「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

あくをもてあくにむくいず Long Good-bye 2025・01・31

2025-01-31 05:51:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」。

  引用はじめ 。

  「 第十二章
  『 1 されば兄弟(きょうだい)よ 、われ神(かみ)のもろ
   もろの慈悲(じひ)によりて汝(なんじ)らに勸(すす)
   む 、己(おの)が身(み)を神(かみ)の悦(よろこ)び
   たまふ潔(きよ)き活(い)ける供物(そなへもの)とし
   て献(ささ)げよ 、これ靈(れい)の祭(まつり)なり 。
   2 又(また)この世(よ)に效(なら)ふな 、神(かみ)の
   御意(みこころ)の善(ぜん)にして悦(よろこ)ぶべく 、
   かつ全(まった)きことを辨(わきま)へ知(し)らんた
   めに 、心(こころ)を更(か)へて新(あらた)にせよ 。
   3 われ與(あた)へられし恩惠(めぐみ)によりて汝等
   (なんぢら)おのおのに告(つ)ぐ 、思(おも)ふべき所
   (ところ)を超(こ)えて自己(みづから)を高(たか)し
   とすな 。神(かみ)のおのおのに分(わか)ち給(たま)
   ひし信仰(しんかう)の量(はかり)にしたがひ愼(つつ
   し)みて思(おも)ふべし 。4 人(ひと)は一(ひと)つ
   體(からだ)におほくの肢(えだ)あれども 、凡(すべ)
   ての肢(えだ)その運用(はたらき)を同(おな)じうせ
   ぬ如(ごと)く 、5 我(われ)らも多(おほ)くあれど 、
   キリストに在(あ)りて一(ひと)つ體(からだ)にして 、
   各人(おのおの)たがひに肢(えだ)たるなり 。6 われ
   らが有(も)てる賜物(たまもの)はおのおの與(あた)
   へられし恩惠(めぐみ)によりて異(こと)なる故(ゆゑ)
   に 、或(あるひ)は預言(よげん)あらば信仰(しんかう)
   の量(はかり)にしたがひて預言(よげん)をなし 、
   7 或(あるひ)は務(つとめ)あらば務(つとめ)をなし 、
   或(あるひ)は教(をしへ)をなす者(もの)は教(をしへ)
   をなし 、8 或(あるひ)は勸(すすめ)をなす者(もの)
   は勸(すすめ)をなし 、施(ほどこ)す者(もの)は をし
   みなく施(ほどこ)し 、治(をさ)むる者(もの)は 心(こ
   ころ)を盡(つく)して治(をさ)め 、憐憫(あはれみ)を
   なす者(もの)は喜(よろこ)びて憐憫(あはれみ)をなす
   べし 。9 愛(あい)には虚偽(いつはり)あらざれ 、惡
   (あく)はにくみ 、善(ぜん)はしたしみ 、10 兄弟 
   (きゃうだい)の愛(あい)をもて互(たがひ)に愛(いつ
   く)しみ 、禮儀(れいぎ)をもて相譲(あひゆず)り 、
   11 勤(つと)めて怠(おこた)らず 、心(こころ)を熱
   くし 、主(しゅ)につかへ 、12 望(のぞ)みて喜(よろ
   こ)び 、患難(なやみ)にたへ 、祈(いのり)を恆(つね)
   にし 、13 聖徒(せいと)の缼乏(とぼしき)を賑(にぎ  
   は)し 、旅人(たびびと)を懇(ねんご)ろに待(もてな)
   せ 、14 汝(なんぢ)らを責(せ)むる者(もの)を祝(し
   く)し 、これを祝(しく)して詛(のろ)ふな 。15 喜(よ
   ろこ)ぶ者(もの)と共(とも)によろこび 、泣(な)く者
   (もの)と共(とも)になけ 。16 相互(あひたがひ)に心
   (こころ)を同(おな)じうし 、高(たか)ぶりたる思(お
   もひ)をなさず 、反(かへ)つて卑(ひく)きに附(つ)
   け 。なんぢら己(おのれ)を聰(さと)しとすな 。
   17 惡(あく)をもて惡(あく)に報(むく)いず 、凡(す
   べ)ての人(ひと)のまへに善(よ)からんことを圖(はか)
   り 、18 汝(なんぢ)らの爲(な)し得(う)るかぎり力(つ
   と)めて凡(すべ)ての人(ひと)と相和(あひやはら)
   げ 。19 愛(あい)する者(もの)よ 、自(みづか)ら復
   讐(ふくしう)すな 、ただ神(かみ)の怒(いかり)に任
   (まか)せまつれ 。録(しる)して『 主(しゅ)いひ給(た
   ま)ふ 、復讐(ふくしう)するは我(われ)にあり 、我
   (われ)これに報(むく)いん 』とあり 。20 『 もし
   汝(なんぢ)の仇(あた)飢(う)ゑなば之(これ)に食(く)
   はせ 、渇(かわ)かば之(これ)に飲(の)ませよ 、なん
   ぢ斯(かく)するは熱(あつ)き火(ひ)を彼(かれ)の頭(か
   うべ)に積(つ)むなり 』21 惡(あく)に勝(か)たるるこ
   となく 、善(ぜん)をもて惡(あく) に勝(か)て 。」

   引用おわり 。

   この章をじっくり読むのははじめてのこと 。宗教に不案内な

  筆者が読んでも 、リズミカルな文語訳が 、しっくり耳に入

  り 、いい感じで理解がいく 。

 

 

 ( ついでながらの

   筆者註:「『 ローマの信徒への手紙 』は 、『 新約聖書 』中の
       一書で 、使徒パウロの手によるとされる書簡 。
       『 ローマ人への手紙 』や『 ローマ書 』(『 ロマ
       書 』)などとも呼ばれる 。本書はパウロ本人によっ
       て書かれたものであるとみなされている 七つの手紙
       の一つである 。

        19世紀ドイツのテュービンゲン学派を代表する学者
       で 、パウロ書簡の多くを本人のものでないと考えて
       いたフェルディナント・クリスティアン・バウアで
       さえパウロのものと認めていた 。」

      「 内 容
        本書の中心テーマはイエス・キリストへの信仰を
       通して得られる救いである 。パウロはアブラハム
       を引き合いに出してキリストによる神の恩寵を強調
       し 、人が義(正しい)と決定させられるのは 、信
       者の側の信仰と結び付いた 、神の側のこの恩寵のみ
       によることを力説している 。また 、ユダヤ人にも
       異邦人にも 、誇ったり自分を他の人よりも高めたり
       する理由は何もないことに注目させている 。」

      「 スタイル
        パウロは当時『 ディアトリベ 』と呼ばれた論駁
       スタイルを用いている 。パウロは ある問題をめぐ
       って 、問題提起者に語気するどく反論する 。この
       手紙でもパウロは 、時にユダヤ人に対し 、時に異
       邦人に対し 、またあるいは全信徒に対して意見を
       述べるというスタイルをとっている 。」

       以上ウィキ情報 。

       第十二章では 、

      「 Vengeance is mine;I will repay,saith the   
       Lord.『 主いひ給ふ 、復讐するは我にあり 、
       我これに報いん 』」

      のくだりが有名 。)

 

 

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真白き富士の嶺 Long Good-bye 2025・01・27

2025-01-27 05:37:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」は 、「 ましろきふじのね 、

 みどりのえのしま 」という歌いだしで始まる歌曲 。

 6番まである歌詞のうち 、筆者がそらで歌えるのは

 1番 のみ 。

  因みに 、歌詞全文は以下のとおり 。

 「 一 真白き富士の嶺 、緑の江の島

    仰ぎ見るも 、今は涙

    歸らぬ十二の雄々しきみたまに

    捧げまつる 、胸と心


  ニ ボートは沈みぬ 、千尋(ちひろ)の海原(うなばら)

    風も浪も小(ち)さき腕(かいな)に

    力も尽き果て 、呼ぶ名は父母

    恨みは深し 、七里ヶ浜辺


  三 み雪は咽(むせ)びぬ 、風さえ騒ぎて

    月も星も 、影を潜め

    みたまよ 何処に迷いておわすか

    歸れ早く 、母の胸に


  四 みそらにかがやく 、朝日の み光

    暗(やみ)に沈む 、親の心

    黄金(こがね)も宝も 、何にし 集めん

    神よ早く 、我も召せよ 。


  五 雲間に昇りし 、昨日の月影

    今は見えぬ 、人の姿

    悲しさあまりて 、寝られぬ枕に

    響く波の 、音も高し


  六 帰らぬ浪路に 、友呼ぶ千鳥に

    我も恋し 、失(う)せし人よ

    尽きせぬ恨みに 、泣くねは共々

    今日も明日も 、かくて とわに 」

 

  「 真白き富士の根 」または「 真白き富士の嶺 」の題名

  で知られ 、「 七里ヶ浜の哀歌 」とも呼ばれる 、明治時

  代 末 、神奈川県下 相模湾で起きた海難事故の鎮魂歌である 。

    1910(明治43)年1月23日 、逗子開成中学校生徒11名

  と逗子小学校児童 1名 を乗せたボート「 箱根号 」が 、

  許可なく 葉山 を出艇し 、七里ヶ浜の 行合川沖で 突風

  に煽られ転覆した 。悪天候の中 、海軍 、漁船 、潜水器

  船等による懸命の捜索が続けられたが 、事故発生から4

  日後の1月27日までに 、遭難者全員が遺体で発見される 、

  という最悪の結末となった 、という 。

   時代的には 、日本海海戦のあった 1905(明治38)年5

  月から四年半経った 、真冬の海で起きた事故である 。

   115年後の今 、七里ヶ浜は夏でも遊泳禁止の海であるが 、

  サーフィンはいいらしく 、サーファーはうようよいる 。

   +!(〇∇〇)!*

  ( ついでながらの

    筆者註:「『 真白き富士の根 』(ましろきふじのね)は 、
        1910年に逗子開成中学校の生徒12人を乗せた
        ボート『 箱根号 』が七里ヶ浜沖で転覆 、全員
        死亡した事件を歌った歌謡曲である 。
         『 真白き富士の嶺 』 、『 七里ヶ浜の哀歌 』
        (しちりがはまのあいか)とも呼ばれる 。
         逗子開成の系列校である鎌倉女学校(現在の鎌倉
        女学院中学校・高等学校)の生徒が鎮魂歌として
        合唱し 、世間に知られるようになった 。
         生徒の死が美しく表現された この歌により 、世
        間は事件への同情を深めることとなった 。1915年
        にレコードが発表され 、日本全国で歌われた 。

         この歌を演奏することは逗子開成中学校ではタブ
        ーとされてきたが 、逗子開成創立90周年の1993年
        にPTAが歌うことを希望して記念式典で合唱され 、
        解禁となった 。この時に『 PTAコーラス 』が発足
        し 、2004年には在校生と卒業生の保護者による女
        声コーラスグループ「 逗子開成コール・レーネ 」
        が発足した 。

        基本データ
        ・成立年: 1910年(明治43年)
        ・作詞者: 三角錫子(みすみ すずこ、1872年生 - 
             1921年没)
          作詞当時、系列校である鎌倉女学校の数学教師。
          東京都目黒区にあるトキワ松学園中学校・高等
          学校の設立者でもある。
        ・作曲者: ジェレマイア・インガルス
        ・当初三角が発表した題名は『 哀悼の歌 』。『 七
         里ヶ浜の哀歌 』の方が原題に近いが 、一般には 、
         歌い出しの歌詞から『 真白き富士の根(嶺)』 と
         呼ばれた 。
        ・歌詞: 6番まで
        ・拍子: 6/8拍子
        歴 史
         ・1910年(明治43年)1月23日: ボート転覆事故発 
          生。
         ・1910年2月6日: 逗子開成中学校で追悼大法会開
           催 。
           鎌倉女学校生徒約70名により 、鎮魂歌として
           この歌が初演された 。オルガン伴奏は三角錫
           子 。
        ・1915年(大正4年): 事故から5年を節目に雑誌
           『音楽界』159号(1月号)41ページに歌詞が掲
           載 、翌月160号(2月号)巻頭に楽譜付で掲載さ
           れた 。
        ・1915年(大正4年)8月: レコードが発売された。
        ・1916年(大正5年)1月23日: 楽譜が音楽社から
         刊行された 。楽譜の題名は『 哀歌 』といい 、
         三角の「眞白き富士の根」と山本正夫作曲の
         『 母のなげき 』が収録された 。このころから
         演歌師によって一般に広められた 。
        ・1916年(大正5年)6月: 『 七里が浜の哀歌 』
         の題名で単行本の楽譜が出版された 。世間は
         この歌の楽譜を待ち望んでいた 。
        ・1935年(昭和10年)8月29日: 松竹により映画
         化 。題名は『 真白き富士の根 』。主題歌は
         覆面歌手ミス・コロムビア(松原操)が歌唱 。
        ・1954年(昭和29年)8月4日: 大映により映画
         化 。題名は『 真白き富士の嶺 』。主題歌は
         菊池章子が歌唱 。
        ・1962年(昭和37年):逗子信用組合の屋上に
         『 真白き富士の根 』のオルゴール時報が流
         れるスピーカーを設置 。1992年(平成4年)
         まで 。
        ・1963年(昭和38年):逗子開成正門入って右側
         に 、折れたオールと『 真白き富士の根 』1番
         の歌詞を共にして『 ボート遭難の碑 』建立 。
        ・1964年(昭和39年):稲村ヶ崎公園にボート遭
         難事故慰霊像建立 。これは『 真白き富士の
              根 』1番と2番の歌詞を刻んだ犠牲者の兄弟像
         であり 、小学生であった坊やは沈まぬように
         兄に抱きかかえられている
        ・1993年(平成5年)4月18日:逗子開成創立90周年
         式典において PTAコーラスにより合唱 。」

        行合川(ゆきあいがわ)は 、神奈川県鎌倉市
         七里ヶ浜を流れる 、単独水系の川 。日蓮に関
         する逸話が多い事で知られる 。

         地 理
          全長 670メートル と短い河川ではあるが 、
         鎌倉市の下水処理場(七里ガ浜浄化センター)
         からの処理水が大量(約40000立方メートル/日)
         に流れ込む事から 、水流は比較的急である 。」

        「 カッターボート(cutter boat)は 、船舶に
         搭載される大型の手漕ぎボートである 。省略
         して『 カッター 』と呼ばれることが多い 。」

         以上ウィキ情報 。

         小学生の坊やは 、日頃から ボートのコックス〈操舵手〉

        役を務めていたんだろうか 。漕ぎ手12人の6mカッタ

        ーと呼ばれる大きさのボートかと思われる 。)  

 

 

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ラブユー Long Good-bye 2025・01・19

2025-01-19 06:34:00 | Weblog

 

   昨日の朝も 、いつもの朝のように 、四時半に

  目覚め 、これまたいつものように 、すぐには

  起床せず 、深夜放送の名残りの 、お笑いコ

  ビの与太話を 、右耳に差し込んだイアホンを

  通して 、聞くともなしに聞いていた 。

   五時の時報とともに始まるのが 、土曜の朝は 、

  ニッポン放送 「 徳光和夫 とくもり歌謡サタデ

  ー 」。これが聞こえてくるころには 、すでに

  寝床を離れて 、朝の行事の真っ最中 。

   そうこうしている内に 、聞き覚えのある黒沢

  明とロス・プリモスの「 ラブユー東京 」のイ

  ントロのメロディーに続いて 、

  これまで筆者が聞いたことのない歌詞の歌が 、

  ロス・プリモスの美しい声音で流れてきた 。

     。。(⌒∇⌒) 。。

    今日の「 お気に入り 」は 、ムード歌謡の ロ

  ス・プリモス が歌う「 ラブユー東京 」ならぬ

  「 ラブユー貧乏 」。ラジオから聞こえてくる

  限りで 、歌詞を拾うと 、こんな感じ ・・・ 。

  「 しらたき と ネギ と
   おとうふ ( 豆腐 ) はくさい ( 白菜 )
   にく ( 肉 ) は はいってないわ
   私の人生
   お金だけが
   生きがいなの
   忘れられない
   ビンボー ビンボー
   涙の貧乏 (^^♪ 」

   ここまでが一番らしい 。

  「 裸電球が
   切れてしまったの
   古い虫歯もうずく
   私の三じょう ( 畳? )
   あしたからは
   お金なしで
   生きてゆくのね
   ビンボー ビンボー
   涙の貧乏 (^^♪  」

   たぶん三番もあると思うが 、放送は二番まで 。

    上原尚さん 作詞の「 ラブユー東京 」の方も 、

  たしか こんな歌詞で とても 能天気な感じ 。

   いいのかなあ 、こんなんで 。

   「 七色の虹が 消えてしまったの
    シャボン玉のような あたしの涙 」

   「 いつまでもあたし めそめそしないわ
    シャボン玉のような 明るい涙 」

   「 幸せの星を きっとみつけるの
    シャボン玉のような 夢見る涙

   ( ・・・ 1980年代 、替え歌作って 、世の

    中浮かれている内に 、昭和は終わり 、バブ

    ルがはじけた 。)

   このあと六時の時報で 、ラジオを聴くのを中断

  したので 、六時台の徳光さんの語りの続きは知

  らない 。ラジコのタイムフリーで聴くほどのこ

  とではないと思ので聴いていない 。

    。。(⌒∇⌒) 。。

   筆者が はじめて ラブユー東京 を聴いたのは 、

  大学受験真っ最中の昭和41 ( 1966 ) 年 。

   大学入学共通テスト 真っ最中の 昭和100

  ( 2025 ) 年1月18日 に 、ラブユー貧乏

  を はじめて 耳にしたことが おもしろい 。

 

 

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アルバトロス Long Good-bye 2025・01・14

2025-01-14 04:54:00 | Weblog

 

  アルバトロスと聞いて 、ゴルフのすご技を想起しない

 筆者は 、スポーツとしてのゴルフとの相性が 、子供の

 頃から 、よろしくない 。ゴルフ・プレイヤーのお供を

 して 、18ホールのコースをただ散歩するのは 、気持

 ちがいいから 、好きである 。小学5年生の頃 、大人に

 連れられて歩いた 、川奈ホテルの富士コースだか大島コ

 ースだかが 、とても気持ちの良い場所だったことを 、

 66年経った今も覚えている 。

   要するに 、ゴルフが下手糞なだけでる 。

      。。(⌒∇⌒)  。。

   今日の「 お気に入り 」は 、作家の村上春樹さんが 、

 1994年か1995年頃に書かれたエッセー「 うず

 まき猫のみつけかた 」( 新潮文庫 )の中の数節 。

  ハワイに生息するアホウドリ ( 英名 albatross ) のお話 。

  引用はじめ 。

 「 アメリカ大陸の横断も終わり 、そのあと
  ハワイのカウアイ島で一カ月半を過ごした 。
  そこで東京からやってきたうちの奥さんと
  再会する ―― というほど大したものでも
  ないのだけれど 、とにかく合流する 。」

  

 「 ところでこの島にはたくさんアルバトロ
  スが生息しているが 、写真をご覧になっ
  てもわかるように 、これはなかなか かわ
  いい鳥である 。むっくりとしていて 、警
  戒心というものがほとんどなくて 、近寄
  っても逃げない 。さすがに近くに行くと
  くちばしをカタカタと鳴らして 、『 なん
  だよ 、おまえ 、なんだよ 、やる気かよ!』
  と威嚇するのだが 、そんなに怖くないし 、
  しばらくするとそれも面倒臭くなって適当
  にやめてしまう 。そしてあとは『 まあ 、
  いいか 』という感じでただそこに立って
  ぽけーっとしている 。アホウドリと呼ば
  れて 、世界的に絶滅しかけたのもまあ無
  理はないと思う 。
   アルバトロスは子供の頃には 、『 元プ
  リンス 』みたいにウェーブした黒い髪が
  ふさふさと はえている 。ところが どう
  してかはわからないが 、成長して空を飛
  べるくらいになるとこれが全部抜け落ちて
  つるっぱげ ( えーと 、これは差別用語じ
  ゃないよな 、たしか ) になってしまう 。
  そして成長したつるつるのアルバトロスは
  『 じゃあ 、そろそろ行くめやも 』と大
  きな翼を広げて空に飛び立ち 、二年ぐら
  い休みもせずに海原の上を延々と飛び続け
  ( 話によれば 、ときどき船のマストの て
  っぺんにとまって休憩する以外は 、まっ
  たく休まないらしい ) 、二年後に正確に
  同じ場所に帰ってきて交尾し 、そこに腰
  を据えて子供を産み 、育てる 。けっこう
  変わった鳥である 。」

 「 たしかに二年に一回ってのはすごいです
  ね 。でも僕の知り合いには『 女房とは閏
  年に一回 』という人もいるから 、ほんと
  うはそんなにすごくないのかもしれない 。
  僕にはよくわからないです 。」

 「 アルバトロスは図体が大きくて 、飛び立
  つのにずいぶん手間がかかる 。とくに飛
  行にまだ慣れていない子供のアルバトロス
  は風をうまく選んで 、助走をしっかり長く
  つけないと 、なかなかさっと空に浮かび上
  がることができない 。だからアルバトロス
  が子供を育てるのに適した場所は 、風の強
  い海に面した崖の上の 、開けたところとい
  うことになる 。まあどう考えても 、あん
  まり要領のいい生き物とは言えないだろう 。
   とにかくその開けた崖っぷちを 、子供ア
  ホウドリがたったったったと懸命に走って
  いって 、よろよろっと浮かび上がるわけだ 。
  これはかなりの見物である 。首尾よく浮か
  んだときにはぱちぱちぱちと盛大に拍手を
  してあげたくなる 。でも中にはうまく飛び
  立てないまま 、こてっと崖から落下して若
  い命を落としてしまう哀れなアルバトロスも
  いるらしい 。ほんとうに気の毒である 。小
  説家の運命もけっこう数奇でリスキーだが 、
  そういう面ではアルバトロスも決して負けて
  いない 。」

  引用おわり 。

 。。(⌒∇⌒);。。 

 ( ついでながらの

   筆者註:アルバトロスとは 、ゴルフ競技でパー( 基
       準の打数 )から数えて 3打少なくそのホール
       を終了すること 。特に 、パー5のホールを 2
       打で終了することを指すことが多い 。『
       ブルイーグル 』とも言う 。

       概 要
        アルバトロスという名は 、『 アホウドリ 』
       の英名(英: albatross)で 、アホウドリが
       翼と風を巧みに利用することで長距離を容易
       に飛ぶ鳥のひとつであることに由来している 。
        なお 、アホウドリ自体も現在では絶滅危惧
       種に指定されているので 、名実ともに滅多に
       お目にかかれない 。ちなみにパー(基準の打
       数)から数えて 4打少なく( パー5を1打、パー
       6を2打 で ) そのホールを終了することを コン
       ドル と呼ぶ 。

        アルバトロスの達成で考えられるのはパー4
       の第1打目(ホールインワン)、パー5の第2打
       目が挙げられる 。しかしそれを達成するのは
       パー3のホールインワンより至難の業とされて
       いる 。」

      「 英語名の albatross は 、スペイン語で大型
       の海鳥を指す alcatraz に由来し 、それはさ
       らにアラビア語でのペリカン al-qadus に由
       来する 。」

      「 アホウドリ( 信天翁 、阿房鳥 、阿呆鳥 、
       アルバトロスPhoebastria albatrus )は 、
       ミズナギドリ目アホウドリ科キタアホウドリ
       属に分類される鳥類 。

       分 布
        北太平洋に分布する 。

        夏季にはベーリング海やアラスカ湾 、アリ
       ューシャン列島周辺で暮らし 、冬季になると
       繁殖のために日本近海への渡りをおこない南
       下する 。鳥島と尖閣諸島北小島 、南小島で
       のみ繁殖が確認されていた 。

        2011年と2012年 、2014年にはミッドウェー
       環礁でも繁殖が確認されたほか 、2015年には
       小笠原諸島の媒島で戦後初となる繁殖が確認
       され 、以降は嫁島や聟島でも繁殖が確認され
       ている 。

       形 態
        全長84 - 100センチメートル 。翼開長190 -
       240センチメートル 。体重3. 3 - 5.3キログ
       ラム 。飛行できる現存の鳥類の中では最大級
       である

        全身の羽衣は白い 。後頭から後頸にかけて
       の羽衣は黄色い 。尾羽の先端が黒い 。翼上
       面の大雨覆の一部 、初列風切 、次列風切の
       一部は黒く 、三列風切の先端も黒い 。翼下
       面の色彩は白いが 、外縁は黒い 。

        嘴は淡赤色で 、先端は青灰色 。後肢は淡
       赤色 、青灰色で 、水かきの色彩は黒い 。

        雛の綿羽は黒や暗褐色、灰色 。幼鳥は全身
       の羽衣が黒褐色や暗褐色で 、成長に伴い白
       色部が大きくなる 。」

       以上全部ウィキ情報 。

 

 

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はなもあらしものりこえて Long Good-bye 2025・01・10

2025-01-10 06:07:00 | Weblog

      ( 2025年 、新年の富士山 、宝永火口に雪はない )

      ( 1月11日の富士山 、宝永火口に雪がある )

      ( 10年経てば 、スマートタウンもくすみが進む 

                     ・・・ お肌のお手入れも必要かな ・・・  )

  

  今日の「 お気に入り 」は 、作家の村上春樹さんが 、

 1994年か1995年頃に書かれたエッセー「 うず

 まき猫のみつけかた 」( 新潮文庫 )の中の数節 。

  引用はじめ 。

 「 四月十七日 。さてボストンの通りに猫が顔を出し始
  めると『 いよいよ 』のボストン・マラソンである 。
  僕はこの冬のあいだずっと真剣に長編小説の執筆に集
  中していたので 、ほとんどレースに向けての走り込
  みができなかった 。まあ僕は小説家であって 、職業
  的ランナーじゃないんだから 、これはしょうがない。
  本来ならば準備不足で今年は出場を見あわせようかと
  いうところなのだが 、ボストンにいるのも今年が最
  後だし 、まあ少しくらいタイムが悪くてもいいや 、
  レースそのものを楽しもうと思って出てみた 。」

 「 僕がボストン・マラソンを走るのはこれで通算四回
  目ということになる 。当日の体調も風邪気味であま
  りおもわしくなく 、結果的には情けない成績だった
  けれど 、でも今回もとにかく一歩も歩くことなく最
  後までしっかりと完走できてよかった 。スタート後
  少しして『 ああ 、今日はこれはぜんぜんダメだ 』
  と思ったので 、始めからペースを落とし 、三時間
  四十五分くらいのタイムでいければいいやという計
  算で走ったのだが 、それでも最後でふらふらにばて
  た 。」

 「 ほんとにしんどかった 。やっぱりフル・マラソン
  だけは 、体調が万全でないときには無理して出るも
  のじゃないですね 。この次は小説なんか書いてない
  で 、ちゃんと走り込んで調整をやるぞと 、唇を噛
  みしめて固く決心をした次第である 。」

 「 でも文章を書くときでもそうだけれど 、人間いつ
  もいつも調子がいいとは限らないものである 。長く
  やっていれば 、山もあれば谷もある 。調子の悪い
  ときは悪いなりに 、自分のペースを冷静に的確につ
  かんで 、その範囲でなんとかベストを尽くしてやっ
  ていくというのも 、大事な能力才能のひとつであろ
  うと思う 。 そんなに無理をしないで 、首をすくめ
  てこつこつとしのいでやっていれば 、そのうちにま
  た少しずつ調子は戻ってくるのだから

  引用おわり 。

  マラソン と 人生 、共通点はあるようで 、長丁場 。

  はなもあらしものりこえて 、サステナブル は難しい 。

 。。(⌒∇⌒);。。

 ( ついでながらの

   筆者註:「 長 丁 場 ( ながちょうば )  日本語 名詞

        ・長い道程 。
        ・長期間の仕事 。長い時間がかかるものごと 。
        語源
         宿場と宿場の距離が長かったことによる。
        関連語
         長町場  」

      「 ① 宿場と宿場との間の道のりが 、距離的 、
        時間的に長いこと 。 また 、長い道のり 。

        ② 仕事などが一段落するまでに時間が長く
         かかること 。 また 、時間の長くかかる
         物事 。

       ③演劇などで 、時間が長くかかる一連の場
        面 。」

       以上 、コトバンク ほか による 。)

 

 

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小さいけれども確かな幸福 Long Good-bye 2025・01・08

2025-01-08 06:15:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」は 、作家の村上春樹さんが 、

 1994年か1995年頃に書かれたエッセー「 うず

 まき猫のみつけかた 」( 新潮文庫 )の中の数節 。

  引用はじめ 。

 「 一九九一年にアメリカに来たときに 、家の近所の
  中古レコード屋でマット・デニスの『 プレイズ・
  アンド・シングズ 』のオリジナルのトレンド盤を
  三十四ドルで売っているのを見つけた 。僕はこの
  レコードが昔から大好きで 、KAPP盤と日本発
  売のデッカMCA盤とCDと三種類持っているのだ
  が( かなり物好きだ )、トレンド盤はもともとの
  根っこのオリジナルであってモノとしてはちょっと
  珍しい 。でも『 三十四ドルというのはちょっと高
  いよな 。だいたいもう同じものを三枚も持ってい
  るわけだし 』と 、三カ月近くも悩んでいた 。も
  ちろん三十四ドルのお金がないわけではないし 、
  そして日本でこのレコードを買おうとすればそれど
  ころじゃとてもすまないことはよくわかっていても 、
  僕の感覚からすれば ―― あるいは現地感覚からす
  れば ―― 三十四ドルという値段はいささか高い 。
  古いレコード集めは僕の趣味であって 、趣味という
  のは自分でルールを作るゲームみたいなものである
  お金さえ出せば何でもそろうというのでは 、これは
  面白くもなんともない 。だからたとえ相場より安い
  ですよと他人に言われても 、自分が『 これはいさ
  さか値付けが高い 』と思えば 、それはやはり高い
  のである 。だから深く悩んだ末に結局買わなかっ
  た 。
   とはいうものの 、ある日そのレコードが売れて 、
  レコード棚から姿を消してしまっているのを発見し
  たときにはさすがに寂しかった 。まるで長いあいだ
  憧れていた女性が 、どこかのろくでもない男と突然
  ひょいと結婚してしまったような気分だった 。
  『 ああ 、やっぱりあのとき思い切って買っておく
  のだったな 。これから先もう見かけることもないか
  もしれないし 』と後悔もした 。結局のところそれ
  ほどの金額のものでもなかったんだから 。ただ単な
  る僕の個人的な基本方針の問題だったんだから 。
   しかしながら人生というのはそれほど悪くしたもの
  でもない 。その三年後に僕は 、ボストンのとある
  中古店で同じレコードをなんと二ドル九十九セント
  で見つけたのである 。盤質はまあぴかぴかの『 新
  品同様 』とはいかなかったけれど 、でもそんなに
  悪くない 。これを手にしたときはほんとうに嬉しか
  ったですね 。手が震えるというほどではないけれ
  ど 、思わずにこにこしてしまった 。じっと我慢し
  て待ったかいがあった 。
   結局ケチなんじゃないかと言われそうだけれど 、
  決してそういうのではない 。生活の中に個人的な
  『 小確幸 』( 小さいけれども 、確かな幸福 )
  を見出すためには 、多かれ少なかれ自己規制みた
  いなものが必要とされる 。たとえば我慢して激し
  く運動した後に飲むきりきりに冷えたビールみたい
  なもので 、『 うーん 、そうだ 、これだ 』と 、
  一人で目を閉じて思わずつぶやいてしまうような感
  興 、それがなんといっても『 小確幸 』の醍醐味
  ある 。そしてそういった『 小確幸 』のない人生な
  んて 、かすかすの砂漠のようなものにすぎないと僕
  は思うのだけれど 。」

  引用おわり 。

  「 猫の腕時計 」同様 、買物の話 。村上春樹さんも団塊

 世代なんだなあ 、とつくづく思う 。

 

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食う寝る遊ぶ Long Good-bye 2025・01・05

2025-01-05 06:05:00 | Weblog

 

   今日の「 お気に入り 」は 、作家の村上春樹さんが 、

 1994年か1995年頃に書かれたエッセー「 うず

 まき猫のみつけかた 」( 新潮文庫 )の中の数節 。

  引用はじめ 。

 「 国が広いこともあって 、アメリカでは通信販売
  が盛んだけれど 、これは一度慣れるとなかなか便
  利で楽しいものである 。」

 「 雑誌『 ニューヨーカー 』の広告で見かけて注文
  した猫の腕時計 。文字盤の数字の代わりに『 食
  う 』『 寝る 』『 遊ぶ 』という三つの言葉が繰
  り返しでてくる 。考えてみれば井上陽水のあの昔
  のコマーシャルとまったく同じである 。値段は六
  十ドル前後だったと思う 。もう二年以上使ってい
  るけれど 、時間はきわめて正確 。余計な機能が
  まったくついていないのでとても使いやすい 。気
  に入ったので 、いつか誰かにプレゼントしようと
  思って二個も買ってしまった 。この時計をはめて
  街を歩いていると 、必ず誰かが目にとめて『 お
  お 、面白い時計してるね 』と声をかけてくる 。
  ( アメリカ人というのはほんとうにこまめに声を
  かけてくる )そしてみんな『 そうだな 、イート 、
  ナップ 、プレイ 、そういうのが人生だよな ・・・』
  と溜息(ためいき)まじりに言う 。そういう思いは
  世界どこでもだいたい同じらしく 、あのセフィー
  ロのコマーシャルはひょっとしたらアメリカでもけ
  っこう受けたかもしれないですね 。」

 「 僕は主義として( というか要するにケチなだけみ
  たいだが )一万円以上の値段の時計はまず買わな
  いのだけれど 、そのかわりに安い時計をいっぱい
  持っている 。おかげで夏時間と冬時間の切り替え
  のときにはいちいち進めたり遅らせたりものすごく
  面倒なことになるわけだが 、でも引き出しにいっ
  ぱい腕時計を放り込んでおいて 、その日の気分で
  時計を取り替えるのはなかなかいいものである 。
  時計なんてとにかく時間が合えばそれでいいんだと
  思っているから 、たかが腕時計に二十万も三十万
  も出す人の気持が僕にはよくわからない 。
   一度四〇〇〇円くらいで買った『 猫のフェリック
  ス 』時計がとても気に入ったのだけれど 、ついて
  いたベルトが今ひとつだったので 、五〇〇〇円く
  らいする皮のベルトに付け替えてもらったことがあ
  る 。あれは今にして思えば 、気分的には僕のこれ
  までの人生の中でも一二を争う贅沢な振る舞いだっ
  た 。たとえて言うならば 、ミネラルウォーターを
  使って歯を磨くような感じですね 。まあたいした
  ことじゃないって言えば 、たいしたことじゃない
  んだけど 、でもそれなりの決断というものがそ
  こには必要とされる 。」

  引用おわり 。

  筆者が読んでいる電子書籍には 、「 猫の腕時計 」の

 写真が載っているので 、実物をイメージできるが 、

 文章の説明だけではなかなか「 猫の腕時計 」をイメージ

 することが難しい 。

  普通の時計の文字盤の1から12までのところに、数字の

 代わりに 、EAT とか NAP とか PLAY とか  、適当な順番で

 書いてあるらしい ユニークな腕時計 。数字の1の代わりに

 EAT と書いてあっても 、時計の長針と短針が指し示す方向

 や針の位置で 、腕時計の持ち主には 今が何時何分かは大体

 わかるのである 。

 大体でいいのだ 、時間なんてものは 。「 食う 」「 寝る 」

 だけで「 遊ぶ 」時間が少ないと 、人生は随分と退屈なも

 のになるかも知れない 。

  腕時計というものをしなくなって久しい 。 

 

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今年も単純に規則的に暮らす Long Good-bye 2025・01・03

2025-01-03 05:35:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、作家の村上春樹さんが 、

 1994年か1995年頃に書かれたエッセー「 うず

 まき猫のみつけかた 」( 新潮文庫 )の中の数節 。

  引用はじめ 。

 「 最近は熱心に小説を書いているので 、毎日朝の
  五時ちょうどに起きて 、夜の九時過ぎにはもう
  ベッドに入ってぐうぐう眠るというパターンにな
  っている 。僕の場合 、長編小説を書いていると
  きにはどうやらこの生活形態が理想的パターンで
  あるらしく 、いつもだいたい自然にそういう風
  になってしまう 。自然に眠くなって 、自然に目
  が覚めてしまうわけだ 。もちろん作家によって 、
  人それぞれいろんな仕事時間のパターンがある 。」

 「 朝食をはさんでだいたい午前十時半頃まで仕事
  をして 、それから大学のプールで泳ぐか 、その
  へんを一時間ほど走るかして 、そのあとで昼御
  飯を食べる 。午後はだいたい気分転換 。小説以
  外の仕事( 翻訳とか 、こういうエッセーとか )
  をしたりしなかったり 、町にちょっと散歩にで
  たり 、買い物をしたり 、あるいは事務的な日常
  的な用事を片づけたりする 。夕食後はたまにビ
  デオで映画を見たりするけれど 、だいたいはの
  んびり本を読みながら音楽を聴いている 。よほ
  どのことがない限り 、日が暮れたら仕事は一切
  やらない 。」

 「 寝る前に飲みすぎたり食べすぎたりすると 、朝
  起きたときになかなかすっきりと頭が働かないの
  で 、意識的に控えるようにしている 。早朝の時
  間というのは僕にとって とても大事なものなので 。
  それから外食というのは まずしなくなってしま
  う 。もちろん友達づきあいというようなものも
  皆無に等しくなる 。
   という具合に 、小説に集中していると生活が一
  貫して単純に規則的になってくる 。」

 「『 そんな きちきちに 内向的に 孤独な人生を送っ
  て 、いったいどこが楽しいのだ ?』と訊かれる
  と 、僕も困ってしまうのだけれど 、うーん 、
  でもしょうがないですよ 。生き方というのは人
  それぞれなんだから ・・・ 。」

  引用おわり 。

  筆者は 、村上春樹さんのように 、長編小説を書く小

 説家ではないけれど 、何かひとつの物事を 、集中して 、

 成し遂げようとするとき 、ふだんの生活を 、出来る限

 り 、単純に 、規則的なものにしないと 、集中力がそが

 れ 、元も子もなくなるような気がしている 。

  夫婦の寿命にかかわることで 、いつ終わりを迎えても

 不思議がなく 、かと言って 、終らせたくない 、途絶え

 させたくない 、できることなら無期限に続けたいライフ

 ワークなので 、目標を全うするため「 きちきちに 内向

 的に 孤独な 人生を送る 」。生まれつき内向的だし 、今

 さら変われない 。

  二十年前にそう決めたのだから 、しようがないですよ 。

 楽しんでやるようなことじゃあないんだけれど 、これが

 結構楽しめるんです 。

  ただ 、孤独ではないんですよ 、ほんと 。

 

 

  

  

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