「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・12・31

2013-12-31 08:40:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「この百科事典には項目ごとに一々サインがある。サインした人は当時の各界名士である。名士は新聞雑誌に召集されてはじめて名士である。名士の原稿は当然掲載されることを欲する。したがって名士は編集方針を察してそれに迎合した原稿を書く。故にその責任はあげて編集長にある。
 編集長はあの名高い林達夫である。林達夫は当時も今も一世の尊敬を集めた人である。この人は名前だけの責任者ではなく、文字通りの責任者で、酒席で雑談しているときでも漏れていた一項目を得ると、とびあがってメモしたほどだったといまだに語り草になっている。
 それなのにこの編集である。軍艦長門や陸奥を載せたって軍国主義にもどるわけはない。私はこれほどの人物がどうしてこんな編集の方針をたてたか理解しかねるのである。
 小学館以下の百科事典が別個の方針ならそれを買えばいいのだが、そうでないから困るのである。辞書は盗むものだというと語弊があるが写すものである。ことに小学館は平凡社を写して訴えられた。写真を図版に改めているからコピーではないと言いはったが通らなかったことがある。だから平凡社にない項目は他社にもないと思って大過かないのである。
 いま再び百科事典合戦だという。まだ出たばかりだから分らないが、私は何度も以上のことを言ってきた。新しい事典にその弊がないことを願うばかりである。
                                     (『読売新聞』昭和60年3月6日夕刊)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

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2013・12・30

2013-12-30 13:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「辞書は多く写してつくると教えると驚くものがある。自社の大きな辞書をコンサイスにするときは、まず項目を写して、ついで解釈を写して簡略にする。入社以来それを仕事として社員が辞書は写すものだと心得るのはやむを得ない。ついでに他社の辞書も写して平気になる。だから辞書の多くは短時日に成る。
 百科事典もその例外ではない。戦後しばらく百科事典は平凡社にかぎる時代があったが、やがて小学館、学研、講談社がまねするようになった。いま再び平凡社と小学館が久しぶりで新版を出していずれも好成績だという。
 私は平凡社の『世界大百科事典』全三十二巻(昭和三十年版)を持っている。持ってはいるが使ってない。はじめ使ったらその項目がないこと三つ四つたて続けだったから以後使う気を失ったのである。そのことは何度か書いたが、まとめて言わせてもらうと『木口小平』がなかった、『鑑札』がなかった、『教育勅語』がなかった。
 自転車には鑑札税がかかった。古道具屋は鑑札を受けなければ商売できなかった。これよりさき淡谷のり子は歌い手としてデビューするに当たって『遊芸稼人(かせぎにん)』の鑑札をうけたと語っている。役者も鑑札がなければ舞台に立てなかった。一等から八等まであって、勘三郎も杉村春子もその鑑札をうけているはずである。
 二枚鑑札という言葉ならまだ残っている。娼妓(しょうぎ)の鑑札を持たないで娼妓同様のことをする芸者のことを言う。この言葉も辞書には出てない。百科事典だから古今の鑑札がずらりと居並んでいるかとさがしたら、そもそも鑑札という項目がなかった。
 事典というものはいくら万全を期しても遺漏はまぬかれないから鑑札がなくても私はちっともとがめない。あとで増補すればいいことである。
 ただ木口小平や教育勅語や軍艦長門、陸奥がないのはこれとは違う。木口は同じ社の戦前版には出ていたからわざと削ったのである。同じ料簡で連合艦隊をはじめ、軍艦長門、陸奥を削ったのである。このことは阿川弘之氏が書いている。
 全八巻の『国民百科』にはそもそも連合艦隊という項目がない。戦艦長門、陸奥を知るにはアメリカ百科事典を見なければならない云々。
 私が百科事典にあいそをつかしたのは教育勅語のテキストが出ていなかったからである。教育勅語の項目はある。けれどもそこには教育勅語がいかに教育を害したかが書いてあるだけで、かんじんな教育勅語の原文は出てないのである。原文は四百字に足りない。これを掲げた上で意見を添えたければ添えるがいい。
昭和二十年八月十五日このかた以前ほめちぎったことをあしざまに言うようになった。それならこの次は何を言うか知れはしない。そのたぐいの意見をのせないのが百科事典の見識というものだ

                                 (『読売新聞』昭和60年3月6日夕刊)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

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2013・12・29

2013-12-29 08:15:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「辞書や事典を私たちは信じすぎる傾きがある。なかには辞書にない言葉なら存在しないと言いはるものさえある。私は辞書にない言葉はなるべく使わないことにしているが、たまには使う。
 葉書一枚『まんそく』に書けないというとき、東京ではまんぞくと濁らないでまんそくと澄んで言った。こう言うといかにも『まんそく』に書けない感じが出る。ついこの間まで言ったが、これはたいていの辞書には出てない。したがって間違いだと言われるからもう書かない。こうして語彙(ごい)の一つは減るのである。
                                     (『読売新聞』昭和60年3月6日夕刊)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

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2013・12・28

2013-12-28 09:40:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「昭和四十年、高見順が死んだとき『これじゃあまるでキグチコヘイだね』と言ったものがある。高見順はガンをわずらいながら、なお『日本近代文学館』創立のための資料――古新聞古雑誌を集めることをやめようとしなかったからである。
 見かねて『みっともないまねはよせ』と意見する友もあったが高見はきかなかった。『キグチコヘイは死んでもラッパを口からはなしませんでした』と小学一年の読本にあるから、木口小平だねと言ったのである。ところが一座のなかに木口小平を知らない若者がいたから、驚いて百科事典をひかせたら載っていなかった。
                                       (『読売新聞』昭和60年3月6日夕刊)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

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人みな飾って言う 2013・12・26 人みな心がわりする

2013-12-26 15:45:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「私は一葉がひどい近眼で猪首で初対面の人には三つ指ついてお辞儀するような固苦しいところがあることも読んで知っていた。孤蝶が言うことが本当だろうことは、のちの三宅雪嶺夫人田辺花圃(かほ)も似たことをいっているので承知していた。若くして死んだ一葉はいよいよ美人になる。はじめは打消していたが、いつまで打消すのも異(い)なもので美人になるにまかせた。半井桃水(なからいとうすい)との仲はどうかと問われ、花圃はあれはのろけて自分から吹聴したのだと初めは言ったが、しまいには日記の通りですと降参するようになった。繰返すが私は一葉に惚れているのだから、いくら肺病ですすけているといわれても、忽ちもとの美人にもどってしまうのである。ちと兎に似ているけれど。
 四つ年上のこの花圃は一葉と萩の舎塾の同門で、坪内逍遥の推薦で金港堂から『藪の鶯』という小説を出した。この一冊でひとかどの閨秀作家になって、三十三円二十銭の筆墨料を得たと聞いて一葉は羨ましくてならない。無謀にも私も、と思ったのである。金港堂は当時一流の版元である。
 一葉は貧しい。いま極貧である。父則義が存命のころは中流ではないが食うに困るようなことはなかった。則義はなまじ商才があるのがいけなかった。晩年古い知人と共同で事業を起し、それが失敗して破産の宣告を受け負債だけ残して死んだ。時に明治二十二年則義六十歳、一葉十八歳。
 残された母たき妹邦子は他家の洗濯もの針仕事をして一葉の小説が売れるまで支えた。一人ひとつき最低二円かかる時代である。三人だから六円、賃仕事ではそれだけもらえない。妹の友が朝日新聞のお抱え小説家半井桃水を紹介してくれた。桃水は妻に死別して独身である。これも聞えた美男である。一葉はひと目ぼれする。桃水も憎からず思っているがかりにも師である、耐えて知らぬふりをしている。
 桃水が新聞の通俗小説家であることを一葉はやがて知った。それでも恋は恋である。花圃は一葉が自ら吹聴したというがそりゃそうだろう。一葉は祝儀の宴の晴衣の一枚もない。貴婦人令嬢に公然とないのは恋だけである。これが言わないでいられようか。日記は必ずしも本当のことは書かない。または書けない。人みな飾って言う。一葉の片恋はクライマックスに達する。孤蝶があらわれたからではない、緑雨(りょくう)が登場したからではない。
 人みな心がわりする。誰しも身におぼえがあることである。その委曲は次回にと言いたいが私は迷っている。原文のままでは分らない恐れがある。さりとて口語文にダイゼストするのは勿体ない。
(『文藝春秋』平成14年7月号)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

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2013・12・25

2013-12-25 07:15:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「私は父が脳溢血で斃れて死ぬまでのまる一年、父が書いて掲載された古新聞、古雑誌の全部と、毛筆で書いた日誌数十冊を読破してしまった。小学六年から中学一年にかけての半年あまりのことである。
 次いで私は父の書棚の本を片はじから読んだ。ことに鷗外の『水沫(みなわ)集』『二葉亭四迷全集』(初版)、女流では『一葉全集』を最も愛読した。一葉全集には一葉の写真が出ているが、一人でまっ正面から撮ったのは一枚しかないらしく別の本でも選集でも、いつも同じ写真が出ている。あとは萩(はぎ)の舎(や)中島歌子の門下一同が勢揃いした二列目、向って左から三人目が当人というがごとき豆粒大の写真で、虫眼鏡で見ても他と区別できない。
 美人だ、と少年の私は何度もためつすがめつして感嘆した。ただの美人ではない、内なるものが外にあふれようとして辛くもふみとどまったような美人だ。死んだ人に惚れることはままあることで、私は一葉に惚れたのである。古本を読むことは死んだ人と話すことで、少年の私は二葉亭四迷と友になったのである。今日が平成十四年五月二十五日だとすれば明治三十ニ年五月二十五日の古新聞を見れば、全く同じことが書いてある。この世の中にニュースはない、と常々言う私は実はこの世の人ではないのである。
 たしか昭和八年の晩秋だった。ふとしたことで私は一度だけではあるが、馬場孤蝶に会った。孤蝶は平田禿木(とくぼく)や島崎藤村と同じく『文學界』の同人で、一葉の晩年の友である。禿木と共に三日にあげず訪ねている。さぞ迷惑だったろうと私は察するがそうではない。一葉は萩の舎の代稽古が務まるほど古典に明るいが、西洋に暗い。『文學界』の同人は西洋にはまあ明るい。一葉は耳から新知識を得て、すぐ上野の図書館へかけつける。それに孤蝶は美青年である。孤蝶君不平々々の声を聞く嬉しき人なり、と一葉は日記に書いている。
 その孤蝶に会えたのである。往年の美男ぶりをとどめている。ただしやさ男ではない。骨太である。僕は一葉女史のあの写真が大好きです。あの通りでしたか、と聞いたら孤蝶答えて曰く、死んだ子は見目(みめ)よしと言う、一葉の顔色はあの病気特有のすすけた色でした、と写真必ずしも真を写さないということをおだやかな口調で言ったのでははあと私はすぐ合点した。
                                        (『文藝春秋』平成14年7月号)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

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再び健康というものはイヤなものである 2013・12・24

2013-12-24 11:15:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「もし中国人に対してすまないなら、台湾人に対してもすまないはずである。朝鮮人に対してもすまないはずである。中国人だけにすまないと言うのは怪しい。まして八月十五日は何の日かと問われて、一方で知らないと答える若者が、一方ですまないと答えたからといって、おおよしよしと頭をなでてやるのはなお笑止である。それは若者の迎合か、偽善である。
 政治と道徳は混同してはならないものだと思うがどうか。中国にすまないと言いさえすれば、良心的になれるならラクである。だから一同すまながって、気分を出しているのである。
 その気分を出すものが、かくも多いのは、それがタダだからである。真にすまないと思うものは、一万円、千円、せめて百円喜捨(きしゃ)せよと命じたら、その人数は半減し、さらに半減し、ついになくなるだろう。再びこれが健康というもので、健康というものはイヤなものである
 タダほど高いものはないというが、はたしてこれは高くつく。公明党はまさか第五列ではあるまいに、政治と道徳を一緒くたにして、外交交渉にまず贖罪(しょくざい)の気持ちを披歴(ひれき)しなければならないと称して、ひたすら披歴した。
 けれども、広島や長崎に原爆を投じたことを詫びて、外交交渉にはいったアメリカ使節団があったろうか。そのとき席上で詫びなければ許さぬと迫ったわが使節団があっただろうか。
 中国は日本人をよく知って、みちびいて、贖罪させるのに成功した。善男善女の、あの良心的というものに、私は深い意味はないとみている。センチメンタルにすぎないと思っている。けれども、それは世界に類のないものである。利用されると国益を損ずるものである。中国ばかりでなく各国に、それは利用される恐れがあるものだから、ご用心と言いたい

                                         (『小説新潮』昭和46年11月号)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

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健康というものはイヤなものである 2013・12・23

2013-12-23 09:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「戦争はすむもすまないもないものである。あれはもともとすまないことのかたまりで、その巨大なかたまりのなかの区々たるすまないことを争ってもはじまらないものである。
 すまないことにかけては、敵もさるものである。そのてっぺんにあるのはあの原爆で、あれを落したのはアメリカ人で、そのアメリカ人は日本人にすまないとは、内心思っても決して言わないのである。
 なぜ言わないかと、よしんば日本人がつめよっても、アメリカ人は屈しないから、つめよるものはない。稀にあれば、たぶんアメリカ人は以下のように答えるだろう。

 もし原爆を投じなかったら、戦争は永びいただろう。アメリカ軍は日本に上陸しただろう。上陸すれば、アメリカ軍は何十万の死傷者を出したろう。日本軍はその何倍か死んだろう。さらに、一般市民はそのまた何倍か死んだろう。沖縄の死傷者から推せば、それが何百万人か分る。原爆投下は戦争の終りを早くした。それだけの死傷者を救った。
 それにまた、万一、日本がアメリカに先んじて原爆を所有したら、それをアメリカ人の頭上に落しただろうと、アメリカ人は言って、日本人はそれに返す言葉がないのである。
 安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから――という名高い文句がある。広島の戦災を記念した碑文である。この文句が間違っていることを、私は以前論じたことがあるが、かいつまんで言うと、過ちは繰返さぬというのは、(私どもは)という文字を省いたものである。
 これでは原爆を投じたのは、私どもになってしまう。これを『過ちは繰返させませんから』と改めれば、首尾はととのうが、、改めようとすると反対するものがあって、それが有力で、改められないまま二十年を経た。
 はじめこの文句を工夫したのは、アメリカ人に迎合する者だったかもしれないが、今これでいいのだというのは大ぜいで、第五列ではない。良心的な人々である。
 あんなものを落したアメリカ人を、日本人が非難するのは当然である。非難されてアメリカ人が屈しないのもまた当然である。それが健康というものである。健康というものはイヤなものだが、互いに認めなければならないものである。
 だから、アメリカ人をとがめないで、日本人の方が悪いような文句を書くのは不健康である。不自然である。それを良心的だと思うのは、恥知らずだと知らない恥知らずである
。新聞の投書欄には、こういうニセの良心が勢揃いしている。
(『小説新潮』昭和46年11月号)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

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2013・12・22

2013-12-22 15:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「中国は日本及び日本人をよく知っている。ひょっとすると、日本人より知っているのではないかと思われるほどである。たとえば、日本人は自国の宰相がいくら侮辱されても怒らない。第五列が怒らないばかりでなく、大衆も怒らない。新聞でなれているからである。
 天皇の悪口を、もし新聞が大きく報道するなら、日本人も怒りだすかもしれないが、新聞がそれを大きく扱わないことを、中国は知っている。むしろ、人目につかないように、わずか五、六行で片づけることまで知っている。はたして新華社電は小さく出た。
 わが軍国主義復活の証拠に、中国があげたものに、べつに何本かの映画がある。それは良心的だといわれる監督の、俗に反戦的だといわれる映画である。それを軍国主義的だと指摘されて、はじめあっけにとられるが、たちまち、これまた軍国主義ではないまでも、反戦的ではないことになるのである。いずれ軍国主義の証拠になるだろう。
 げんに、いくら日本人が反戦的のつもりでも、中国人は好戦的とみると言いだす者がある。国土と人民にあれだけ迷惑をかけたのだから、中国人ならそう思う。その配慮が全くないと、我と我が身を反省する者があると、それに賛成するものがあらわれるのである。
 それを中国人は知って、あっけにとられることを続々言いだすのである。かねて中国に対してすまないと言うものがあって、それは良心的な人々で、良心的なのはいいことだから、一億すまながると、中国人はにらんで言いだすのである。第五列以外の大衆を、引きこむのである。
                                          (『小説新潮』昭和46年11月号)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)


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第五列 2013・12・21

2013-12-21 15:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「中国はもと礼譲の国だったが、このごろ失礼の国になった。ラジオでときどき北京放送を聞くが、中国がわが国を口ぎたなく罵(ののし)らない日はない。
 佐藤のやから、佐藤のやからとアナウンサーが連呼するから、佐藤のやつらの誤りかと怪しんだら、そのうち長官中曽根と言ったので、ははあと合点した。
 中曽根長官といえば尋常で、侮辱したことにならないから、長官中曽根と呼んだのだろう。順序を転倒させると、語気荒く、憎々しくなる。ほかに、米日反動派はぐるになって悪事を働き、日本人民を苦しめている云々と、まずこんなことを言いつづけている。
 天皇ヒロヒトの手は、日本人民の血にまみれていると、これはラジオでなく新聞に小さく出ているのを読んだ。新華社電は日本の軍国主義を非難して、ついでに天皇の手を血だらけにした。
 ずい分失礼なことを言うラジオであり、国である。かりにも一国の象徴や宰相を、公然と凌辱することかくの如き国を、いまだかつて私は知らない。もしわが国が軍国主義なら、直ちに干戈(かんか)に訴えただろう。毛沢東のやから、周恩来の一味に一矢(いつし)むくいたことだろう。
 中国がわが国の軍国主義を非難しだしたのは、古いことではない。半年ぐらい前からのことで、はじめはあっけにとられ、だれも相手にしなかった。
 ところがその軍国主義はあっというまにわが国にあることになった。今ではあることを疑うものの方が稀になった。
 中国があると言いだすと、待ちかまえていて、あると呼応する者が国会にいる。新聞社にいる。そんなら中国より早く言いだせばいいのに、その才がない。追従を事とする者で、いわゆる第五列である。
                                       (『小説新潮』昭和46年11月号)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)



 「第五列」と言っても現在の多くの人は何のことか分らない。スーパー大辞林には、「〔スペイン内乱中、四個部隊を率いてマドリードに進攻するフランコに呼応した共和政府内のグループを、フランコ側が第五列と称したことに始まる〕内部にあって、外部の敵勢力に呼応して、その方針のもとに活動しているグループ。」とある。
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