16

2024-07-16 05:10:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」 。

 最近読んだ 村上春樹さんの随筆「 村上朝日堂 」の中に 、

 「 地下鉄銀座線の暗闇 」というタイトルの小文がある 。

  その冒頭に こんな一節がある 。

 「 東京に来ていちばん驚いたというか 、感動
  したのは地下鉄銀座線に乗った時だった 。
  乗ったことのある人はわかると思うけれど 、
  銀座線の列車は駅に到着する直前に一秒かニ
  秒電灯が消えて 、車内がまっ暗になる 。だ
  から逆にまっ暗になると『 ああ 、もう駅な
  んだな 』とわかる 。」

  昭和の時代の話しで 、今の東京メトロ銀座線に乗っても 、

 こんな暗闇体験はできないらしい 。知らんけど 。

  聞き方次第でなんでも答えてくれる  ChatGPT さん に聞い

 てみたら 、いろいろと教えてくれた 。

  お答えの当否は保証の限りではないが 、次のとおり 説得力

 のある 解説 。おぬし出来るな 。

 「 銀座線の車両にはパンタグラフがありません 。
  東京メトロ銀座線は 、第三軌条方式( サード
  レール方式 )を採用しており 、車両の側面に
  ある集電靴( シュー )で電力を供給していま
  す 。この方式では 、パンタグラフの代わりに
  車両の側面に取り付けられた集電装置が 、レ
  ールの横に設置された 第三軌条 から直接電力
  を取ります 。

   第三軌条方式は 、主に地下鉄で採用されるこ
  とが多く 、パンタグラフを使用する架線方式
  に比べて 、地下空間の高さ制限に対応しやす
  い利点があります 。銀座線は日本初の地下鉄
  路線として 、1927年に開業しましたが 、開業
  当初からこの方式が採用されています 。」

 「 日本国内には銀座線以外にも第三軌条方式を
  採用している鉄道路線があります 。代表的な
  路線をいくつか挙げますと:

  ・東京メトロ丸ノ内線 : 銀座線と同様に、第三
   軌条方式を採用しています 。

  ・東京メトロ日比谷線 : 同じく第三軌条方式で
   す。

  ・東京メトロ東西線 : 一部の区間で第三軌条
      方式を採用しています 。

  ・都営地下鉄三田線 : こちらも第三軌条方式を
   採用しています 。

  ・都営地下鉄浅草線 : 第三軌条方式を採用して
   いますが 、一部の区間で架線方式も併用して
   います 。

  ・横浜市営地下鉄ブルーライン : 全線で第三軌
   条方式を採用しています 。

   これらの路線では 、地下空間の制約や安全性 、
  メンテナンスの観点から第三軌条方式が採用され
  ています 。第三軌条方式は、地下鉄や都市近郊
  の路線で特に一般的です 。」

 「 銀座線で第三軌条方式の区間内において 、各
  駅の直前で車内の電灯が消える現象が起こって
  いたのは 、主に電力の切り替えや供給の一時的
  な途切れが原因でした 。これが改善され 、シー
  ムレスな設計に変わったのは 、技術の進歩と設
  備の更新が進んだからです 。

   具体的な改善時期としては 、以下の要因が関連
  しています:

  ・車両の更新 : 東京メトロ銀座線では 、1980年代
   から1990年代にかけて新しい車両の導入が進められ
   ました 。この時期に新しい車両は 電力供給の切り
   替え時の安定性が向上し 、電灯が消える現象が減
   少しました 。

  ・電力供給システムの改良 : 駅や線路の電力供給
   システムも同時期に改良されました 。これによ
   り 、第三軌条からの電力供給がより安定し 、
   切り替え部分でもシームレスな電力供給が可能に
   なりました 。

  ・技術の進歩 : 車両内の電力管理システムやバッテ
   リー技術が向上したことで 、一時的な電力供給
   の途切れが発生しても車内の電灯が消えないよう
   になりました 。」

   銀座線の暗闇体験があるなどと言えば 、あんたは古い 、

  昭和の人 、オワコンだ 、と言われそう 。

   Old soldiers never die ; they just fade away .

 

 

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MY FAVORITE THINGS 私のお気に入り Long Good-bye 2024・07・14

2024-07-14 05:24:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、リチャード・ロジャース作曲 、

 オスカー・ハマースタイン2世作詞 の 楽曲「 私のお気に入り 」

 ( 原題 : My Favorite Things )。

  映画は 、何度も見たので 、メロディーも 歌詞も 、とても馴染み

 深い 。   

 "  Raindrops on roses and whiskers on kittens (^^♪
  Bright copper kettles and warm woolen mittens
  Brown paper packages tied up with strings
  These are a few of my favorite things
  Cream-colored ponies and crisp apple strudels
  Doorbells and sleigh bells and schnitzel with noodles
  Wild geese that fly with the moon on their wings
  These are a few of my favorite things
  Girls in white dresses with blue satin sashes
  Snowflakes that stay on my nose and eyelashes
  Silver-white winters that melt into springs
  These are a few of my favorite things
  When the dog bites
  When the bee stings
  When I'm feeling sad
  I simply remember my favorite things
  And then I don't feel so bad  " 

  原詩の これだけ豊富な内容を 、すべて日本語の歌詞に詰め込

 んで 、メロディーに乗せるのは 、とても無理 。

  どなたかのブログに 、以下の訳詩も紹介されていました 。

  これからの若い世代は 、英語の歌詞は 、英語の歌詞として 、

 原語のまま 、耳で理解でき 、楽しめるといいですね 。

  引用はじめ 。

  Raindrops on roses and whiskers on kittens
  薔薇に落ちた雨の滴に 子猫のひげ
 
  Bright copper kettles and warm woolen mittens
  赤褐色のやかんに あったかい羊毛の手袋

  Brown paper packages tied up with strings
  紐で結ばれた茶色の紙包み

  These are a few of my favorite things
  みんなささやかな 私のお気に入り

  Cream colored ponies and crisp apple strudels
  クリーム色の子馬に サクサクしたりんごの焼き菓子

  Door bells and sleigh bells and schnitzel with noodles
  玄関の呼び鈴にソリの鈴 そして麺を添えた仔牛のカツレツ

  Wild geese that fly with the moon on their wings
  翼に月を乗せて羽ばたく野生の雁

  These are a few of my favorite things
  みんなささやかな 私のお気に入り

  Girls in white dresses with blue satin sashes
  白のドレスに青い繻子織りの帯をした女の子

  Snowflakes that stay on my nose and eyelashes
  私の鼻とまつ毛に乗っかる雪のかけら

  Silver white winters that melt into springs
  春の中へと解けてゆく白銀の世界

  These are a few of my favorite things
  みんなささやかな 私のお気に入り

  When the dog bites
  犬に噛まれたとき

  When the bee stings
  蜂に刺されたとき

  When I'm feeling sad
  悲しい気分のとき

  I simply remember my favorite things
  私のお気に入りたちを ただ思い出すの

  And then I don't feel so bad.
  そうすると つらい気分もしなくなるわ

  (日本語訳:東エミ)

  引用おわり 。

  ( ´_ゝ`) 

  ( ついでながらの

    筆者註:「 ミュージカル 『 サウンド・オブ・ミュージック 』

       (1959年)のうちの1曲 。リチャード・ロジャース

        作曲 、オスカー・ハマースタイン2世作詞 。映画

        では 、雷を怖がる子供達がマリア先生( ジュリー・

        アンドリュース )の部屋にやってくる場面で歌われ

        る 。また 、マリア先生が トラップ家に帰ってきた

        ときにも歌われる 。 」

       「 シュニッツェル( ドイツ語: das Schnitzel
         バイエルン・オーストリア語: das Schnitzerl , 
         ヘブライ語: שניצל‎ )は 、オーストリアの肉料理 。( 日本の ビーフ・カツレツ 
         ドイツ 、オランダ、東欧からイスラエルやトルコ にも似た揚げ物 )
         にかけての西アジア圏でも盛んに食べられる 。

        概 略
         本来は 仔牛肉を用いて ミートハンマーで叩いて
        薄くし 、細かいパン粉を付けて揚げたものをいう 。
         パン粉を挽き立ての黒胡椒で味付けしておくこと
        もある 。やや多めのバターかラードで揚げ焼き
        したもので 、日本の豚カツのように多量の油を
        使用する揚げ物ではない

         実際には 豚肉や鶏肉も使われる 。イスラエル
        では 、当地の多くを占めるユダヤ教やイスラム
        教で豚肉を食べる事が禁じられているため 、鶏
        や七面鳥の胸肉で調理され 、豚肉で調理される
        ことはない 。」  

       「 イタリアのミラノには 、コトレッタ・アッラ・
        ミラネーゼ( ミラノ風カツレツ )というよく似
        た郷土料理がある 。こちらは骨つきの仔牛肉を
        用いる 。また 、格子状の切れ目をつけて揚げる 。  」

        以上ウィキ情報 。

        子どもの頃 、劇の途中で いきなり 唐突に歌いだす

        ミュージカル は 、いきなり踊り出すのが定番のイン

        ド映画くらい苦手だった 。でも 、サウンド・オブ・

        ミュージック あたりから 、だんだん抵抗感が減って

        いったような気がする 。映画「 ウエスト・サイド物

        語 ( West Side Story ) 」も 、公開後 何年も経って

        から 、渋谷にあった名画座あたりで 、初て観て 、

        いたく感動した記憶がある 。)

 

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あたりかスカか Long Good-bye 2024・07・12

2024-07-12 05:55:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」 は 、ChatGPT さん が教えてくれた 、

 どなたかの お言葉 。

   " Time is short, love is long. "

  「 時は短く愛こそが人生だ 。 」

 ( ´_ゝ`)

  " Love is not something you need, 
      but something you choose. "

  「 愛は必要なものではなく 、選ぶものだ 。」

 ( ´_ゝ`)

  " If you can't save 100 people, save one. " 

  「 100人を救えないのなら 、一人を救いなさい 。」

   これは 、マザーテレサ でしょ 、ChatGPT さん 。

    自分を含めれば 、二人救われる 。

 

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抜け道の多い社会は良い社会 Long Good-bye 2024・07・10

2024-07-10 05:05:00 | Weblog

 

  76年余り生きてきて 、一体 何度 引越しを重ねてきたかと

 考えた 。三月の卒園を待たずに引越した幼稚園時代を含める

 と 、大学に入るまでに 、七回 引越した 。大体 親の自己都合

 による引越しである 。回数として多いのか少ないのかは 、

 わからないが 、転勤族の家庭なら 、ごく普通のことかも知れ

 ない 。社会人になってからは 、幼時の反動か 、50年間で

 たった四度しか引越していない 。サラリーマンなのに 、住

 居移転を伴う転勤すら経験していない 。

  そんなことを考えているときに 、思いだしたのが 、同世代

 の作家 、村上春樹さんの お若い頃の随筆 に出て来る 引越し

 の話 。

  今日の「 お気に入り 」は 、ふと 書き留めた いくつかの文章 。 

  引用はじめ 。

 「 引越しの良いところは 、何もかもを『 ちゃ
  ら 』にできることである 。近所づきあい 、
  人間関係 、その他もろもろの日常生活の雑事 、
  そういうのが全部一瞬にしてパッと消滅してし
  まうのである 。この快感はもう一度覚えると
  忘れることができない 。」         ( リセット症候群みたいなやつです )

 「 一九六九年の春のことである 。家具・荷物
  なんて殆どないから引越すのは実に楽だ 。
  布団と洋服と食器を車のトランクに放り込ん
  でしまえば 、それでもう準備完了である 。
  人生というのはすべからくこうありたい 。 」

 「 年をとってから思いかえしてみると自分がす
  ごくはりつめた青春時代を送ってきたような
  気がするものなのだが 、実際にはそんなこと
  はなくて 、みんな馬鹿なことを考えながらた
  らたらと生きてきたのである 。」

 「 現在の閉塞した社会状況はとても心配である 。
  抜け道の数が多ければ多いほどその社会は良い ( 閉塞した社会状況は 40年 、
  社会であると僕は思っている 。」        50年経った今も変わりはない )

  引用おわり 。

 「 当たり前の毎日は 、奇跡の積み重ねである 。」

   どこかで耳にして 、心に残った 、どなたかの言葉 。

   ひょっとして 、夢現の中で聞く 、朝のラジオ番組

  こころのともしび ?

   まさかとは思うが 、ありうる 。

 

 

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