今日の「 お気に入り 」 。
「 顕微鏡を世界で最初に作り出したのは 、今から350年前のオランダ人です 。
首都のアムステルダムから 、現在なら電車で1時間ほど南西へ向かった デルフト
という小さな街で生まれ育った 、アントニ・レーウェンフック という人物 。
17世紀ですから 、日本は江戸時代が幕を開けて間もない頃です 。
デルフトの街は城塞都市のように周りを掘割で囲まれ 、端から端まで10分も
あれば歩いていけるほどの狭い街でしたが 、17世紀のオランダは産業や貿易
によって繁栄を遂げた経済の交差点であり 、芸術文化の交差点でもありました
から 、アムステルダム や ライデン とともに デルフト も ヨーロッパ中の人
々が行き交う街として 、さまざまな知識や技術が集約されていました 。
その デルフト で独自の顕微鏡を作り出した レーウェンフック は 、留め金の
ようなかたちをした 板状の本体に 、自分で工夫しながら磨いた レンズ をはめ
込み 、いろいろなものを観察していました 。
レーウェンフック は 、高等教育も受けておらず 、大学の先生でもなく 、専
門の科学者でもありませんでした 。デルフトの一市民だったのです 。にもかか
わらず 、アマチュアとしてひたすら顕微鏡づくりに没頭し 、改良を重ね 、ミ
クロの世界を人類史上初めて精密に観察することに成功しました 。
( 中 略 )
この自作の顕微鏡を使って 、レーウェンフック は 、私たちの体が細胞という
小さなユニットからできていることを発見しました 。それから 、血液の流れも
観察し 、血管の中に流れているたくさんの粒子を見付けました。白血球や赤血
球です 。さらに彼は街へ出て 、水たまりの水を少しだけ採ってきて顕微鏡で
覗きました 。すると 、肉眼ではまったく透明に見える水の中に 、さまざまな
かたちをした微生物が光りながら 、踊りながら 、泳いでいる様子を目にしま
した 。すなわち彼は 、細胞の発見者でもあるし 、赤血球や白血球の発見者
でもあるし 、微生物というミクロな世界の発見者でもあったのです 。
もう一度言いますが 、レーウェンフック は 、学者ではありません 。デル
フトという小さな街に暮らした商人です 。そこがまた素晴らしいところで 、
アマチュアが非常に大きな生物学上の発見をなしたということに 、私は深く
感動しました 。
レーウェンフック の最大の業績のひとつに 、動物の精子を発見した
ことも挙げられます 。精子が生命の「 種 」になっていることを突き止め
たのです 。ただ 、卵子は雌の体の奥深くにある細胞なので 、そこまでは
彼も気がつきませんでしたが 、雄の精子を発見し 、それが生命の種になっ
ているということまで解明したのは凄いことです 。アマチュアが独自の工
夫で学問の新しい扉を開いたという素晴らしさを 、私は顕微鏡の歴史をた
どりながら感じました 。
顕微鏡の発明者を追って17世紀の デルフト に時をさかのぼった私は 、
そこで小さな発見をしました 。レーウェンフック の生家から200メー
トルぐらいしか離れていないところに宿屋兼画商があり 、ここで レーウ
ェンフック が生まれた1632年と同じ年 、そしておそらく同じ月に生
まれた人がいました 。この人物は現在 、レーウェンフック よりもずっ
と有名になっていますが 、実は同時代人としてデルフトの街で暮らして
いたのです 。」
( 出典 : 福岡 伸一 著 「 最後の講義 ( 完全版 ) ー どうして生命にそんなに価値があるのか 」
Shin - Ichi Fukuoka " The Last Lecture - Why life is so valuable " (株)主婦の友社 刊 )
今から400年ほど前の オランダの人 。
同じ1632年生まれの二人 。生まれた日もひと月ぐらいの違い 。
Antonie van Leeuwenhoek さん と Johannes Vermeer さん 。
同い年 、ご近所の誼みで 、親しい「 知り合い 」だったらしい 、かたや91歳の長命 、かたや40代半ばでの夭逝 。