今日の「お気に入り」は、インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア」に載っていた
カルロス・ゴーンさんの略歴。
「 カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn、1954年3月9日 - )は、フランスの自動車会社ルノーの
取締役会長兼CEO(PDG)にして、日産自動車の前会長、三菱自動車工業の会長。」
( 中 略 )
「 人物
両親はレバノン人で、ブラジルで誕生。幼少期をブラジルで過ごし、中等教育は父の母国であるレバノンの
ベイルートで受けた。フランスの工学系グランゼコールの一つであるパリ国立高等鉱業学校を卒業した後、
フランス大手タイヤメーカー、ミシュランに入社し18年間在籍。
ミシュラン社での業績を評価され、ルノーに上席副社長としてスカウトされ、同社の再建にも貢献した。
1999年3月、当時経営と財政危機に瀕していた日産がルノーと資本提携を結び、同年6月、ルノーの
上席副社長の職にあったゴーンが、ルノーにおけるポジションを維持しつつ、日産自動車の最高執行責任者
(COO)に就任。後に日産自動車の社長兼最高経営責任者(CEO)、ルノーの取締役会長兼CEO(PDG)、
ルノー・日産アライアンスの会長兼最高経営責任者(CEO)に就任。
『コストキラー』『ミスター調整(FIX IT)』などの異名をとるゴーンは、日産再建に向け社員とともに
『日産リバイバルプラン』を作成。短期間で日産の経営立て直しを果たし、2003年にフォーチュン誌は、
彼を『アメリカ国外にいる10人の最強の事業家の一人』と称している。2013年6月から2016年6月には、
ロシアの自動車メーカのアフトヴァース会長も務めていた。
レバノンとブラジルとフランスの多重国籍を有する。アラビア語とフランス語、英語、スペイン語、
ポルトガル語の5言語を話せる。日産自動車の社員に対して自らの肉声で語りたい時は、敢えて
日本語で演説するようにしている。2004年には法政大学名誉博士になっている。2005年には、快進社、
ダットサンで竹内明太郎と縁があり、早稲田大学からも授与されている。極度の経営不振と経済的危機
の状態にあった日産自動車を立て直したということで、他社の社外取締役に招聘されたり、大学の委員
なども務めたりもしている。また、自らコマーシャルに出演するなど、マスメディアにも積極的に登場。
漫画誌・ビッグコミック・スペリオールに『カルロス・ゴーン物語』が掲載されるなど、広く知られる
存在となっている。
2016年10月より、ゴーンはルノー・日産アライアンスに加わった三菱自動車工業の代表取締役会長に就任。
2017年2月23日、日産自動車は同年4月1日付で副会長兼共同CEOの西川廣人が代表取締役社長兼CEOに就任
することを発表した。ゴーンは引き続き日産の代表取締役会長を務め、アライアンス全体の経営に注力する。
KBE (大英帝国勲章・ナイトコマンダー)。」
( 中 略 )
「 祖父ビシャラ・ゴーンは、レバノンで生まれ13歳でブラジルに移住し、ブラジル北部、ブラジルと
ボリビア国境近くのロンドニア州の奥地 São Miguel do Guaporé サン・ミゲウ・ド・グアポレ で
ゴム産業に参入。最終的には農産物を売買する会社のオーナーとなった。レバノン系ブラジル人
である父 ジョルジ・ゴーンはロンドニア州の州都ポルト・ヴェーリョに居を構え、同じくナイジェリア
生まれのレバノン人の女性と結婚。
1954年3月9日にカルロス・ゴーンが誕生した。カルロスが2歳くらいの頃、不衛生な水を摂取したことで
病気となり、母親とともにリオ・デ・ジャネイロに移転。カルロスが6歳の時、彼の3人の姉妹と母と
ともに、祖父の母国であるレバノン・ベイルートに転居し、ベイルートのイエズス会系の
Collège Notre-Dame de Jamhour(コレージュ・ドゥ・ノートルダム・ドゥ・ジャンブール)で
中等教育を受けた。その後、パリ6区にあるプレップスクール Lycée Stanislas(リセ・スタニスラス)、
そして、Lycée Saint-Louis(リセ・サン=ルイ)で学ぶ。1974年、エコール・ポリテクニーク
(École Polytechnique)(グランゼコールの代表格でエリート養成校の一つ)を卒業し、1978年に
パリ国立高等鉱業学校(École des Mines de Paris)で工学博士を取得し卒業。
大学卒業後、1978年に欧州最大のタイヤメーカー、ミシュラン Michelin に入社した。」
「 ひとはどこまで無実か―――悪事が露見するまで無実である。」
( 山本夏彦著 「二流の愉しみ」 講談社文庫 所収 )