今日の「お気に入り」。
今生 (こんじょう) の いまが倖せ 衣被(きぬかつぎ)
羅 (うすもの) や 人悲します 恋をして
( 鈴木真砂女 )
インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア」に、「 鈴木真砂女 」さんについて、
次のような解説があります。
「 鈴木 真砂女(すずき まさじょ、女性、1906-2003 )は昭和期の俳人。
本名、まさ。娘は女優の 本山可久子 ( もとやま かくこ、1932年10月9日 - ) 。
千葉県鴨川市の老舗旅館・吉田屋旅館(現鴨川グランドホテル)の三女として生まれる。
日本女子商業学校(現嘉悦大学)卒業後、22歳で日本橋の靴問屋の次男と恋愛結婚し、
一女を出産する。しかし夫が賭博癖の末に蒸発してしまい、実家に戻る。
28歳の時に長姉が急死し、旅館の女将として家を守るために義兄(長姉の夫)と再婚
をする。俳句をしていた姉の遺稿を整理するうちに自らも俳句に興味をもつようになり、
大場白水郎の「春蘭」を経て、久保田万太郎の「 春燈 」に入門。万太郎死後は安住敦に
師事した。30歳の時に旅館に宿泊した年下で妻帯者の海軍士官と不倫の恋に落ち、出
征する彼を追って出奔するという事件を起こす。その後家に帰るも、夫婦関係は冷え切
ってしまう。
50歳のとき離婚、銀座1丁目に「 卯波 」という小料理屋を開店する(1957年3月)。
保証人は作家の丹羽文雄だった。その後は「女将俳人」として生涯を過ごすことになる。
2003年3月14日、老衰のため東京都江戸川区の 老人保健施設 で死去。96歳没。
生涯に7冊の句集を刊行。『 銀座に生きる 』などのエッセイも執筆した。
「 卯波 」は2008年1月25日に一度閉店するも、孫によって移転再開されていたが
2014年6月27日に営業を打ち切っている。
恋の句を多数残した情熱の女流俳人として 丹羽文雄 『 天衣無縫 』、 瀬戸内寂聴 『 いよよ
華やぐ 』といった小説のモデルとなった。実家の 鴨川グランドホテル には「 鈴木真砂女
ミュージアム」が地下1階に設置されている。
【 受賞歴 】
1976年、『夕螢』で第16回俳人協会賞
1995年、『都鳥』で第46回読売文学賞
1999年、『紫木蓮』で第33回蛇笏賞
」