「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2007・07・31

2007-07-31 08:45:00 | Weblog
今日の「お気に入り」。

  嵌殺しの扉のごとく開かざる
      こころひとつを持て余しをり (恩田英明)


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2007・07・30

2007-07-30 07:45:00 | Weblog
今日の「お気に入り」。

  耐へきれず湯のなかに口ひらく貝そのやうに子を責めてはならず

  怒髪天を衝くと言ふこと時折りはありて子育て十六年目  

  夕餉あと自分の部屋にもどりゆく思春期ふたり思秋期ふたり (松尾祥子)
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日も暮れよ鐘も鳴れ 2007・07・29

2007-07-29 08:15:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、昨日と同じアポリネール(Guillaume Apollinaire)の「ミラボー橋(Le Pont Mirabeau)」(堀口大學訳)。新仮名遣いの訳文も違和感がありません。

  ミラボー橋

   ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
       われらの恋が流れる
     わたしは思い出す
   悩みのあとには楽しみが来ると

       日も暮れよ 鐘も鳴れ
       月日は流れ わたしは残る

   手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
       こうしていると
     二人の腕の橋の下を
   疲れたまなざしの無窮の時が流れる

       日も暮れよ 鐘も鳴れ
       月日は流れ わたしは残る

   流れる水のように恋もまた死んでゆく
       恋もまた死んでゆく
     命ばかりが長く
   希望ばかりが大きい

       日も暮れよ 鐘も鳴れ
       月日は流れ わたしは残る

   日が去り 月がゆき
       過ぎた時も
     昔の恋も 二度とまた帰ってこない
   ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる

       日も暮れよ 鐘も鳴れ
       月日は流れ わたしは残る

      (堀口大學訳「アポリネール詩集」新潮文庫所収)

 
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日が暮れて鐘が鳴る 2007・07・28

2007-07-28 07:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」。

  鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
     月日は流れ わたしは残る 
           アポリネール(堀口大學訳)

 以下は、Guillaume Apollinaire(1880-1918)作の Le Pont Mirabeau(ミラボオ橋)の全文(堀口大學訳)です。

 ミラボオ橋の下をセエヌ河が流れ
    われ等の恋が流れる
   わたしは思ひ出す
 悩みのあとには楽(たのし)みが来ると

    日が暮れて鐘が鳴る
    月日は流れわたしは残る

 手と手をつなぎ顔と顔を向け合(あは)う
    かうしてゐると
   われ等の腕の橋の下を
 疲れた無窮の時が流れる

    日が暮れて鐘が鳴る
    月日は流れわたしは残る

 流れる水のやうに恋もまた死んで逝く
    恋もまた死んで逝く
   生命(いのち)ばかりが長く
 希望ばかりが大きい

    日が暮れて鐘が鳴る
    月日は流れわたしは残る

 日が去り月が行き
    過ぎた時も
   昔の恋も、ふたたびは帰らない
 ミラボオ橋の下をセエヌ河が流れる

    日が暮れて鐘が鳴る
    月日は流れわたしは残る

  (堀口大學著「月下の一群」講談社文芸文庫 所収)


 
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2007・07・27

2007-07-27 08:50:00 | Weblog
今日の「お気に入り」。

  抜けし歯を屋根に投げしは遥か遥か
       希望に満ちし小学生われ (大山敏夫)
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2007・07・26

2007-07-26 07:45:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私は人の盛りは五年だと思っている。大負けに負けて十年だと思っている。」

 「芸術家はながいといわれるが、処女作を出られない。画家は同じ絵を求められ、売れるかぎり平然と描くからながく見えるだけである。文士は往年の傑作といわれたものをなぞる。」

 「満つれば欠くるといって、全盛時代があればあとは衰えるばかりである。
 命ながければ恥多しという。」

 (山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫所収)
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2007・07・25

2007-07-25 09:55:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「政治献金にまつわる醜聞なら十年前にもあった。二十年前にもあった。十年たっても二十年たってもあるだろう。全く同じパターンである。なぜ同じかというと国民が惜しんで国会議員に金を出さないからである。
 大ざっぱにいうと国会議員の歳費は二千万円、文書通信費千万円、党から立法事務費として八百万円、その他〆(しめ)て年に四千万円である。議員が政治活動するには、いま一億二千万円はかかるという。
 その差八千万円を議員は都合しなければならない。政治献金によるよりほかない。政治献金にはひもがつく。ひもには悪いひもとそんなに悪くないひもがある。ほかにパーティがある。二万円のパーティ券を買ってもらって、五千円の料理しか出さなければ一万五千円懐ろにはいる。千人は集まるだろう。
 国会議員にこんな情けないことをさせていいのか。議員の人相が悪くなるのは道理である。アメリカでは官費で秘書を二十人つけてくれる。敬意と報酬があるという。
 かりにも国政を預けるのだ。金の心配をさせぬがいい。一億二千万かかるなら二億出せ、二億出したって一千五百億余りである。
 年間二兆円の国鉄の赤字に、国民は平気だったではないか。分割民営反対の組合に新聞は味方したではないか。なぜ議員に出す金を惜しむか。私は国民のケチなのに驚いている。
 金丸信が五億もらったというが、金丸は右から左にそれを六十数人に与えている。自分の懐ろにいれる者もたまにはいるが、爪はじきされる。領袖はつとまらない。だから金丸は悪いことをしたとは思ってない。むろんもらった議員も思ってない。事件発覚直後の金丸の誕生日には議員は皆々祝いにかけつけている。
 彼らの金銭感覚を疑うという者があるが私は疑わない。坪一億なら五坪ではないか。私たちにとっても一円玉は三十年前から金ではなかった。新聞が三百円値上げしても部数に増減はなかった。三百円は金ではなかったのだ。金丸の金銭感覚と我らの金銭感覚の根は同じものだ。坪一億ということは一万円札がニセ札になったということだ。
 政治家を聖人君子だと思うな。あれは私たちのなかから選ばれたものだ。私たち以上でないまでも断じて以下ではない。それをよくまあ毎日犬畜生のように言えるなあ。
 自分がその椅子に座らなかったばかりに正義漢だった選挙民が、その椅子に座った政治家を勇んで罵倒して、自動的にさらに正義漢になるのは人生の快事だから、新聞は百万読者に媚びて先回りして悪口を書くのである。
 今も昔も新聞記者出身の政治家はたくさんいる。彼らは学校を出たときは同じ秀才で、一人は新聞の論説委員に、一人は国会議員になったのである。片っぽだけ犬畜生だと私には思えない。畜生なら共に畜生である。」

 (山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫所収)
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2007・07・24

2007-07-24 08:45:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私は戦前という時代を正しく伝えたいと願っている。ことに『戦前まっくら史観』の誤りを些事を通して正したいと思っている。当時のエログロは今のポルノと同じだとみている。あの時代がまっ暗で今もまっ暗だというなら分る。今がそうでないなら当時もそうではなかっただろう。今も昔も一寸さきはヤミなのに人は枕を高くして寝ていたのである。」

 (山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫所収)
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人はすべて日和見主義である 2007・07・23

2007-07-23 08:35:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「晶子の『君死にたまうことなかれ』は反戦詩なんかじゃない。日教組が故意か無知でこれを反戦詩にしたてたのである。
 日清日露の戦役まで平民(百姓町人)はまだ戦争は士族がするものだと思っていた。だから晶子は、ああ弟よ、お前は堺の町の商人(あきんど)の子じゃないか、死ぬことはないんだよと呼びかけたのである。与謝野鉄幹(のち寛)は平気で『明星』に載せたのである。そして発禁にもならなかったのである。昭和の戦争観とは全く違うのに、わざと誤解してそれが本当として通用するように日教組がしたのである。古人は今日(こんにち)の目をもって昨日を論ずるなかれと言っている。」

 「大塚楠緒子(くすおこ)に『お百度詣』という詩がある。ひとあし踏みて夫(つま)思い ふた足国を思えども 三足ふたたび夫思う 女心に咎ありや。
 晶子のすぐあと日露戦争のまっ最中の詩である。これを反戦詩ともちあげなかったのは楠緒子が晶子ほど有名でなかったからである。いま改めてもちあげるかというとそんな気配は全くない。時代は急速に変りつつある。そして人はすべて日和見主義である。」

 (山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫所収)
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2007・07・22

2007-07-22 09:25:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「自分の国の悪口を、自分の国の子供の教科書に書く国民があるだろうか。あるのである。わが国の教科書には日本及び日本人の『非』が山ほど書いてある。一以(いちもつ)て貫いている。
 古くは日清日露の戦役まで侵略戦争だと書いてある。新しきは十万二十万三十万、南京大虐殺はあったと書いてある。
 だからあったと信じる生徒がある。それがいま四十五十の大人になっている。『日教組』の教育は四十年続いた。
 よしんば多少の殺戮があったとしても、なかったと言うのが健全な国民である。イギリス人はイギリスの小中学生に、イギリスが世界中に領地を持ったのは、南アフリカでは首長に懇望されたからであり、エジプトでは王の苦しい財政を助けるためであり、インドでは(以下略)と教えている。
 日本人には噴飯ものだが、イギリス人は大まじめである。どこの国でも自分の国の非をかくすのが当然であり健康である。故に健康はイヤなものである。ソ連も中国も自国の非を少青年に教えない。国民の『誇り』はこの虚偽の上にあるのである。
 ひとり日本人だけはありもしない自国の非をあばいて直とするのは、良心的だからである。そして誇りを失ったのである。虐殺は多ければ多いほど中国人の敵愾心を鼓舞する、喜ばせるから言うのは屈折した迎合だとは以前書いた。なぜそんなにまでするのかというと、社会主義は正義で、何よりも正義を愛するからである。
 正義と社会主義を実現するためにはどんなウソをついてもいいのである。朝鮮戦争をしかけたのは韓国とアメリカであり、三十八度線を北から南へ何本もトンネルを掘ったのも韓国だと北は言う。北が言うのは当然だが、日本人は和して、時には先回りして言うのである。サギをカラスと言っても許されると思っているのである。
 だから家永(三郎)裁判は敗訴に次ぐに敗訴だったのに、さながら勝訴のように新聞は祝ったのである。新聞は社会主義国の味方である。
 文部省はひとこと言えばよかったのである。あることないこと自分の国の悪口を書いた教科書なら採用しないと一蹴すればよかったのである。十年も二十年も裁判するには及ばなかったのである。
 こんな分りやすい理屈が分らないのはインテリだけである。凡夫凡婦には電光のように分る。
 なぜこれしきのことが言えなかったか。教育が日教組の手に握られていたからである。いま中ソの二大社会主義国は崩壊した。したがって日教組も無力と化したが、日本中の教員はそれで育ったものばかりだから、次のプリンシプルがあらわれないかぎり、惰性でもとの教育をするよりほかない。
 文部省の役人もすでに日教組育ちであり、大学の教授陣は多く社会主義のシンパだから、助教授は教授になるには迎合しなければならない。小中学校の先生と生徒の無気力の一因はここにあると存ずる。」

 (山本夏彦著阿川佐和子編「『夏彦の写真コラム』傑作選2」新潮文庫所収)
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