「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・06・30

2013-06-30 08:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

「ところで僕は君の心の強さを試そうと固く決心したので、あの偉大な人々の指示に従って君に
こうすすめます。幾日か期限を切って、その間は僅かの単純な食物と、粗いごわごわの衣服とで
暮してみて、こう自問するのです、『これがあの怖れていたことか?』と。
                                   『手紙』18-5」

「もし君が精神を自由に保ちたいなら、貧乏であるか、貧乏の真似をするがいい。
                                   『手紙』17-5」

「大きなものは安くは買えない。よくよく考えてほしい。君は、君自身を放棄するのか、君の持
物の何かを放棄するのか?
                                   『手紙』19-4」

「僅かな借金は債務者を作るだけだが、多額の借金は敵を作る。
                                  『手紙』19-11」

「哲学が教えるのは行動であって、弁論ではない。
                                   『手紙』20-2」


(中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)






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2013・06・29

2013-06-29 14:40:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

「友人には君の心配事でも考えでも何でも打ち明けるがいい。君が友人を真に信頼しうる者と思う
なら、君は彼をそういう人間にするだろう。
                                    『手紙』3-3」

「憩(やす)んでいる者には行動が、行動している者には休息が、必要だ。
                                    『手紙』3-6」

「野獣は危険が迫るのを見れば逃げだす。危険が去ればもう何の心配もしない。人間だけが未来の
ことや過去のことを思って、我と我が身を苦しめるのです。人間の利点であるものの多くが、逆に
害をなすのです。」

「僕が思うに、彼のこの癖(赤面症)は、たとえ彼が自己を確立し、あらゆる欠点をなくしても、い
や賢者になってもなお、彼についてまわるでしょう。というのは、いかなる叡知によっても、肉体
の、精神の、天性の弱点は克服できないからです。
                                   『手紙』11-1」

「だから一日一日を、その日が日々の連なりの終りの日であり、人生を完了させ充実させる日であ
るかのように、生きるべきなのです。
                                   『手紙』12-8」

「現実に我々を押し潰すものより、恐怖に陥れるだけのものの方が、ルキリウス君、多いのです。
我々はしばしば事実そのものによってよりも、それについての想像に苦しむのです。
                                   『手紙』13-4」

「だから、ルキリウス君、僕の忠告は、事実に先走りして不幸になるな、ということです。君が脅
威として恐怖している物は、ひょっとしたらやって来ないかもしれないし、いずれにしろ現実にま
だやって来ていないのですから。
                                   『手紙』13-4」




(中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)

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2013・06・28

2013-06-28 09:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

「君がやたらに居所を変えて、あるところから別のところへと移るのを、僕は望まない。第一に、
そういう頻繁な場所の移動は心が落ち着いていないしるしだからです。きょろきょろあたりを見ま
わしたり、動きまわったりするのを止めないかぎり、閑暇によって力を得ることはできない。君の
心を落ち着けるためには、まず君のからだの落着きのなさを停止させることです。
                                   『手紙』69-1」

「自然の力が衰えてゆくことによって、おのずと終焉へとすべりこんでゆく以上に、よい終り方が
ありますか?
                                   『手紙』26-4」

「以上のように僕は自分に話しかけたのですが、これは君に向かって話したと同じことだと思って
ください。たしかに君は僕より若い。しかし、それがどうしたと言うんです? 決定的なのは年の
数じゃありません。どんなところで死が君を待ちうけているかわからない。だから君はどんなとこ
ろででも彼に出会うと思っている方がいいのです。
                                   『手紙』26-7」

「エピクロスは、『死に対して稽古をせよ!』と言いますが、この考えの意味はこんな形に言い換
えてもいいでしょう、『死を学ぶことは、実にすばらしいことだ』と。
                                   『手紙』26-8」


(中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)








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2013・06・27

2013-06-27 13:50:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

「亡くなった人たちの思い出が快いものになるように、我々は努めようではないか。
                                   『手紙』63-4」

「ですから僕は叡知の発見とその発見者を尊敬します。これら多くの人の遺産の中に歩み入るのは
大きな喜びです。これらはみな僕のために獲得されたもの、僕のために創り出されたものです。し
かも我々は善き家父長のようにふるまわねばなりません。受けついだものを増やさねばなりません。
遺産を増やして子供に伝えようではありませんか!そのために為すべき仕事はたくさんあり、それ
は今後とも残るでしょう。千年後に生れた者にさえ、なおそれになにかを付け加える可能性はなく
なっていないでしょう。
                                   『手紙』64-7」

「我々の前に生きた人々は、実に多くのことをやりとげました。しかし、彼らはそれを完成させた
わけではありません。
                                   『手紙』64-9」


(中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)







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2013・06・25

2013-06-25 15:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

「人が自分を、自分自身に喜びを覚えるに値する者に為したとき、自分とともに出来るだけ長くい
ることは楽しいことです。
                                  『手紙』58-32」

「ですから、サルスティウスが言っているように、『胃袋に仕える』人々は、人間にでなく動物に、
いやそのある者は動物にでさえなく死者に数えるべきでしょう。大勢の人の役に立つ人は生きてい
ます。自分自身を正しく生かす人は生きています。しかしじっと隠れ住んで精神的怠惰の中にいる
人は、家にいても墓にいるのと変りません。そういう人は家の入口に自分の名を刻んだ大理石を置
くがいいのです。生きながら死んでいるのですから。
                                   『手紙』60-4」

「老年に入る前、僕はよく生きることを心掛けていました。老年になってからはそうでなく、よく
死ぬことを心掛けています。よく死ぬとは、平然と死ぬということです。
                                   『手紙』61-2」

「そういやいや聞かないで、僕の言うことをしっかり考えてもらいたい。これはもう君にも関係す
ることなのだ。もし老年が僕の全部を僕のために残しておいてくれるなら、ただしそれは良い方の
全部だが、僕は老年を断念しない。しかしもし老年が僕の精神をゆさぶり始め、その各部分をダメ
にし始めたら、そして僕に生命をでなく呼吸を残すに過ぎなくなったら、僕はこの朽ちて倒れかか
った建物からとび出してしまうだろう。
                                  『手紙』58-35」

(中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)

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2013・06・24

2013-06-24 08:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

「偉大な精神の特徴は、多すぎるものを軽んじ、過剰より適度を好むことです。後者は有益で活力
を与えますが、前者はまさにその過剰によって害を為すからです。
                                   『手紙』39-4」

「讃(ほ)むべきは、奪われもせず与えられもせぬもの、人間に固有なしるしです。それは何だ、と
君はたずねるのですか? それは心であり、心の中で完成した理性です。すなわち人間は理性的存
在なのです。だからそのためにこそ生れたものを充実させるとき、人間は最高の完成に達するので
す。ではこの理性が人間に要求するものは何でしょう?最も簡単なこと、自分の本性に従って生き
よということです。
                                   『手紙』41-8」

「で、どうするか? 君はむしろ君の関心を別の方に向けるべきじゃないかな?人は余計なものを
探すのに時間を浪費し、生活の手段を求めているうちに人生をやり過してしまっていることを、我
々全部に示すことに。一人一人を見、また全員一緒に観察してみたまえ。どんな人の人生もが見て
いるのは明日の方です。そこに何の悪いことがあるのか、と君はたずねるのかね? おそろしくた
くさんある。というのは、彼らは今を生きているのでなく、生きようと思っているだけで、すべて
を先送りしているのだから。
                               『手紙』45-12・13」


(中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)






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2013・06・23

2013-06-23 14:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

「結局のところ、彼ら(多忙の人)がいかに僅かしか生きないかを、君は知りたいのですか? ならば、
見たまえ、彼らがみなどんなに長く生きたいと願っていることか。よぼよぼの老人が、誓いを立てて
ほんの少しの歳月のおまけを得させてくれと神に乞う。自分たちはまだ若いのだと言いたてる。彼ら
は嘘でみずからに媚び、好んでみずからを欺く、それで同時に運命をも欺くことができるとでもいう
ように。 しかし彼らがついに、人間は弱いもので死ぬべき定めにあることを完全に思いださせられ
たとき、彼らのなんと恐れおののいて死んでゆくことか。彼らはまるで、人生から去ってゆくという
のでなく、、むりやり引きずり出されたように死んでゆくのです。自分たちは愚かだった、よく生き
て来なかった、と彼らは叫び、もし今度この病から逃れることができたら、今度こそ閑暇の中に生き
ようと言う。そして彼らがこれまで味わうことのできなかったことを得ようとしてももはや叶わず、
すべての試みが空しく終ったことに、やっと気づくのです。
 それに対し、あらゆる雑務から遠く離れて人生を送っている人にとって、人生が長くないわけがあ
りましょうか? その人生からは何一つ他所(よそ)に運び出されず、何ものもあっちこっちにばら撒
かれず、その何一つ運命の手に委ねられません。何一つとして怠惰によってダメにされず、何一つ気
前よく人に与えてしまって奪いとられることなく、また余計なものは何一つないのです。いわば、そ
の全部に利子がつくのです。だから、たとえどんなに短くとも、その人生は十分以上に満ち足りてい
ます。――またそれ故に、いつ最後の日が来ようとも、賢者は、しっかりした足どりで死の中へ入っ
てゆくことを少しもためらわないのです。
                          『人生の短さについて』11-1・2」

(中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)





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2013・06・18

2013-06-18 14:30:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

「ところで世の中にあの連中以上に愚劣な生き方をしている人間がいるでしょうか。僕の言うのは
あの、自分のお利巧さんぶりを示そうと、骨折ってわざわざ超多忙な生き方をしている連中のこと
ですが。彼らは将来もっといい暮しができるようにと、いまを忙しく立ち働いている。今の生活を
犠牲にして人生を設計する。遠い先を視野に置いて計画を立てる。事実はしかし、人生の最大の損
失とはまさにこういう延期、先送りなのに。彼らは遥か遠い先にあるものを得ようとして、いま目
の前にある日々を未来に捧げ、未来の成果のために現在を奪うのです。だが、今日を無にして明日
を得ようとするこの期待こそ、生きる上での最大の障害なのです。運命の手中にあるあてにならぬ
ものをあてにして、自分の手の中にあるものをとりこぼしてしまうのですから。君は、どこを見て
いるのです? どこに向かって進もうとしているのです? これからやってくるものはすべて、不
確かさの中にある。今この時をこそ君は生きるべきです。見たまえ、最大の詩人=予言者が叫んで
います。神々の声に動かされたかのように、彼は救いをもたらす格言をこう歌っています。

  まさしく人生における最良の日こそ、あわれな人間たちからまっ先に
  逃れてゆく                            ――ヴェルギリウス

 『なぜお前はためらっているのだ』と詩人は言っているのです。『何をぐずぐずしている? お
前が今日という日を捕えなければ、それはたちまち逃げてしまうぞ』と。
 しかし、たとえ君が捕えたとしても、それでも時は逃げてゆくのです。故に、時の速さに対して
は、ただちにそれを使うことで戦わねばなりません。あたかも流れて止まらぬ急流から急いで水を
飲むように。
 また詩人が『人生の最良の年代』と言わずに『最良の日』と言っているのは、きりもなく計画ば
かり立てていることを非難する、まことに巧みな言い回しです。このように速やかに逃げ去る時間
であるのに、なぜ君はかくも安閑と落ち着きはらって、月やら年やらの長い行列を、いかにそれが
君の貪欲な目にはよく見えようとも、君の前方に先送りしてゆくのです? 詩人が日について語っ
ているのは、君の日のこと、まさにこのように逃げてゆく日のことなのです。
                           『人生の短さについて』9-1~3」

(中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)





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白髪も空し 2013・06・16

2013-06-16 14:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

「そこでわたしは言うのです。調べてみるがいい、君の人生の残りの日々を概算してみるがいい、
と。そうすれば君にもわかるでしょう、君の手許に残っているのはほんの僅かの、使われなかった
日々しかないことが。
 あの人は長らく望んでいた執政官職を手に入れてしまった今は、逆にそれを棄て去ろうと願い、
いつも口癖のように言う、『いつになったら今年(執政官の任期)は終るのだろう』と。
 またあの人は、名誉として願っていた競技大会の主催役を手に入れてしまうと、今度は言う始末
です、『こんなものをいつになったら手放せるのだろう』と。
 またあの人は弁護士として法廷じゅうで人気を博し、彼の声が聞えぬほど遠くまで聴衆を集めな
がら、それでいて言うのです、『いったいこの件はいつになったら休廷されるんだ?』と。
 こんなふうに大抵の人が、大急ぎで人生にけりをつけようとし、現在への嫌悪から未来への期待
に身を焦がしているのです。
 これに対し、自分の全部の時間をただ自分自身の必要のためにのみ使う人、毎日を人生の最後の
一日であるかのように生きる人は、明日を望みもせず、また恐れもしません。というのは、なんら
かの時が彼に新しい楽しみをもたらしたところで、それがどうしたというのです?どんなことでも
すでに知りつくし、飽くほどに味わいつくしているのに。それ以外のことは、運命が好きなように
するでしょう。その人の人生はすでに安全圏にあるのです。こういう人にはまだ何か付け加えられ
ることはあっても、何も奪われることはありません。また付け加えるといっても、それは、満腹し
た人が、別に欲しいわけではないが何かちょっともらうくらいのものです。
 こういう次第ですから、なにも髪が白くなったとか、皺がたくさんあるからといって、それをそ
の人が長く生きたしるしと思う必要はまったくないのです。彼は長く生きたのでなく、単に長く生
存したにすぎないのですから。           
                          『人生の短さについて』7-7~10」


「いたづらに百歳いけらんは、うらむべき日月なり、かなしむべき形骸なり。
                               道元『正法眼蔵』行持上」

(中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)





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2013・06・10

2013-06-10 09:50:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

「死はあらゆる苦痛の解消であり、その終焉です。われわれの苦悩はそれから先へ行くことがない
のです。死は、われわれが生まれて来る以前にそこに在ったあの安らぎの地へ、われわれを連れ戻
すのです。死者たちを悲しむならば、いまだ生れざる者をも悲しまねばなりません。死は善でも悪
でもない。善であるか悪であるかということを超えた何かなのです。
                             『マルキアへの慰め』19-5」







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