「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

自覚のない多神教徒 Long Good-bye 2023・08・31

2023-08-31 05:15:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、

  歴史作家 関裕二さん の 「 スサノヲの正体 」から 。

  備忘のため 、抜き書き 。昨日の続き 。

  引用はじめ 。  

  「 日本列島で独自の文化を築き上げていた縄文人たちは多神教的発想

   をよく守り 、大自然には太刀打ちできないとかしこまった 。

    一神教の考えは正反対だ 。一神教は唯一絶対の神が宇宙を創造し 、

   神に似せて人を創ったと説く 。だから 、人は神になりかわって大自

   然を支配し 、改造する権利を持つと考えた 。人間の理性が 、正義と

   考える 。そして 、この一神教的発想が 、さらに恐ろしい文明を造り

   始める 。

    一神教は砂漠で生まれた 。生命を排除する苛酷な砂漠で生きていた

   人たちは 、豊穣の大地を追われた人たちでもある 。だから 、政敵や

   他民族を呪い 、復讐の正統性を求めた 。これが 、一神教の原点だ 。

   だから 、『 旧約聖書 』の中で 、神自身が復讐を誓っている 。

    ちなみに一神教は 、多神教が発展して成立したと信じられてきた 。

   だから 、キリスト教徒たちは 、野蛮な多神教徒たちをキリスト教の

   高みに引き上げる義務があると 、真剣に考え 、植民地支配を正当化

   してきたのだ 。

    結果 、世界の多くの人びとが 、一神教を信じるようになった 。

    先進国の中で多神教を守り続けているのは 、日本だけなのだ 。

    古代の列島人が 、文明や進歩に懐疑的だったことを 、考古学が明

   らかにしてしまったのだ 。しかし 、なぜ文明にさからうことがで

   きたのだろう 。

    なぜ文明を嫌ったのだろう 。 」

  「 われわれ日本人は 、多神教的精神世界に生きてきたのだ 。その点 、

   現代日本人も 、潜在的に文明や進歩に対し懐疑心を抱き続けている

   と思う 。そしてこの発想こそ 、スサノヲの問いかけに通じている

   のだ 。 」

  「 ヤマト建国にもっとも貢献していたのが 、スサノヲのモデルとな

   った人物だった 。しかし裏切られてしまったために 、スサノヲは

   祟る恐ろしい神と信じられ 、だからこそ 、神の中の神と称えられ

   たわけである 。

    また 、スサノヲが称えられる理由は 、もうひとつあったと思う 。

   スサノヲは文明論を掲げていて 、それが 、縄文時代から継承され

   てきた列島人の三つ子の魂に寄り添うものだったから 、スサノヲ

   こそ 、偉大な指導者とみなされていたのではないか 。紆余曲折の

   上 、ヒョウタンから駒のような形で完成した『 ヤマトという連合

   体 』だが 、そのきっかけを作ったのがスサノヲであり 、しかも 、

   しっかりとした思想に裏付けられていたように思えてならない 。

   それは 、『 文明に抗う発想 』である 。ヤマト建国は 、世界史的

   にみても 、奇跡的なできごとだった 。『 文明と富と権力に抗った

   ネットワーク 』が 、北部九州や出雲で成長した国々に立ち向かっ

   たのである 。

    その後の日本も 、文明と距離を置くことに成功している 。七世紀

   のヤマト政権は隋や唐で生まれた律令制度を導入したが 、猿マネ

   ではなかった 。強大な権力を握る中国の皇帝のための法制度を 、

   日本風にアレンジしている 。天皇は祭司王で 、実権は合議制の太

   政官に預けた 。

    ヤマト政権は遣隋使や遣唐使を派遣し 、最先端の文明をよく学び 、

   多くの文物を持ち帰ったが 、取捨選択をして 、日本の文化と習俗に

   合うものだけを受け入れた 。また 、中国の冊封体制に組み込まれる

   ことを嫌っている 。

    日本列島人が文明を積極的に取り入れなかったのは 、島国で 、外敵

   の侵入を容易に防ぐことができたからでもある 。

    現代人はつい『 人間は進歩することに意味があるのではないか 』と 、

   想いがちだ 。しかし日本列島に暮らしてきたわれわれの御先祖様たち

   は 、『 無闇に文明と富を手に入れれば 、人間は破滅する 』ことを 、

   『 暗い予感 』とともに知っていたのだろう 。

    そして 、かたくなに自身の文化に固執した古代人のシンボル的存在が

   スサノヲであり 、列島人に慕われ 、語り継がれ 、だからこそ『 日本

   書紀 』編者は神話に登場させざるを得なかったのだろう 。 」

 

  「 孤独なスサノヲを 、私は知っている 。

    ヤマト建国の立役者だったにもかかわらず裏切られ 、『 祟る者 』と恐

   れられ神話の中に封印された 。そして 、暴れ者で賤しい者と 、レッテル

   を貼られてしまったのだ 。弁明する機会を与えられず 、誤解されたまま 、

   疫神のイメージだけが独り歩きした 。

    なぜ今回 、スサノヲを書きたかったのかといえば 、今こそスサノヲが求

   められていると思ったからだ 。ヤマトという古き良き時代の終焉とともに 、

   権力欲にまみれた藤原氏の手でスサノヲは正体を抹殺されてしまった 。邪

   神にすり替えられ 、理解されないまま孤独を味わったスサノヲの姿は 、今

   日の日本が置かれている状況と似ていると思ったのである 。

     十九世紀に 、一神教的思想と西洋文明が日本に押し寄せ 、近代化した日

   本は富国強兵政策を断行し 、文明国の仲間入りを果たした 。ただし 、帝

   国主義の手口を模倣し 、多神教徒の王だった天皇を一神教の神のような存

   在にすり替え 、『 未開の人びとを教化する正義 』を掲げ 、帝国主義の尖

   兵となったことで 、取り返しのつかない失敗を経験した 。西洋の真似は

   してみたものの 、一神教徒になりきれなかった 。だから日本人は今 、た

   しかな道しるべを失ってさまよっている 。

    現代日本人に問いただせば 、多くは 『 信仰に無関心 』と答えるだろう 。

   だがわれわれの正体は 、『 自覚のない多神教徒 』なのだ 。だからほぼ一

   神教に染まった世界の人々の思想や動きと 、うまく調和できないでいる 。

   つまり『 取り残された多神教徒 』として日本人は孤立し 、誰にも理解さ

   れず 、日本人自身も 、その理由がわからないでいるのである 。

     孤独なスサノヲと日本人 。しかし 、大自然を神と崇め 、大自然の猛威に

   人間は無力だと感じる多神教的な『 かしこまった信仰 』は 、どうしても

   守らなければならない 。

    『 神に似せて創られた人類が地球を改造し 、支配できる 』という一神教

   的発想に 、染まってはならないと思うのである 。

    日本人は 、多神教徒としての自覚と責任を感じる時代がやってきた 。

   だからこそ 、スサノヲの蘇りを願っているのである 。 」

   ( 関裕二著 「 スサノヲの正体 」新潮社 刊 所収 )  

  引用おわり 。

   

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縄文人・渡来人 縄文的・弥生的 Long Good-bye 2023・08・30

2023-08-30 05:30:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、

  歴史作家 関裕二さん の 「 スサノヲの正体 」から 。

  備忘のため 、抜き書き 。前回の続き 。

  引用はじめ 。

  「 スサノヲは 、縄文的な神だ 。

    その荒ぶる燃え上がるような魂は 、火焔型土器を彷彿している 。母を

   思い出しては泣き止まず 、大音声を響かせて天上界に昇った 。暴れまわ

   って神々や人びとに災いをもたらすその姿は 、大自然そのものだ 。嵐の

   ように暴れ 、雷神のように恐ろしい 。縄文人が恐れ 、崇め 、祈ったの

   は『 理不尽で容赦ないスサノヲのような神 』である 。

   『 日本書紀 』編者も 、スサノヲが日本人の原始の信仰を継承していた

   ことを知っていたのだろう 。中臣 ( 藤原 ) 鎌足や藤原不比等ら 、百済

   系の渡来人 ( 拙著『 古代史の正体 』 新潮新書 ) の大陸的な人びとから

   見れば 、スサノヲは疫病を振り撒く恐怖の悪神と思ったに違いない 。

   しかも政敵の祖神だったから 、見下し 、『 邪 ( あ ) しき鬼 』と蔑んだ 。

    たしかにスサノヲは荒々しい縄文の神だ 。しかしけっして野蛮ではない 。

    むしろ 、知的でさえある 。たとえばスサノヲは 、『 森 』を重視した 。

   『 日本書紀 』神代上第八段一書第五に 、スサノヲが最初新羅に舞い降り

   た話が出てくる 、ただ『 ここには住みたくない 』といい放ち 、日本に

   やってくる 。そして 、次の説話が続く 。

   『 韓郷 ( からくに ) の島には金属の宝がある 。わが子の治める国に

    浮宝 ( うくたから ) ( 船や建築に用いる木材 ) がなければ 、それは

    良くないことだ 』

     こう言って 、体毛を抜いて散らかすと 、スギ 、ヒノキ 、マキ ( 柀 ) 、

   クスノキになったので 、それらの用途を定められた 。

   『 スギとクスノキは船に 、ヒノキは宮殿の材木に 、柀は現世の墓の

    棺にすればよい 。そして 、食糧となる多くの木の実の種は 、十分

    播け 』

    このようにおっしゃり 、五十猛神 ( いたけるのかみ ) ら三柱の子ら

   は 、木の種をまかれた 。そこで 、三柱の神を紀伊国に渡らせ 、スサ

   ノヲは熊成峰 ( くまなりのみね ) に住み 、さらに根国に入って行かれ

   た ・・・ 。

    ここにある熊成峰は紀国の熊野だろう ( 異説もあるが 、ここでは深入

   りしない ) 。

    さらに 、同段一書第四には 、スサノヲの子・五十猛神にまつわる別伝

   が載る 。

    五十猛神は多くの樹木の種を携えて舞い下り 、韓地 ( からくに ) に植

   えず 、故国 ( 日本列島 ) に持ち帰り 、筑紫 ( 九州 ) から種を播き 、

   大八洲国 ( 日本各地 ) を青山に変えようとなされた 。そのため五十猛神

   を有功 ( いさおし ) の神と称賛するのである 。紀伊国に坐す神がこれだ

    ・・・ 。

    一連の説話は 、スサノヲの縄文的な思想を今に伝えている 。

    朝鮮半島や中国では 、早くから冶金が盛んに行われていた 。そのために 、 

   大量の燃料を必要とし 、森林は荒れ果てていた 。だからこそ 、日本の強

   みは『 広大な森林と湿潤な気候 』と 、気づいていたのかもしれない 。

    いや 、そうではなく 、スサノヲは 、文明に疑いを抱いていたのではな

   かったか 。文明の暴走によって森が失われていく恐怖を 、スサノヲは

   知ってしまったのではあるまいか 。 」

   ( 関裕二著 「 スサノヲの正体 」新潮社 刊 所収 )

   引用おわり 。

   文献史学と考古学の橋渡しをしてくれる本 。異論もあろうが面白い 。

 

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日本書紀 Long Good-bye 2023・08・28

2023-08-28 07:30:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、古代史の謎にメスを入れる

  歴史作家 関裕二さん の 「 スサノヲの正体 」から 。

  備忘のため 、抜き書き 。前回の続き 。

  引用はじめ 。

  「 持統天皇は件の歌の中で 、クーデターの決意を表明して

   いたのだ 。蘇我系日本海政権の象徴であるトヨの女神の

   白栲= 羽衣が天香具山に干してあり 、その衣を奪えば 、

   政権を転覆することができると言うのだ 。また 、その現

   場がなぜ天香具山なのかといえば 、神武天皇からはじま

   る『 日本海勢力の王 』が代々天香具山で『 東海勢力の

   ナガスネビコ 』を祀ってきたこと 、それが 、政権を維

   持するために必要だったからである 。その『 祀る権利 』

   を持統天皇と藤原不比等は奪った 。そこで住吉大神は

   畝傍山に場所を移し 、祭祀を継承したのだ 。ちなみに

   先述の畝傍山麓の畝火山口神社の神職は 、武内宿禰の

   末裔が務めている 。 」

  「 『 蘇我系トヨの政権 』は 、持統天皇の出現によって衰

   退し 、また 、藤原不比等は『 日本書紀 』を編纂し蘇我

   氏を悪役に仕立てることに成功した 。その過程で 、ヤ

   マト建国前後の歴史は闇に葬られてしまった 。

    その上で 、藤原不比等はヤマト政権の本当の太陽神だっ

   た三輪の大物主神 ( スサノヲやサルタヒコでもある ) を

   伊勢に追いやり 、さらに 、『 伊勢の神は女神天照大神

   ( 持統天皇 ) 』と 、説話の上ですり替えてしまったのだ

   ろう 。しかし 、王家は伊勢の神の正体を知っていたし 、

   藤原氏の論理で邪魔者扱いしてしまったから 、『 御先祖

   様に申し訳が立たない 』上に 、『 怒っていらっしゃる 』

   と伊勢には出向かなかったのだろう 。

   『 日本書紀 』は 、歴史改竄のカラクリを用意し 、ヤマト

   建国の歴史を四つに分解してしまった 。それが『 神話 』

   と『 神武東征 』と『 第十代祟神天皇 』と『 第十五代応神

   天皇 ( 神功皇后 ) 』で 、歴史の真相を解明できないように

   仕組んだのである 。その過程で 、ヤマト建国の最大の功労

   者であるスサノヲのモデルとなった人物も 、大物主神や

   住吉大神 ( 塩土老翁 ) や武内宿禰など 、数々の神や人物に

   分け 、どれが実物なのかわからないようにしてしまった 。 」

  「 逆に住吉大社は知恵を絞り 、『 住吉大社神代記 』を記し 、

   『 住吉大神と神功皇后は夫婦の秘め事をした 』と 、スキャ

   ンダルを自ら告白し 、その上で 、仲哀天皇を無視し 、住吉

   大神と神功皇后を並べて祀った 。さらに 、神武 ( 応神 ) 東征

   の故事にならって 、尾張 ( ナガスネビコ ) の恨みを鎮めるため

   の天香具山祭祀を今日に至るまで継承したのだろう 。

  「 スサノヲは弥生時代後期にタニハ ( 但馬 、丹波 、丹後 、若狭 ) に生

   まれ 、近江や東海に文物を流し発展を促し 、彼らをヤマト盆地に集結さ

   せることによって 、新たな時代を切り開こうとしたのだろう 。そして 、

   北部九州から朝鮮半島をつなぐ航路を獲得するために 、出雲に圧力をかけ 、

   出雲と吉備をヤマト政権に引きずり込み 、念願の北部九州進出を果たし

   た 。しかし 、ㇳヨ ( 神功皇后 ) が卑弥呼の宗女として日本海+近江勢

   力を中心にした『 北部九州の邪馬台国 』の女王に立ったことによって 、

   歯車が狂っていったのだ 。吉備と東海 ( 物部と尾張 ) は 、日本海勢力

   を追い落としてしまった 。ここに 、日本海勢力は恨みを抱き 、吉備と

   東海は 、これを祀ったが 、恐ろしい祟りがヤマトを襲った ( 疫病の蔓

   延 ) 。そこで 、南部九州に逼塞していた鬼の末裔をヤマトに招き寄せた

   が 、ここでも悲劇が起きた 。東海のナガスネビコが抵抗し 、殺され 、

   今度は『 恨む東海 』を 、天皇も一緒に祀ることになったわけだ 。

   物部と尾張は王家 ( 日本海勢力 = スサノヲの末裔 ) を恐れ 、祀り 、

   王家は尾張を恐れ 、祀るという二重構造が出現したのである 。

   時代が下り 、ヤマト建国の歴史とスサノヲの正体は抹殺されてしまった

   が 、住吉大社や出雲国造家に隠された秘密の中に 、スサノヲの謎を解く

   ヒントは 、隠されていたのである 。

    スサノヲは王家の祖であり 、ヤマトの太陽神であった 。そして 、この

   神の正体を抹殺することこそ 、『 日本書紀 』の大きなテーマのひとつ

   だったのである 。

    スサノヲという扇の要が理解できたことで 、多くの古代史の謎は 、芋

   づる式に解けていくはずだ 。 」

  ( 関裕二著 「 スサノヲの正体 」新潮社 刊 所収 )

 引用おわり 。

  戦後生まれで 、団塊世代の筆者は 、学校の歴史の授業で 、古代史のみならず 、

 明治大正昭和の近代史も 、肉声で教わった記憶がない 。が 、支障もなかった 。

  ちなみに 、関裕二さんの「 古代史の正体 」には 、こんな一節もある 。

 「 『 日本書紀 』 の神話部分は宇宙の混沌から始まり 、

   天孫降臨 、海幸山幸神話 、神武東征 、ヤマト建国

   までを描いているが 、考古学がヤマト建国のあらましを解

    き始めて 、ようやく神話の意味もわかってきたと思う 。

   注目すべきはヤマト建国に大きな意味を持っていた地域

   のほとんどを 、神話は無視しているという点だ 。タニハ 、

   近江 、尾張( 東海 )、吉備 、そして 、北部九州は

   ほとんど神話に登場しない 。神話の舞台は 、出雲と南

    部九州である 。しかし 、このうち実際にヤマト建国にかか

    わりを持っていたのは出雲だけだった 。つまり 、ほぼピンポ

    イントで 、神話はヤマト建国の要素を排除している 。これ

   は意図的だろうし 、歴史としてとらえるなら 『 日本書紀 』

   は非常に悪質である 。 」

 

 

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スサノヲ Long Good-bye 2023・08・26

2023-08-26 06:28:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、最近読んだ 「 スサノヲの正体 」の一節 。

  備忘のため 、抜き書き 。

  引用はじめ 。

  「 持統天皇の次の万葉歌に 、天香具山と天の羽衣の
   秘密が隠されている( 巻一 ─ 二八 )。

     春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣乾したり 天の香具山

    春が過ぎ 、夏が来る らしい 。 白い衣( 白栲)が
   天香具山に干してあるよ … 。 名歌とされている 。 
     しかし 、ヤマト でもっとも神聖な山に 、洗濯物が干し
     てあるはずがない 。この歌は不自然だ 。
     歴史作家・梅澤恵美子は 、これが 『 羽衣伝承 』を
    暗示していると喝破した( 『 竹取物語と中将姫伝説 』
    三一書房 )。 『 丹後国風土記 』 逸文に次の説話が
    載る 。天真名井 ( あめのまない ) で八人の天女が沐浴
    していたが 、老翁が羽衣を奪ってしまった 。天女のひとりは
    天に戻ることができなくなり 、老翁の元でしばらく暮らし 、
    家を豊かにした 。慢心した老翁は天女を追い払ってしまっ
    た … 。
     この悲劇的な天女こそ 、伊勢外宮で祀られる 豊受大神
   で 、 彼女は タニハ( 但馬 、丹波 、丹後 、若狭 )( 日
    本海 )から 伊勢 に連れて来られた 。さらに そっくりな天
    の羽衣伝承が近江にも伝わっていて 、羽衣伝承は 日本海
    + 近江勢力の 『 トヨの女神( 豊受大神 )』 と強く結ば
    れていたことがわかる 。 」

   ( 関裕二著 「 スサノヲの正体 」新潮社 刊 )

  古代史にまるで疎い筆者にとっては 、とても新鮮 、 興味深い本 。

  

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修二会 ( お水取り ) Long Good-bye 2023・08・24

2023-08-24 05:09:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、作家 司馬遼太郎さんの 「 街道をゆく 」から

  「 修二会 」の一節 。

  備忘の為 、抜き書き 。昨日の続き 。

   引用はじめ 。

 「 修二会に加わる僧 ( 練行衆 ) は 、十一人にきまっている 。

   その人名と役割が前年十二月十六日に発表されると 、結願の三

  月十五日朝までのあいだ 、一山は四百年を一昼夜に圧縮するほ

  どにいそがしい 。

   練行をしたところで 、いっさい金銭で償われることがないの

  である 。また寺としても 、他の寺社の行事のように 。参観料

  や入堂料などが入ることがない 。ついでながら 、東大寺がひと

  から金をとるのは大仏殿や三月堂などに入るときだけであり 、

  他は山内を自由に歩いていい 。

  『 東大寺は 、ダイブツがあるから 、十分利益があるじゃないか 』

  と 、他の社寺でいうひとがいる 。まことにそのとおりかもしれ

  ないが 、それらの収入は東大寺学園という中・高校の経営や東大

  寺図書館などの出費にもあてられている 。欲に呆けたような社寺

  などからくらべると 、当節 、東大寺の僧たちは上代の僧院のにお

  いをまずまずのこしているといえるのではないか 。この寺の僧の

  顔つきは 、いつも思うのだが 、世間の僧にくらべて数段いい 。

   それもダイブツに食わせてもらっているおかげだ 、という人も

  いる 。しかし人間の人相というものは食わせてもらえばよくなる

  というものではない 。天平以来の伝統がどこか生きているためで

  あり 、その伝統のしんというのは 、千数百年も修二会をくり

  かえしているというところにあるかと思える 。

 

   人間のくらしには 、『 文明 』と『 文化 』がかさなりあって

  いる 。『 文明 』は普遍的で便利でかつ合理的なものだが 、つ

  ねにそれに裏打ちされている『 文化 』は 、どの国あるいはど

  の集団でも不合理なものであり 、逆にいえば不合理でなければ

  『 文化 』ではありえないのではないか 。それに堪えて 、不断

  にくりかえすというところに 、他とちがった光が出てくるとも

  いえる 。 」

  ( ´_ゝ`)

 「 文化は不合理なものだ 、といったが 、この場合 、文化の定義

  は 、仮りに『 その集団を特色づける歴史的神聖慣習 』として

  おきたい 。

   そういう意味での東大寺における『 文化 』は 、修二会 ( お水

  取り ) によって決定的に代表されている 。 」

  引用おわり 。

 

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東大寺 お水取り Long Good-bye 2023・08・23

2023-08-23 05:19:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」は 、作家 司馬遼太郎さんの 「 街道をゆく 」から

  「 修二会 ( しゅにえ ) 」の一節 。

   備忘の為 、抜き書き 。昨日の続き 。

   引用はじめ 。

  「 修二会は 、千年以上ものあいだ 、一年も休むことなく 、しかも

   前例と違うこともなく 、平版印刷機のように動作がくりかえされ

   てきている 。それも澱みの水のようにとりすました動作でなく 、

   この行法には気迫と 、鑽仰 ( さんぎょう ) への熱気が必要なの

   である 。それが 、百年一日どころか 、その十倍の歳月のあいだ 、

   つづけられている 。 」

   ( ´_ゝ`)

  「 どういう変動期にも 、深夜 、二月堂のせまい床の上を木沓で走り 、

   また跳ね板の上に自分の体を投げて五体投地をやり 、あるいは『 達

   陀 ( だつたん ) 』という語意不明のはげしい行法では堂内で松明を

   旋回させてまわりに火の粉をふらせるのである 。 」

   ( ´_ゝ`)

  「 『 しゅにえ 』

   という意味は 、わかりにくい 。修の呉音がシュであることはわかる 。

    二は『 二月 』の略に相違ない 、といわれている 。二月を修する 、

   ということである 。修は 、宗教的にそれを整え 、それを飾り 、そ

   れを直す 、という三つの精神的な動作をあわせたような意味として理

   解したい 。となると 、修二会とは『 二月を美しいものにする 』と

   いう意味である 。

    べつに 、正月を美しいものにする 、という法会は 、平安初期以来 、

   多くの寺々でおこなわれてきた 。その法会を『 修正会 』という 。

   『 修二会 』は 、その言葉と同意なものであるらしい 。中村元博士の

   『 仏教語大辞典 』の『 修二会 』の項では 、

     インドの年始はシナ・日本の二月に当たるので 、シナ流に一月に行

     なう修正会をインドに模して行なったものと伝えられている 。 」

   ( ´_ゝ`)

  「 様変わることが常の世の中にあって 、千年以上も変ることがないという

   ことが一つでもあったほうが ―― むしろそういうものがなければ ――

   この世に重心というものがなくなり 、ひとびとはわけもなく不安になる

   のではあるまいか 。

   『 海とか山とかと おなじようなものだと思うのだけど 』 」

   ( ´_ゝ`)

  「 人間が海や山を見たいと思うのは 、不動なものに接して安心をえたい

   からではないか 。自然だけでなく 、人事においても修二会のような不

   動の事象が継続していることは 、山河と同様 、この世には移ろわぬもの

   があるという安堵感を年ごとにたしかめるに相違ない 。

   『 様式 ( スタイル ) の新奇さだけを追うことが 、何になるのだろう 』 」

   引用おわり 。

   流行物は廃り物 ( はやりものはすたりもの ) 。

 

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修二会  Long Good-bye 2023・08・22

2023-08-22 05:45:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、作家 司馬遼太郎さんの 「 街道をゆく 」から

  「 雑司町界隈 」と「 修二会 」、それぞれの章の一節 。

  備忘の為 、抜き書き 。

   今日8月22日は 、タモリさんの誕生日だとか 。昭和20年 、ほやほやの

  戦後生まれ 、滿78歳 、早朝のラジオで耳にした。縁もゆかりもないけれど 。

   引用はじめ 。 

  「 仏教は 、本来 、葬儀をするための宗教ではなかったので

   ある 。クシナーラーの野で 、弟子たちに看とられつつ死

   んだ釈迦についても 、葬儀が営まれたというはなしはない 。

    かれの遺体は 、当時のインドの火葬のやりかたどおり 、新

   しい布や綿でつつまれ 、油をたっぷり入れた鉄の槽 ( おけ )

   におさめられて 、火が点じられただけであった 。

    仏教渡来以前 、日本人は 、死者と死霊をおそれた 。また 、

   死や血を穢れとみた 。

    仏教という大きな文明がこの国にやってきて 、死者とは

   じつは五蘊 ( ごうん ) の去った物質にすぎない 、と教え

   ても 、死者をおそれる固有の心をくだくことができなかっ

   た 。むしろ 、仏教はこれに習合した 。具体的には 、死霊

   を鎮めるために用いられるようになった 。仏僧が死者をあつ

   かうようになるのは 、そのことによる 。

    が 、東大寺が建立された奈良時代では 、仏教は生者のみの

   ものだった 。このため 、東大寺ではなお創建以来の精神が

   息づいていて 、葬儀というものはやらない 。いかに東大寺

   に大きな寄進をした分限者であっても 、葬儀をひきうける

   ことはない 。また管長以下 、塔頭の僧たちが死んでも 、

   東大寺の僧たちが死んでも 、東大寺の僧がその導師をつと

   めることもない 。

     東大寺の僧が死ぬと 、町方の寺の住職をよんで 、葬儀を

   させるのである 。その専門というべき寺があって 、寺号は

   空海寺という 。 」

   ( ´_ゝ`)

  「 空海寺については『 東大寺辞典 』に 、以下のように記せ

   られている 。

    東大寺の菩提寺で 、近代の東大寺別当は多くこの寺に葬ら

    れている 。それは東大寺の境内に墓所を築くことは固く禁

    じられているためで 、現在も塔頭住職や寺族の墓所がある 。

     ( 以下略 ) 」

   ( ´_ゝ`)

  「 死者に戒名をつけるなどという奇習がはじまったのはほんの近

   世になってからである 。インド仏教にも中国仏教にもそんな形

   式も思想もない 。江戸期になって一般化したが 、おそらく寺院

   経営のためのもので 、仏教とは無縁のものといっていい 。戒名

   がさほどの歴史性もなく 、仏教の教義にも関係がないというの

   は 、わが国最古の過去帳をもつ修二会がそれを証明している 。 」

   ( ´_ゝ`)

  「 周知のように 、東大寺では 、天平のむかしから『 お水取り 』

    ( 修二会 ) という行事が 、境内の二月堂で修される 。

    むかしは 、陰暦二月におこなわれた 。いまは三月に修される 。

   一日から十四日までという期間にはかわりがないが 、陰暦二月・

   陽暦三月はともにまだ天寒く 、堂内・堂外の闇は凍つくようで

   ある 。行法は 、夜を徹しておこなわれ 、あけがたにおよぶ 。 」

   ( ´_ゝ`)

   引用おわり 。

 

 

 ( ついでながらの

   筆者註 : 「 五蘊( ごうん 、巴 : pañca-kkhandha ( パンチャッカンダ ) 、
      梵 : पञ्च स्कन्ध , pañca-skandha ( パンチャ・スカンダ ) )とは 、
      原義では 『 5つの集合体・グループ・コレクション 』 をさす 。
      蘊( 梵 : skandha [ スカンダ ] 、巴 : khandha [ カンダ ] )
      とは 集まり 、同類のものの集積 を意味する 。

      五取蘊とは 『 私とは何者か 』 に対する 釈迦 の答えである 。

      仏教においては 五取蘊( Pañcupādāna-kkhandhā )として
      色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の総称 。

      ・・・ 、省略して五蘊とする 。
      人間の肉体と精神を5つの集まりに分けて示したもの 。
      取( upādāna )とは 、それに執着するということ 。

       五蘊は次の5種である 。『 色 』 は物質的存在を示し 、『 受 』『 想 』
      『 行 』『 識 』 は 精神作用 を示す 。人間の心身の機構を羅列的に
      挙げ 、それによって 人間の生存およびその環境の全て を表そうとした
      ものである  。他の心作用 ( 心所 ) は みな 行蘊の中におさめられ
      ているのに 、受と想だけが別個な一蘊として立てられているのは 、受
      と想が争論のもとを生む主因であることや 、輪廻に堕す主因である
      ことによる 。

      色蘊( しきうん 、巴 : 梵 : rūpa ) - いろ 、形あるもの 。認識
           対象となる物質的存在の総称 。一定の空間を占めて
           他の存在と相容れないが 、絶えず変化し 、やがて消滅
           するもの 。体 。
      受蘊( じゅうん 、巴 : 梵 : vedanā ) -  感受作用 。肉体的 、
           生理的な感覚 。根( 六根 )と境( 六境 )と識
           ( 六識 )の接触和合から生じる 苦・楽・不苦不楽
           などの印象 、感覚 。阿毘達磨倶舎論においては 、
           内なる心が外界と接触してそこに 楽 、苦 、不苦不楽
           を受け入れること 。
      想蘊( そううん 、巴 : saññā , 梵 : saṃjñā ) - 表象作用 。
           概念的な事柄の認識 。イメージ 。事物の形象を心の中
           に思い浮かべること 。阿毘達磨倶舎論においては 、対
           象のあり方を心の中に把握すること 、表象すること 。
      行蘊( ぎょううん 、巴 : saṅkhāra , 梵 : saṃskāra ) - 意識
           を生じる意志作用 。意志形成力 。心がある方向に働く
           こと 。深層意識 。阿毘達磨倶舎論においては 、色 、受 、
           想 、識 の 四蘊以外 。
      識蘊( しきうん 、巴 : viññāṇa , 梵 : vijñāna ) - 認識作用 。
           対象を得て 、区別して知るもの 。知り分けること 。判断 。

     五蘊の最初が色蘊で最後が識蘊となるのは 、粗雑なものから精細な
     ものへの順序 、悪に染められた心を起因として 諸法が生じる次第を 逆に
     さかのぼる順序などに従うのであるとされる 。」

         以上ウィキ情報  。)

 

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興福寺 阿修羅像 Long Good-bye 2023・08・19

2023-08-19 04:37:00 | Weblog

 

  今日の「お気に入り」は 、作家 司馬遼太郎さんの 「 街道をゆく 」から

  「 阿修羅 」の一節 。

  備忘の為 、抜き書き 。昨日の続き 。

   引用はじめ 。

  「  旧興福寺の食堂跡に 、収蔵庫ができている 。

    そこに 、国宝もしくは国宝級の寺宝が 、現興福寺によ

   って保管されているのである 。たれでも入場料さえ払え

   ば手軽に入れるということがありがたかった 。

    ゆくと 、コンクリート製のその小さな建物は 、まわり

   の景観には適 ( あ ) いがたく 、荘厳さも芸術性もない 。しかし

   なかに入ると 、せまい部屋に 、ひしめくように彫塑や画

   像がならんでいる 。

    阿修羅は 、相変らず蠱惑的だった 。

    顔も体も贅肉がなく 、性が未分であるための心もとなさが

   腰から下のはかなさにただよっている 。眉のひそめかたは 、

   自我にくるしみつつも 、聖なるものを感じてしまった心の

   とまどいをあらわしている 。すでにかれ ―― あるいは彼

   女 ―― は合掌しているのである 。といって 、目は求心的

   ではなく 、ひどくこまってしまっている 。元来大きな目が 、

   ひそめた眉のために 、上瞼が可愛くゆがんで 、むしろ小さ

   く見える 。これを造仏した天平の仏師には 、モデルがいた

   にちがいない 。貴人の娘だったか 、未通の采女だったか 。

   『 シバさんは 、こういうひと 、好きですか 』

    藤谷氏が 、阿修羅がのりうつったようなあどけなさできい

   た 。

   『 たれでも 好きでしょう 』

    凛とした顔でないと 、この未分の聖はあらわせない 。阿修

   羅は 、正面のほか 、他に二つの顔をもっている 。いずれも

   思いを決した少女の顔である 。

   『 こういうひと 、見たことがありますか 』

   『 見た瞬間があると 、たれでも 』

    と 、ここで たれでも を繰りかえした 。

   『 あるんじゃないですか 。すぐれた少女なら 、少女期に 、

   瞬間ながら 一度は こういう表情をするのではないでしょう

   か 。それを見た記憶を ―― たとえ錯覚であっても ――

   自分のなかで聖化してゆくと ―― 少女崇拝の感情を濾過

   してゆくと ―― こうなる と思います 』

   なんだか演説しているような面映ゆさを感じて 、その場

   を離れた 。

    阿修羅は 、私にとって代表的奈良人なのである 。 」 

   引用おわり 。

   

 

  ( ついでながらの

    筆者註 : 上の文中に出てくる「 藤谷氏 」は司馬さんに同行された

        編集者のお名前 。「 阿修羅 」は 、奈良の「 興福寺 」に

        ついて縷々書かれた章で 、次のような記述もある 。

        「 『 興福寺について考えましょう 』 と、向いにすわった
         編集部の藤谷宏樹氏にいった 。

         ―― なぜ 、淡雪が融けるように 、 興福寺は消滅したのか 。

         ということについてである 。

          むろん 、いまも興福寺はある 。しかし 
         明治以前 、千数百年にわたって 、日本の寺としての
         最大の領地をもちつづけた大寺としての興福寺は存在
         しない 。 かつての興福寺を 、ここでかりに旧興福寺
         する 。現在の興福寺の僧侶たちの名誉にかかわるから
         である 。 」

         明治維新成立時の神仏分離( 廃仏毀釈 )の動きについて

        宗教を飯の種にしている人たちが 多くを語りたがらない

        理由が よくわかるのが 、「 阿修羅 」の章 。)

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阿修羅 Long Good-bye 2023・08・18

2023-08-18 05:11:00 | Weblog

 

    今日の「 お気に入り 」は 、作家 司馬遼太郎さん

   ( 1923年〈 大正12年 〉8月7日 - 1996年〈 平成8年〉2月12日 )

   の 「 街道をゆく 」から「 阿修羅 」の一節 。

   備忘の為 、抜き書き 。

    引用はじめ 。

  「  私は 、奈良の仏たちのなかでは 、興福寺の阿修羅と 、

   東大寺戒壇院の広目天が 、つねに懐しい 。

    阿修羅はもとは古代ペルシアの神だったといわれるが 、

   インドに入り 、時がたつにつれて次第に悪神 ( 非天 )

   になった 。中村元博士の『 仏教語大辞典 』によると 、

    闘争してやまぬ者 。争う生存者 、仏教では六道の

    一つ 、八部衆の一つとされ 、一種の鬼神とみられ 、

    須弥山下の大海底にその住居があるとされる 。

   とある 。

    しかしながら興福寺の阿修羅には 、むしろ愛がたたえ

   られている 。少女とも少年ともみえる清らかな顔に 、

   無垢の困惑ともいうべき神秘的な表情がうかべられている 。

   無垢の困惑というのは 、いま勝手におもいついたことば

   だが 、多量の愛がなければ困惑は起こらない 。しかし

   その愛は 、それを容れている心の器が幼すぎるために 、

   慈悲にまでは昇華しない 。かつかれは大きすぎる自我を

   もっている 。このために 、自我がのたうちまわっている 。

   大きな自我こそ仏への道なのだが 、その道ははるかに遠

   い 。法相・唯識は 、人間への絶望から出ているために 、

   成仏するための修行は天文学的な時間が要るとされる 。

   このために 、私どものような儚い自我ならともかく 、阿

   修羅のように多量の自我を持ってうまれた者は 、困惑は

   闘争してやまず 、困惑しぬかざるをえない 。

   ・・・ 」

   引用おわり 。

 

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八月や六日九日十五日 Long Good-bye 2023・08・15

2023-08-15 06:54:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」は 、ポケトーク 。

    AIは大量のデータを受け取れば受け取るほど 、

   知識を驚異的なスピードで拡大し続けることが出来

   るという 。この 『 大量のデータ 』というのが曲者で 、

   『 誤りのない良質な 』という但し書きが付く 。

    なんとなれば 、誤りのない良質なデータを作るのは

   人間で 、そのデータを学習に使うようAIを誘導する

   のは人間だから 。

    つまり 、日夜休みなく稼働し続け 、知識を雪だるま

   式に増やし続けるAIは 、人間同様 あるいは人間以上

   に 、容易に『 洗脳されてしまう 』 人工無能 なのでは

   ないか 。

     世に出ている AIの走りの ChatGPT は 、文字ベー

   ス で 質問やリクエストをすると 、即座に答えを返し

   てくれる 。多言語対応で 、質問やリクエストを日本

   語ですれば日本語で 、英語ですれば英語で答えが返っ

   てくる 。翻訳もしてくれる 。

    翻訳と言えば 、 筆者が最近 、購入した音声ベース

   の AI翻訳機 は 、なかなかの優れもの 。

    日本語で 『 なんでやねん 』 と語り掛けると 、即座

   に『 Why 』 と返してきたのには 笑いました 。

    因みに 、仏語訳をリクエストすると 、「 Pourquoi? 」

   と答えてくれました 。

    その昔 、筆者の英語学習で 、語彙を増やすのに使っ

   たのが 、確か 旺文社の 『 赤尾の豆単 』 。

     隔世の感あり 。 

 

 

   「 ファミリーヒストリー 草刈正雄 編 」を NHK+ で視聴 、・・・ 。

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