今日の「お気に入り」は、藤沢周平さん(1927-1997)の小説「父(ちゃん)と呼べ」の一節。
「 突然夥(おびただ)しい鳥の啼(な)き声が徳五郎を愕(おどろ)かした。いつの間にか上空に無数の鰺刺(あじさ)しが群れて
いて、やがて徳五郎の眼の前で、水中の小魚を啄(ついば)みはじめた。鰺刺しの白い躰は、石を投げおろすように真直ぐ水
面に落下し、高い飛沫を上げた。次々と落下し、一瞬の間に小魚を咥(くわ)えて空に駆け上がる。水面が騒然とした感じに
なり、その中にきらりと腹をひるがえす魚の影が見えた。
空を覆う眩しい光の中で、黒っぽく不吉に舞い狂う鳥の姿が、徳五郎の気持ちを落ちつかなくした。」
(藤沢周平著「闇の梯子」文春文庫所収)
今日の「お気に入り」は、加島祥造さん(1923- )が訳された『タオ――老子』の第一章です。
これが道(タオ)だと口で言ったからって、
それは本当の道(タオ)ではない。
これが道(タオ)だと名付けたからって、
それは本当の道(タオ)ではない。
なぜって、それが道(タオ)だと言ったり、
名付けたりする君自身が、
道(タオ)にふくまれるからだ。
人間が名付けるすべてのものや、
ものを知ったと思う人間たちの向こうに、
名のない道(タオ)の領域が、はるかに広がっている。
その名のない領域から、
まず天と地が分かれ、
天と地のあいだから
数知れぬ名前がうまれてきたというわけなんだ。
だから、この名のない領域を知るためには、
欲を捨てなければならない。
欲をなくすことで
はじめて真のリアリティが見えるのだ。
人は名のあるものに欲をおこす、そして
名のついた表面だけしか見えなくなるのさ。
名のない神秘の世界と、
そこから出た数知れぬ名のあるもの――
このふたつは、同じみなもとから出てくる。
名がつくことと、つかぬことの違いがあるだけさ。
名のつかぬ領域。
それは、闇に似て、
暗く、はるかに広がっている。
その向こうにも、暗く、はるかに広がっている。
その向こうにも……
それを、宇宙の神秘と呼んでもいい。
その神秘を分けていくとき、人は本物のいのち、
Life Force の入り口に立つのさ。
(加島祥造著「老子と暮らす」光文社知恵の森文庫)
今日の「お気に入り」は、アイルランドの詩人W.B.イエーツの詩「薄明かりの中へ」(加島祥造さんの翻訳)。
疲れた時代の疲れ果てた心よ、さあ
善悪正邪の編み目をぬけ出て
ここにこないか
夜明けの光のなかで
ふたたび笑わないか、心よ、
朝霧のなかでまた
深い息をしないか
毒舌中傷の火に焼かれ
君の希望は消え去り、愛はくずれさるとも
君の母なる故郷はまだ若いのだ、つねに
朝霧は輝き、薄明かりは銀色なのだ
心よ、ここにこないか、ここでは
丘に丘が重なり
神秘の愛に満ちて
陽と月と森と川が互いに
いつくしみあっているのだ
そして神は彼の淋しい角笛を吹き
時代と時間はひたすら遠くへ飛び去るが
ここでは薄明かりは愛よりも優しく
朝霧は希望より貴重なのだ
(加島祥造著「老子と暮らす」光文社知恵の森文庫 所収)
今日の「お気に入り」は、藤沢周平さん(1927-1997)の小説「鷦鷯(みそさざい)」から。
「 今日は一日中薄ぐもりで、昼過ぎからはほんの少し日射しがちらついたりして
いるが、昨日、一昨日の二日間は、時雨が降ってはやみ降ってはやみする陰鬱
な空模様で、ことに昨日は、日暮になるとそれまで降っていた雨がとうとう霰
から霙に変わった。背中のあたりがいやに冷えると思いながら板戸を閉めに立
つと、薄暗い地面を打ち叩いているのは霰まじりに雨だったのである。
二日つづいたつめたい雨は、領国の境いにある山山ではおそらく雪になってい
て、頂きを白い冬の姿に変えたに違いなかった。雲が晴れればそれがわかるだ
ろう。しかし雨こそやんだものの、空はまだ灰色の雲に覆われ、庭には昨日ま
での底冷えする空気が残ったままだった。その片隅で、また鷦鷯が鳴いた。」
」 (藤沢周平著「鷦鷯」文春文庫)