「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

ヨハネス・フェルメール Long Good-bye 2021・11・30

2021-11-30 05:30:00 | Weblog


  今日の「 お気に入り 」 。

   「 顕微鏡を世界で最初に作り出したのは 、今から350年前のオランダ人です 。

    首都のアムステルダムから 、現在なら電車で1時間ほど南西へ向かった デルフト

    という小さな街で生まれ育った 、アントニ・レーウェンフック という人物 。

     17世紀ですから 、日本は江戸時代が幕を開けて間もない頃です 。

     デルフトの街は城塞都市のように周りを掘割で囲まれ 、端から端まで10分も

    あれば歩いていけるほどの狭い街でしたが 、17世紀のオランダは産業や貿易

    によって繁栄を遂げた経済の交差点であり 、芸術文化の交差点でもありました

    から 、アムステルダム や ライデン とともに デルフト も ヨーロッパ中の人

    々が行き交う街として 、さまざまな知識や技術が集約されていました 。  

     その デルフト で独自の顕微鏡を作り出した レーウェンフック は 、留め金の

    ようなかたちをした 板状の本体に 、自分で工夫しながら磨いた レンズ をはめ

    込み 、いろいろなものを観察していました 。

     レーウェンフック は 、高等教育も受けておらず 、大学の先生でもなく 、専

    門の科学者でもありませんでした 。デルフトの一市民だったのです 。にもかか

    わらず 、アマチュアとしてひたすら顕微鏡づくりに没頭し 、改良を重ね 、ミ

    クロの世界を人類史上初めて精密に観察することに成功しました 。

      ( 中 略 )

     この自作の顕微鏡を使って 、レーウェンフック は 、私たちの体が細胞という

    小さなユニットからできていることを発見しました 。それから 、血液の流れも

    観察し 、血管の中に流れているたくさんの粒子を見付けました。白血球や赤血

    球です 。さらに彼は街へ出て 、水たまりの水を少しだけ採ってきて顕微鏡で

    覗きました 。すると 、肉眼ではまったく透明に見える水の中に 、さまざまな

    かたちをした微生物が光りながら 、踊りながら 、泳いでいる様子を目にしま

    した 。すなわち彼は 、細胞の発見者でもあるし 、赤血球や白血球の発見者

    でもあるし 、微生物というミクロな世界の発見者でもあったのです 。

     もう一度言いますが 、レーウェンフック は 、学者ではありません 。デル

    フトという小さな街に暮らした商人です 。そこがまた素晴らしいところで 、

    アマチュアが非常に大きな生物学上の発見をなしたということに 、私は深く

    感動しました 。

     レーウェンフック の最大の業績のひとつに 、動物の精子を発見した

    ことも挙げられます 。精子が生命の「 種 」になっていることを突き止め

    たのです 。ただ 、卵子は雌の体の奥深くにある細胞なので 、そこまでは

    彼も気がつきませんでしたが 、雄の精子を発見し 、それが生命の種になっ

    ているということまで解明したのは凄いことです 。アマチュアが独自の工

    夫で学問の新しい扉を開いたという素晴らしさを 、私は顕微鏡の歴史をた

    どりながら感じました 。

     顕微鏡の発明者を追って17世紀の デルフト に時をさかのぼった私は 、

    そこで小さな発見をしました 。レーウェンフック の生家から200メー

    トルぐらいしか離れていないところに宿屋兼画商があり 、ここで レーウ

    ェンフック が生まれた1632年と同じ年 、そしておそらく同じ月に生

    まれた人がいました 。この人物は現在 、レーウェンフック よりもずっ

    と有名になっていますが 、実は同時代人としてデルフトの街で暮らして

    いたのです 。」

    ( 出典 : 福岡 伸一 著 「 最後の講義 ( 完全版 ) ー どうして生命にそんなに価値があるのか 」
        Shin - Ichi Fukuoka " The Last Lecture - Why life is so valuable " (株)主婦の友社 刊 )


   今から400年ほど前の オランダの人 。

   同じ1632年生まれの二人 。生まれた日もひと月ぐらいの違い 。

   Antonie van Leeuwenhoek さん と Johannes Vermeer さん 。

   同い年 、ご近所の誼みで 、親しい「 知り合い 」だったらしい 、かたや91歳の長命 、かたや40代半ばでの夭逝 。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Genome ヒトゲノム Long Good-bye 2021・11・27

2021-11-27 05:47:00 | Weblog


  今日の「 お気に入り 」は 、昨日の続きで 、ノンフィクション作家 ビル・ブライソンさん の

 著書 " The Body ― A Guide for Occupants " の 一節 。

     " All of the components of the genome have one single-minded purpose—

     to keep the line of your existence going. It’s a slightly humbling thought that

     the genes you carry are immensely ancient and possibly—so far anyway—

     eternal. You will die and fade away, but your genes will go on and on so long

     as you and your descendants continue to produce offspring. And it is surely

     astounding to reflect that not once in the three billion years since life began

     has your personal line of descent been broken. For you to be here now,

     every one of your ancestors had to successfully pass on its genetic material

     to a new generation before being snuffed out or otherwise sidetracked from

     the procreative process. That’s quite a chain of success. "


    ( 筆者註 : 文中の genome は ヒトゲノム のこと 。耳で聞く発音 は 「 ジノム 」みたい 。
          インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」日本語版 によると 、
          「 ヒトゲノム は 、その名の通りヒト ( Homo sapiens )
           のゲノム、すなわち 、遺伝情報の1セットである 。ヒトゲノム は
           核ゲノム と ミトコンドリアゲノム から成る 。」

          「 核ゲノム は 約31億塩基対 あり 、細胞核内で 24種の 線状DNA に分
           かれて 染色体 を形成している 。
           最も大きいものが 2億5千万塩基対 で 、最も小さいものが 5500万
           塩基対 である 。」

          「 染色体 は 22種類の 常染色体 と XとYの2種類の 性染色体 に分類され
           る 。核を持たない 赤血球 をのぞく 体細胞 は 2倍体 であり 、同じ種類
           の 常染色体 を 2本ずつ 、性染色体 を 2本( 女性は XとX 、男性は Xと
           Y )の 合計46本 の 染色体 を持っている 。生殖細胞 は 1倍体 であり 、
           常染色体 を 1本ずつ 、性染色体 を 1本の 合計23本 の 染色体 を持っ
           ている 。なお 、細胞核中の ゲノム は( フラクタル構造の一種である )
           ヒルベルト曲線と類似した 、コンパクト形に折りたたまれていることが
           近年になって判明した 。
           ミトコンドリアゲノムは 16569塩基対 の 環状DNA で ミトコンドリ
           ア の中に多数存在している 。
           体細胞 も 生殖細胞も約 8000個ずつ持っている 。
           近年の研究では 、ゲノム中のほとんどの ノンコーディングDNA が 生化
           学的活性( 遺伝子発現調整 、染色体の構造形成 、エピジェネティクス
           のコントロールなど )を持っていることが示唆されている 。」
           と解説されています 。体の中は 、無限に広がる 「 小宇宙 」 。)   

   まるで チンプンカンプン の 解説 と違って 、ブライソンさん のは 、素人にも 分かるような 、

  本質をついた 説明で 読者を置いてけぼりにも 飽きさせもしません 。翻訳本の該当部分の邦訳も

  なかなかのもんです 。
  
   「 ゲノムのあらゆる成分は 、ただひとつの目的を持っている 。

    あなたの 存在 を保ち続けることだ 。

    体に備わっている 遺伝子 が悠久の昔から受け継がれ 、ひょっとしたら

    ── とにかく 今のところは ── 永遠に続いていくかもしれないと考え

    ると 、 少しばかり謙虚な気持ちにならないだろうか 。

    あなたは いずれ 死んで 消え去るだろうが 、遺伝子 は 、あなたとその

    子孫が子どもを生み続けるかぎり 、ずっと ずっと 生きていく 。

    そして 、生命が生まれて以来 、三十億年のあいだ 一度たりとも 、あな

    たを終点とする血筋が途絶えなかったというのは 、間違いなく驚嘆に値

    する 。あなたが ここにいるのは 、先祖たちが ひとり残らず 、殺され

    るか 何かの理由で 生殖のプロセスから弾き出されることなく 、遺伝子

    材料を新しい世代にうまく受け渡してきたからだ 。

    すばらしい成功の連鎖といえるだろう 。」

      ( 出典 : ビル・ブライソン著 桐谷知未訳 「 人体大全 ― なぜ生まれ 、
         死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか ― 」新潮社 刊 )



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ターヘル・アナトミア Long Good-bye 2021・11・26

2021-11-26 05:01:00 | Weblog

   今日の「 お気に入り 」は 、今 ゆっくりと 読み進めてる 本 の 一節 。

   勝手ながら 一節 だけ 、英語の原文と日本語訳を 、引用し ます 。翻訳のクオリティも高く楽しめそう 。

  第23章まであるこの本の 、最初の章の 比較的 はじめのほうにある記述です 。

  先は長いです。

  引用は 、まず 英文 。

   " The body is often likened to a machine, but it is so much more than that.

   It works twenty-four hours a day for decades without (for the most part)

   needing regular servicing or the installation of spare parts, runs on water

   and a few organic compounds, is soft and rather lovely, is accommodatingly

   mobile and pliant, reproduces itself with enthusiasm, makes jokes, feels

   affection, appreciates a red sunset and a cooling breeze. How many machines

   do you know that can do any of that ? There is no question about it. You are

   truly a wonder. But then so, it must be said, is an earthworm. "


   ( 出典 :Bill Bryson 著 " The Body ― A Guide for Occupants " .

        Knopf Doubleday Publishing Group.
刊 )

   次に 邦訳 。

   「 体は よく 機械にたとえられるが 、機械よりはるかに優れている 。

    体は 、( たいていは )定期修理や予備部品の取りつけなしで 何十年

    ものあいだ 一日二十四時間働き 、水といくらかの有機化合物で稼働し 、

    柔らかで それなりに美しく 、可動性と順応性を大いに発揮し 、熱心に

    生殖に励み 、冗談を言い 、誰かに愛情を感じ 、赤い夕日と涼しいそよ

    風をしみじみと味わう 。そのどれかを実行できる機械がいくつあるだろ

    うか ?  

    疑問の余地はない 。あなたは本物の 奇跡 なのだ 。

    しかし 、一応指摘しておくと 、ミミズにも同じことがいえる 。」

   ( 出典 : ビル・ブライソン著 桐谷知未訳 「 人体大全 ― なぜ生まれ 、
         死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか ― 」新潮社 刊 )



     原著者である ビル・ブライソン さん ( 1951 - ) について、インターネットのフリー百科事典

    「 ウィキペディア 」日本語版 に 、次のような 解説記事 が 掲載されています 。

    適宜 、抜粋して 、引用します 。備忘のため 。


   「 ビル・ブライソン( William " Bill " McGuire Bryson 、1951 - )は 、

   アメリカ合衆国 アイオワ州 デモイン 出身 の ノンフィクション作家 、随筆家 。

    ユーモアたっぷりの 旅行エッセー や 、言語 、科学 に関する 著作 で有名 。

   略 歴

    1951年 アイオワ州 デモイン で誕生する 。1972年 、ドレーク大学を中退し 、

   ヨーロッパ を 4ヶ月 旅する 。1970年代 、イギリス 、サリー の ヴァージニアウォーター

   の精神病院 に勤務する 。そこで 看護師 をしていた シンシア と結婚する 。1977年 、

   アメリカに戻り 大学の学位を得た後 、20年近くにわたりイギリスに滞在 、ノース・ヨー

   クシャーに住み 、ジャーナリスト として活動しながら 、旅行記 などを投稿する 。

   『 タイムズ 』紙 ビジネス面 の校正チーフ 、『 インディペンデント 』紙 

   国内ニュース面 副編集者 を経たのち 、1987年に 報道の分野から退く 。

    1995年 、ニューハンプシャー州 ハノーバー に移住する 。しかし 2003年 、

   夫婦 と 4人の子供たち は 再び イギリスへ戻り 、現在は ノーフォーク 、

   ウィンダム ( Wymondham ) に住む 。

    2004年 、A Short History of Nearly Everything で優れた科学書に与えられる

   アヴェンティス賞 を受賞する 。2005年 、ダラム大学総長 に任命される

   ( ピーター・ユスティノフの後任 )。2006年 、大英帝国勲章 を受ける 。

    2015年 、『 ビル・ブライソンの究極のアウトドア体験 ― 北米アパラチア自然歩道

   を行く 』が 、『 ロング・トレイル ! 』( A WALK IN THE WOODS )として 、

   映画化された 。」

    
   「 ウィキペディア 」英語版 に 掲載されている 著者 略歴 は 、以下の通り 。

    " William McGuire Bryson OBE HonFRS ( born 8 December 1951 ) is an American – British

    author of books on travel, the English language, science, and other nonfiction

    topics. Born in the United States, he has been a resident of Britain for most of

    his adult life, returning to the U.S. between 1995 and 2003, and holds dual

    American and British citizenship. He served as the chancellor of Durham University

    from 2005 to 2011.

     Bryson came to prominence in the United Kingdom with the publication of Notes from

    a Small Island ( 1995 ), an exploration of Britain, and its accompanying television

    series. He received widespread recognition again with the publication of A Short

    History of Nearly Everything ( 2003 ), a book widely acclaimed for its accessible

    communication of science.

    Spouse Cynthia Billen ​( m. 1975 )​   Website : billbryson.co.uk

    Children 4 "


    引用は 、ここまで 。

    近 著 :

    Title                     Publication Date  Genre

    " The Body ― A Guide for Occupants "    3 October 2019  Science

    ( 筆者註 : タイトルを直訳すると 、「 人体 ―― 占有者向け手引書 」 。)

    翻訳本の 邦題 。

    「 人体大全 ―― なぜ生まれ 、死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか ― 」( 新潮社 刊 )





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百と三つまで生きたけりゃ Long Good-bye 2021・11・25

2021-11-25 04:30:00 | Weblog



  今日の「 お気に入り 」は 、どこかのサイトに載ってた 、ベンジャミン・フランクリン - Benjamin Franklin さん

  の 英語の名言 20選 。

  この選には 、入ってませんが 、フランクリンさんのお言葉には 、" To lengthen thy life, lessen thy meals . "

  なんてのも ありました 。

  口数の多い方だったようで 、有難い「 お言葉 」が 山ほど 沢ほど 沢山 ・・・ ( ^ω^)・・・ 。

   ( 筆者註 : thy は thou の所有格 、you の 古語 。" 主格 you 所有格 your 目的格 you " でしたっけ 、基礎 英文法 。
        thy は「 なんじの 」「 そなたの 」「 おぬしの 」って感じ 。
        その昔 、 ディズニー・アニメ の、コオロギ の キャラ 、ジミニー・クリケット ( ピノキオ のお目付け役 ) が 、

        「 ♬ も しも 、あなたが 、百と 三つ まで 、生きたけりゃ 、あ ん ぜ ん 第一 で い~き~ま~ しょ ォ ~ ♫ ♪ 」

        と ブラウン管の中で 唄ってたのを 、60年後の 今も 忘れず 、ときどき 、口ずさむ 。
         ・・・ よく晴れた日に 、手に雨傘 持ちながら ・・・ 。 )


1.Success has ruined many a man.

  成功が多くの人をだめにした 。

2.One today is worth two tomorrow.

  今日という一日は 、明日という日の二日分の値打ちがある 。

3.Never leave that till tomorrow which you can do today.

  今日できることを明日に延ばすな 。

4.Genius without education is like silver in the mine.

  教育のない天才は 、鉱山の中に埋まっている銀のようなものだ 。

5.Watch the little things; a small leak will sink a great ship.

  小さなことでも見落とすな。ほんの少しの水漏れから、大きな船は沈んでしまう。

6.The Constitution only gives people the right to pursue happiness. You have to catch it yourself.

  憲法が与えてくれるのは幸福を追求する権利だけだ 。幸福は自分の力で掴まなくてはならない 。

7.Having been poor is no shame, but being ashamed of it, is.

 貧乏であることは恥ずかしいことではない 。貧乏を恥ずかしいと思っていることが恥ずかしいことである 。

8.Whatever is begun in anger ends in shame.

  何であれ 、怒りから始まったものは 、恥にまみれて終わる 。

9.He that is good for making excuses is seldom good for anything else.

  言い訳の上手い男は 、他に得意なものがないことが多い 。

10.If you would be loved, love and be lovable.

  愛されたいなら 、愛し 、愛らしくあれ 。

11.The heart of a fool is in his mouth, but the mouth of a wise man is in his heart.

  愚者の心は口にあるが 、賢者の口は心にある 。

12.It is a great confidence in a friend to tell him your faults; greater to tell him his.

  君の失敗を友人に告げること 、それが友人を大いに信頼するということだ 。

友人の失敗を友人につげるより 、より偉大な信頼なのだ 。

13.Early to bed and early to rise makes a man healthy, wealthy, and wise.

  早寝早起きは 、健康 、富裕 、賢明のもとである 。

14.A slip of the foot you may soon recover, but a slip of the tongue you may never get over.

  足を滑らせてもすぐに回復できるが 、口を滑らせた場合は決して乗り越えることはできない 。

15.The discontented man finds no easy chair.

  不満を持っている人間には 、安楽な椅子は見つからない 。

16.An old young man will be a young old man.

  老いた若者は 、若い老人になる 。

17.If you would not be forgotten as soon as you are dead, either write things worth reading or do things worth writing.

  死んだとき忘れられたくなかったら 、読まれるにたる物を書くか 、書かれるにたることをしろ 。

18.An investment in knowledge always pays the best interest.

  知識に投資することは、常に最大の利益をもたらす。

19.There never was a good war or a bad peace.

  良い戦争や悪い平和なんてあったためしがない。

20.God heals, and the doctor takes the fee.

  神が病を癒し、医者が料金を取る。                   」

  引用 、おわり 。

  全部「 お気に入り 」だけど 、

  19番目や20番目 、時代をこえて いいですねぇ ww 。

  話 変わって 、

  ベーシックインカム(最低限所得保障制度)の 導入 を 次の参院選 や 衆院選 の メイン・テーマ 、にするといい 。

  現役の 「 年金受給世代 」は 、「 既得権益 」 としての 年金 が 、目減りしつつも 、死ぬまで 確保されてるし 、

  アメリカ と違って 健康保険 や 介護保険など 国民皆保険の制度 が 曲がりなりにも 整ってるし で 、

  まるで 戦前の 社会主義者たち が 夢見た 理想社会 が 曲がりなりにも 眼前に広がっているよう !?

   ・・・ 先だっての 衆院選 見物していて 思いました 。

  その前に「 生活保護 」を 緩やかに 運用するのが さきだ とは 、界隈 、ご近所 を 見渡して そう思う 。

  娘 や 息子 や 孫たち 、次世代 、次々世代 の 行く末 を 思いやるなら 、この次は 、

  選挙区は 自民・公明・国民民主 でも いいから 、比例は 維新 なんて選択 も ありかもよ~ん 。

  中共 、北朝鮮 、ソ連 と 仲良しだったか、今も 仲良しの 政党 の 支持者たちも

  今の 共産党中国 国内 や お露西亜国 および 周辺国 の 、独裁だらけ の 社会主義 、その 傍若無人ぶり を

  目にすれば 、全体主義 や 共産主義 や 覇権主義 に対する 国民的アレルギー も 宜 ( むべ ) なるかな と思うでしょ 。

  「 むべ 山風 を あらし と言ふらむ 」の あの「 むべ 」。

  日本 みたいな 「なんでもありの 自由民主(社会)主義 」が、「 やっぱり いい 」「 日本に生まれてよかった 」

  「 極端はよくない 」 が 、 老若男女 、大方の 民の 実感 、民意 じゃあ なかろうか 。

  自称 反体制 、新左翼 、保守嫌い の 自己肯定主義 、現世主義 、欲望主義 、自分のことは棚に上げ派 の 人たち だって 、

  内心は ・・・( ^ω^)・・・ 。

  闇雲にではなく ホドホドに 他所からヒトを入れ 、自分たちで出来ることは 、自分たちで 、頭と身体 動かしてやり 、

  お隣りの国々が、真似しようにも 、真似出来ない 、そんな 民度の高い国 にしてしまうのが 、

  「 将来人口 5000万人 日本 」が 生き残る 道 かと思う 、今日この頃であります 。


  だるまさん が ころんだ 、どこかの ひろゆき さん が いうとおり 。






  「 明日やれることは 、今日やるな 」は 、どこかで聞いた どなたかの お言葉 。


  DO LITTLE AND THINK A LOT.







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お札の顔 Long Good-bye 2021・11・24

2021-11-24 05:11:00 | Weblog

   今日の「 お気に入り 」 は 、インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」日本語版に掲載されている 、

  米100ドル札の顔 、ベンジャミン・フランクリンさん の 「 経歴 」記事 の 引用です 。

   引用 、はじめ 。

  「 ベンジャミン・フランクリン( 英語 : Benjamin Franklin ,

   グレゴリオ暦 1706年1月17日<ユリウス暦1705年1月6日> - 1790年4月17日 )は 、

   アメリカ合衆国の政治家 、外交官 、著述家 、物理学者 、気象学者 。

   印刷業で成功を収めた後 、政界に進出し アメリカ独立に多大な貢献をした 。

   また 、凧を用いた実験で 、雷が電気であることを明らかにしたことでも知られて

   いる 。現在の 米100ドル紙幣に肖像が描かれている 他 、米50セント硬貨にも

   1963年まで彼の肖像が使われていた 。

   勤勉性 、探究心の強さ 、合理主義 、社会活動への参加 という18世紀における

   近代的人間像 を象徴する人物 。己を含めて権力の集中を嫌った人間性は 、個人崇拝

   を敬遠するアメリカの国民性を超え 、アメリカ合衆国 建国の父 の一人 として讃え

   られる 。『 フランクリン自伝 』はアメリカの ロング・ベストセラーの一つ である



   家族と生い立ち

   ベンジャミン・フランクリンの父親 、ジョサイア・フランクリン は 1657年12月23日に
   イングランド王国のノーザンプトンシャー、エクトンで鍛冶屋および農民のトマス・
   フランクリンと妻のジェーン・ホワイトの間に生まれた 。フランクリンの母親アビア・
   フォルジャーは1667年8月15日にマサチューセッツ湾植民地ナンタケットで製粉業者
   および教師のピーター・フォルジャーと妻のメアリー・モリス・フォルジャーの間に
   生まれた 。

   1677年頃に ジョサイアはエクトンでアン・チャイルドと結婚した 。1683年の後半に
   夫妻はイングランド王国を発ち 、イギリス領北米植民地のマサチューセッツ湾植民地
   ボストン市に向かった 。

   アンはボストンで7月9日に死去し 、ジョサイアは11月25日にアビアと再婚した 。

   有名な凧揚げ実験は 、本人ではなく彼の婚外子が行っている 。


   年 譜

   1706年1月6日(ユリウス暦)、ボストンのミルク・ストリートで生まれる 。
     父親のジョサイア・フランクリンは 獣脂ろうそく製造を行っていた 。
     ジョサイアは二度の結婚で17人の子供をもうけた 。ベンジャミンはその15番目
     であった 。

   1716年 、10歳 で学校教育を終える 。

   1718年 、『 ニュー・イングランド・クーラント 』紙を印刷出版していた兄の
     ジェームズの徒弟となった 。その後 、次第に記者や編集者として頭角を現した 。
     同紙の自由主義的論調により 兄が投獄されたときは 、代わりに発行人となった
     こともある 。

   1723年1月 、総会 ( ジェネラル・コート )は ジェームズにボストン市内での印刷
     を禁止する命令を出した 。しかし 印刷屋の名義を兄からベンジャミンに替え 、
     クーラント紙を継続した 。ベンジャミンは 兄との何度かの喧嘩の末に縁を切り 、
     ボストンを出ることを決意した 。同年秋にボストンを後にし 、当初はニューヨーク
     へ向かったが 印刷工の職はなく 、すぐにフィラデルフィアに移って職を得た 。

   1724年 、知事の勧めにより ロンドンに行き 、植字工として働く 。

     1726年に帰国 、印刷業を再開する 。

   1729年 、植民地時代もっとも読まれていた『 ペンシルベニア・ガゼット 』紙を買収 。
     アメリカ初のタブロイド誌を発行 。

   1730年 、フィラデルフィアのセントジョーンズ・ロッジ ( St. John's Lodge ) にて
     フリーメイソン に入会 。

   1731年 、フィラデルフィアにアメリカ初の公共図書館( フィラデルフィア組合図書館 )
     を設立する 。この図書館は成功を収め 、これを規範に アメリカの他の都市
     にも図書館が開設されるようになった 。

   1734年 、『 貧しいリチャードの暦 』 を発案し 、よく知られるようになった 。

   1734年 、ウォーター・ストリートのタン・タヴァンのフリーメイソンリー( フリーメイ
    ソン )の ロッジで 、グランド・マスター に選ばれた 。

   1737年 、フィラデルフィアで郵便局長に就任 。

   1743年 、アメリカ学術協会を設立した 。

   1748年 、印刷業から手を引き 、公職に専念するようになる 。ペンシルベニア植民地議員
     や郵便総局長をつとめた 。啓蒙思想の普及に身をささげた 。

   1751年 、フィラデルフィア・アカデミー( 後のペンシルベニア大学 )を創設 。

   1753年 、英領北米郵政副長官 。

      1754年に勃発したフレンチ・インディアン戦争ではイギリス軍のための軍需品調達
      に奔走した 。オルバニーの会議で植民地の連合計画を提案

   1757年 、植民地の待遇改善を要求するためにイギリスに派遣された 。このとき 、彼の
      科学的な業績を称え オックスフォード大学にて 名誉学位 を授与されている 。

   1761年 、ガラス製の楽器 グラス・ハーモニカ を発明

   1775年 、大陸会議から初代郵政長官に任命され 、1年3ヶ月間務める 。

   1776年 、アメリカ独立宣言の起草委員となり 、トーマス・ジェファーソン らと共に
      最初に署名した5人の政治家のうちの1人 となった 。独立戦争中は 、パリの
      パッシー( 現在のパリ16区 )に一時滞在した 。パリの社交界を中心に活動し
      上流階級の女性の人気を得た 。当時のマナーである鬘を着けず 、田舎風の毛皮
      の帽子をかぶり パリの社交界に現れた とされているが 、これはフランス人の
      もつ『 古い文明に毒されない素朴な人々 』というアメリカ人のイメージを利用
      したという逸話がある 。その後 欧州諸国との外交交渉に奔走 。独立戦争への
      フランス王国の協力・参戦と 、他の諸国の中立を成功させる 。

   1778年4月7日 パリでヴォルテールをフリーメイソンリーに入会させる。

   1783年4月3日 パリで中立国のスウェーデンとの間でアメリカ・スウェーデン友好通商条約
      を締結する 。

   1783年9月3日 同パリでイギリスとの間でアメリカ独立を承認するパリ条約の使節団一員
      として参加 。

   1790年4月17日 フィラデルフィアで 、84歳で死去 。葬儀は国葬であった


   科学的業績・発明

   フランクリンは 科学や発明に興味を示し 、独学で 様々な業績を残した
   ライデン瓶の実験を知り 、電気に興味を持つ 。1752年 、雷を伴う嵐の中で凧をあげ 、
   凧糸の末端にワイヤーで接続した ライデン瓶 により 雷雲の帯電を証明する という
   実験を行った (『 Kite experiment 』) 。また 、雷の電気はプラスとマイナスの両方の極性が
   あることも確認したといわれている 。この命がけの研究結果によって フランクリン
   は ロンドン王立協会の会員となった 。この逸話は 有名になったが 、検証実験や同じ
   ような実験をしようとして多くの死者が出たため 、現在は あまり紹介されない 。
   この逸話が紹介される際には 、『 フランクリンが死ななかったのは ただ運が良かっ
   ただけ 』『 絶対に真似をしてはいけない 』という解説がほぼ必ずされている 。
   それほどまでにあまりにも危険すぎる実験である 。本人は十分に安全に考慮していた
   が 、それでも現在からみれば 自殺行為に近いほどである 。

   避雷針 、フランクリンストーブ として知られる 燃焼効率の良いストーブ 、遠近
   両用眼鏡 、グラスハーモニカ などを発明した 。これらの発明に関する特許は取得
   せず 、社会に還元した
。ロッキングチェアー の考案者として 挙げられることも
   あるが 、これは フランクリン以前から存在していたもので疑わしい 。

   1758年に ジョン・ハドリーと共に 蒸発熱を使って物体を急速に冷却する実験を行い 、
   周囲の気温が 65 °F ( 18 °C ) の状態で 、温度計の球部を 7 °F( − 14℃ )に
   まで冷却することができた 。エア・コンディショナーに直接は繋がらないが 、
   冷却に関する初期の実験とされる 。

   夏時間を考案したが 、この時代には採用されなかった 。


   気象学への貢献

   フランクリンは自然の深い探求者で 、以下に示すように 気象にも深い興味を抱いて
   いた 。ただし(1)と(2)はまだアメリカがイギリスの植民地だった頃のことである


   (1)嵐が移動することの発見

     当時嵐については目の前で起こっている雨と風のことしかわからず 、嵐がどう
     いう構造や性質や規模を持っているのかなどは全く未知だった 。フランクリンは 、
     測定器や観測網がないにもかかわらず 嵐が風とともに移動していることに世界で
     初めて気づいて 、それを分析して書き残した 。フランクリンの発想が優れていた
     のは 、気象観測網がまだ十分整備されていない時代に 、月食という同時の現象を
     新聞を通して各地の嵐の様子を観察した点だった 。

     フィラデルフィアに住んでいた彼は 、1743年10月21日にアメリカ大陸東部で起こ
     る予定だった月食を楽しみにしていたが 、当日は日暮れ前から嵐で天候が崩れた
     ため 、月食を見ることはできなかった 。ところが 彼は後日ボストンの新聞で
     そこでは予定通り月食を見ることができたことを知った 。それでフィラデルフ
     ィアで嵐であった時刻に 、ボストンはまだ嵐になっていなかったことに気付い
     た 。彼は他の地方の新聞も調べて 、嵐が移動してフィラデルフィアから4時
     間経って400マイル( 約640 km )離れたボストンに到達したのではないかと
     考えた。これをもとに 彼は嵐の移動速度を時速100マイル( 時速 約 160km )
     と推測した 。これは 現在から見ると明らかに速過ぎであるが 、嵐が移動する
     ことに気づいて 、その移動速度を世界で初めて見積もったものとなった 。

     こういう嵐に関する知識は 、嵐のメカニズムを解明しようとする19世紀半ば
     のアメリカ暴風雨論争に引き継がれていった 。

   (2)熱対流と竜巻に関する考察

     彼は竜巻を観察し 、それが凪と酷暑の後に出現する点に注目した。そして
     1753年に竜巻を次のように解釈した 。" 熱は地上付近の大気を希薄する 。
     それが上昇することによって地表気圧の低下を生み出す 。気圧が低下すると
     涼しい大気が四方八方から内部へ流れ込む 。大気は 低圧部の中心付近に着
     くと上昇しなければならないが 、すぐには運動方向を変えることができない 。
     その代わりに ちょうど液体が樽の底の穴に向かって渦を巻く際に右に曲がる
     ように 、大気は右に曲がって回転しながら上昇する " 。このフランクリン
     の解釈は 、ほぼ1世紀後に連続した観測データによって裏付けられ 、嵐の
     特徴とその起源の解明のきっかけになった 。

   (3)火山噴火と季節変動への洞察

     彼は 気候変動にも強い関心があった 。1783年にアイスランドのラキ火山と
     その近郊のグリムスヴォトン火山が噴火して 、大量の火山灰が大気中に放
     出された 。このときのヨーロッパの状況は グレート・ドライ・フォッグ
     とも呼ばれている 。フランクリンは この年の夏の日射が異常に弱く 、
     次の冬は厳冬となったことに気付いた 。彼はこの原因を『 大気中の塵に
     よる煙霧が日射を散乱して地上に届く熱が減ったため 』ではないかと考え
     た 。彼は " これまでの歴史上の厳冬もこのような煙霧の後に起こっている
     かどうかを調査して 、もしそうであればそういう煙霧が起こった際には引
     き続いて起こる厳冬への対策を事前に講じることができる "と指摘した 。

     現在では 大規模な火山噴火で火山ガスが成層圏に入ると 、エアロゾル
     ( 大気中の塵 )になって長期間にわたって日射を反射や散乱し 、数年間
     寒冷になることが知られている 。フランクリンは気候変動を予測する先駆
     者でもあった 。 」

   引用 、ここまで 。

   嗚呼 、ああ 、嗚呼 、大忙し の 84年 ・・・( ^ω^)・・・ 。


   ( 筆者註 : 文中にある 「ライデン瓶 」についての「 ウィキペディア 」の解説 。

        「 ライデン瓶( ライデンびん )は 、静電気を蓄える装置 。

         歴 史
         1746年にオランダの ピーテル・ファン・ミュッセンブルーク( ピーター・ヴァン・
         マッシェンブレーケ )がガラス瓶と水を使い電気を貯める仕組みを発見し 、不要な部分
         が取られ発明されたとされるが 、このような器具で静電気を溜めることができることは 、
         その3ヶ月前に遠ポメラニア出身の牧師エヴァルト・ゲオルク・フォン・クライスト
        ( Ewald Georg von Kleist )が発見している 。

         構 造
         ガラス瓶の内側と外側を金属( 鉛など )でコーティングしたもので 、内側のコーティ
         ングは金属製の鎖を通して終端が金属球となっているロッドに接続される 。通常 、
         電極とプレートで構成され 、これらが二つの電気伝導体となる 。これらが誘電体
         ( =絶縁体 。例えばガラス )によって切り離され 、そこに電圧をかけると電荷が貯ま
         ることになる 。原理的にはコンデンサと同じである 。
         当初は 、ガラス瓶の中に電気が溜まると考えられていたが 、実際には 、上に示したよ
         うに絶縁された2つの導体の表面に溜まっているのであって 、その間の空間には電気
         エネルギーが溜まっていることになる 。 ライデン瓶は一度に数千ボルトの電圧を発生
         することができるが電流が小さいため強く感じることは無い 。

         仕組み
         このような仕組みで 、静電気を発生している 。
         瓶の内側と外側に金属の膜( 錫箔 )を貼ったガラス瓶に鎖の付いた真鍮の金属球を
         さして内側の金属の膜と接触させる 。
         差した金属球の先に 、摩擦起電機で帯電させた導体を触れさせる 。
         ガラスを挟んだ金属の膜同士が帯電する 。
         金属球の先から溜まった静電気を一気に放電させる 。

         名前の由来
         オランダのライデン大学( オランダ語:Universiteit Leiden )で発明されたため 、
         「 ライデン瓶 」の名がある 。

         応用装置

         平賀源内 が復元したことで知られるエレキテルに 、摩擦で生じた静電気を貯める機構と
         して鉄くずを中に満たした ライデン瓶 が用いられている 。
         数メートルもある摩擦起電機と25本もの ライデン瓶 を使った マールムの起電機 とい
         う巨大な装置にも使われた 。

         実 験
         これらの実験に使われた 。
         主な電気の実験
         ベンジャミン・フランクリン の凧揚げの実験

         静電容量

         静電容量は 、フラスコに錫箔と真鍮の削り屑を入れたもので250 pF 、プラスチック
         コップ2個にアルミ箔を巻きつけて作った ライデン瓶 の電気容量は 100 pF 以下 、
         帯電電圧は 約 10 kV 程度と見積もられる 。現在の電子回路に使われているコンデンサ
         と比較すると 、それほど大きなものではない 。しかし 、高い電圧を加えることによっ
         て多量の電荷を蓄えることが可能で 、使い方によっては感電を生じさせるほどの威力を
         持っている 。

         簡易版ライデン瓶( ライデンコップ )
         コップを使用した簡易版ライデン瓶を作ることができる 。ガラス瓶をコップ 、錫箔を
         アルミホイル 、摩擦起電機 を塩ビパイプとティッシュで 代用している 。」 )


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベンジャミン・フランクリン Long Good-bye 2021・11・23

2021-11-23 04:44:00 | Weblog
   今日の「 お気に入り 」 は 、アメリカ独立宣言の起草委員となり 、トーマス・ジェファーソンらと共に 、

  最初に署名した5人の政治家の一人 、ベンジャミン・フランクリンさん( 英語 : Benjamin Franklin ,

  グレゴリオ暦 1706年1月17日<ユリウス暦1705年1月6日> - 1790年4月17日 )が 、自らの信念を 、

  十三の徳目 にまとめた 、いわゆる 「 十三徳 ( Thirteen Virtues ) 」。

  インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」日本語版 & 英語版 から 引用します 。

  引用 、はじめ 。

  「 1. 節制  飽くほど食うなかれ 。酔うまで飲むなかれ 。

   2. 沈黙  自他に益なきことを語るなかれ 。駄弁を弄するなかれ 。

   3. 規律  物はすべて所を定めて置くべし 。仕事はすべて時を定めてなすべし 。

    4. 決断   なすべきをなさんと決心すべし 。決心したることは必ず実行すべし 。

    5. 節約  自他に益なきことに金銭を費やすなかれ 。すなわち 、浪費するなかれ 。

    6. 勤勉  時間を空費するなかれ 。つねに何か益あることに従うべし 。無用の行いは

         すべて断つべし 。

    7. 誠実  詐りを用いて人を害するなかれ 。心事は無邪気に公正に保つべし 。

        口に出すこともまた然るべし 。

   8. 正義  他人の利益を傷つけ 、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼす

        べからず 。

   9. 中庸  極端を避くべし 。たとえ不法を受け 、憤りに値すと思うとも 、激怒を慎むべし 。

   10. 清潔  身体 、衣服 、住居 に 不潔を黙認すべからず 。

   11. 平静  小事 、日常茶飯事 、または避けがたき出来事 に 平静を失うなかれ 。

   12. 純潔  性交は もっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い 、これにふけりて頭脳を

        鈍らせ 、身体を弱め 、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごとき

        ことあるべからず 。

   13. 謙譲  イエスおよびソクラテスに見習うべし。


    ( 筆者註 : 十三徳目のうち 、12番目の「 純潔 」が 、随分 長い 。実践 が むずかしいか 、

          あるいは 父親の子沢山に対する批判 、あてつけ ?

          因みに 、ベンジャミン は ジョサイア の 15番目の子 。

          「 十三徳 」 を思いついたのが 1726年 、二十歳の頃 、というだけに 、努力目標か

          達成目標 みたいな感じ 。

          おさけは はたちに なつてから

          えつちは じゆうごに なつてから 。 )



  1. " Temperance . Eat not to dullness ; drink not to elevation . "

  2. " Silence . Speak not but what may benefit others or yourself ; avoid trifling conversation . "

  3. " Order . Let all your things have their places ; let each part of your business have its time . "

  4. " Resolution . Resolve to perform what you ought ; perform without fail what you resolve . "

  5. " Frugality . Make no expense but to do good to others or yourself ; i.e. , waste nothing . "

  6. " Industry . Lose no time ; be always employ'd in something useful ; cut off all unnecessary actions . "

  7. " Sincerity . Use no hurtful deceit ; think innocently and justly , and , if you speak , speak accordingly . "

  8. " Justice . Wrong none by doing injuries , or omitting the benefits that are your duty . "

  9. " Moderation . Avoid extremes ; forbear resenting injuries so much as you think they deserve . "

  10. " Cleanliness . Tolerate no uncleanliness in body , clothes , or habitation . "

  11. " Tranquility . Be not disturbed at trifles , or at accidents common or unavoidable . "

  12. " Chastity . Rarely use venery but for health or offspring , never to dullness , weakness , or the injury

   of your own or another's peace or reputation."

  13. " Humility . Imitate Jesus and Socrates . "

  
  引用 、ここまで。

  新一万円札の顔が 、渋沢栄一さん なら 、米100ドル札の顔が 、フランクリンさんなのもうなずけます 。

  お二人とも 、丈夫で 、疲れ知らずで 、精力的 。表向き 堅物で 真面目な方たちだったよう 。

  ( ^ω^)・・・ 筆者が生まれる前にあったらしい 、 一円札の顔 二宮尊徳さん みたい 。


   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私は草になりたい I WISH I WERE A HAY ―― Long Good-bye 2021・11・22

2021-11-22 04:45:00 | Weblog


   今日の「 お気に入り 」は 、アメリカの詩人 エミリー・ディキンソン( Emily Dickinson 、1830 - 1886

  さん の 短詩一篇 「 草はなすべきことがあんまりない ―― 、" The Grass so little has to do ―― " 」 。

   以下に 、訳詩 、原詩 の 順に 引用します 。


     「 草はなすべきことがあんまりない ――

      単純な緑のひろがり ――

      ただ蝶の卵を孵 ( かえ ) し ――

      蜜蜂をもてなすだけ ――


      そしてそよ風が運んでくる

      美しい調べに一日じゅう揺れ ――

      日光をひざに抱きかかえ

      みんなにお辞儀をし ――


      そして一晩じゅう 、真珠のような 、露に糸を通し ――

      美しく着飾るものだから

      公爵夫人も平凡すぎる

      その装いの前では ――


      そして死ぬ時も ―― 神聖な

      匂いにつつまれて去る ――

      眠りについた 、野生の香料 ――

      あるいは枯れていく 、甘松 ( かんしょう ) のように ――


      それから 、堂々たる納屋に住み ――

      毎日を夢のうちに過ごすだけ 、

      草はなすべきことがあんまりない

      わたしは乾草になれたらいいのに ――  」


     「 The Grass so little has to do ――

      A Sphere of simple Green ――

      With only Butterflies to brood

      And Bees to entertain ――


      And stir all day to pretty Tunes ――

      The Breezes fetch along ――

      And hold the Sunshine in its lap

      And bow to everything ―― .


      And thread the Dews, all night, like Pearls ――

      And make itself so fine

      A Duchess were too common

      For such a noticing ――


      And even when it dies ―― to pass

      In Odors so divine ――

      Like Lowly spices, lain to sleep ――

      Or Spikenards, perishing ――


      And then, in Sovereign Barns to dwell ――

      And dream the Days away,

      The Grass so little has to do

      I wish I were a Hay ――
 」


    ( 出典: 亀井俊介 編「 対訳 ディキンソン詩集 ―― アメリカ詩人選 ( 3 ) 」 岩波文庫 )


    ( 筆者註: 文庫本にある訳註 には 、「 世の中のわずらわしさから逃れ 、自由自在に生きたい
          という思いを 、草にたくしてうたったもの。しかし現世からの解脱を求めるたぐい
          の思想の表現ではない 。作者は草の生および死に 、蝶や蜜蜂とのつき合い、そよ風
          や日光との交わり 、真珠のような露のネックレスの装い 、あるいは芳香に包まれた
          眠りなどを 、つぎつぎと想像していく 。ディキンソンは自己を厳しく収斂 ( しゅう
          れん ) することによって強固にしていた詩人だが 、その生をこのように解き放って味
          わうこともしていた 。 」と 解説されています 。

          Spikenards は 、甘松 ( かんしょう ) 、あるいはその根茎から採る香料 、香油のこと 。 )




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深い眠りにおちいって BEING FAST ASLEEP, Long Good-bye 2021・11・21

2021-11-21 05:35:00 | Weblog


   今日の「 お気に入り 」は 、アメリカの詩人 エミリー・ディキンソン( Emily Dickinson 、1830 - 1886

  さん の 短詩一篇 「 わたしがもう生きていなかったら 、" If I shouldn't be alive " 」 。

   以下に 、訳詩 、原詩 の 順に 引用します 。


     「 わたしがもう生きていなかったら

      駒鳥たちがやって来た時 ――

      やってよね 、赤いネクタイの子に 、

      形見のパン屑を 。


      深い眠りにおちいって 、

      わたしがありがとうをいえなくっても 、

      分かるわね 、いおうとしているんだと

      御影石 ( みかげいし ) の唇で ! 」


     「 If I shouldn't be alive

      When the Robins come ,

      Give the one in Red Cravat,

      A Memorial crumb.


      If I couldn't thank you,

      Being fast asleep,

      You will know I'm trying

      With my Granite lip !.
 」


    ( 出典: 亀井俊介 編「 対訳 ディキンソン詩集 ―― アメリカ詩人選 ( 3 ) 」 岩波文庫 )


    ( 筆者註: 文庫本にある訳註 には 、「 Robins ( pl. ) ヨーロッパ産の robin ( 駒鳥 ) は 、
          胸毛が赤いので robin redbreast ともいう 。アメリカ産のは じつは ツグミ
          の一種だが 、姿が似ているところから同じ名で呼ばれている 。」と 解説されています 。

          Cravat は 、現在のネクタイとスカーフを兼ねたような首に巻く布 。 )



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ディキンソンさんの安息日 MY SABBATH Long Good-bye 2021・11・20

2021-11-20 05:15:00 | Weblog


   今日の「 お気に入り 」は 、アメリカの詩人 エミリー・ディキンソン( Emily Dickinson 、1830 - 1886

  さん の 短詩一篇 「 教会へ通って安息日を守る人がいます ―― 、" Some keep the Sabbath going to Church ―― " 」 。

   以下に 、訳詩 、原詩 の 順に 引用します 。


     「 教会へ通って安息日を守る人がいます ――

      わたくしは守ります 、家にいて ――

      ボボリンクが聖歌隊員 ――

      果樹園が 、ドームです ――


      白い法衣を着て安息日を守る人がいます ――

      わたくしは翼をつけるだけ ――

      礼拝式のため 、鐘を鳴らす代わりに 、

      わが愛らしい堂守りは ―― 囀 ( さえず ) ります 。


      神さまが説教します 、有名な牧師さまです ――

      ご法話はけっして長くありません 。

      だからやっとのことで天国へ 、行き着く代わりに ――

      わたくしは はじめから 、通い続けているのです 。 」


     「 Some keep the Sabbath going to Church ――

      I keep it, staying at Home ――

      With a Bobolink for a Chorister ――

      And an Orchard, for a Dome ――


      Some keep the Sabbath in Surplice ――

      I just wear my Wings ――

      And instead of tolling the Bell, for Church,

      Our little Sexton ―― sings.


      God preaches, a noted Clergyman ――

      And the sermon is never long.

      So instead of getting to Heaven, at last ――

      I'm going, all along.
 」


    ( 出典: 亀井俊介 編「 対訳 ディキンソン詩集 ―― アメリカ詩人選 ( 3 ) 」 岩波文庫 )


    ( 筆者註:  ボボリンク ・ bobolink は 、北米産の小鳥 。文庫本にある訳註 には 、
          「 Bobolink 、ボボリンク ( 米喰い鳥 ) 。ボボリンク と聞こえる美しい声
          で鳴く北米産の鳥 」と 解説されています 。

          Chorister は 、教会の 聖歌隊員 、あるいは 聖歌隊指揮者 ( choir leader ) 。

          Surplice は 、聖職者・聖歌隊が儀式に着る袖の広い白衣 のこと 、サープリス 。

          wear my Wings は 、翼を身につける 。自分も鳥の仲間に加わっている感じ 。
          wear my Wigs じゃありません 。

          Sexton は 、教会の使用人 、寺男 、堂守 のこと 。鐘をつくことも仕事としている 。

          Clergyman は 、聖職者 、牧師さま 。

         all along = all the time はじめからずっと 。

         文庫本にある訳註 には 、「 ディキンソンは教会の形式化した礼拝に参加すること
         を嫌っていた 。自然と交わることによって 、直接的に天国へ到る思いをうたっている 。
         ニューヨークの週刊誌 The Round Table ( 1864年3月12日 ) に " My Sabbath " と題して
         発表された 。」と 解説されています 。

         " God preaches, a noted Clergyman ――
         And the sermon is never long. " について 、 
         「 自然の中では神がみずから語るような思いがする 。」と 脚註 が 付けられています 。 )  




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私は誰でもない人 I’M NOBODY ! Long Good-bye 2021・11・19

2021-11-19 04:51:00 | Weblog


   今日の「 お気に入り 」は 、アメリカの詩人 エミリー・ディキンソン( Emily Dickinson 、1830 - 1886

  さん の 短詩一篇 「 わたしは誰でもない人 ! あなたは誰 ? 、" I'm Nobody ! Who are you ? " 」 。

   以下に 、訳詩 、原詩 の 順に 引用します 。


     「 わたしは誰でもない人 ! あなたは誰 ?

      あなたも ―― また ―― 誰でもない人 ?

      それならわたし達お似合いね ?

      だまってて ! ばれちゃうわ ―― いいこと !


      まっぴらね ―― 誰かである ―― なんてこと !

      ひと騒がせね ―― 蛙のように ――

      聞きほれてくれる沼地に向かって ―― 六月じゅう ――

      自分の名前を唱えるなんて ! 」


     「 I’m Nobody ! Who are you ?

     Are you ―― Nobody ―― Too ?

     Then there's a pair of us ?

     Don't tell ! they'd advertise ―― you know !


     How dreary ―― to be ―― Somebody !

     How public ―― like a Frog ――

     To telll one's name ―― the livelong June ――

     To an admiring Bog !
 」


    ( 出典: 亀井俊介 編「 対訳 ディキンソン詩集 ―― アメリカ詩人選 ( 3 ) 」 岩波文庫 )



   インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」日本語版 に 掲載されている 、

  ㈱ 岩波書店 刊 「 対訳 ディキンソン詩集 ―― アメリカ詩人選 ( 3 ) 」の編者で 、東大名誉教授 亀井俊介さん 、

  御年 89歳 の 「 来 歴 ・ 人 物 ・ 受賞歴 」 紹介 記事 を 以下に 引用 します 。


   「 亀井 俊介( かめい しゅんすけ、1932年8月14日 -  )は 、日本の比較文学者 、アメリカ文学者 、

    アメリカ大衆文化研究者 、東京大学教養学部名誉教授 。


    来 歴

    岐阜県中津川市 生まれ 。新制岐阜県立中津高等学校卒業 。1953年 、東京大学文学部英文科卒 。

    1952年 、同大学院比較文学比較文化専攻修士課程修了 。はじめ詩人を目指していた 。

     同大学院比較文学比較文化専攻博士課程 在学中に休学し 、セントルイスのワシントン大学に

    留学 。メリーランド大学大学院 などをへて 、1962年に 帰国して 大学院に復学 。

    1963年 、東京大学大学院比較文学比較文化専攻博士課程、単位取得退学 。

    師の一人に 島田謹二 がいる 。

    1963年 東大教養学部助教授 、1984年 教授 、1993年 定年退官 、名誉教授 、東京女子大学教授 、

    2003年 岐阜女子大学教授 。2020年 同退職 。

    1971年 に『 近代文学におけるホイットマンの運命 』で 日本学士院賞 を受賞している 。

    1973年 には 日本学術振興会派遣海外研究員 として 、ニューヨーク州立大学オルバニー校 に

    留学して 、アメリカ大衆文化研究の先駆け となった 。

    人 物

    著書多数あり 、アメリカ大衆文化に詳しく 、性革命に関する著作もあり 、『 マリリン・モン

    ロー 』を出したときは 、東大教授 が 岩波新書から出した というので話題になった 。

    司馬遼太郎の愛読者 でもあり 、新潮文庫版の『 峠 』や『 アメリカ素描 』の解説を書いている 。

    また 日本女子大学教授 だった 妻 亀井規子( 旧姓山名 、規子の父は法学者の 山名寿三 )の死後 、

    遺著『 ヴィクトリア朝の小説 』( 研究社 )を刊行している 。手記『 わが妻の「 死の美学 」』

    を出した 。

    2007年 にはその研究活動の出発点であった『 アメリカ産の日本詩人 』ヨネ・ノグチ( 日本名

    野口米次郎 、イサム・ノグチの父 )の復権を目指し 、『 ヨネ・ノグチ英文著作集 』全6巻を編集 、

    別冊日本語解説 を書いた


    受賞歴

    1970年 、博士論文『 近代文学におけるホイットマンの運命 』で学士院賞
    1976年 、『 サーカスが来た! 』で日本エッセイスト・クラブ賞
    1976年 、『 サーカスが来た !』で日米友好基金図書賞。
    1994年 、『 アメリカン・ヒーローの系譜 』で大佛次郎賞
    2008年 、瑞宝中綬章受勲
    2015年 、『 有島武郎 』で和辻哲郎文化賞受賞
    2017年 、『 日本近代詩の成立 』で日本詩人クラブ詩界賞受賞                」 

    引用 、ここまで 。

    









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする