今日の「 お気に入り 」は 、作家の村上春樹さんが 、
1994年か1995年頃に書かれたエッセー「 うず
まき猫のみつけかた 」( 新潮文庫 )の中の数節 。
引用はじめ 。
「 国が広いこともあって 、アメリカでは通信販売
が盛んだけれど 、これは一度慣れるとなかなか便
利で楽しいものである 。」
「 雑誌『 ニューヨーカー 』の広告で見かけて注文
した猫の腕時計 。文字盤の数字の代わりに『 食
う 』『 寝る 』『 遊ぶ 』という三つの言葉が繰
り返しでてくる 。考えてみれば井上陽水のあの昔
のコマーシャルとまったく同じである 。値段は六
十ドル前後だったと思う 。もう二年以上使ってい
るけれど 、時間はきわめて正確 。余計な機能が
まったくついていないのでとても使いやすい 。気
に入ったので 、いつか誰かにプレゼントしようと
思って二個も買ってしまった 。この時計をはめて
街を歩いていると 、必ず誰かが目にとめて『 お
お 、面白い時計してるね 』と声をかけてくる 。
( アメリカ人というのはほんとうにこまめに声を
かけてくる )そしてみんな『 そうだな 、イート 、
ナップ 、プレイ 、そういうのが人生だよな ・・・』
と溜息(ためいき)まじりに言う 。そういう思いは
世界どこでもだいたい同じらしく 、あのセフィー
ロのコマーシャルはひょっとしたらアメリカでもけ
っこう受けたかもしれないですね 。」
「 僕は主義として( というか要するにケチなだけみ
たいだが )一万円以上の値段の時計はまず買わな
いのだけれど 、そのかわりに安い時計をいっぱい
持っている 。おかげで夏時間と冬時間の切り替え
のときにはいちいち進めたり遅らせたりものすごく
面倒なことになるわけだが 、でも引き出しにいっ
ぱい腕時計を放り込んでおいて 、その日の気分で
時計を取り替えるのはなかなかいいものである 。
時計なんてとにかく時間が合えばそれでいいんだと
思っているから 、たかが腕時計に二十万も三十万
も出す人の気持が僕にはよくわからない 。
一度四〇〇〇円くらいで買った『 猫のフェリック
ス 』時計がとても気に入ったのだけれど 、ついて
いたベルトが今ひとつだったので 、五〇〇〇円く
らいする皮のベルトに付け替えてもらったことがあ
る 。あれは今にして思えば 、気分的には僕のこれ
までの人生の中でも一二を争う贅沢な振る舞いだっ
た 。たとえて言うならば 、ミネラルウォーターを
使って歯を磨くような感じですね 。まあたいした
ことじゃないって言えば 、たいしたことじゃない
んだけど 、でもそれなりの決断というものがそ
こには必要とされる 。」
引用おわり 。
筆者が読んでいる電子書籍には 、「 猫の腕時計 」の
写真が載っているので 、実物をイメージできるが 、
文章の説明だけではなかなか「 猫の腕時計 」をイメージ
することが難しい 。
普通の時計の文字盤の1から12までのところに、数字の
代わりに 、EAT とか NAP とか PLAY とか 、適当な順番で
書いてあるらしい ユニークな腕時計 。数字の1の代わりに
EAT と書いてあっても 、時計の長針と短針が指し示す方向
や針の位置で 、腕時計の持ち主には 今が何時何分かは大体
わかるのである 。
大体でいいのだ 、時間なんてものは 。「 食う 」「 寝る 」
だけで「 遊ぶ 」時間が少ないと 、人生は随分と退屈なも
のになるかも知れない 。
腕時計というものをしなくなって久しい 。