「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

良寛さん 2005・11・30

2005-11-30 06:35:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は良寛禅師の歌三首です。

 「今よりは ふる里人の 音(ね)もあらじ
      嶺にも峰(を)にも 積るしらゆき」

 「山かげの 草の庵は いとさむし
      柴をたきつつ 夜を明かしてむ」

 「山かげの 真木の板屋に 音はせねど
      雪のふる夜は 寒くこそあれ」
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無辜〈罪なき人) 2005・11・29

2005-11-29 06:40:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「アインシュタインはその晩年、もし生れかわれるなら来世はブリキ屋か行商人になりたいと言った。アメリカが

 原爆投下を急いだのは、ドイツに先きを越されやしまいかと恐れたからである。アインシュタインは急げと時の

 大統領に進言していれられた。大急ぎで原爆が完成したのは昭和二十年七月十六日、それを広島に投下したのが八月六日。
 
  これよりさき五月七日ドイツは降伏してヒトラーは自殺している。日本がしきりに降伏の打診をしていることは

 アメリカははやく承知している。原爆を投下する理由はすでに全くなくなっている。しまったとアインシュタインは

 髪かきむしったが及ばなかった。続いてアメリカは長崎に投下した。

  『しきりに無辜を殺傷し』と私は再三書いた。アメリカは戦争裁判で日本を平和の敵、人類に対する罪人のように

 断じたが、広島長崎で死んだのは全くの無辜(罪なき人)である、非戦闘員と女子供である。あれはいまだかつて

 なかった人類の大殺戮だった。もしアメリカ人が神を信じるなら永遠に許されない罪業である。

  だから『しまった』とほぞをかんだのである。原爆機の搭乗員の一人は自殺したと伝えられたが、他は平然と

 その生を終えた。もし原爆を投下しなければ、日本はなお抵抗しただろう、本土決戦になれば何百万以上の日本人が

 死んだだろう、投下のおかげで助かったとアメリカ人の多くは思って、その心は痛まない。もし日本人が先んじて

 投下したらその心が痛まないように痛まない。彼らの(また我らの)想像力はこの程度である。」


  (山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)





                 
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まじめ人間ほど始末におえないものはない 2005・11・28

2005-11-28 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「尖閣列島は日本領に決まっているのになぜ弱腰なのか。首相が靖国神社に参拝するなら中国にも考えがあるぞとは

 何たる言い草だと国民の九割までは思っている
のに、新聞にそれが出ないのはなぜか。ソ連はなくなり日教組も往年

 の力はないというが、五十年日教組の教育で育った申し子が新聞社のデスク、文部省のデスクに座っているのである。」

 「まじめ人間ほど始末におえないものはない。五・一五事件二・二六事件の青年将校はみんなまじめの極だよ。あれだって

 天下をとりゃ純真だけじゃいられないよ。まず同志を粛清しなけりゃならない。革マル派や赤軍派だってはじめは

 まじめ人間だった。天下をとらなくても同志を殺した。毛沢東やスターリンは五百万、千万、いくら殺したかかず知れない。」


 「戦後の日教組教育の成功は、何でも話合いで解決すると女子供に吹きこんだことです。ソ連と中国、北朝鮮と韓国は

 話合い可能でしょうか。亭主と細君だって話合いできないではありませんか。

  もうひとつ戦争は絶対悪だと思いこませたことです。戦争に是非善悪はありません。話合いできないから暴力の出る幕が

 あるのです。そして双方に正義があるのです。だから昔は戦争裁判はありませんでした。勝者は敗者を殺しました。民衆は

 奴隷にしました。敗者は復讐をちかって勝てば自分がされたことを相手にして、何千年来人類は健康を保ってきたのです。

  ゆえに健康というものはイヤなものなのです。

  ここできまって持ちだされるのは憲法第九条です。憲法なんか何度でも改めればいいのですげんに世界各国は少きは

 二十回多くは百回以上改めています


  正直なのは共産党だけです。万一、共産党が天下をとったら党は直ちに改憲します。徴兵制をとります。社会主義政権を

 樹立してもらって、こんどはその国の属国になって大臣に任命されて勇んでアメリカに迎合したようにその国に迎合します。」


  (山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)






                         
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金貸・株屋・千三つ屋 2005・11・27

2005-11-27 06:30:00 | Weblog



 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「弱年のころから私は日本語を日本語に翻訳している。銀行を金貸、証券会社を株屋、不動産業者を千三つ屋と

 訳すばかりか口に出して言ったから顰蹙されたが、このごろはこれらが正体をあらわしたので晴れて言えるようになった。

 新日鉄社長のち経団連会長稲山嘉寛(明治37年生)は銀座の稲山銀行のあととりで、この銀行は質屋あがりで嘉寛が帝大生

 のころつぶれた。友のひとりに『よかったな金貸の息子でなくなって』と言われたから昭和初年銀行はまだ金貸だと思われ

 ていたことが分る。

  戦前は角丸証券岡三証券などと名乗ってもすぐ株屋だと分った。株屋は一夜にして大尽にもなるが乞食にもなる。素人が

 手を出してはならぬとかたく禁じられていたから堅気は出さなかった。戦後証券会社と名を改めてまんまと成功した。この

 ごろ相次ぐ不祥事で化けの皮がはがれたのはめでたいが、あれは欲で、欲ばりがいるかぎり株屋の餌食はなくならない。

  千三つ屋は千に三つまとまればいい商売だったから千三つ屋と呼んだのである。客をあざむくこと多い商売だから、これ

 また堅気ではなかった。

  戦前貸家札は町内を一巡すればいたるところに貼ってあった。半紙に書いた札は雨戸に斜めに貼ってあったからよりどり

 見どりで、直接大家にかけあえばよかった。不動産屋が介入する余地はなかった。貸家がそうなら貸間はさらにそうである。

 敷金は三つとったが引越すときはむろん全額返した。家主は店子が末ながく住んでくれることを願って、年末には畳がえを

 してくれた。一両年たつと裏返しをしてくれた。

  昭和十年代まで引越道楽ができるほど貸家はあったのである。広津和郎の父君広津柳浪はその引越道楽だったそうで、

 昼でも雨戸をたてランプをつけて執筆したという。天才だと畏れられていたが自然主義の時代が来て、やがて去って何も

 書けなくなっても、和郎はなお柳浪を尊敬してやまなかった。

  貸家は多く定年退職者が建てた。なが年官公吏を勤めると退職金または恩給が出た。それで貸家の何軒かをたてて老後を

 養ったから、住宅問題はなかったのである。べつに貸家を五十戸百戸持って衣食する貸家業者もいた。あわせて貸家は山ほど

 あったから、持家を建てる発想は生じなかった。土地を買う発想はさらに生じなかった。昭和初年の不景気の時は『前家賃』

 だけで貸すようになった。

  戦後それはまる焼けになって一変した。政府は社会主義にかぶれて貸し手は持てるもの借り手は貧しい者と見なしてすべて

 借り手に有利に、貸し手に不利にしたから貸家を建てる習慣はなくなった。

  いっぽう法は破るためにある。貸し手は敷金をとった上に礼金(とは何だ)をとって、二年ごとに更新料をとって引越す

 ときはよごし賃までとった。畳がえしてくれた戦前は全く忘れられた。いま貸し手と借り手の立場が逆転しつつある。失地

 回復とまではいくまいが五分と五分にこぎつける好機である。」


  (山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)




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2005・11・26

2005-11-26 06:35:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 永井荷風はまだ定職のない弱年のころこう書いている。新聞記者になろうか。いや私は事によったら盗賊になるかも

  知れない。しかし不幸にしてまだ私は正義と人道とを商品に取扱うほど悪徳には馴れていない。

   またいわく、これは前にも紹介したが何度でも言わしてもらう。吏は役に立たぬものなり、賄賂を取りたがるものなり。

   責むるは野暮なり。いくら取替えても同じことなり。

   荷風山人は広津柳浪(和郎の父)の弟子で、柳浪は尾崎紅葉の硯友社の一員だから、荷風はその流れを汲んでいるといっ

  ていいだろう。だから責むるは野暮なりと言った。江戸時代は野暮を最もバカにした。文学の伝統は風流にある。自然主

  義はその風流を滅ぼした。狂歌川柳へな(鄙)ぶり、学のあるものは狂詩(漢詩のパロディ)をつくってお上をからかっ

  た。白河の清きに魚も棲みかねて元の濁りの田沼恋しき。

   人間というものはきたないものだ、リベートはもらいたいものだ、あれは税金のかからない唯一の金だ。清潔無比の世の

  中なんてありはしない。もっと笑いを。浮世は笑うよりほかないところだ。式亭三馬いわく、まことはウソの皮ウソはま

  ことの骨、まこととウソの仲の丁迷うも吉原さとるも吉原。

   私のコラムいつも笑いを心がけながら欠けるうらみがある。なお心がけたい。」


  (山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)
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2005・11・25

2005-11-25 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、以前朝日新聞に連載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された短歌を二首。


  人降りしビルの谷間の花の束褪せてののちにやがて忘られ

  もがれゐし女の手足つややかな飾窓(ショーウィンド)のなかの殺伐  (前川佐重郎)
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今のモラルで戦前を見る過ちをおかすな 2005・11・24

2005-11-24 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「教科書問題は一言で尽きる。日本の悪口を書いた教科書を日本の中学生に与えるわけにはいかぬと

 一蹴すればいいのである。」

 「戦後五十年のうち、四十なん年だまっていてにわかに騒ぎだしたのは首相や大臣が侵略云々と謝罪

 したのがきっかけで、謝罪するなら補償せよと言いだしたのである。」

 「今ごろ騒ぎだしたのは『金ほしさ』のためだといえばこれも誰もうなずく。

  こんなことみな知っているのにマスコミの多くは言わない。一犬虚に吠えて万犬実を伝う。慰安婦を

 軍が強制連行したというのはその虚である。

  戦前は貧しかったから娘を売る親がいた。娘は器量次第で安くまた高く売れた。むろん金は前渡しで

 年季奉公である。一人前の芸娼妓は外地ならはるかに高く売れたから自分から進んで行くものもあった。

  朝鮮は内地より貧しかったから募集すればいくらでも集まった。集める男は女衒また桂庵のたぐいで

 ある。慰安婦は部隊ごとにいたが従軍看護婦、従軍記者とはちがう。従軍というのは間違いである。

 兵隊は一回いくらで買うと娼婦はそれをためて郷里に送金した。

  これがないとどこの国の兵士も強姦略奪をほしいままにする。それを防ぐために軍は民間人に任せて

 商売させたのである。応募するものがいくらでもいるのに強制連行するわけがない。

 連行ならソ連が本家で、六十万人あまりの兵士をシベリアへ連行して過酷な労働を強い六万人以上を死

 なせた。ソ連は詫びたか、わが新聞は補償せよというキャンペーンをしたか。」


 「人も国も平気であざむきあう。」


 「今のモラルで戦前を見る過ちをおかすな。」


  (山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)



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2005・11・23

2005-11-23 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 私はよく痛烈といわれるが、あれは自分のことは棚にあげて他を論難することで、新聞が毎日

  していることである。

   私はリベートは税金のかからぬ唯一の金だと思っている。何か世話になったら礼をするのは当

  り前である。それにリベートは原則として利益を越えることができない。リベートを罵る人は

  リベートをもらう席にいない人で、その席に座れば喜んで貰うだろう人がその席にいないばっか

  りに居丈高になるのを痛烈というのだから、私はこの言葉をほとんど憎んでいる。私は喜んで貰

  う側の人としていつも発言している。

   私はこういうはやり言葉を言うことを自分に禁じている。流行というならあの『がんばる』と

  いう言葉、これほど手垢にまみれた言葉はない。その流行すること新婚旅行に旅だつ二人を送っ

  て、『がんばれよ』とつい口走るほどである。

   がんばるだけは封じたい。封じると何も言えなくなるほどこの言葉は流行の極にあって、まだ

  腐らないでいる。」

  (山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)
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2005・11・22

2005-11-22 05:55:00 | Weblog
   今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

  「吉行淳之介の『なんのせいか』(大光社)という古本を見るともなしにひきこまれて読んだ。」

  「吉行淳之介は実にいいことを言っている。ここではダイジェストするよりほかないから許してもらう。

   ○ 生きていることは汚れることだ、ということは生きているうちにしだいに分ってくる。汚れるのが

    厭ならば、生きることをやめなければならない。生きているのに、汚れていないつもりならば、それ

    は鈍感である。『牛も豚も魚も野菜も、みんな命あるものだ。それらを食べていいものか』と今も昔

    も悩む人がある。

     そういう残酷を犯すこと、そういう汚れかたをすることが生きてゆくことなので、これまで生きて

    いたくせに、何を今さらである。だから、『純粋』とか『純潔』とか『純情』とかいう言葉くらい嫌

    いなものはない。どれもこれも胡散くさいにおいをぷんぷん放っている。

   ○ 形容詞、とくに目新しい形容詞はなるべく使わないこと。なぜなら、文章はまずそういう部分から

    腐るからである。

   ――全くである、ほかにも同感することがいっぱいある、この狭い枠内で紹介できないのが残念である。」

   (山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)
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愛する 2005・11・21

2005-11-21 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「伊藤整は『愛』という言葉が輸入されて以来、日本婦人の不幸のふえることいかばかりかとむかし書いた。

 卓見である。私たちの父祖は愛という言葉を口にしなかった。愛がなかったはずはないのに、それに当る言葉が

 ないのは不思議なようでそうでない。言わぬは言うにまさったのだろう、目は口ほどにものを言ったのだろう。

 しのぶれど色に出にけりわが恋はものや思うと人の問うまで。

  『愛する』という言葉はまだ日本語になってない。当分なる見込みもない。あれは映画と小説のなかであんまり

 使われたので、東京では実際に発言されているのだなと早合点して、上京したら使おうと身構えていたものが用いた

 だけである。いまだに口がさけても言わぬ若者がいるのは、それは言うに耐えない翻訳語だからである。」

 「その国の言葉はその国の衣裳に似て、何百年も用いられなければその国のものにはならない。故に男が避けて

 言うまいとするにはそれだけのわけがある。ここでけげんなのは女が手をかえ品をかえこの言葉を言わせようと

 する情熱である。
 
  それなら女はすべて田舎者で鈍感かというとそんなことはない。ウーマンリブでなくても、オイと呼ばれれば

 コラと続きはしまいかと気色ばむ。間男と聞いただけで顔をそむける。よろめくまたは不倫なら口にするのは、

 それ相応に敏感なのである。およそ言葉に敏感でない人も時代もない。ただ言葉と中身がぴったりだと顔を

 そむける人と時代があるだけである。」

  (山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)
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