今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 永井荷風はまだ定職のない弱年のころこう書いている。新聞記者になろうか。いや私は事によったら盗賊になるかも
知れない。しかし不幸にしてまだ私は正義と人道とを商品に取扱うほど悪徳には馴れていない。
またいわく、これは前にも紹介したが何度でも言わしてもらう。吏は役に立たぬものなり、賄賂を取りたがるものなり。
責むるは野暮なり。いくら取替えても同じことなり。
荷風山人は広津柳浪(和郎の父)の弟子で、柳浪は尾崎紅葉の硯友社の一員だから、荷風はその流れを汲んでいるといっ
ていいだろう。だから責むるは野暮なりと言った。江戸時代は野暮を最もバカにした。文学の伝統は風流にある。自然主
義はその風流を滅ぼした。狂歌川柳へな(鄙)ぶり、学のあるものは狂詩(漢詩のパロディ)をつくってお上をからかっ
た。白河の清きに魚も棲みかねて元の濁りの田沼恋しき。
人間というものはきたないものだ、リベートはもらいたいものだ、あれは税金のかからない唯一の金だ。清潔無比の世の
中なんてありはしない。もっと笑いを。浮世は笑うよりほかないところだ。式亭三馬いわく、まことはウソの皮ウソはま
ことの骨、まこととウソの仲の丁迷うも吉原さとるも吉原。
私のコラムいつも笑いを心がけながら欠けるうらみがある。なお心がけたい。」
(山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)