今日の「お気に入り」は、松尾芭蕉の紀行文「奥の細道」から、「平泉」の段。
「 十二日、平泉と志し、あねはの松・緒だえの橋など聞き伝えて、人跡稀に・・・・・・
( 中略 )
三代の栄耀一睡の中(うち)にして、大門の跡は一里こなたにあり。
秀衡(ひでひら)が跡は田野になりて、金鶏山(きんけいざん)のみ形を残す。
まづ高館(たかだち)にのぼれば、北上川南部より流るる大河なり。
衣川(ころもがわ)は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。
泰衡(やすひら)等が旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし堅め、
夷(えぞ)をふせぐとみえたり。
さても義臣すぐつてこの城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる。
「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」
と、笠うち敷きて時のうつるまで泪(なみだ)を落し侍(はべ)りぬ。
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
卯の花に兼房みゆる白毛(しらが)かな (曽良)
かねて耳驚かしたる二堂開帳す。
経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。
七宝散りうせて珠の扉風にやぶれ、金(こがね)の柱霜雪に朽ちて
既に頽廃空虚の叢となるべきを、四面新に囲みて、
甍(いらか)を覆ひて風雨を凌ぐ。
暫時(しばらく)、千歳(せんざい)の記念(かたみ)とはなれり。
五月雨の降りのこしてや光堂 」
( 出典:立松 和平(たてまつ わへい、1947年 - 2010年、 本名:横松 和夫 )著
『すらすら読める奥の細道』講談社刊 )
「平泉」は母方のご先祖さまゆかりの地、と聞いた記憶がある。
冒頭の「あねはの松」は、松島・瑞巌寺と石の巻の間にある歌枕とか。
「あねは」という名前は、どこかで聞いたような・・・・・・
「談合」だったか「耐震偽装」だったか、「建設」関連の・・・・・・。