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今日の「お気に入り」は、養老孟司さんの「バカの壁」から。
「日立が開発した『光トポグラフィー』という技術があります。頭にオウム真理教が使って
いたヘッドギアみたいなものをかぶせて、赤外線によって脳のどこに血液が集まっているか
を調べることが出来る。この装置ならば、かぶせるだけで何の痛みもないから、子供の脳の
測定も非常にやり易い。CTとかMRIとかそういう装置の場合、子供におとなしく受けさ
せるのは大変な骨なのです。
この装置を赤ん坊につけてみる実験がフランスで行われた(どうも、この種のことをする
場合、日本では何だか親などが色々とうるさいようです)。すると、こんなことがわかりま
した。テレビのニュースで母国語が流れているのを聞くと、赤ん坊でもちゃんと、言語を司
る左脳に血液が集まっているというのです。
今度はそのテープを逆回しして聞かせるとどうなるか。何と、殆ど血液が集まらない。逆
回しにして意味の無い音の連続になったものに対しては、赤ん坊も反応をしない。まだ言葉
を覚えないうちから、脳は無意味な音と言葉とを区別して反応しているのです。」
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もう一つ、山本夏彦さんの著書の中から。
「私たちはある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。
それ以外の何ものでもないという言葉を私はシオラン『告白と呪詛』で発見した。」
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その人の英語はその人の国語を超えることはない。
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今日の「お気に入り」は、養老孟司さんの「バカの壁」から。
「そもそも教育というのは本来、自分自身が生きていることに夢を持っている教師じゃ
ないと出来ないはずです。突き詰めて言えば、『おまえたち、俺を見習え』という話な
のですから。要するに、自分を真似ろと言っているわけです。それでは自分を真似ろと
いうほど立派に生きている教師がどれだけいるのか。結局のところ、たかだか教師にな
る方法を教えられるだけじゃないのか。
そいう意味で、教育というのはなかなか矛盾した行為なのです。だから、俺を見習え
というのが無理なら、せめて、好きなことのある教師で、それが子供に伝わる、という
風にはあるべきです。
私は、学生に人間の問題しか教えない。これは面白いことだ、と自信がある。解剖は
解剖で面白いから、教えろと言われれば教えるけれど、二の次。いずれにせよ、自分が
面白いと思うことしか教えられないことははっきりしている。
解剖から学べるのは、自然の材料を使ってどうやって物を考えるかというノウハウで
す。そこの部分は講義じゃ教えられない。学問というのは、生きているもの、万物流転
するものをいかに情報という変わらないものに換えるかという作業です。それが本当の
学問です。そこの能力が、最近の学生は非常に弱い。
(中略)
情報ではなく、自然を学ばなければいけないということには、人間そのものが自然だ
という考えが前提にある。ところが、それが欠落している学生が多い。要するに、医者
なんていうのは、逆に言えば、そういうヒトそのもの、自然そのものを愛する人じゃな
きゃ出来ないのに、現状はそうではない。
東大病院で研究者が臨床へ出てくると、『一年間懲役だ』なんて言っている。要する
に、患者と接するのがとんでもない苦痛、苦役だという。これでは本末転倒です。」
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かの吉田松陰先生も仰っています。
「学は人たる所以を学ぶなり」と。
学問は、人間とは何か、いかにあるべきかを知る為にするものであると。
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今日の「お気に入り」は、養老孟司さんの「バカの壁」から。
「先日、講演に行った際の話です。控室にいらっしゃった中年の男性が、『私は、君子豹変というのは
悪口だと思っていました』と言っていた。もちろん、実際にはそうではありません。
『君子豹変』とは『君子は過ちだと知れば、すぐに改め、善に移る』という意味です。
では何故彼はそう勘違いしたか。『人間は変わらない』というのが、その人にとっての
前提だからです。
いきなり豹変するなんてとんでもない、と考えたわけです。現代人としては当然の捉(とら)
え方かもしれません。
『男子三日会わざれば刮目(かつもく)して待つべし』という言葉が、『三国志』のなかにあります。
三日も会わなければ、人間どのくらい変わっているかわからない。だから、三日会わな
かったらしっかり目を見開いて見てみろということでしょう。
しかし、人間は変わらない、と誰もが思っている現代では通用しないでしょう。刮目という
言葉はもう一種の死語になっている。
いつの間にか、変わるものと変わらないものとの逆転が起こっていて、それに気づい
ている人が非常に少ない、という状況になっている。いったん買った週刊誌はいつまで
経っても同じ。中身は一週間経っても変わりはしません。
情報が日替わりだ、と思うのは間違いで、週刊誌でいえば、単に毎週、最新号が出て
いるだけです。
西洋では十九世紀に既に都市化、社会の情報化が成立し、このおかしさに気が付いた
人がすでにいた。カフカの小説『変身』のテーマがこれです。
主人公、グレゴール・ザムザは朝、目覚めると虫になっている。それでも意識は『俺
はザムザだ』と言い続けている。
変わらない人間と変わっていく情報、という実態とは正反対のあり方で意識されるよ
うになった現代社会の不条理。それこそが、あの小説のテーマなのです。」
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「結婚はしてもしなくても後悔するものである」
(フランツ・カフカ)
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大型連休のとある憲法記念日、久しぶりに近所の「コンビニ」に出掛けました。
郵便ポストが店内にある「コンビニ」です。
店内にある「銀行ATM」で現金を引き出した後、「〇〇市大型ごみ等処理手数料納付券」を購入するために
レジの前に並んで順番待ちをする人の列に加わりました。
食料品、飲料などの購入は、「コンビニ」より1~2割価格の低い「食料品スーパー」を利用しますので、
滅多には「コンビニ」で買い物しません。
最近改装されたようで、以前訪れた時とは様子が変わったように感じて、レジの周辺を眺め回していたところ、
あることに気付き唖然としました。
レジの後ろの壁に取り付けられた特設の棚に、夥(おびただ)しい数の「たばこ」が並んでいたのです。
あれっ、いつの間に「たばこ復権」かと、見紛(みまが)うばかりに、実に200種ものパッケージが、棚の上所狭しとばかりに、
横に50個ずらっと、縦4段ぎっしりと、50×4=200個、並んでいました。
私の前に並んでいたおばちゃんだか中年女子は、買い慣れた口調で、パッケージに付けられた番号をレジの店員に告げていました。
「たばこの害」が言われて久しいのに、そんなこと何処(どこ)吹く風といった感じです。
「JT」も「コンビニ」も相変わらずよくやるわい、とあきれて店の外に出てみると、ありましたよ大きな看板が。
赤色の太文字で、「酒・たばこ」、「銀行ATM」。
古今東西、いいことばかりしていては大会社にはなれませんネ。
町の酒屋さん、たばこ屋さんの閉ざされたシャッターの前に自販機が並んでいる風景も見慣れたものになりました。
「向こう横丁のたばこ屋」の看板娘も後期高齢者になりましたとさ。
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今日の「お気に入り」。
「士別れて三日ならば、即ち更に刮目して相俟(ま)つべし」
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中国の三国時代の物語「三国志」を読むとお目にかかります。
呉の「孫権」の参謀「魯粛」が、武将「呂蒙」と対談した時の「呂蒙」の言葉です。
50年ほど前の高校に通学していた頃、「漢文」の先生から学んだ言葉は「男子三日会わざれば刮目して見よ」(*)でした。
「呉下の阿蒙」という故事成語と共に今も覚えています。
(*:記憶があいまいで、「男子三日会わざれば刮目して待つべし」という言葉だったかも知れません。)
ついでながら「三国志」に出てくるこの故事は中国の毛沢東がプロパガンダに使ったそうで、フリー百科事典「ウィキペディア」の
「呉下の阿蒙」の項には、次のように書き込まれています。
大河ドラマ「真田丸」に登場する「加藤清正」、「福島正則」を見ていて思い出しました。
「『呉下の阿蒙』とは、いつまで経っても進歩しない人のことを指す言葉であり、同義語に旧態依然等があげられる。
基本的には悪い意味合いで使われているが、あとに『~にあらず』を付け加え、よく進歩する人という意味に変えて、
褒め言葉として利用することもできる。また、『阿』は『~ちゃん』といった感じの意味合いで、『蒙』は道理に暗い
の意味合いも存在する。
したがって『阿蒙』の部分は『おバカちゃん』という意味も同時に含んでいて、この一語だけで『おバカな蒙ちゃん』という
意味を表している。
この言葉の由来となった呂蒙という武将は武勇一点張りだったので、呉主孫権は彼に『武勇ばかりではなく学問も修めたほうがよい。』
と助言した。すると彼は、孫権の意に応えるために猛勉強を始め、高い教養を身につけていった。
それからしばらくしたある日、彼は参謀の魯粛と対談したのだが、魯粛は彼の高い見識と知識に大いに驚いて『すでに武略のみの呉の
蒙君ではなくなったな』といったという。」
だとさ。
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