「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

Long Good-bye 2021・04・29

2021-04-29 06:19:00 | Weblog





 今日の「お気に入り」。


   今生 (こんじょう) の いまが倖せ 衣被(きぬかつぎ) 

   羅 (うすもの) や 人悲します 恋をして

              ( 鈴木真砂女 )






  インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア」に、「 鈴木真砂女 」さんについて、

 次のような解説があります。

 「 鈴木 真砂女(すずき まさじょ、女性、1906-2003 )は昭和期の俳人。

  本名、まさ。娘は女優の 本山可久子 ( もとやま かくこ、1932年10月9日 - ) 。

  千葉県鴨川市の老舗旅館・吉田屋旅館(現鴨川グランドホテル)の三女として生まれる。

   日本女子商業学校(現嘉悦大学)卒業後、22歳で日本橋の靴問屋の次男と恋愛結婚し、

  一女を出産する。しかし夫が賭博癖の末に蒸発してしまい、実家に戻る。

   28歳の時に長姉が急死し、旅館の女将として家を守るために義兄(長姉の夫)と再婚

  をする。俳句をしていた姉の遺稿を整理するうちに自らも俳句に興味をもつようになり、

  大場白水郎の「春蘭」を経て、久保田万太郎の「 春燈 」に入門。万太郎死後は安住敦に

  師事した。30歳の時に旅館に宿泊した年下で妻帯者の海軍士官と不倫の恋に落ち、出

  征する彼を追って出奔するという事件を起こす。その後家に帰るも、夫婦関係は冷え切

  ってしまう。

   50歳のとき離婚、銀座1丁目に「 卯波 」という小料理屋を開店する(1957年3月)。

   保証人は作家の丹羽文雄だった。その後は「女将俳人」として生涯を過ごすことになる。

  2003年3月14日、老衰のため東京都江戸川区の 老人保健施設 で死去。96歳没。

   生涯に7冊の句集を刊行。『 銀座に生きる 』などのエッセイも執筆した。

  「 卯波 」は2008年1月25日に一度閉店するも、孫によって移転再開されていたが

  2014年6月27日に営業を打ち切っている。

   恋の句を多数残した情熱の女流俳人として 丹羽文雄 『 天衣無縫 』、 瀬戸内寂聴 『 いよよ

  華やぐ 』といった小説のモデルとなった。実家の 鴨川グランドホテル には「 鈴木真砂女

  ミュージアム」が地下1階に設置されている。

  【 受賞歴 】
   1976年、『夕螢』で第16回俳人協会賞
   1995年、『都鳥』で第46回読売文学賞
   1999年、『紫木蓮』で第33回蛇笏賞 
                                         」



 

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Long Good-bye 2021・04・10

2021-04-10 07:19:00 | Weblog



  今日の「お気に入り」は、「カズオ・イシグロ」さんについて、インターネットのフリー百科事典

 「 ウィキペディア」や同英語版 Wikipedia に掲載されている記事の中からいくつか。

  4月7日に引用した記事の『追加』引用で、『カズオ・イシグロ』さんの経歴のうち、作家活動を

  始める前の同氏の『生い立ち』に関する記述です。

 「 長崎市新中川町で、海洋学者の父・石黒鎮雄(1920年〜2007年)と母・静子の間に生まれる。

  祖父の石黒昌明は滋賀県大津市出身の実業家で、東亜同文書院(第5期生、1908年卒)で学び、

  卒業後は伊藤忠商事の天津支社に籍を置き、後に上海に設立された豊田紡織廠の取締役になる。

  父の石黒鎮雄は1920年4月20日に上海で生まれ、明治専門学校で電気工学を学び、1958年

  のエレクトロニクスを用いた波の変動の解析に関する論文で東京大学より理学博士号を授与された海

  洋学者であり、高円寺の気象研究所勤務の後、1948年長崎海洋気象台に転勤となり、1960年

  まで長崎に住んでいた。長崎海洋気象台では副振動の研究などに携わったほか、海洋気象台の歌を作

  曲するなど音楽の才能にも恵まれていた。母の静子は長崎原爆投下時10代後半で、爆風によって負

  傷した。

   幼少期には長崎市内の幼稚園(長崎市立桜ヶ丘幼稚園)に通っていた。1960年に父が国立海洋研

  究所所長ジョージ・ディーコンの招きで渡英し、暴風によって発生し、イギリスやオランダの海浜地

  帯に深刻な災害をもたらした1953年の北海大洪水を、電子回路を用いて相似する手法で研究する

  ため、同研究所の主任研究員となる。北海で油田調査をすることになり、一家でサリー州・ギルフォ

  ードに移住、現地の小学校・グラマースクールに通う。

   卒業後にギャップ・イヤーを取り、北米を旅行したり、デモテープを制作しレコード会社に送ったり

  していた。

   1974年にケント大学英文学科、1980年にはイースト・アングリア大学大学院創作学科に進み、

  批評家で作家マルカム・ブラッドベリの指導を受け、小説を書き始めた。卒業後に一時は

  ミュージシャンを目指していた時期もあったが、グラスゴーとロンドンにて社会福祉事業に従事する

  傍ら、作家活動を始める。」





「 Born: 8 November 1954 (age 66) Nagasaki, Japan
Occupation;   Novelist・short story writer・screenwriter・columnist・songwriter
Nationality: British
Citizenship: Japan (until 1983)
       United Kingdom (since 1983)
Education:  University of Kent (BA)
       University of East Anglia (MA)
Period: 1981–present
Genre:  Drama・Historical fiction・Science fiction・Genre fiction
Notable works: An Artist of the Floating World
        The Remains of the Day
        When We Were Orphans
        Never Let Me Go
        Klara and the Sun
  Spouse Lorna MacDougall ​(m. 1986)​
 Children Naomi Ishiguro (b. 1992) 」





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Long Good-bye 2021・04・07

2021-04-07 05:55:00 | Weblog



  今日の「お気に入り」は、インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア」掲載の記事をいくつか。


 「 イースト・アングリア大学( University of East Anglia, UEA )は、イングランド東部、

  ノーフォーク州、ノリッジに本部を置く1963年に創立されたイギリスの国立大学


  約320エーカー(東京ドーム約28個分)の広大なキャンパスには、2015年時点で

  約13,000名の学生が在籍・・・。」

 「 イースト・アングリア大学では、4つの学群 Faculty )の下に23学部 School

  が配置されるという構成を取り、300種以上の課程を提供している。」

 「 イギリス国内におけるランキング評価:

   National Student Surveyによる学生満足度調査では3位に位置し、調査開始から5位

  以内を維持し続けている唯一の大学である
。」


 「 同校のモットーは、Do Different、公式サイト www.uea.ac.uk


 「 イースト・アングリア大学のある『ノリッジNorwich )』は、イングランド東部、

  ノーフォークの州都。人口約17万人(2010年現在)。慣用的にはノリッジまたは

  ノリッチと表記され、またノーリッチノーウィッチと表記されることもある。

  Norwich は古英語で「北の町」(north town)を意味し、英語圏の各地に同名の場

  所が存在する。」


  同校の「卒業生」の中には、「カズオ・イシグロ」さんもいらっしゃいます。

 「サー・カズオ・イシグロ Sir Kazuo Ishiguro OBE FRSA FRSL、漢字表記: 石黒 一雄、

  ( 1954年11月8日 - )は、長崎県出身の日系イギリス人小説家。

  1989年に長編小説『日の名残り』(原題:The Remains of the Day )で英語圏
 
  最高の文学賞とされるブッカー賞を、2017年にノーベル文学賞を受賞した。

  Knight Bachelor。ロンドン在住。」

  同氏の最終学歴は、上記のイースト・アングリア大学( UEA )大学院、学位は Master of Arts in creative writing

 「 1986年以来、ソーシャル・ワーカーのLorna MacDougallと結婚している。

  娘のナオミ・イシグロもまた作家である。」


 「 両親とも日本人で、本人も成人するまで日本国籍であったが、幼年期に渡英しており、

  日本語はほとんど話すことができないとしていた。しかし、2015年1月20日に英国紙の

  『ガーディアン』では英語が話されていない家で育ったことや母親とは今でも日本語

  で会話すると述べている。
さらに英語が母語の質問者に対して、” I'm pretty rocky,

  especially around vernacular and such.
”など『言語学的には同じくらいの

  堅固な(英語の)基盤を持っていません』と返答している。最初の二作は日本を舞台

  に書かれたものであるが、自身の作品には日本の小説との類似性はほとんどないと語

  っている。」

 「 1990年のインタビューでは『もし偽名で作品を書いて、表紙に別人の写真を載せ

  れば『 日本の作家を思わせる 』などという読者は誰もいないだろう』と述べている。

  谷崎潤一郎など多少の影響を与えた日本人作家はいるものの、むしろ小津安二郎や成

  瀬巳喜男などの1950年代の日本映画により強く影響されているとイシグロは語っ

  ている。
日本を題材とする作品には、上記の日本映画に加えて、幼いころ過ごした長

  崎の情景から作り上げた独特の日本像が反映されていると報道されている。




 「 2017年10月のノーベル文学賞の受賞後にインタビューで、『予期せぬニュース

  で驚いています。日本語を話す日本人の両親のもとで育ったので、両親の目を通して

  世界を見つめていました。私の一部は日本人なのです。私がこれまで書いてきたテー

  マがささやかでも、この不確かな時代に少しでも役に立てればいいなと思います』と

  答えた。なお、ノーベル財団では公式な国別の受賞者リストを出していないという立

  場であり、公式ホームページにおける出生国による受賞者のリストは便宜上の非公式

  なものである。ノーベル財団は公式のプレスリリースにおいて『2017年度のノー

  ベル文学賞は英文学作家のカズオ・イシグロに授与された』( The Nobel Prize in

Literature for 2017 is awarded to the English author Kazuo Ishiguro.
)と

  発表している。」









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